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番外編:川島信道の夏休み④

夏休みも中盤に差し掛かったお盆の薄暮れ。いつものバイト先の焼肉屋。信道は店の裏口から更衣室へと入り、どこか煮えきらない気持ちで、着替えを始める。




「……」



煮えきらない気持ちの原因は分かっていた。今日を持ってハルがバイトを辞めるからであった。あのハルの家に行った日の後、何度がバイトも一緒には入っていたが、信道はそんな情報を本人から一切聞いていなかった。昨晩、他のバイト先の先輩から、ひとり一つずつお別れのプレゼントを渡そうとの連絡があり、その時に初めて知ったのだ。




「これでいいよな……」





信道の手には、プレゼント用の袋にラッピングされた入浴剤が握られていた。以前バイト先で、入浴剤に凝っているとのハルのセリフを思い出してこれにしたのだ。しかしプレゼントは用意したものの、信道の心はどこか抜けきらない。そんな気持ちの中、信道はそのプレゼントを自分のロッカーに入れる。そして黒い制服へと着替え腰に店員用のサロンを巻く。




「あっ信道くん」




聞き慣れた声色。信道は入口に目を向ける。




「ハルさん。おはようございますっす」

「おはよう」



前回のデートの時とは異なる、おろした髪にアイロンで少しだけ巻いたセミロングヘア。肩口の開いた白いブラウスと薄紫色をした綾織のスカート。ハルの姿がそこにはあった。



「自分大輔さんから聞いたっす」

「あっ聞いた? そうなの、今日がラストなんだ」




ハルは今までと変わらないとでも言うような、裏表のないはにかみを浮かべる。




「信道くんもありがとね今まで」

「なんかバイト上がった後、大輔さんがハルさんに話があるみたいっすよ」

「えっ! もう……大輔君もしかしてなんか用意しちゃってる?」

「それは、言えないっす」

「いやいや、それもう言っちゃってるじゃん。信道君」

「え」

「ほんと、嘘が下手だよね。ふふ……」

「い……いや」

「ほらほら、私着替えるから」



あの日と変わらない笑顔に信道は少しだけ辛くなりつつ、更衣室を出た。



☆★☆★☆★☆★




「信道! もう上がって良いってさ! お盆で客も少ないし、店長が後は社員だけで回すって」

「了解っす!」




チャラい金髪マッシュの大学生が信道に話しかける。それはバイトの先輩である大輔だった。大輔から待ちわびた指示を受け、洗い場に居た信道はすぐに手を止めた。




「ハルちゃん今、店長とか社員さんにあいさつ回りしてるから、俺らは更衣室に行くぞ」

「うっす!」



事前に打ち合わせしていたあの作戦。更衣室に戻ってきたハルにクラッカーでお祝いするサプライズ。ベタではあるものの、信道もこういった演出は大好きな質である。信道は隠れてのれんからホールを覗く。すると確かに店長と談笑している。そして信道は、大輔の背中を追い、更衣室に先回りをする。



「ほら、クラッカー。百均だけど」

「ありがとうございます!」

「プレゼントもその後すぐ渡すから用意しとけよ」

「うっす!」



信道は大輔からクラッカーを受け取り、合わせて自分のロッカーから例のプレゼントを取り出した。大輔の指示を受けてか、今日のバイトメンバーのだった他の三人もプレゼントを用意している。




「ちなみに信道、何あげんの?」

「ちょっと良い入浴剤っす」

「あぁ、あの雑貨屋のやつか」

「うっす。前にハルさんこういうのが好きって言ってたんで」

「へー、さすがモテ男だな」

「なんすかその初出しのキャラ」

「ただのモブ道じゃなかったか」

「そのイジりはきつすぎっす」




そんな事を話しながら、信道と大輔は入り口の前に待機しクラッカーをドアに向け構える。他のバイトメンバー三人も同様だ。




「…………」



部屋の中で待機する全員が、ドアの向こう側へと耳を立てている。しかし、まだ足音は聞こえてこない。まだ店長や他の社員と話しているのだろうかと信道は考える。信道は大輔の方へと視線を向ける。しかし大輔は口元に人差し指を立てて、静かにしろと指示をした。じれったい、信道の手に握られたクラッカーがすぐに汗ばんでいく。更衣室はあまりエアコンも効いていないため、じっとしているのは少々厳しい環境である。じんわりと額がベタついてくるも、信道は我慢して部屋の向こう側に向け、クラッカーを構え続ける。すると、微かにだが向こう側から足音が聞こえた。バイト仲間全員で目を合わせる。そして、扉がゆっくりと開いたーー




「ハルちゃん! お疲れ様でした!」




鳴り響く、クラッカーの音。それに続く、バイト仲間からの喝采。ハルは最初驚いた顔をしていたが、すぐに理解したのか、





「びっくりした……。もー心臓に悪い!」




そう言って。信道を含む全員にハルは笑いかけツッコミを入れる。すかさず大輔は、




「サプライズ成功だな! みんな!」

「うっす!」




鳴り止まない拍手の中。ハルは、



「ありがとうみんな。私のために色々」




ハルの満面の笑みに全員の顔が自然とほころぶ。拍手が収まった後、大輔は言った。




「今までの感謝を込めて、俺たちみんなで一品ずつプレゼントを買ってきたから、ハルちゃん受け取ってよ」

「もーそんな良いのに」

「俺からはこれ、高級シャンパン!」




大輔は取っ手の付いた、箱を渡す。ハルは不思議そうに見て、




「ありがとうー。私シャンパンなんて飲んだ事ないかも」

「もうお酒も飲める事だし、これは飲みやすいから試してみよ」

「ありがと」




ハルの嬉しそうな顔を見て、信道もなんだが健やかな気持ちになった。それに続いて、順々にバイト仲間プレゼントを渡していく中、信道もタイミングを伺っていたら、成り行きで最後になってしまった。そしてラッピングされたプレゼントを渡して、




「ハルさん、今までありがとうっす。前にハルさんと洗い場で話した時、入浴剤とか好きって言ってたんで」

「入浴剤!? えさすが信道君! 嬉しい」



ハルは信道のプレゼントを、嬉しそうに受け取った。ハルの手にはもうラッピングされた袋だらけであった。




「ハルさん、自分が入った当初に色々優しく仕事を教えてくれてまじで嬉しかったっす」

「うん! ありがとう」




一頻りプレゼントを渡し終えたところで大輔は、



「本当はこの後みんなで飲みにでも行きたいけど、ハルちゃん今日は用事が有るみたいだから」

「ごめんね本当みんな」

「ううん! 全然! それはまた今度ってことで!」

「あはは」

「じゃあみんな、ハルちゃんの門出を祝ってもう一度大きい拍手!!!」



☆★☆★☆★☆★





「じゃあ、はるちゃんの送別会、日程決まったら連絡するわ!」

「うっす! お疲れ様でした!」




ハルを最後お店の仲間全員で見送った後、更衣室の片付けを済まして信道も大輔と共に、駅まで歩いていた。




「おう! じゃあな!」

「お疲れ様でした!」



蒸し蒸しとした夏の夜、大輔は家が徒歩圏内であるため駅で信道とは分かれる。信道も大輔を見送った後に乗車券を取り出し、改札を抜けようとしたところ、携帯が一つ震えた。



『信道君もう、帰った?』



一瞬喉奥がすぼまる。信道は送信者の名前を確認する。それは脳裏に過ぎった通り、ハルさんからの連絡だった。

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