2話 OMOIDE IN MY HEAD
目が覚めるとそこは日の光が差し込まないほど深い森の中だった。
確か僕はパパの気を引こうとして階段から飛び降りたんだ。
それに失敗して、それで......。
状況がわからない、けどそんなの知らない。
ママは最後まで狂ってたし、パパは僕がどうでもいいんだ。
気力が全く湧いてこないや。
———「どうしてそんな目をしている?」
子供っぽくてハスキーな女の声がした。
後ろに目を向けると、悪魔のような姿をした少女が僕を見下ろしている。
髪はショートで水色、額から角、背が低くて胸が大きい。
恐怖で僕の小さな体が震える。
何コイツ!
見た目が異様すぎる。
「君はどうしたい」
また喋りかけてきた! きも!
「生きたいか?」
「いや、もういいんだ」
「ほう。なら身体が震えているのは何故だ。私に恐怖を感じているからだろう。心の奥の声に耳を傾けろ」
......あれ? 確かに。
なんで全部どうでもいいのに怖がってるんだ?
生きるってなんだ?
生きるって生きるだよな。
僕は今までどうやって生きてきたんだっけ?
瞬間、感情が噴き出てくる。
僕は何者だ? ———わからない。
僕にとってパパはなんだ? ———わからない。
僕にとってママはなんだ? ———わからない。
僕はこの暗い世界を生きたいのか?
———生きたい。
あれ、僕って生きたいの?
今まで自分について考えたことなんてなかった。
僕は何者なんだ? 僕はパパとママの子。
思えばパパとママは僕に何かしてくれた?
いつも僕を殴ってくる。
ただのカスじゃん。
———無理。だってそんなことないもん。
僕が小さい頃は二人とも本当に優しくて、泣いてる時はいつも慰めてくれた。
おかしくなったのは引っ越してからだ。
急にカラスが家の周りに居付くようになったと思ったらママがおかしくなって、パパも急に怖くなって......。
ああ、泣きそう、目の奥がツーンとする。
僕の心の中には優しかった頃のパパとママがいる。
いつも苦しい時に励ましてくれるんだ。
けどもう昔のパパとママには会えない。
バイバイしなきゃ。
さよなら。
思い出になってね。
うん、これで振り切れた———訳じゃない。
けど優しかった頃のパパとママは僕の頭の中から出ていった、やっぱり寂しい。
でもこの暗い世界で生き抜いてやるんだ、1人で。
心に火が灯った。
「生きたいよ」
「わかった」
答えを聞くと悪魔は僕を抱き、上を見回す。
「何すんの! 食べる気? 生存本能を確認してから食べるなんて悪趣味すぎるって!」
「食べん、君を連れて帰るだけだ」
違うのか、ひと安心。
ん? 連れて帰る?
「え? どういうこと?」
「......」
「おい! 無視すんなよ!」
「今集中しているんだ、話しかけるな」
「なんだよそれ」
そして悪魔は僅かに日の光が覗いている茂みの薄い部分を見つけると、そこ目掛け一直線に跳び上がった。
僕はめちゃくちゃビビった。
重なる木の枝を強引に突破し、大きく上昇すると澄んだ青空の下に出る。
すると悪魔の背中から翼が生え、どこかを目指して加速してゆく。
空ってこんなに綺麗だったんだ。
......いやそうじゃなくて飛んでる!
落ちたら死ぬよね、これ。
「私の名はバレンタイン。かつては魔王だったんだがな、今ではただの一魔族だ」
「んあ?」
こいつ頭がおかしいのかな?
飛んでるし角生えてるし、絶対変だよ。
「......一緒に暮らそう」
「やだ」
「ダメだ」
最悪の展開だ。
空飛ぶ悪魔と暮らしたくない。
飛びながら言われたら拒否できないじゃんか。
***
あれからどれ程の時間飛び続けたのだろう。
青かった空はもう黒く塗りつぶされた。
ポップに輝くクリーム色の満月が浮かんでいる。
おえー、すっかり酔っちゃったよ。
もうちょっと同乗者のこと気遣って飛んでくれないかねえ、もう吐きそうなんだけど。
ゲロの発射も時間の問題かと思われた頃、バレンタインはやっと地に足をつけた、どうやら目的地に着いたらしい。
目の前には禍々しいオーラを放つ城がある。
「ここが今日から君が住む場所だ」
「えー、やだよこんな不気味なところ」
「わがままを言うな」
バレンタインは僕を抱いたまま、巨大で堅そうな扉の前に歩いて来た。
「インターホンはどこ?」
「いんたぁほん? なんだそれは」
バレンタインは扉の前から後ろに下がり、羽を畳んだ。
「———鋼化」
そう呟くと、勢いよく扉に突進して行く。
ガッジャァーンと派手な音を立てて扉は破壊された。
イヤアアアアア! きんもっ!
