27.上に立つものとして
次の日。
山の天候は変わりやすい、と私が思ったように、翌朝は見事な快晴だった。
昨晩の大雨はなんだったのか、と思うほどの晴れ模様だ。
これであれば出立できるだろう。
目が覚めると既に、ヴェリュアンの姿はなかった。騎士の彼は、朝が早いのかもしれない。
部屋でモーニングティーを飲んでから、大広間に向かう。
モーニングティーを用意してくれたのは、デボラではなくほかのメイドだった。
昨日、ザックスは私の世話をデボラに任せると言っていた。
だけど、今朝、部屋を訪れたのはリベルア邸で働いてるメイド、ということはデボラは今、部屋を出られないような状況なのだろう。
大広間に向かえば、既にザックス、ベラード、ヴェリュアンが揃っていた。
どうやら私が最後だったらしい。
ザックスは強ばった顔をしており、ベラードは思い詰めたような顔をしている。
ヴェリュアンは、いつものように青のリボンで髪を結んでいるものの、感情を一切表さない、無表情だった。
(き、気まずい……)
大広間は、とても重たい空気に包まれていた。
私が部屋に入ると、まずザックスが立ち上がり、礼を執る。
「おはようございます。お嬢様。よく眠れましたか」
「……ええ。ありがとう」
固い口調のザックスに影響されて、私までまごついてしまう。
ヴェリュアンが席をたち、私の前まで歩み寄ると、彼が手を伸ばした。
どうやらエスコートしてくれるようだ。
私も彼の手を取り、席へと向かう。
丁寧に椅子を引いてくれたヴェリュアンに、お礼を言う。
「ありがとう」
「いえ」
短くやり取りを交わし、椅子に座ったところで──ザックスが勢いよく、頭を下げた。
「お嬢様、申し訳ございません!」
「…………」
咄嗟に口を開いたが、何を言えばいいかわからずしきりに瞬きを繰り返す。
そのまま沈黙を守っていると、ザックスは頭を下げたまま言葉を続けた。
「昨夜、娘がヴィネハス卿の部屋を訪ねました」
「……ええ」
ひとまず、頷いて話の続きを促した。
ザックスの隣で、ベラードは顔を青くしている。
いや、青を通り越してもはや白い。
窓の外は鳥の声も聞こえ、あたたかな日差しが入り込んでくるが、室内の空気はどんよりと重たい。
「娘は……その、ヴィネハス卿に一目惚れしたらしく……」
「そうなの」
半分驚き、半分納得で頷く。
昨日、ヴェリュアンが私の部屋を訪ねた時にデボラの話は聞いていたが、詳細まで教えてもらったわけではなかった。
ザックスは、頭をテーブルに擦り付けるようにして、また謝った。
「ほんとうに申し訳ございません。娘にはきつく言い聞かせますので、どうか、ご温情を……」
そこで、気がつく。
デボラは、仕える主の娘の婚約者を誘惑したのだ。それは咎められるべきであり、罪には罰が与えられる。
ザックスとベラードの顔色が悪かったのは、デボラの処罰について思い悩んでいたから。
(……一目惚れ、ね)
不思議に思う。
デボラは、こんなに家族に想われ、愛されて育ったのに、初めて会った男性に──一目惚れしたからといって、その身を任せるような真似をするのだろうか。
彼女には、彼女の言い分、行動するに至ったきっかけがありそうなものだが、それは私が尋ねることではない。
私はザックスの話を聞きながら、ちら、と横を見る。
ヴェリュアンは恐ろしいくらいに無表情だった。
昨日見た、表情豊かに自身を【俺】と言っていた彼ではない。
ヴェリュアンは、私の視線に気がつくと、僅かに首を傾げてこちらを見てきた。
どうした、とでも言いたげに。
だから私は、ヴェリュアンに尋ねた。
「あなたは、どう思いますか?この件において被害者はあなたです。私は、あなたの意志を尊重したい」
「え……」
突然話を振られて困惑しているのだろう。
ヴェリュアンが、わずかに眉を寄せる。
それから少しして、思い悩むようにしながら言った。
「……彼女はまた、いずれ、同じことを繰り返すように見えます。ある程度、あの性格は矯正すべきかと」
「修道院に入れると?」
修道院は、女の墓場と等しい。
まだ若い身の上で、修道院に入れられたらだいたいの女性は人生の終わりを悟るのではないだろうか。
そう思って尋ねると、ヴェリュアンは首を横に振った。
「そうではありません。そうではないのですが……」
そこから先は、ヴェリュアンも上手く言葉にならないのだろう。
だけど、私は彼が言いたいことをなんとなく、理解したような気がした。
恐らく彼は、デボラの今後を憂慮しているのだろう。
それは彼女自身ではなく、責任を負わされるザックス、ベラードへの気持ちの方が大きいのかもしれない。
私もまた、娘の仕出かしたことに頭を下げるザックスを見て、いたたまれない気持ちになっている。
このまま何のお咎めもなし、とすれば、デボラはまた同じことを繰り返すかもしれない。
厳しく罰されることはないのだから、と。
私は、恋愛にそもそも興味がないからか、恋人や婚約者、家庭を持っている男性に言い寄る女性の気持ちは分からない。
だけどそうした思考回路は簡単には直せないものだと思う。
夜遅くに、ヴェリュアンの部屋を訪ねたことを鑑みるに、恐らく彼女は相当手馴れているはずだ。
男女の経験も、もしかしたらあるのかもしれない。
未婚の身の上で、処女ではないことが知れたら、貴族は大変な騒ぎになるものだが、平民はまた違うのだろう。
彼女達の恋愛について口を出すつもりはない。
だけど、欲に染まった生活をしているというなら。
「分かりました。デボラの処遇は、今ここで定めます。彼女には、ある程度の期間、修道院での下働きを命じます。……そうね。期間は、私が結婚するまで」




