秋の終わりと木枯らしと①
「お疲れ様でした」
「ご苦労様、圭ちゃん。またよろしくね」
南つばさへのやっかみの件が片付いた次の日。バイトを終えた俺はママさんに挨拶をして、事務所を退所していく。ちなみに今日は、楓さんも三上さんも事務所にいなかった為、変に絡まれることもなく業務が捗ったのは内緒だ。
「んーっ、疲れたね圭ちゃん」
「なんか目がゴロゴロするかも、ふふ」
隣にいる南つばさがエレベーターを待ちながら、伸びをして話しかけてくる。あいも変わらず制服のまま会社に来て、良い身分だよな本当。ただ、今日の事務作業は確かに少し疲れた。正直、あまりよく分からなかったのだが、来年度の予算作成とかってのでひたすら、帳票と睨めっこさせられたのだ。凄いのは南つばさが何となくその仕事を理解してるようで、ママさんから聞かれた事にもしっかりと答えており改めてこいつの頭の良さを再認識させられた。
「ねぇゆちゃん、疲れたなら見送りは大丈夫だよ?」
エレベータに乗り込みながら俺がそう言うと、南つばさは微笑みつつ、
「え全然平気だよ。それよりも帰り道で圭ちゃんがナンパされる方が怖いし」
「そんな毎回されないよ……」
毎度、バイトを終えると南つばさはいつもこんな事を言って俺を駅まで送ってくれているのだ。正直、男である為何にも気にする必要はないし、むしろこいつが帰り道一人になる方が危ない気もするのだが勿論、そんな事は言えるはずがない。
「もうだいぶ、空気が澄んできたねー」
「ねー」
エレベータを降りてビルの外へと出ると、もう終わりの近づいた秋の夜空と大きな月が俺たちを出迎える。肌寒い空気に俺は着ていた白いニットセーターの首元を上げた。街灯に照らされながら、俺たちは駅の方へと歩いていく。
「もうさすがに夜はちょっと寒いね」
「うん」
「ちょっと前までは夏だったのに、もう冬になるんだもんなー」
「あはは……ゆちゃんは夏派?」
「まぁどっちかって言えば。圭ちゃんは?」
「私も夏……かな」
「だよねー。でももう修学旅行も終わっちゃったし高校のイベントも終わりかー。来年の夏は受験一色だろうし」
木枯らしが吹き込む中、南つばさはなんだか気怠そうな感じで言った。なんだ、こいつも信道と同じような事言ってんな。
「ゆちゃん、受験勉強ちゃんとするの?」
「んー、よく考えればしないかも」
「なら、来年の夏も楽しめるじゃん」
「あはは、圭ちゃん面白い」
「来年の夏もゆちゃんとお出掛けしたいなぁ」
「えじゃあ夏休み毎日遊ぼ」
「毎日はさすがに……」
俺の反応に南つばさは笑っている。
「あ、思い出した。そういえば圭ちゃんさ」
「うん」
南つばさは微笑みつつ俺の顔を覗いて、
「こないだの私の話、蒼井に漏らしたでしょ!」
「……えっと」
こないだのって、あの手紙の件だよな絶対……。
「言っちゃダメって言ったのに」
「いや……えと……」
「まぁ全然良いんだけどさ」
「ごめんなさい……」
謝る俺に南つばさはくすりと笑いつつ、
「なんかさ、蒼井に助けられちゃった」
「うん……」
「圭ちゃんが助けてあげてって蒼井にお願いしたの?」
「……」
なんか、やたら気にしてんなそこの部分を。でもまぁ男としての俺が変になにかしたって思われるのも嫌だしここは、そういう事にしておくか。
「うん……蒼井君にお願いしたの……」
「……」
「ごめんね、勝手な事して……」
俺がそう言うと、南つばさは街灯の薄明かりの下で微笑んで、
「もー圭ちゃんも心配症だなぁ」
「だって、ゆちゃんの事がーー」
