29.エリザベスに似てきた
リベルア邸宅を出て一日も馬車を走らせれば、もうシャロン家の別邸に到着する。
ベラードに教えてもらったダクス山の付近に到着すると、私は馬車を止めてもらい、ネトルを探した。
ヴェリュアンは私がほんとうに探すことに驚いていた様子だったが、せっかくなのだ。
どうせなら、お母様にお土産を持っていきたいと思った。
もっとも、王都流行りのクッキーやショコラ、砂糖菓子といった類のものは、お父様が用意させたので荷台に積んであるのだが。
だけどこういうものは、物より気持ちだと思うから。
私に母の記憶はない。
だからこそ、どんなひとなのだろうと、思いを馳せる。
肖像画を思い出す。
顔立ちは、私に似ているけれど私よりも柔和な印象を受けた。
病気を患っているからか、ほっそりとしていて、控えめな雰囲気のあるひとだと思った。
纏う空気感だとか、雰囲気だといったものは異なるが、青の髪に青の瞳は、私と同じ。
顔立ちも、よく似ている。
年々、お父様に『エリザベスに似てきた』と言われていたが、自分でもそう思うのだから、私と母はよく似ているのだろう。
ネトルは、すぐに見つけることが出来た。
ベラードの言っていたとおり、あちこちに生えていたからだ。
自分で茎を手折ろうとすれば、ヴェリュアンがそれを制し、代わりに摘んでくれた。
草で手を切っては危ないから、と彼は言ったが少し気にしすぎのように思う。
指先を怪我した程度、それも草で指を切った程度の怪我であれば、すぐに治るものだ。
二、三日もすれば気にならなくなるだろう。
令嬢としては有り得ないほどの大雑把さ、杜撰さであると自覚しているが、細心の注意を払って生活するのは、疲労する。
だから、少しくらい雑に扱ってくれても構わないのだけど──私と彼のふたりしかいない時も、彼はとても私を気遣ってくれている。
それがなんだか少し、くすぐったい。
(もう少し乱暴に扱ってくれても、問題ないのだけど……)
しかしそれも、騎士の性というものなのだろうか。
ヴェリュアンがそういう性格だというなら、私も受けいれた方がいいのだろう。
未だ少し、慣れないが。
ダクス山の麓で、私とヴェリュアンはザックスに用意してもらったランチボックスを開いた。
中には、ローストビーフや照り焼きチキンを挟んだサンドイッチと、水筒には魚介のスープが入っていた。
香草採取のため、あちこち歩き回っていた私は思った以上に疲労していたので、ありがたくお肉の挟まったサンドイッチを食した。
食べながら、ふと思う。
(もしかして私……運動不足なのかもしれない)
今も、少し山道を歩いた程度で疲労を覚えているし、体もあちこち鈍く痛んでいる。
足の裏やふともも、ふくらはぎなど、張っている感覚があった。
日々のダンスレッスンがあるし、私自身動くのが嫌いではないので、まさか自分が運動不足とは考えもしなかった。
しかし、周囲のメイドや侍従を見るに、おそらく私は運動が足りていないのだろうと思う。
騎士であるヴェリュアンはもちろん、これくらいの運動量で疲れを見せることはなく、いつもと変わらず背筋を伸ばしてサンドイッチを口にしていた。
彼は、サンドイッチをぺろりと食べると、指先についたパンくずを舐め取った。
その一連の流れに思わず硬直する。
僅かに見えた赤い舌が指先を舐めとる様はなんとも言えない淫猥さがあった。
とはいえ、それを本人に言えるはずもなく。
ちらちらと見ているのが気になったのだろう。
彼が私を見て、眉を寄せる。
「疲れましたか?」
「えっ……」
「疲れている顔をされていたので」
「そう、かしら?でも、大丈夫よ。あの……お母様は、どういう方なのか考えていたの」
苦し紛れに探した言い訳は、だけど偽りではなかった。
確かに私は、先程までではあるが、母のことを考えていた。
私がつぶやくように言うと、彼は「ああ」と頷いたように答える。
「お母君にお会いしたことがあるのでは?」
リベルア邸で、ザックスが言っていたことを言っているのだろう。
久しぶり、と彼は言っていた。
だから私は、十年前ここを訪れたことがあるのだろう。
私は、あいまいに頷いた。
「うーん。あるにはあるようなのですが、覚えていないのです」
「……覚えて、いない?」
彼の声が固くなる。
顔を強ばらせた彼を見て、私は明るい声を出すよう努めた。
十年前の事件は、思い出すことを頭が拒否する程度には苦しいものだったが、彼に思い悩むような顔をして欲しいわけではない。
「十年前、頭を打って、それ以前の記憶が一切ないのです。十歳の頃、私は母に会いにきていたようですね。アンナにそれとなく聞いてみたのですが、思い出せない過去に悩むことは無いと言われてしまって……。お父様も、私が過去を思い出すことに否定的でしたから──。アンナはお父様に言い含められている可能性がありますね?」
場の雰囲気を緩ませようと、茶化すように言うがヴェリュアンの顔は凍りついたように無表情だ。
しばらく経っても返答がないので、私は心配になって彼の名前を呼んだ。
「……ヴェリュアン?」
「っ……」
私が呼びかけると、ようやく我に返ったように彼がこちらを見る。
群青の瞳は、動揺に揺れていた。




