修学旅行!⑩
「空いてて良かった……」
修学旅行二日目の夜。俺はリュックを片手に他の生徒の視線をかい潜って、旅館のフロント横にある多目的トイレに駆け込んでいた。
「多分誰にも見られてねぇよな……」
まだ消灯まで時間がある中、俺は扉の鍵を掛けたのを確認すると自然とため息がこぼれた。昼間、信道やハルさんと分かれた後ドドンキに向かい、一通りのコスメとカラコンにウィッグ、加えてそれらを入れるリュックもわざわざ買ったのだ。全ては菜月の為。その後、信道と再度合流した際、不思議そう顔でリュックの中身を聞かれたが、そこは適当に姉貴の私物だとつっぱね、京都観光を続けた。そして夜になりハルさんと別れ、信道と共に旅館へと戻った流れである。
「時間ねぇな……」
菜月からのメッセージでは、あと30分程で電話を掛けるとの事だ。それまでの間に圭の姿へとならなければならない。俺はリュックの中から、コスメを取り出す。ちなみにもう風呂も済ませ昨日同様、浴衣に羽織り姿だ。
「上手く出来ると良いけど……」
いつもの使い慣れたコスメではない為、少し不安ではある。それにカラコンも買った事のない物しか売り場になく、いまいち仕上がりが分からない。正直、圭の姿の時はかなり黒目を盛っているので、変にカラコンがナチュラル寄りの物だった場合かなり印象が変わってしまうのではないだろうか。とはいえ最早、悩んでいる時間もない。とりあえず出来うる限りをしよう。
★☆★☆★☆★☆
「まぁ……それっぽくはなったか……」
メイクを終えて、ウィッグも耳下ツインテで整えた所、なんとか圭の姿にはなれた気がする。もちろん細かい所はいつもと異なるが画面越しだし、菜月のクラスメイトの男子には絶対に分からないだろう。
「そろそろか……」
携帯の画面を見ると約束の時間にほど近い。俺は、スマホを鏡に改めて前髪の位置を直し、浴衣も乱れが無いように整える。
「すみませーん」
やべ……。外から声が聞こえた。
「女将ですけどお客様、大丈夫でしょうか?」
「あっ……もう出ます……」
「左様ですか。30分以上入られているようでしたので念の為、お声掛けさせて頂きました」
「…………」
やっぱり、そうなるよな……。もしかしたらこの多目的トイレの中でずっといけるかと思ったが、こりゃ一度外に出るしかなさそうだ……。俺はメイク道具の入ったリュックを持ち、そっと扉のロックを解除した後、外へと出る。
「……」
トイレから出て周りを見渡すも、幸いにして俺の方を見てる生徒は居なかった。それに、今晩は別館の方にも何組か一般客が入っているようで、フロントには家族連れの姿もあった。
「どうしよう……」
俺は浴衣の袖でなんとなく顔を隠しつつ、周りを見る。どうする……いっそ外へと出るか? けど外は外で目立つよな……。徘徊しないように先生も見回りしてるだろうし……。いやこの姿ならバレないか? だが、声を掛けられる事自体がバレるリスクになる事は避けられないだろう。くそ……どうすれば……。俺は改めて周囲を見渡す。するとエレベーターの横に、『階段はこちら』との看板が見えた。
「っ……」
俺は窓際に顔を向け、周りから顔を見られないようフロントを横切る。階段室……周囲も囲われているし、少なくともフロントにいるよりは全然マシだろう……。そして俺は藁をもすがる勢いでドアノブを掴み、階段室の中へと飛び込んだ。
「良かった……」
予想が的中し、フロアには誰もいなかった。繋がっている上の階の方にも念の為耳を澄ますも、足音ひとつ聞こえない。ただ、空調が効いてない為、少し寒いな。
「B1……」
地下へと続く階段があるものの、ロープで仕切られており、ロープには従業員専用との看板が吊るされている。エレベーターには、1階までしか表示がないのに、階段だとどうやら地下へと降りられるようだ。こんなロープまたげば簡単に向こう側へ行ける。地下なら絶対にバレない……。
「……」
俺はロープを跨いで地下へと続く階段を降りて行く。下る一歩一歩の足音が階段室全体に反響する。俺は止まらずに踊り場を抜け、更に階段を降りた。
