ハッピー・サプライゼス
その男たちがコツコツという甲高い靴音を響かせながら結婚披露宴の会場に入っていくのを、俺たちは柱の陰からずっと見ていた。
彼らはぱっと見、五人か六人くらいで、全員真っ黒なスーツを着込んで目の部分だけが開いてる本格的なマスクで頭から首までをすっぽりと覆って、俺たちが持っているちゃちなマシンガンとは似ても似つかない銃器を、手馴れた風に構えていた。そんでそいつらが会場の中にバタバタと押し入ってから数秒後に悲鳴と銃声が響く。
銃声。
マジか。
そして沈黙が会場のドアの隙間から重々しくこぼれ出てくる。
中は一体どうなっているのだろう? 連中はあの黒々としたおっかない銃器で、あの華々しかった披露宴会場や新郎や新婦や招待客たちをどうにかしてしまったのだろうか? マイちゃんや田中やノッチは無事だろうか?
ていうか、どうしてこんなことになっているのだ。
背後で俺を楯にするように縮こまっていたミキと恐る恐るといった感じで顔を合わせる。
ミキが被っている目と鼻と口の部分だけ間抜けに開いているパーティー用覆面がやけにシュール。でも笑えない。
俺とミキがスケジュール通りに披露宴を抜け出し、マスクとエアガンを携えて会場に戻ろうとしたところで連中が現れたのだった。その異様な風袋に、慌てて柱の影に隠れた俺たちはどうやら連中には気付かれずに済んだようだった。
「どうなってんのよ……」
「俺が聞きたいよ……」
とりあえず気付かれる前にここを離れた方がいい。ていうか早く警察呼ばないと!
そう思って踵を返すと、そこには見張り役と思しき覆面スーツが、俺たちに背を向けるように立っているのが遠くに見える。
囲まれた?
はい、囲まれました。
柱の影に縮こまって、物音ひとつ聞こえてこない会場を遠巻きに眺めながら、俺とミキはまさに途方に暮れた。
……ちょっと時間を遡ってみよう。
俺たちがいかに平凡な人生を送ってきて、いかにも人畜無害な我々が何故こんなワケの分からん事態に陥ってしまったのか、確認しておく必要がある。
マイちゃんと、ノッチ。
二人の結婚が決まったのは一ヶ月くらい前で、その結婚披露宴でサプライズイベントをやってくれと頼まれたのはそれから一週間後くらいだった。
マイちゃんというのは俺の高校生時代の同級生で、最近はその美人っぷりが当時の予想を遥かに凌駕してしまい、ごく控えめに言って、最高の美女になってしまった。
ノッチは俺の中学時代からの親友で、こちらもちょっと見ない内にどっしりと構えた体育会系のイケメンになっていた。それでも、人の良さがにじみ出た優しげな瞳はあの頃のままだ。
まあとにかく、絵に描いたようなお似合いのカップルがゴールを迎えようとしていることを、俺とミキは真っ先に知らされた。
「良かったじゃんマイ〜、おめでとう!」と感極まるミキの声。
「ありがとうミキ。タクロウ君も今日はわざわざ来てもらっちゃってごめんね」と俺に微笑むマイちゃん。
「いいよ別に。ノッチのデレた顔も見たかったしな」と俺。
隣に座っていたノッチのムキムキの肩をバシンと叩くと彼はいかにも幸せそうなえへへへ〜って感じの笑みを浮かべて頭をガシガシと掻く。ああ憎い。
その時、俺たちはホテルの喫茶店でノッチとマイちゃんから結婚披露宴についての簡潔な説明を受けていた。
もちろん俺もミキもサプライズイベント係という大役を快く引き受けた。
俺はノッチと仲が良かったし、ミキはマイちゃんと仲が良かったし、俺とミキは悪友だった。
何より、四人は十年来の親友なのだ。こんな大役、俺たちが引き受けなければ誰がやるのだ。
四人でそのようにして会うのはだいたい二年ぶりだったけれど、話題には事欠かなかった。