と、返そうとした矢先、俺は咳き込んでしまった。危ねぇ、危うく男の声が出るところだった……。なんか今日、いまいち喉の調子が良くねぇんだよなぁ……。
「大丈夫、圭ちゃん?」
「うん……なんか今朝から喉の調子が変で……」
「まぁ季節の変わり目だしね、あんまりバイトも無理しなくて良いんだよ?」
「うん、ありがとう」
大きな秋の月の下、俺たちは歩きつつ、
「ていうか、蒼井に借り作っちゃったなぁ私」
真っ直ぐと前を向いたまま、南つばさはそう呟いた。俺はフォローするように、
「多分……蒼井君はなんにも気にしてないから大丈夫だよゆちゃん。あと、私からお願いした事だし」
「うん。まぁ蒼井が何も気にしてないのは知ってるんだけどさ、なんか私的にね」
寒いのか制服のポケットに手を入れつつ、南つばさはそう言った。まぁプライド高いからなこいつ……。俺には分からない何かが自分の中で引っかかってるのだろう。
「蒼井って何が好きなのかな?」
「え食べ物の事?」
「うん」
「うーん……なんでも好きだとは思うけど」
街灯に照らされながら、南つばさはやや緊張した面持ちでこちらを向いて、
「圭ちゃんはさ、私が蒼井にご飯ご馳走したいって言ったら嫌?」
「え、ううん。全然」
「本当に?」
「うん。ゆちゃんと蒼井君が仲良くしてくれるの嬉しいし」
「このまま借りを作ったままだとなんか気持ち悪くてさ、これでチャラにしたいんだよねー」
なるほど、やはりそういう事か。まぁこう見えて根は良い奴だし、こいつなりにお礼をしたいのだろう。
「優しいね、ゆちゃん」
「面倒くさいんだけどねー」
「蒼井君も喜んでくれると思う」
「蒼井の奴、嫌がりそー。はぁ? とか言って」
「あはは」
面倒ではあるが、さすがにこれは断れないだろう。相手の善意を無碍にするほど俺も終わってはいない。
「せっかくだし、二郎系にしようかな? 大ラーメン肉増し野菜マシマシで!」
「蒼井君が倒れちゃうよ、ゆちゃん……」
「あはは」
飯か……。行くならラーメン以外ならって条件を付けておかないとやばそうだな……。
★☆★☆★☆★☆
「よっしゃー昼だっー! 購買行こうぜ恭二!」
「あぁ」
午前の授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、信道が勢いよくそう言った。椅子から立ち上がりつつ信道は、
「何食うよ、揚げパン? 唐揚げポテト?」
「いやおにぎりだけで良い」
俺が立ち上がりつつ答えると、信道は少しだけ驚いた様子で、
「は? 飯それだけかよ。どうした恭二」
「いや、別に……」
信道に心配掛けさせるのもアレだし、はぐらかすが正直なところ熱っぽいだよな……。昨日の喉の違和感がまんまと当たってしまった。朝はまだ大丈夫だったんだが、体調が段々と悪くなってるのが手に取るように分かる。午後の授業だけ乗り越えたら、今日は早く家で寝よう。
「ダイエットでもしてんのか、恭二?」
「してねぇよ……」
すると俺のツッコミに信道はふとこちらへと振り返り、そして、
「仕方ねぇ、ダイエットしてる恭二の為に、俺が適当に買ってきてやるよ。ほら座っとけ」
「いや、俺も行くっつの……」
「良いからほら、気にすんなっつの!」
俺の胸を押し返して信道は、教室を出て行った。こりゃ多分、体調悪い事を見抜かれたな。本当こういうところだけは毎度、妙に敏感な奴で困る。バレないように努めたはずが信道には無駄だったようだ。
「ったく……」
俺は熱っぽい身体を引きずりつつ自席に戻り、そのまま机の上にうつ伏せた。




