バイト!②
「ふぅ……」
「疲れたねー圭ちゃん」
「うん……」
あれから2時間くらい経ったか、時刻は21時に差し掛かろうとしていた。8月の終わりにある程度は経費処理をしたと思っていたのだが、まだこんなにあったとはな……。そりゃ恵理子さんもパンクする訳だ。
「少し休憩しよ、圭ちゃん」
「うん……」
椅子に座ったまま南つばさが大きく伸びをしてみせる。その胸元の大きな膨らみがtシャツの生地を圧迫している。
「あーもう、終わんない〜疲れたぁ〜」
向こう岸にある営業部の机で楓さんが嘆いている。こんな遅くまでずっと仕事だなんて社会人ってのはつくづく大変だなぁと思っていた所、急に楓さんが俺の方へと振り返り、視線が重なった。
「そうだ圭ちゃん!」
「は……はい」
「別荘行こ!」
「べ……別荘?」
「そう! うちの会社の!」
「え、そんなのあるんですか……?」
「もちろん! ね! つばさちゃん!」
俺は南つばさの方を見る。
「うん。会社の持ち物として軽井沢に一軒あるよ。全然使ってないんだけどね」
「8月忙しかったし、みんなでパァっとバーベキュー!」
楓さんが腕を振り上げて、一人盛り上がっている。軽井沢に別荘ってすげぇな……。結構儲かってるんだなこの会社。
「あぁ、そういえば確かにもう何年も行ってないなぁ別荘」
三上さんもキーボードを打つ手を止めて、話に入ってきた。
「つばさちゃんも圭ちゃんも避暑地でバーベキューしたくないっ?」
楓さんの凄い圧に俺と南つばさは自然と、
「まぁはい……」
とシンクロして答える。すると楓さんは乗ってきて、
「決まりね! じゃあ私、社長に交渉するわ」
楓さんが椅子から立ち上がり、気合を入れている。
「三上さんも来るでしょ?」
「楓さんに誘われたら断る訳ないよ」
「よーし! 恵理子さんは?」
いやいや……。恵理子さんはこういうの絶対来るタイプじゃなーー
「行きます……」
いやマジで……? 意外だ……。
「オッケー! 盛り上がってきた! バーベキューに温泉にビールにシャンパン! 食いまくってやるわよー!」
「あはは……」
楓さんの独走状態に俺は苦笑いする他ない。
「圭ちゃんもちゃんと親御さんにOK貰っておいてね。泊まりになるから」
「はい」
そうか、泊まりか……。っていや待てーー
「あの……楓さん。それって泊まりじゃないと駄目ですか……?」
「そりゃ軽井沢の別荘まで行くんだしって……え? 圭ちゃん泊まりNGなの?」
すると南つばさは何かを察したように、
「圭ちゃんとこ、お父さんがちょっと厳しんだよね確か」
「えーっと……」
いや、実際の所泊まりくらいじゃ親父は
何も言わないんだけどさ……。泊まるとなると化粧も落とさないと不自然だしウィッグ付けたままで寝れねぇし、色々とバレるリスクが出てくるのがなぁ……。
「ええぇ! 圭ちゃん来ないとつまんない! やだやだお願い! 楓お姉ちゃんの言う事聞いてよぉ!」
残業の疲れなのか、楓さんが発狂している。せっかくの美人が台無しだ。つかそんなに俺とバーベキューしたいのかこの人……。
「私も……圭ちゃんと一緒に別荘行けたら楽しいな」
「うーん……」
ここぞとばかりに南つばさも俺にプッシュをしてくる。けどなぁ……いや泊まりはやっぱり……。
「圭ちゃんさん……。来て……くれないんですか……?」
「えーっと……」
真顔で恵理子さんが俺を見つめてくる。
「お泊まりだと……どうしようかなって……」
「私……このひと月……一生懸命……お仕事を教えました……」
「はい……」
「まだ……その恩返しを頂いて……ません……」
「え? その……」
「来てくれれば……私も嬉しいです」
いやいや、そういう感じなの恵理子さん……。ギブアンドテイク方式かよ……。つかなんか顔もマジだし……。普段こういうこと言わない人だからおそらく本気で俺に来て欲しいのだろう。さすがにこれを断ったら今後やりづらくなりそうではある。
「あの……。別荘ってその……一人部屋だったりします……?」
恐る恐るした俺の質問に楓さんが、
「んー、まだ人数が分かんないからあれだけど、基本は二人で一部屋かなぁ。リビング横に一部屋あったけど、あそこは社長の部屋だーー」
「良いわよ圭ちゃん、私の部屋使っても」
全員が声の方を見る。するといつの間にか事務所の入り口に南つばさのママさんがいた。今日もスーツが決まってる。楓さんは少し焦った様子で、
「あ、あはは……社長お疲れ様でーす」
「遅くまでお疲れ様。なんか私に許可なく別荘の話をしてたみたいじゃない」
「い……いやーその……」
「ふふ……冗談よ楓さん。社員の為に買った物だもの。久しぶりにみんなで別荘行きましょう」
社長の言葉に楓さんは安堵して、キャーキャーと両手を上げて喜んでいる。そんな姿を他所に社長は俺の方を見て、
「圭ちゃん、一人部屋が良いの?」
「なんか恥ずかしくて……できれば……」
「だったら圭ちゃんは私の部屋を使って良いわよ」
ママさんの言葉にすかさず南つばさが顔を曇らせ、
「えー圭ちゃん二人で一緒に寝ようよ」
「私……神経質なとこ……あるから……」
「別に無理して寝なくても、一晩中ベッドの中でお喋りしてても良いじゃん」
「うーん……」
そういう問題じゃねぇんだよな……。普通にすっぴん見せれねぇし。寝たらウィッグもズレるし。つかママさんがいる前で一晩中ベッドの中でとか、口に出さないでくれ……。若干気まずいから……。
「つばさ、ちゃんと私の言った事聞いてたかしら。圭ちゃんは私の部屋を使って良いって言ったのよ」
「えー、なんで私は駄目なのママ?」
「圭ちゃんが一人で寝られないじゃない」
「ひどいママー!」
南つばさがひどく落胆した様子をしている。いやなんか可哀想だよな。ある意味、間接的に一緒に寝たくないって言ってるようなもんだし……。無駄にこいつを傷付けるのも良くない、やっぱり参加するのは止めておくべきだろう……。俺はママさんに、
「いや……でもよく考えたら、みんな二人部屋なのに……バイトの私が一人部屋って……」
「そんなの誰も何とも思わないわよ」
「いやでも……なんか……申し訳ないんで……またの機会に……」
と、俺がそう言った瞬間。そっとママさんが耳打ちする。
「ほら……みんなの顔見なさい」
俺は周りを見渡した。この場にいた全員が、泣き出しそうな顔で俺の事を覗き込んでいる。いや……みんなそんなに俺に来て欲しいのかよ……。南つばさはその大きな瞳を細めて、
「圭ちゃん……来てくれないの……?」
逃げられないか……。俺はママさんに言った。
「それなら……参加します……」