光景が異常過ぎるって。
やっぱこいつ変だよ!
生きていけるか不安になってきた。
中には使用人と思われる者達がたくさんいて、道を作るように整列した。
その者たちも人の姿をしていない。
......ッ!
瞬間、空気が張り詰める。
奥から女悪魔が姿を現した、これで二人目だ。
鬼みたいなオーラがあってとてつもなく怖い。
髪はロングでピンク色、こいつも角ありだ、背が高く胸は小さい。
「いい加減にして、扉は開けて入るの。いつも言ってるでしょ? 誰が直すと思っているのよ」
ピンクの悪魔がバレンタインに文句を言った。
「.........ただの冗談じゃないか」
バレンタインは何故かしょんぼりしている。
絶対冗談でやることじゃないと思うけど。
「それよりその子は何? またなんか拾ってきたの?」
「果ての森で少年が死んだ目をしていた。一緒に育てようエリザベス」
「ダメ。早く捨ててきて」
その方が僕もありがたい、もう誰とも関らず一人で生きていきたいんだ。
しかし、二人の威圧感に押されて発言ができない。
見た目は綺麗だけど絶対にやばい奴らだってこれ。
「哀れとは思わないのか、まだ少年だぞ」
「はぁ、なら私がこの子を殺すわ。そうしないと貴女、この子を育てようとするだろうから」
「え?」
なんだかきな臭くなってきた。
やっぱりどうにか逃げ出さないと。
動け僕の脳みそ。
すると突然エリザベスの右手が光りだした。
「やめろエリザベス!」
バレンタインが必死に制止する。
「ごめんね、死んでちょうだい。———フレイム」
エリザベスがそう呟くと手のひらに火の玉が浮かぶ。
そして僕に思いっきり投げつけてきた。
高速で迫る火の玉。
「死にたくない!」
———ッッ!
本能的に熱さを覚悟した瞬間、体表に水の膜が浮かんだ。
そして火の玉は水の膜に吸収されて消えた。
「........あれ? 生きてる」
体がびしょびしょだ、火の玉がいつの間にか消えてるし。
使用人達がざわついている。
「この子、本能で水のマナを操ったというの?」
「そ、そうらしい。明らかに普通の少年ではない」
僕は何かをしたみたい、力が抜けてしまった。
薄々思っていたけれど、この世界はパパとママが居るところとは違うんじゃないかな。
「......うふふ。気が変わったわ、育ててあげる」
「え? 殺されるんじゃないの?」
「こんな才能の持ち主を殺すわけないじゃない。よく見たら可愛い顔してるわねあなた」
ホッとしたと同時に久しく感じていなかった何かを感じた。
僕褒められたのかな。
今久しぶり誰かに対等に認められた気がする。
すごく嬉しい。
あれ、涙が出てきた、止められない。
「泣いてしまったではないか、謝れエリザベス......怖かったろう、申し訳ないことをした。よしよし」
「そんなこと知らないわ」
バレンタインが泣いてる僕の頭を撫でてくれた。
泣いてる理由は違うけどね。
バレンタインは良い人なのかも。
「あなた、名前はなんて言うの?」
「うぇ、ひぐ、ぼくの名前は......」
僕はさっき生まれ変わったんだ、もう前の名を名乗るのはやめよう。
「僕は名前がないんだ」
そう嘘をついた。
「ふぅーん。バレンタイン、名前を付けて。何でもいいわ」
「......フィリップはどうかね? 人の名前を付けたことなどあるはずもない。よく分からぬ」
「面白味のない名前、あなたセンスないわね」
確かに平凡な感じだねえ。
「普通だからこそ魔族と人間の架け橋になってくれよう。......それに先程見せた才の片鱗、これが災いをもたらす気がしてならない。私はこの子を普通の人間に育てたい」
「うふふ。だめよ、その才能こそ私がこの子を拾う理由。私が強く育ててあげる」
僕の名前がフィリップに決まったらしい。
実感は湧かないなー。
強く育ててもらえるらしいけどそれは好都合だね、この世界なんか変だし。
強くなったら機を見て逃げ出そう。
......うーん、それにしてもなんで急に育ててくれることになったんだろ。
何か思惑があるに違い無い。
エリザベスは僕に強くなる事を求めた。
バレンタインは僕に普通である事を求めた。
それぞれ思惑は違いそうだ、気になるけど今の情報量では推測することはできないね。
「私が寝かしつけてあげるから光栄に思いなさい。レミ、フィリップを水浴びさせてベッドまで運んで」
「かしこまりました」
うわー怖いよそれは。
エリザベスって僕を殺そうとしてた方でしょ?
