12.格好の獲物
「あら、シドローネ!こっちよ」
久しぶりに参加した夜会。
春の祝祭には参加したから、実に二ヶ月ぶり。
サロンには度々顔を出しているので全くひとと会っていない、というわけではないけれど。
ホールに足を運んですぐ、私を呼び止める声があった。
そちらを向けば、王女ヘレンは私を見てにこやかな笑みを浮かべていた。
ルザーと同じく銀色の髪に、薄紫の瞳。
だけど、力強さを感じさせるルザーとは異なり、ヘレンは儚さと愛らしさが共存する美しい少女だ。
「久しぶりね。結婚式の準備、大変なの?」
「ヘレン王女殿下、ご機嫌麗しく」
ドレスの裾をつまみ、淑女の礼を執る。
やはり、兄妹だ。
ヘレンは、ルザーのようにむくれた様子を見せた。
「もう、ヘレンでいいって言ってるのに。シドローネは相変わらず固いんだから。ね、ね、今日はヴィネハス卿はどちらに?あ・な・たの旦那様の!」
きゃっ、と高い声をあげて嬉々とした様子を見せるヘレンは、十六歳を迎えたばかり。
私の四つ下。
ヴェリュアンとは同い年のはずだ。
私は苦笑して答えた。
「彼なら先程別れました。彼は軍関係者への挨拶がありますので。それとまだ、彼は夫ではありません」
「もー。そういうことを聞いてるのではないのよ?シドローネ、あなた、ヴィネハス卿とはどうなの?お兄様が、『まだまだ』って仰ってたのだけど。まだまだってどういう意味?」
やはり、ルザーには見破られていたらしい。
私は苦笑して、その場を取り繕った。
結婚式まであと二ヶ月。
ほとんどの準備が整い、あとは細かい調整のみとなった。
婚約期間が通常より短かったこともあり、この半年間は多忙を窮めた。
結婚式の準備もそうだけれど、花嫁修業もあるのだ。
とはいっても、この結婚は嫁入りではなく婿入りなので、私にそこまで大きな変化はない。
逆に、シャロン家に婿入りすることとなるヴェリュアンの方がなにかと気苦労を抱えるだろう。
それをサポートするためにも、花嫁修業が必要なのだ。
本来求められる夫婦の形では無いかもしれないが、ビジネスパートナーとして。
良き妻として、なるべく彼の負担は減らしたい。
そう思い、家庭教師から手渡された教科書を開いたのだった、が。
大半の内容は、私には不要なもののように思えた。
なぜなら、そこに書かれていたのは夫婦生活──主に夜の行為についての教えだったからだ。
そのため、その項目については目を通していない。
覚えていても意味が無い。
その部分は無視して、妻として求められること、立ち居振る舞いなどを学んだのだ。
結婚式の準備、花嫁修業などがあって、なかなか夜会には顔を出せていなかった。
私が参加出来なかったので、ヴェリュアンも同じはずだ。
今夜は、私も彼も久しぶりの参加だった。
誤魔化すように笑みを浮かべていると、ヘレンはやがて諦めたのか、ため息を吐いた。
「シドローネは、身内の欲目を抜いて見ても、とても綺麗で、美人よ?従姉妹として鼻が高いったら。……でもね、シドローネ。気をつけてちょうだい。あなたの夫──結婚相手、ヴィネハス卿は、なんといっても今、社交界で一番話題の紳士なの。シドローネが劣ってるとか、そういうことではないわよ?そういうことでは無いのだけど、男性というものは常に上を上をと目指す生き物なの。だからね」
「……ヘレン王女殿下は、男性についてお詳しくいらっしゃいますね?まさか、お相手が──」
ヘレンは、未だ婚約者もなく、恋人の話も聞いたことがない。
だけど、何やら恋愛事情に詳しそうな彼女を見て、想い人がいるのかもしれないと尋ねると、彼女は顔を真っ赤に染めて狼狽えた。
これは黒だ。
「そ、そういうことでもないの!つまりね、だから、私はこれが言いたいのよ。気をつけなさい、って!」
「……そうですね。ヴィネハス卿は、今のロザリアンでもっとも魅力的な男性。気をつけなければなりませんね」
頷いて答えると、ヘレンはほっとしたように息を吐いた。
これ以上、彼女自身の恋愛事情を聞かれずに済み、安堵したのだろう。
「そう。分かればいいのよ。だから、こんなところで私とちまちま話してないので──さっさと夫を迎えに行きなさい、っていいたいの!」
「ですが、夫──ではなく、ヴェリュアンはお仕事の方に挨拶を」
「そんなの分かってるわよ!でも、いいの?シドローネ。そんなことを言ってると、王城に乗り込んできた女狐にとって食べられちゃうわよ。彼女たちの気合いを甘く見ない方がいいわ」
──と、ロザリアンの王女、ヘレンが言うので。
私は彼に伝えることもあったので、彼を探すことにした。
別れたのはホールに入ってすぐだが、もう移動しているだろう。
(テラス……にはいないだろうし、ホールのどこかにいるのかしら)
もう挨拶は終わっただろうか。
そう思いながら、周囲に視線を配りながら歩いていると。
婚約者の居場所はすぐに分かった。
あまりにも呆気なく見つかったことに驚くが、ヘレンが言っていたのはこういうことか、とも同時に納得した。
私の婚約者──ヴェリュアン・ヴィネハスは、色とりどりのドレスに身を包んだ令嬢たちにすっかり囲まれていた。




