初出勤!①
「初出勤だね!」
「うん、緊張する……」
「大丈夫、私がいるし。それより住民票持って来た?」
「うん」
俺は微笑みながら南つばさに自分のバックを見せつける。そう、ちゃんと昨日仕入れて来た。原本はもちろんこいつには見せられないが……。俺の反応に南つばさもつられて微笑み、俺らは歩き出す。
「良かった! ほらうちのママそういうの細かいからさ」
「社長さんだもんね、仕方ないよ」
「でもあの日圭ちゃんが帰った後、ママったらずっと圭ちゃん可愛いばっかり言ってた」
「そうなんだ、はは……」
菜月以外で唯一、圭の正体が男だと知っている南つばさの母親。あの日、こいつとのヘンテコな関係性をカミングアウトしても温かい眼差しで俺を受け入れてくれた人だ。まぁ、はたから見てただ面白がってるだけなのかも知れないが……。ただそれでも咎める事もせず、俺に協力してくれた。その御礼も含めて今日から頑張って働かなければならない。とはいえ俺は少しだけ気になっていた事を南つばさに問いかける。
「ねぇゆちゃん……その、職場はどんな感じなの?」
「んー、営業の人達は世界中飛び回ってて、事務のお姉さんは良い人だけど、大人しい感じ」
「仲良く出来るかな……」
「圭ちゃんなら大丈夫だよ。ただ事務所にいない人も多いから、全員と会うには時間かかるかも」
「そうなんだ。今更だけどゆちゃんの会社って何やってるの?」
「私も詳しくは分からないけど、輸入雑貨の商社なんだって」
「へー」
なんだそれ、商社? 全然よくわかんねぇ……。俺の空返事が面白かったのか南つばさはくすくすと笑いながら、
「全然ピンときてない感じだね」
「なんか凄そうな事は分かった」
「あはは、簡単に言えば世界中の人とやり取りする仕事だよ」
「う……私なら絶対無理だ……」
「私も苦手かなー」
「ゆちゃんは隠れ人間嫌いだもんね」
「え面白いそれ、隠れ人間嫌い」
まぁこいつの場合、圭以外誰も好きじゃないからな、清々しいくらいに。逆になんでここまで圭の事を好いてるのかも分からんが……。なんて他愛もない話をしながら俺たちは次第に駅から離れ、前回と同じく小さな橋を渡る。
「ここのビルだよ」
すこしだけ歩いた所の古くも新しくもない、よくある雑居ビルを南つばさは指し示す。窓の数からして5階建てくらいだろうか。
「ここの3階がママの会社」
「うん……」
丁度、駅からこいつの家までの中間くらいの位置になるか。二人でビルの入り口をくぐるとすぐにエレベーターがある。慣れた手つきで南つばさがボタンを押した。エレベーターが上から降りてくる甲高い音が鳴り響くと、さすがに少し緊張してくる。待っている間になんとなく、エレベーター横に付いてるテナントの看板に目を向けると、どうやら他の階は歯医者と法律事務所になっているようだ。しばらくしてエレベーターの扉が開き、そして俺たちは乗り込んだ。
「うぅ……緊張する」
「ふふ、私もいるから大丈夫だってば」
「うん……」
女装に対しての自信はついたのだが、誰だってさすがにバイト初日は緊張するよな……。南つばさが面白そうに俺の表情を覗き込んでくるのを無視していると、エレベーターは目的の階に着く。
「着いたね」
「うん……」
エレベーターを降りて、フロアに出ると、目の前にはすりガラスの扉があるのみ。ぱっ見るにその先が事務所だろう。扉の脇には内線電話が置いてある。南つばさは慣れた様子でその電話を手に取り、電話越しの誰かと仲睦まじげに話しをした後、すりガラスの向こう側に人影が現れて扉が開けられる。
「おはよ、つばさちゃん」
「楓さん! 久しぶりー!」
中からスーツ姿をした、えらい美人が出迎える。南つばさとは少し形が違うボブヘアの女性。自信に溢れた表情。その女性がこちらを見た為、俺はすかさず、
「おはようございます……」
「あらあらつばさちゃん。何このかわいこちゃんはさ?」
「私の友達の圭ちゃん。ママから聞いてるでしょ。新しいバイトの子」
「あぁはいはい! 思い出した、ほらおいで圭ちゃん」
「はい……」
その気さくな感じの手招きに俺は事務所の中へと入る。てかまじめっちゃ可愛いなこの女の人。近くで見ると尚更美人だ。スーツ姿が更にって、いかん……信道みたいな発想になってんな俺。邪な思考を頭から排除しつつ、俺は事務所を見渡す。
「はぁ涼しいねー圭ちゃん」
南つばさが呑気な様子で涼んでいるが、俺は反応しない。思ったよりも小さなオフィスだ。一番奥にいかにもな社長の机があり、その他は机の並んだ島が二つしかない。10人くらいの会社なのだろうか。言われてた通り人もまばらで、今日はオフィスに4人しかいないようだ。
「はいはーい皆さーん! 一度お仕事の方をおやめ下さーい!」
オフィスに響き渡る美人さんの声。確か楓さんと言ったか。全員が俺の方を見ている。うわ緊張すんなまじで……。楓さんは続けて、
「今日から、私たちと一緒に働いてくれるアルバイトの圭ちゃんです! ほらほら一言!」
楓さんが楽しそうな様子で俺に振ってくる。俺は背筋を伸ばして、この女声で張れる精一杯の声で言った。
「今日からお世話になります、圭です。一日でも早く皆さんのお役に立てるよう頑張りますので、よろしくお願い致します」
楓さんが笑顔で頷きつつ、
「はい皆さん拍手ー」
聞こえるまばらな拍手に俺は少しだけ、肩の荷が降りた気分になる。すると南つばさが、俺の手を引いて、
「圭ちゃんの席はこっちだよ」
「うん」
引かれるがままに自分の机まで案内されると、隣に事務服姿の長い黒髪をした女の人がいた。この人が南つばさが言ってたおとなしい人だろう。俺が来ると、必死で目を合わせない様に意識はしつつ、ともすれば横目で俺の様子を伺っているのがバレバレで面白い。南つばさも俺のもう片方の隣に座り、
「圭ちゃんも座って良いよ」
「う……うん」
「ママがもう少ししたら事務所に来るから、持ってきた書類の確認とかはママが来てからね」
「うん」
「ママったら、いつもはそんなの後藤さんにやらせてるくせ圭ちゃんの時だけ自分で確認するとか言ってさー」
「…………」
南つばさが苦笑しているが、おそらく俺の秘密がバレないように取り計らってくれたのだろう。優しいな、本当に。




