女心と秋の空②
俺の謝罪を無視して、向井はその短い髪を掻き上げつつ、教室奥のおそらく自席だろう机に歩いていく。イケてる奴特有の緩く着こなしたブレザーのその背中からは、なんとも覇気のない負のオーラが垣間見えた。つかちょっと良い匂いしねぇかこいつ。
「わ……悪りぃな恭二……。向井っち、普段あんな感じじゃねぇんだけどさ……」
「いや、まぁ別に」
おそらく向井はこの1組の中心的な人物なのだろう。どことなく、タケ以外のクラスメイトも腫れ物を触るような様子で向井の事を見ていた。すると、タケは詫びるように耳打ちをして、
「なんか聞いた話によると、2組のつばさちゃんに告白して玉砕したんだとよ……。そっからあんな感じらしいぜ」
「……」
まぁそうだろうな。あんだけ、正面からフラれたら誰だってさすがに堪えるだろう。
「向井っち、ずっとつばさちゃんの事好きだったみたいだしな。つか向井っちですら無理とか世知辛いよなぁ」
「へぇ」
タケは苦笑いをしつつそう言った。まぁさすがは、南つばさといったところか。我らが学園のアイドルは本当、難攻不落である。視界の先にいる向井は窓際の自席で机にうつ伏せてしまっていた。
「ってまぁお前には関係ないか。ほらよ、教科書」
「おう、さんきゅ」
俺はタケから差し出された教科書を受け取りつつ、改めて辺りを見渡した。
「てか、あれだな。こうやって見るとやっぱうちのクラスとは全然雰囲気違うな」
「いや……3組が奇人だらけなだけだろ」
「別に中にいると普通だけどな」
「お前ら周りから、いちゃいちゃクラスって言われてんぞ……」
タケは呆れた顔をして見せる。まぁ確かにうちのクラスと比べるとここはなんて言うか、男女の距離が遠い気がする。とはいえイチャイチャは言い過ぎであるが。
「ねぇ蒼井君だよね、3組の」
「ん、あぁ」
突然、タケの後ろの席にいる女に話しかけられた。誰だろう、顔に見覚えはない。そいつは笑いながらそのボブ髪を振るいつつ食い気味で、
「蒼井君ってなんか2組のつばさちゃんと修学旅行一緒に回ってたんでしょ?」
「一緒ってか、たまたま鉢合わせたんだよ」
「へぇ、つばさちゃんと仲良いんだ」
「良くねえよ」
「ふーん」
その女子はどこか含みを持たせたような笑みを浮かべる。面倒くせぇ、修学旅行で一緒に飯食っただけで噂になるとか勘弁してくれよ……。
「で、つばさちゃんには見せてあげたの?」
「は、何をだよ」
「文化祭でやってた、圭ちゃんモノマネ」
「なっ……」
「あれ、可愛かったなー。私も見てたけど」
「もう忘れてくれ……」
「そっくりだったもん」
そうだ。文化祭以降、俺はこんな感じで知らない奴らからちょくちょくイジられている次第なのだ。イジってくる大半は女子達からなのだが……。そして予想通りタケも食いついてきて、
「モノマネ? 恭二そんなんできたっけ?」
「いや……べつに……」
俺はタケから視線を外す。すると、後ろの女子が更に、
「え、武田知らないの? 蒼井君の圭ちゃんモノマネ」
「圭ちゃん? 誰それ?」
「あー大丈夫、もう良いや」
呆れたようにその女子は、視線をタケから外す。なんか扱いが不憫だなタケ……。そしてまた、何事もなかったかのように俺へと、
「つばさちゃん、圭ちゃんのファンみたいだし、絶対やってあげたら喜ぶよ」
「やんねぇよ……。つか、南つばさとかそもそも仲良くねぇし」
「仲良くなかったら、一緒に修学旅行も回れないと思うけどなー」
「……」
その女子は、窓際にいる向井の方に目配せしつつ小声で、
「向井くんも、つばさちゃんと一緒に回ろうと誘ったみたいなんだけど、断られたみたいだし」
「……」
「だから蒼井君凄いなーって思ってたの」
「俺だけじゃなく信道もいたけどな」
「あー確かに川島君もバラエティ枠だから、いると楽しいかもね」
おい信道……お前いつの間にかバラエティ枠になってるぞ……。
「おい! ちょっと!」
いきなりタケが鬼の形相で、重い前髪を振り払いつつ俺を見た。
「いやいや恭二も信道もどうしたんだよっ! 去年までのあのハードボイルドな感じはっ!」
「は、なんだそれ……」
いや……ハードボイルドってなんだよ……。全く意味わかんねぇ……。俺の置いていかれた感じをよそにタケは悔しそうにして、
「黙って聞いてりゃいつの間にか二人とも女子の株を上げやがって! 去年までの俺達、女とか興味ねぇし感はどうした!?」
「いや、俺は変わってねぇつの……。信道は彼女と楽しそうだけど」
「は!? あいつ彼女いんの?」
タケが泡食った顔付きで俺を見る。やべ……。俺は藪蛇だったと思いつつも、
「あぁ……。夏休みの時に出来たんだとさ……」
「……」
タケは何も言わず、苦しそうに自分の心臓を押さえている。なんだこのリアクションは……。俺はなんだか居たたまれなくなり、タケから目を逸らす。すると視線の先で、何人かの女子達が向井に話しかけていた。会話の中身は分からないが、何か励ましているのだろうか。モテる男というのは、凄いな。どんな時にも誰かが手を差し伸べてくれるのだろう。それに引き換えこいつは、
「おい……大丈夫かタケ」
「いてて……青春が……青春が俺の心臓を潰そうとしてくる……」
「なぁほら、助けてやれよ。苦しいってよ」
俺は後ろの女子に振った。
「あはは……大丈夫だって。武田もそのうち青春来るから……ドンマイ」
うわ……。ドン引きしてんな、この女。確かにこの反応が気持ち悪いのは否定しないが……。
「なぁ……恭二だけは俺を裏切らないでくれるよな……?」
「……」
タケは悔しそうにしつつ、俺を見る。ボサボサの伸び切った前髪が目に掛かりどこか哀れに思えた。
「まぁ、教科書貸してくれたしな……」
「ありがとう……」
そして俺たちの会話を打ち切るように予鈴が鳴った為、俺は哀れなタケから見送られつつ、自クラスにへと戻る事とした。




