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嵐の後には  作者:
4/11

4

緋翠が用意してくれいていたバスタオルでざっと身体を拭いたとはいえ、結局ずぶ濡れだったことに変わりはなく。過呼吸気味だった緋翠を落ち着かせてから、ずっと抱き合っていた2人はお互い少なからず濡れていた。

車庫のシャッターを手動で降ろし、勝手口から橘家に入った2人は、まず浴室に向かっていた。

パントリー、リビング、廊下。どこを通っても非常用の保安球が淡いオレンジ色で辺りを照らしていた。

先を歩く緋翠は無言で、藤哉も口を開くことなくその蜂蜜色に染まった小さな後頭部を見つめながら着いて行く。

リビングを出て真っ直ぐ、突き当たりの右手。そこが浴室だ。左手は短い廊下の一面がガラス張りの引き戸で、良く手入れされた中庭に面していた。

そこから見る空は真っ暗でゴロゴロと唸り声を上げている。雨音は少し弱まったようだ。中庭と外の柵を介しているので良く見えないが、電気はまだ復旧していないらしい。


「藤哉?」

「あ、ごめん。何?」


浴室に続く洗面室から緋翠がひょいと顔を出す。少しだけ泣いたせいか目元が赤いが、すぐに赤身も引くだろう。


「その…着替え、父さんので悪いけど、新しいからこれ使って。」


藤哉が顔色を観察していたのがわかったのか、緋翠はやや口早に説明しながらさっさと室内に入って行った。

実は家の中に入ってから、藤哉は緋翠とほとんど目が合わない。


(…恥ずかしがってるのか?)


藤哉が洗面室に入ると、緋翠が紺色のスウェットの上下と、新しいバスタオルを差し出す。


「脱いだ服はあそこに掛けて。夕方には乾くと思うから。」


そう言って緋翠が指を指す方を見ると、奥の窓の下に室内用の物干しスペースがあった。


「ガス給湯だからお湯は使えるみたい。良かったらシャワーも使って。

じゃあ、私はリビングに居るから。」


言うだけ言って洗面室を出ようとする緋翠を慌てて引き留める。


「ちょっ、待った待った!

緋翠こそ濡れてるから、先に温まって着替えた方が良い。」

「私は大して濡れてないから平気。」

「ホントに?」

「平気。」


これは、あれだ。『押し問答』ってヤツだ。らちが明かない。

緋翠は終始目を合わせることなく、藤哉の肩口に目線があり、非常用の灯りでは顔色も良く見えない。藤哉は一歩緋翠に歩み寄り、両手をのばす。


「っ!」


緋翠の頬を挟んで顔を上向かせた。

驚いた緋翠は一瞬ぎゅっと目を閉じ、開く。

真剣な顔をした藤哉が真っ直ぐにこちらを見ていた。

温かな手のひらが頬を撫でて、額の熱を測る。その手がするりと首筋に当てられて、思わず肩をすくめた。


「……顔色はさほど悪くないけど、体温が下がってる。」


そう言って真っ直ぐに緋翠を見つめる瞳は、深い黒に保安球の淡いオレンジがチラチラと差し込んで、まるで金粉が散りばめられたかの様に美しく、緋翠の目を引き付けた。

そうやって緋翠がやっと目を合わせてくれた事に気付いた藤哉は、ほっと目を和らげる。


「やっとこっち見た。」

「っ!!」


そう言われた途端顔を赤くして俯こうとした緋翠だったが、いつの間にか藤哉の両手は緋翠の耳の下あたりから頬を包むように支えていて、顔を反らすことも出来ないことに気付いた。

せっかく落ち着いていた心臓が再び心拍数を上げていく。顔が熱い。

きっとそれすら藤哉に筒抜けだろう。


(…私が目も合わせずにそっけなくしたから、からかってるんだ。)


そう思った。けれど…


「ホントに温まらなくて大丈夫?」


穏やかな声で問い掛けられ、緋翠は羞恥心からさまよわせていた視線を再び藤哉に合わせた。

星空の様に金色の光が散る真っ黒な瞳は、先程と変わらず温かく、優し気で、そこには緋翠をからかって楽しんでいる様な色は見えない。

緋翠は小さく息を吸い、口を開く。


「大丈夫。…部屋に戻って、着替えて…リビングで待ってる。」

「わかった。俺もシャワーはいらないから、着替えたらリビングに行くね。」

「うん。」


そっと頷いた緋翠に、やっと肩の力が抜けた藤哉も安心して微笑み返した。

けれど藤哉の両手は緋翠の頬を包み込んだまま動かない。

緋翠の状態を確認し、本人も大丈夫だと言っているのだから、これ以上の心配はウザがられるだろう。であるならば、早く着替えさせるべくこの手を離すべきだ。

しかし、手のひらから伝わるトクトクとリズムを刻む心拍の心地良さ。薄く染まった頬や目元。真っ直ぐにこちらを見つめる緑の瞳は、薄暗さと保安球の淡いオレンジと相まって、森の木漏れ日を思わせる美しさだった。


(クソ。本当に。マジで。心の底から。純粋に。心配してただけなのに…!)


今まで抱えていた心配や不安が少し落ち着いて、心に余裕が出来た途端、別の感情が心を占めようとする。

今まで目に入らなかった物が目に入り、純粋な心配が、年相応の欲に取って変わろうとする。


「…藤哉…?」


少し冷たい手が、そっと藤哉の手に触れた。

ハッとして、藤哉は緋翠の頬から手を離し、顔の横にハンズアップする。

まるで何時かのようだ。と頭の中で思った。


「あ、ごめん。すぐ着替えるから。緋翠も早く着替えといで。」


そう言うと緋翠は1つ頷いて洗面室を出て行った。

卜タトタと静かな足音が遠ざかるのを聞いて、藤哉は盛大なため息をついてその場にうずくまった。


「はぁーーーー……。

襲いかかるかと思った…。」


頭を抱えて呟く。


(…いや別に今襲っても別に誰もいないわけだし…ってアホか!ここは風呂場で何も準備してねぇよ!…いやそういう問題でもないから!!)


もはや脳内カオス状態である。

と、天井の隅からかすかに足音が聞こえて顔を上げる。

緋翠も部屋に戻ったのだろう。

このままここで悶々としていても何の意味もないし、いつまでもここに居ては心配した緋翠がやって来るだろう。


「…はぁ…俺も着替えよ…。」


のっそりと立ち上がり、自身のカーディガンに手をかけた。

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