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緋翠が用意してくれた青いスウェットに着替えた藤哉は、濡れたズボンのポケットに入れっぱなしのスマホと財布の存在を思い出した。
物干しスペースに掛ける前にそれらを取り出し、外も中身も無事であることを確認し、ひとまずほっとする。
そしてチカチカと通知があることを主張するスマホを手に取り、ロックを解除すると、メッセージアプリの通知がものすごい数になっていることにギョッとした。
送り主は主に母、桃花からのものだった。
『無事にたどり着いたか?』『緋翠ちゃんは大丈夫だった?』から『無事?』『返事は?』『怒るわよ』『既読ぐらいつけなさい!』etcetcetc…
(こっわ…。)
と思いながら最後のメッセージを読み終えた瞬間、手の中のスマホが震え出し着信を伝える。
相手はもちろん『母』だ。
思わず眉間にシワを寄せるが、仕方ないと腹をくくって通話ボタンをタップした。直後…
『ちょっと!どれだけ心配したと思ってるのよ!?
メッセージは見ないし、電話は繋がらなし、停電で緋翠ちゃんちの電話も繋がらないし!』
「ちょっ、落ち着いて!こっちはこっちで必死だったんだから。」
緋翠に聞こえてしまっては桃花を心配して「早く帰れ」と言われかねない。
そんなのごめんだ。絶対にだ。
『何?やっぱり緋翠ちゃん発作出てたの?大丈夫?』
桃花に送ってもらう途中、車から降りる際にアッパーボックスから藤哉が何を持って行ったのか、桃花はしっかり見ていたようだ。
小児喘息を患っていた緋翠は今でこそほとんど発作は出ないらしいが、元々身体が丈夫でないので今でも吸入器を持ち歩いている。
そんな中。昨年は台風の多い年で、季節が秋に変わろうかという頃にやって来た台風の影響で、緋翠は発作を引き起こした。幸か不幸か朝から体調が優れなかった緋翠は、早退するために保健室で愁の迎えを待っていた時に発作を引き起こした。保健医の適切な処置で落ち着いた頃愁が学校に到着し、そのまま病院に向かったと聞いている。
「喘息はなかったけど、俺が『10分で行くから。』って言って10分経っても来ないから、すごく不安にさせたみたいで、軽い過呼吸を起こして、もう落ち着いたとこ。」
『ちょっと!シャレにならないわよそれ!本当に大丈夫なの?ウチに来た方が良いんじゃない?
さっき蒼哉さんからも連絡があって「こっちは通常通りだから、多分帰れる。」って言ってたし…。』
「う~ん…。落ち着いたばかりだし、この天気でウチに来ても逆に気使うんじゃないかな…?」
物干しスペースのハンガーに脱いだ服を掛けながら、丁度目線の高さにある明り取りの長い窓の外を見やる。
今朝より大分マシだが、まだまだ雨が止む様子はなさそうだ。
『そうね~…。あ、電気戻ったみたいよ!』
電話越しに桃花の弾んだ声を聞き、藤哉は洗面室をぐるりと見渡した。
どこの家にもだいたい、ブレーカーというものは洗面室の天井付近か玄関近くにあるものだ。そして橘家も辰騎家と同じく、洗面室の入り口の上に、同じタイプのブレーカーボックスがあった。
『電気戻ったわ~。安心。』
「こっちも戻った。
ひとまず俺、当分こっちに居るから。何かあったら連絡して。」
『そっちこそ何かあったら連絡しなさいよ。まったく。とにかく、ウチに緋翠ちゃん連れて来ることも考えときなさいよ。』
「了解。」
通話を終えてスウェットのポケットにスマホを入れ、バスタオルでざっくり髪を拭うと、服と一緒に物干しに掛ける。
財布を片手に廊下に出て、左手の突き当たりの扉を開けるとすでに緋翠がキッチンに立っていた。
品の良い深い赤のパーカーに淡い桜色をしたロングフレアースカートの後ろ姿が見える。
テキパキと動く手は、香りからしてコーヒーを淹れているらしい。
『襲いかかりそう。』などと邪な気持ちを持ったことを悟られないように、努めて明るく声をかけた。