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珠仕 北之巻

作者: 熊田

早朝、梅雨明けからの暑気も一層増し、肌着一枚で寝ていても汗は止まらない。

北倉院ヤシロは野田川の川沿いのあばら屋で蓙を敷いて寝ていたが、あまりの暑さに堪えかねて立ち上がると、弓のように刀身が反り返った刀を腰に差した。

「暑い…!」

草履を履くと、一目散に河原まで駆ける。

瞬間、水しぶきが舞い、轟音と共に川の水が斬られた。


ーー否。

正確には、ヤシロが振るった一刀で川の水が跳ねてシャワーとなり、辺りの熱を和らげた。

「相変わらずふざけた馬鹿力だな」

一息ついたヤシロに、長身の侍が声をかけた。

「甚三郎ではないか。また牛頭でも出たか?」

「あのような怪物がそうそう出てたまるか! 此度の上様からの勅旨は最近妙な気配を見せておる鋼夜叉の偵察だ」

鋼夜叉とは、30年も前に帝に側仕えする陰陽師が成敗して以後、北の異民族の謀叛を抑えるようになった猛将のあだ名だ。

曰く、体は山のように大きく、牙は人の骨さえ砕くほど堅牢長大。何より、鋼夜叉と名付けられた由来には、朝廷の武士100人の刀を素手で叩き折ったという伝説に基づく。

甚三郎はその鋼夜叉に会うべく、会津若松まで向かう道中の用心棒として、ヤシロを頼ってきたのだ。

「戦えないのか。ならば私は釣りにでも行きたいところだが……」

「ついてくるならば道中の飯はこの甚三郎がすべて請け負ってやろう」

「何をしておる甚三郎。とく馬を曳かぬか」

ヨダレを垂らしながらいつの間にか馬に乗っているヤシロに、甚三郎は呆れながらも馬の手綱を引くことにした。



平安時代も終わり、武家の台頭と源頼朝の東国沙汰により武士が実権を握り始めた時代。しかし同時に世に渦巻く反乱、怪異の類いは朝廷の勅旨を受けたなばりが対処に当たった。

中でも特に秀でた4人の隠を【珠仕たまづかえ】と呼び、東西南北それぞれのエリアを定めて守護者とした。

ヤシロは北方を守護する珠仕であり、脅威的な膂力と重さ60キロにも及ぶ曲刀を持って、あらゆる怪物、異民族を制圧していた。

甚三郎はヤシロの生い立ちを知らぬし、知りたいとも思わなかったが、ヤシロがなぜ珠仕などしているのかは常々気になっていた。

1日目の夜、東北道に向かう途中の武蔵国内の旅籠で荷物を解いた甚三郎は、沐浴の準備をしているヤシロに問いかけた。

「お主はいつも楽しそうに生きておるが、珠仕などではなく野良仕事をしながら平穏に生きたいと思うことはないのか?」

ヤシロが豆鉄砲を食らった鳩のように目を点にする。

考えもしなかった問いに、自分が畑を耕してる姿を想像するが。

「ーーそれも楽しそうだな。でも、私は畑を耕すより物の怪を斬る方が向いてる」

あっけらかんといい放つと、沐浴に向かってしまった。

甚三郎は筵にくるまると、ため息をついてまどろみに落ちた。



長い、とても長い戦だった。甚三郎はまだ7つにもならぬ幼い時分。

百姓の家に生まれていつも田んぼ仕事の手伝いをしていた。その村が、40日間にも渡る長い戦に巻き込まれた。

両親は死に、田畑は荒れ、幼い妹は煙にまかれて焼け焦げた。

地獄の中で甚三郎はたまたまとある武士に拾われ、匿われた。

本当は家族も救いたかった。だが救えなかった。

自分一人だけが生き延びたことに、そして家族の凄惨な死に様に、甚三郎は憤っていた。

朝廷の武士に拾われて育てられた甚三郎は、当然反乱分子を鎮めて回るようになった。もう二度と自分のような子どもが戦禍に巻き込まれないように。


「甚三郎は相変わらず仕事熱心だな」

2日目の昼、東北道の山登りの途中で握り飯を食べていると、ヤシロが感心したように言ってきた。

町での情報収集、村へのお触書、山での野盗退治など、甚三郎は行く先々で治安維持に努めている。

仕事ばかと言っても差し支えない程度には働き詰めだ。

「そうか?ワシからすればお主の方が仕事熱心だと思うが」

「私はあくまで頼まれて斬るだけだ。甚三郎のように進んで何かをやるようなことはしない」

「ふむ。羨ましいな。お主は才能があって怪物を斬り、人の暮らしを護っておる。ワシは武の才能がないから情報を集め、困っている人々を避難させることしかできぬ」

「敵さんてきじょってやつだな」

「適材適所か?」

「そう、それだ」

昼飯の握り飯を食べ終えると、二人は会津に向かって歩を進める。

既に宇都宮を越えて、那須塩原も目の前というところ。会津若松まではあと1日もあれば着けるだろうという距離だ。

鋼夜叉の動向も道中の村や町で確認しておきたい。

甚三郎は那須高原の手前で村に立ち寄って、最近なにか変わったことがないか聞いて回ってみた。

「鋼夜叉……?ああ、大柳公のことかな。最近、米を色んな商人から買っては兵糧を蓄えてるって噂があるね」

行商の男が道の脇にある木陰で休みながら答えた。

日中は暑さもあって距離が稼げぬため、休んでいる行商や旅人を捕まえやすい。

甚三郎が水筒をヤシロに渡しながら眉根を寄せた。

「兵糧をか?」

「ええ、ええ。また北の異民族が攻めてくるんじゃないかって、そこいら中不安がってますよ」

「そうか。何事かあってはまずいな。朝廷への文を書く故に、上方に行くのであれば手形を渡しておこう」

「おお、これはおおきに。この手紙は絶対に京まで持っていきますよ」

行商に手形と手紙を渡すと、甚三郎は険しい顔つきでヤシロを見た。

「やはりきな臭いな。戦いになるやもしれぬ。念のために準備だけは怠るな」

「肩慣らしに大蛇の一匹でも出てくれればいいけど」

軽く受け流すヤシロに頼もしさを覚えつつ、甚三郎は馬を曳き始めた。

「明日には会津に着くが、夕方か日暮れにはなろう。鋼夜叉には面会の依頼だけして、明後日改めてお会いしよう」

「私はどうとでも。会津に着いたら取り敢えずぼたん鍋が食べたいな」


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