11.初恋のひと 【ヴェリュアン】
ヴェリュアンは、ゆっくりと目を開けた。
陽射し避けのために額に置いていた手を下ろし、ゆっくりと体を起こす。
「──」
どうやら、昔の夢を見ていたようだった。
弾けて消えてしまう泡沫のように儚い、眩い夏の日の思い出。
誰よりも、何よりも大切な記憶だ。
最近、彼女の夢を見ることも減っていたのにこのタイミングで見るとは。
シドローネと会ったことが関係しているのかもしれなかった。
シドローネは──アリアドネと、よく似ている。
それは、髪の色だったり、名前だったり。
髪は、アリアドネの方が濃い青だったが、遠目で見れば大きな違いはない。
シドローネは、アリアドネではない。
シドローネは、彼女と違い、無口で静かな性格だ。
落ち着いていて、冷静さのある女性だ。
接すれば接するほど、彼女との違いを思い知らされる。
それなのに。
『きっと、聖竜騎士と結婚するんだから!』
懐かしい、夏の記憶の中でそう笑った彼女を見た。
「……聖竜騎士になったよ、アリアドネ」
聖竜騎士と必ず結婚する、と言っていた彼女は今、どこで何をしているのだろうか。
もっと、あの時に聞いておけばよかった。
名前だけでなく、どこの生まれなのか。
彼女は一体、どこから来たのか。
それを知っていれば──。
言っても仕方ない後悔が苦く広がる。
まだ、僅か六歳だった。
幼い少年が、そこまで頭が回るはずがない。
仕方の無いことだ。
分かっている。
それでも、思ってしまう。
あの時、聞いていれば。
そしたら──。
(今頃は、彼女と将来を約束できていただろうか)
どうしようもない考えに、ため息を吐く。
もしも、の話など、意味の無い仮定だ。
彼は、ぐっと大きく伸びをした。
やはり、ベッドで眠らなければ完全には疲れが取れない。
彼は、剣の手入れをした後、竜舎のソファで仮眠を取った。
王城の中でも、竜舎は限られた人間しか立ち入ることを許されない。
以前は、そこまで厳しくなかったのだが、ヴェリュアンが聖竜騎士となってからは日夜問わずひとが──主に女性が押しかけてくるようになった。
日常業務に支障を来すことや、他でもない聖竜ブランが非常に激しい嫌悪感をあらわにしたことで、急遽、出入りが規制されたのだ。
だから今は、気を張らずに眠ることが出来る。
自分のせいで要らない仕事を増やしたことを彼は申し訳なく思っていたが、先輩の聖竜騎士ダランは笑って言った。
『その若さで聖竜騎士になったんだ。お前は聖竜騎士になっても驕るどころか、全く前と変わんねぇ。その面で、その肩書き。普通の男なら遊び放題なのにお前は聖職者か?ってくらいお固い生活を送ってるようじゃねぇか。俺はな、お前のそういうとこは気に入ってるんだよ』
ヴェリュアンよりずっと年嵩の聖竜騎士は、ばんっと彼の背を強く叩いた。
『まっ、何が言いたいかっていうと面倒事がこれで済むなんて奇跡みたいな話だぜ、ってことだ。お前が品行方正な優等生で助かるよ』
『……褒められている気がしないのですが』
『男は遊んでナンボだからな。一切そういった遊びをしないお前は潔癖なのかなんなのか、気になるところではあるが、それはそれとして。面倒事が増えるのはごめん被りたい。俺が聖竜騎士になった時なんかは、浮かれに浮かれて、あちこちの女と浮名を流したものだがねぇ、先輩──今はもう亡くなってしまったが、彼にゲンコツをくらったものだよ。面倒事を増やすな、ってな』
『…………』
『で?どうなんだい、実際のところは。史上最年少で聖竜騎士となったヴェリュアンくん?顔も綺麗で女好み、線の細さは舞台役者のようで、女性陣からは熱烈なラブコールを受けているって聞いているが』
『…………』
その言葉に、ヴェリュアンは苦々しく押し黙った。
そのふたつは、どちらもヴェリュアンが気にしていることだったからだ。
彼は、騎士を名乗るには雄々しさが足りていない。
体の厚みは、騎士にしては薄く、腰周りも細い。そのせいもあって女と間違われることも少なくない。
それに加え、この白い肌に、中性的な顔。
闇夜に光が煌めくような、群青色の瞳。
目元には、白い肌に一点の黒子。
遠目には分からないものの、近づけば彼の目元の黒子があることに気がつくだろう。
それを見て女性は『自分だけが見つけた』とまた優越感に浸るのだ。
そして、色素が薄く、全体的に白っぽい彼ではあるが、その長い紅色の髪が鮮やかな濃淡を生み出す。
聖竜騎士の制服を纏っていなければ、舞台役者か男娼かと思われるような見目なのだ。
つまり──彼は、自身が思う以上に女性に好まれる容姿をしていた。
それは、令嬢や夫人が舞台役者に向ける憧れと同義のものかもしれない。
しかし、ヴェリュアンは舞台役者ではなく、聖竜騎士爵を叙爵された、れっきとした貴族だ。
見目が舞台役者のように美しく、さらには聖竜騎士という肩書きまであれば彼を夫にしたい、恋人にしたい、と思う貴族女性が多いのも当然のことだった。
ダランに顔を覗き込まれたヴェリュアンは、ため息を吐いて答えた。
『何もありませんよ。私はまだまだ若輩者で、そういうことは考えていません』
『は、お固いな。そんなんじゃ、貴族社会ではやっていけないぞ?食い物にされる前に、さっさと良い女を見つけなさい』
余計なお世話だ、とはいえなかった。
実際のところヴェリュアンは、夜会でなにやら怪しげな薬が混ぜられた飲み物を飲まされそうになったり、令嬢に囲まれ、あやうく休憩室に連れ込まれそうになったり。
他にも、あからさまに体の関係を求められたりと散々な目に遭っていた。
これがヴェリュアンでさえなければ、美姫の誘いを断ることなどしなかっただろう。
むしろ、ダランの言う通りこれ幸いとばかりに遊び呆けていたに違いない。
ロザリアン屈指の美貌を持つ女性に迫られて、断れる男性はなかなかいないからだ。
だけどヴェリュアンは、過去の記憶を求めるため、という理由のみで聖竜騎士に登り詰めた男だ。
未だ彼が求めているのはアリアドネひとりであったし、彼女以外は彼の目に入らない。
「シドローネ・アリアドネ・シャロン……」
彼女は今、二十歳だ。
十年前であれば、十歳。
貴族が洗礼を受けるのは六歳だと聞いた。
では、十年前から彼女は【シドローネ】と名乗っていたこととなる。
もし彼女が彼の求める【アリアドネ】なら、ヴェリュアンの名前を聞いた時にすぐに反応していたはずだ。
だけどシドローネは、彼と会った時『初めまして』と言った。
つまり、彼らは互いに初対面なのだ。
それがわかっている以上──シドローネは、アリアドネではない。