「備品庫……」
階段を降り切って少し歩くと、備品庫と書かれた扉の前に突き当たった。よし、もうここまで来れば確実に誰も来ないだろう。俺は一安心しつつ、扉の前で持っていたリュックを下ろす。そして懐から携帯を取り出し、呼吸を落ち着かせつつ菜月からの電話を待った。そして程なくすると、携帯が震える。俺は咳払いをして喉をリセットし、
「もしもし?」
「あ、圭ちゃん!」
スマホの画面から制服姿の菜月が手を振っている。俺はインカメを自分に合わせて、
「あ菜月ちゃん久しぶりー。どうしたの?」
「ううん、なんとなく圭ちゃんの顔見たくて」
「ふふ、それでビデオ通話?」
「うん!」
俺が微笑むと音声だけだが、男達の驚いた声が聞こえた。
「あれ? 菜月ちゃん誰かいる?」
「ううん、いないよ。気にしないで」
「そっか」
もちろん、これはブラフである。こんなやり取りを入れた方がリアリティが出るだろう。この場としてはただ、圭と菜月がプライベートでビデオ通話をしてるだけなのだ。ちなみに、私の友達と一緒にビデオ通話して欲しいなんてお願いがもし来たとしても、圭としては勿論断る。仮にゆちゃんからのお願いでもだ。まぁ南つばさが俺にそんなお願いをしてくるはずもないが。
「圭ちゃんこそ、何その格好?」
「今ねーちょうど、旅行中で旅館にいるの」
「あ、だから浴衣なんだ」
「うん。ちょっとダボってしてて可愛くない? ほら」
俺は自然な感じで、全身が見えるようにインカメを回す。すると、またも音声のみだが男子達のおぉ、との声が聞こえた。いやまじバレバレだぞお前ら……隠れて見てるつもりだろうが……。カメラ越しの菜月も苦笑いを浮かべている。
「やっぱ圭ちゃんスタイル良いなぁ、羨ましい」
「そんな事ないよ、全然」
「てかさ圭ちゃん、冬休み東京帰るからまた一緒に買い物行こ? 真夏も誘ってさ」
「え凄い行きたい。美味しい物も食べたいし」
「ねー」
なんか、背後の男子達の声が聞こえる……。好きな男のタイプを聞けとかなんとかって……。
「ねぇ圭ちゃん?」
「うん」
「ちょっと話逸れるけどさ、圭ちゃんの好きな男子のタイプってどんななの?」
「え、いきなり?」
言わされてんな菜月のやつ……。まぁ菜月の表情を見るに若干こいつも悪ノリしてる気もするが……。
「前から気になっててさ! ほら圭ちゃんって、そういうのあんまり言わないし」
「うーん……」
俺は、改めて圭として言いそうな事を考えてみる。
「優しい人かなぁ。あとは清潔感?」
「あー分かる! お兄……じゃなかった圭ちゃん私とまじ一緒!」
菜月は何故だかテンションが上がっているが、後ろの男子達の声が聞こえない。まぁけどなんとなく分かる。正直、男側からしたら清潔感ってむずいワードだしな……。
「野球部の男子は?」
「野球部?」
これも言わされてんな菜月……。明らかに個別具体的過ぎるし……。つか、菜月も楽しんでねぇか絶対……。
「野球部はどうだろ……。ちょっと怖いかも」
「あ、そうなんだ圭ちゃん」
画面の向こうから、男の断末魔が聞こえる。そんなショック受けんなよ……。反面、菜月は必死に笑いを堪えてる様子だ。俺は一応フォローするように、
「けど結局その人次第かも。野球部の人でも性格が合ったら、好きになるかも知れないし」
と言った俺の言葉に再度、男子達のおぉとの歓声が入り込む。ただ画面に映る菜月は少しつまらなそうに、
「あー逃げたな、おに……じゃなくて圭ちゃん」
「何にも逃げてないよ……」
「まぁ良いや、ふふ」
画面越しの菜月が嬉しそうに笑っている。その顔から察するに、菜月への疑念は完全に晴れた様子だ。もうこれくらいで充分だろう。
「ごめん菜月ちゃん。電話したばかりで悪いけど、私そろそろ……」
俺の言葉に菜月も小さくうなづいて、
「あうん。ごめんね圭ちゃん急に!」
「こっちこそごめんね」
「じゃあまた連絡する!」
「うん」
そして最後、俺はインカメに向けて小さく手を振ると画面の菜月も手を振り返し、そこで通話が切れる。
「……」
なんか疲れたな、まじで……。




