7
緋翠が抽出されたコーヒーをお互いのカップに注ぐ。
藤哉はコーヒー9、ミルク1くらいのラテ。
緋翠はコーヒー7、ミルク3…少し多めくらいのラテを作る。
緋翠の父、愁はコーヒー派で緋翠は紅茶派。藤哉も普段はコーヒーを好んで飲んでいる。
今日は、一応客である藤哉に合わせてコーヒーを淹れてくれたらしいが、普段コーヒーを飲まない緋翠のソレはもはや乳飲料のようで、内心藤哉は苦笑いする。わざわざ自分用に紅茶を淹れるのが手間だったのかもしれないが…。
「藤哉。お腹空いてない?もうお昼だけど…。」
「実は空いてる。朝も食べてないんだよね。」
「私も。作り置きのホットサンドとスコーンなんかで良かったら、準備するけど…?」
「食べる!」
「じゃあ、ちょっと待ってて。」
緋翠は対面カウンターにマグカップを置くと冷蔵庫に向かった。
それを見てさすがに手を出せなくなった藤哉は、カウンターを回り込んでチェアに座り準備されていく様子を楽しそうに眺め始めた。
冷蔵庫から大きめのプレートに乗ったホットサンドを取り出して振り返った緋翠が、その様子を見てちょっと困った顔をした。
「…ソファーに座ってTVでも見てて…。」
「断る。…何か手伝うことあったらすぐ言って。」
にっこりと笑って断りを入れた藤哉の様子に、付き合い上(これはダメなやつだ。)と理解している緋翠は小さなため息と共に早々に説得を諦めた。
ホットサンドをプレートごと電子レンジに入れて温め始めた緋翠は、今度は冷凍室を開けた。
いくつかのタッパーを取り出すと、小さなトングで中身を白い皿に移していく。そしてホットサンドの皿と入れ替えに白い皿を入れた。
「ホットサンド、いくつ食べる?」
そう言って、カウンター越しにプレートを見せられた藤哉は目を丸くした。
プレートには、食パンを半分にした大きさのサンドが6つ並んでいたのだ。
もちろん"サンド"の名にふさわしい具材を充分に挟んで。
「…もしかして、愁さんも朝食食べてない?」
「そうみたい。」
蒼哉は藤哉が起きる少し前に軽く食べて行ったらしいが、愁の方はそうもいかなかったらしい。
「じゃあ2つ。」
「うん。」
プレートとトングを置いて、新しい皿を出そうとした緋翠を見て、すかさず藤哉が立ち上る。
「手伝うよ。どの皿?」
「…ありがとう。えっと、中段の四角いのを2枚。」
「OK。他には?」
「フォークを2本。」
「了解。」
カウンターに並んだパステルグリーンの角皿。
1枚にはホットサンドを2つ。もう1枚には1つ乗せたところで丁度良く電子レンジが鳴った。すかさず藤哉が取りに行って、戻ってくる。その両手には、指先だけはめるタイプの赤いミトンを付け、スコーンの乗った皿を持っていた。
それを見た緋翠は突然…
「ふ、っーー…。」
「!? ちょっ、コラ何で笑ってんの!?」
パッと背を向け、口許を押さえて微かに肩を震わせている緋翠は、笑っているのが一目瞭然だ。
藤哉が着ているのはネイビーブルーのゆったりしたスウェットで、セットしてない髪はまだ少し湿って重くなっているが見苦しくはないだろう。そして両手に赤いミトンと皿。
何故だろう?特段おかしな格好をしているとは思えない。なのに緋翠は笑っている。
笑われている事に当然納得のいかない藤哉は、さっさと皿を置いてミトンを外すと緋翠に詰め寄る。
小さく震える細い肩に手をかけ、少々強引に振り向かせる。
しかし、両手で顔を隠した緋翠はそのまま藤哉の胸元に倒れこんできて、その表情は見えない。思わず抱き止めるが、緋翠の肩は大きく上下し、呼吸を整えようとしているのが丸わかりだ。
「…何なんだよもう…。」
憮然とした面持ちで藤哉は呟いた。
それにしても、緋翠がこんなに笑うなんて珍しい。
藤哉は自身の腕の中で、耳まで赤くなって深呼吸を繰り返している緋翠を見やる。
(可愛い…。)
一方的に笑われたことなんてどうでも良くなってくる。そんなことを考えていると、モゾモゾと腕の中で緋翠が身動ぎだした。
藤哉から少し身体を離した緋翠は、先程藤哉がカウンターに放ったミトンを手に取り、口を開く。
「…このミトン何だけど…。」
「ミトン?」
緋翠は件の赤いミトンの外側を見えるように持つと、指を入れる内側を少しめくって、藤哉の顔の前に差し出す。
それを見た瞬間、藤哉は目を見開いた。
「いっっ…いちご!?」
そう、赤いミトンはただ赤いだけではなかった。
外側には、薄いが黒い種の模様もあり、内側は緑色の、正真正銘の[いちご柄のいちごの形のミトン]だったのだ。
呆然とする藤哉を尻目に、緋翠はミトンに手を通しパカリと掴む方を開いて見せた。
そこには、白地に可愛らしいベビーピンクのいちごがプリントされていたのだった。
「勘弁してよ…。」
「っ、ふふっ…。」
絶望したような声で項垂れ、片手で顔を覆う藤哉を見て、緋翠は再び肩を震わせながら、その広い肩口に額を押し付けた。しかしそれも直ぐに収まったようで、緋翠は目尻に溜まった涙を拭いながら顔を上げた。
「ごめん。気付いたらつい、可笑しくなっちゃって。」
ーーーそれは唐突だった。
項垂れていた藤哉の視界一杯に、緋翠が映る。
紅潮した頬。鮮やかな緑色の瞳が、涙に潤んで宝石のように艶めく。濡れて束になった睫毛が、金色とも銀色ともつかない色で瞬き、時々同じ色の前髪を揺らす。
そこに真っ黒な色がいく筋か混ざるのを、どこか他人事のように見ていた。
(ーー俺の髪だ…。)
ぼやけた頭がそれを認識する。
「…とうや…?」
戸惑ったような、怖がるような、小さな声で名前を呼ばれた。