急に気が変わったらどうするんだよ。
***
レミと呼ばれたメイドが僕を水浴びをさせようと井戸の近くまで連れてきた。
「なんで人間の子なんかがうちに......あのまま殺されてしまえばよかったのに。新生児がマナを操るなんで聞いことないんだけど、気持ち悪い」
なんかこの人ひどいこと言ってない?
「な、なんかごめんなさい」
「ハッ! 今の聞こえちゃいましたか!」
「......き、聞かなかったことにしますね」
「......」
気まずっ。
にしてもこのメイドの態度は異常だね、僕がこの城に入ってきた時からずっと睨んでくる。
この人にうまく取り入らないと強くなる前に追い出されちゃうかも。
可愛い子ぶって媚び売っとこっと。
「はい、水浴び終わり」
「レミありがとう!」
「ったくめんどくさい」
こっわ。
レミは水浴びを終えた僕を連れてエリザベスのベッドへ向かう。
ひどいこと言ってくるし睨んでもくるけど、丁寧に洗ってくれた。
本当は優しい人なのかな?
それとも命令に忠実なだけかな?
そのあたりの人間性を探っていこう、その答えによってこの人への媚の売り方が変わるからね。
それから実はベッドで寝るのは夢だったんだ、前世では床にタオルが敷かれただけだったし。
これから寝るベッドの柔らかさを想像するとワクワクが止まらない。
......ん?
窓から夜空を見るとモザイクみたいなのが見えた、空間が歪んでいるというかなんというか。
「レミさん、夜空に浮かんでるあれは何?」
「は? 星と月以外なにもありませんが」
「え......」
僕にしか見えていないのか?
まあいいや。
この世界には驚かされっぱなしだから空にモザイクが浮かんでるくらいじゃ今更驚かないよ。
***
そうこうしているうちにエリザベスの部屋まで辿り着いた。
煌びやかな部屋だ、バニラの香りがする。
「ご苦労様。おやすみなさい」
「では失礼いたします。おやすみなさいませ」
レミは僕をベッドに置いて部屋から出て行く。
ねえこのメイド主人がいる時といない時とで人格変わりすぎじゃない?
そんなことよりベッドが柔らかい!
想像以上だなこりゃ、幸せだ、もう眠くなってきたよ。
「私の可愛いフィリップ、ゆっくり眠りなさい」
エリザベスが僕のお腹をさすり寝かしつけてくる。
いつ殺されるか分からない恐怖に苛まれるから僕に触らないで欲しい、なんて言えるわけない。
それでも昨日までと比べて格段に心地いい夜だね。
このまま眠ろう。
ッッ!!
瞬間、激しい頭痛に襲われた、耳鳴りもひどい。
視界がホワイトアウトしてゆく。
「・ー・どこの時代に・ーいる」
「あなたこそ・ーー・時間軸のー・ーー・何か知ってー・・ー」
声がする、何か口論しているみたい。
この声どこかで聞いたことがあるような。
「ー・なめるな・ーー思惑・ーーい」
突然声は止んだ、視界と意識が戻ってくる。
何だったんだろう、最後まで聞き取れなかった。
声の主が思い出せない、でも絶対に聞いたことのある声なんだ。
「は? 星と月しかありませんが」
レミの声がした。
この会話、さっきしたような。
でもセリフが若干違う?
それにベッドにいたはずなのにまた廊下を歩いている。
明らかにおかしい。
時間が......戻っている?
「ありがとうレミ、ゆっくり休め」
「では失礼いたします、おやすみなさいませ」
今度はバレンタインの部屋に入った。
さっきはエリザベスが僕と寝る感じだったよね。
結果が変わってる。
何が起きたんだろう、頭が混乱してきた。
直後、僕は深い眠りに落ちた。