26.やましい気持ちがなければ
「…………」
何度か瞬きを繰り返して彼を見る。
私とヴェリュアンは、婚約者という間柄ではあるが互いに恋愛感情はない。
ヴェリュアンはともかく、私も。
だけど、まるでその言葉は私を口説いているようで、面食らう。
(あ……)
そこでふと、彼の言葉を思い出した。
『確かに綺麗な女性は綺麗だと思いますし、魅力的な女性を見れば魅力的だ、と思う感性はあります』
(なるほど。じゃあこれも、他意はない、ということね。思ったことを思ったままに言っただけ)
彼の美貌と、肩書きがある以上、そうした言葉は要らぬ誤解を招くものだが──私相手なら問題もない。
誤解するはずがないからだ。
ひとり頷いて、私は笑って答えた。
「可愛い、というのは初めて言われました。ありがとうございます」
私は、この青色の髪と同色の瞳のためか、あまり、可愛いという言葉をもらったことがない。
私の記憶の限りでは、可愛いと言われたのは初めてのことなのではないだろうか。
それを考えるに、おそらく彼が言っているのはこの容姿ではなく、私の言動なのだろうと思う。
可愛い、と称される言動が良いことなのか悪いことなのかは分からないが、彼のことだ。
貶す意味合いで使っていることもないだろう。
ヴェリュアンがちらりと私を見た。
「部屋に戻りますか?」
「そうね。そうしようかしら」
彼に言われて、グラスを洗い場に持っていこうとすれば、やはりそれは彼に取り上げられた。
「……ありがとう」
「いいえ」
短くやり取りを交し、そのまま私たちは厨房を出た。
いつの間にか、外の雷は止み、廊下には静けさだけが漂っている。
暗い廊下は、ひとりであれば心細さを感じただろうが、彼と一緒にいるからだろうか。
怖いとは感じなかった。
そのまま私の部屋に向かう。
部屋が近づくにつれ、互いに言葉数が減っていった。
そして、扉の前に着く。
ヴェリュアンが、燭台を手に持ちながら扉を開ける。
「どうぞ」
「あ、ありがとう」
なんだか妙に落ち着かない。
たかが、同じ部屋で眠るだけ。
それだけなのに。
そもそも異性と同じ部屋で眠ること自体が、とんでもないことなのだ。
頭では状況を正しく理解しているのに、感情だけが置き去りになって、上手く呑み込めていない。
緊張しているのはきっと、私だけだろう。
そう思って彼に気付かれないよう──ちいさく、ため息を吐く。
ヴェリュアンが、サイドテーブルに燭台を置いた。
「俺はソファで寝ます」
「…………えっ」
「大丈夫です。ソファでも寝られますし、俺は騎士なので、どこでも眠れるように訓練を受けて──」
「そういう問題ではありません!」
大声を出してから、まだ深夜であることに気がつき、私は取り繕うように咳払いをした。
「ん、んんっ。……良いですか、ヴェリュアン。あなたが言うのですから、確かに眠れるのでしょう。でも、疲れはどうですか。五日間、馬車旅を続けてきたのです。あなたは騎士だから、旅には慣れているのかもしれませんが──それでも、確かに疲労は蓄積されているはずです。そして、眠る時にこそ、疲労を解消し、体力を回復させなければなりません。あなたは騎士なのだから、体は資本でしょう?無理が祟ってはいけません」
「いや、ですが」
「あなたが私と同じベッドで眠りたくないと言うなら仕方ありませんが……あなたがソファで、私がベッドなのは、落ち着きません。私の安眠のためと思って、同じベッドで眠りませんか?」
「えっ」
今度は、彼が驚く番だった。
私はといえば、簡潔に理由を口にしたためか、先程までの緊張は吹っ切れていた。
私は毛布をめくり、ベッドに上がった。
そして、そのまま横たわり、彼を見あげる。
ヴェリュアンは、まだ動揺している様子だった。
「寝ましょう?大丈夫です。互いにやましい気持ちなどなければ、添い寝と変わりません。……ふわぁ。私も眠くなってきました。ほら、ヴェリュアン」
「いや、でも」
私は彼の判断を待った。
彼にはベッドで眠って欲しいが、無理強いしたいわけではない。
だから、じっと待っていたのだがやがて彼は諦めたように息を吐いた。
どうやら、私と同じベッドで眠ることにしたようだ。
「……分かりました。では、失礼します」
「はい。どうぞ」
私の隣に、ヴェリュアンが入ってくる。
寝る時にひとの温もりを感じるのは、初めてだ。
少し落ち着かない気分になったが、既に眠気を覚えていた私は、緊張することなく目を閉じた。
「おやすみなさい、ヴェリュアン」
「……おやすみなさい。シドローネ」
彼の声が、遠くで聞こえる。
(そうだわ。寝る前に、デボラについて話をしなければと思ったのに……)
あまりことを大事にしたくはない。
だけど、彼はどうだろう?
嫌な思いをしたのは彼なのだから、まずはヴェリュアンに話を聞かなければ。
そう思ったのに、そう思った時にはもう。
私は微睡みの世界へと入り込んでいた。