二人がこれまでの俺たち四人の関係の中で必死に押さえ込んできたのであろうラブラブムードは、婚約を機に堂々と発揮される機会を与えられたようで、それがちょっと俺には眩し過ぎたけれど、これから夫婦になるのだ、惜しげなくラブラブってくれればいい。
とは思うものの。
「ノッチ、イケメンになってたなぁ〜。あたし、なんかショックかもしんない……」とぐったりするミキ。
「ああ、マイちゃん……あんな美人になって」と両手で顔を覆って嘆く俺。
新婚二人が席を立ち、幸せオーラを振りまきながら遠く立ち去っていくのをミキと眺めていると、不意にそれぞれの口から本音がふわぁーっと出てきてしまう。
そうなのだ。
ミキはノッチが好きで、俺はマイちゃんが好きだった。
そしてなんとなくそんな想いを抱えたまま、どうにも振り切ることが出来ず、ずるずると大人になってしまったのだった。
だから、ある意味においては、俺たち二人にサプライズイベントをやらせるなんていうのは、もしそれが意図的なものだとしたら相当にサディスティックな仕打ちだ。もちろんそんなことはないと分かっている。俺もミキも、それぞれの伝えたい思いは直接本人には告げず腹の奥に溜め込んできたのだ。気付かれているはずがない。
まあ、逆に考えれば、このイベントと彼らの結婚を経て、俺たちがそれぞれの未練と思い出から旅立つきっかけになるかも……とも言えるが、そんな綺麗言で腹を据えられるほどに俺たちは大人になりきれてはいない。
ミキの目が怪しく光る。
「……一矢報いるならココ、よね?」
「うむ」
ノッチ、マイちゃん。
目にもの見せて差し上げます。
俺とミキは握手をして、青春時代の色あせた、苦い思い出を払拭するために立ち上がった。
とはいえ。
大親友の結婚披露宴だ、もちろんそんなに無茶なことはしない。
「最初は何だ何だと慌てるけど、それと分かると笑えるじゃん、みたいな感じがいいよね」
「そうだなあ、まあご両親や親戚の方々もいる手前、派手過ぎて引かれちまっても問題だし、バランスはきちんと取らないとな」
「インディ・ジョーンズみたいな大きな岩をゴロゴロ転がしてドーン! って式場うわぁー!、みたいな」
「岩転がしてどうすんだよ」
「中からあんたが出てきて何か面白いことすんのよ。あたしはハリソン・フォードよろしく岩から見事に逃げ切るから」
「いやドン引きだろそれ」
昔からミキはこうだ。とにかくインパクト勝負。中学生の頃も校内放送を使って友達に告らせたりと、大胆なことばかりしていた。こいつの厄介なところは発案するだけで決して自分ではやらないってところだ。
喫茶店での会議だけでは決まるはずもなく、俺とミキは時間の都合を合わせてはアイデアを練った。
ミキは地元の保育園で保母さんをやっていて、俺は地元の大学院に通う学生だ。時間はそれなりに取れた。
ミキが保育園の保母さんだって。
他人の角を片っ端から取ってきて練って固めたような性格だったミキが? 気に入らないと机を放り投げてくるような凶悪な女の子が? おいおい。
「あたしだって色々あったんだよ」とミキは笑った。俺だって色々あった。でも色々あったなりに変わったかどうかは鏡を見てもよく分からなかった。
さておき。
ほどなくしてサプライズ企画がめでたく決定したのだった。内容は以下の通り。
……まず俺たちのコスチュームはスーツ、そして覆面マスク! そして装備はエアガンだ。そう、俺たち二人は人目をはばかり悪事に勤しむ極悪非道の悪党組織!(構成員は二人のみ)そして今回は美男美女がその契りを報せんと開く結婚披露宴を無慈悲にも乗っ取ってやろうってわけだ。嗚呼、なんたる悲劇!
そして華麗に式場を乗っ取った俺たちは、子羊のように震える人質たちにあらかじめ用意しておいた箱から紙を一枚一枚引かせる。
そこに書かれているのは例えばこんなことだ。
『中学一年 ノッチ 半ケツブロマイド』
『中学三年 マイちゃん 寝起き激写! ※変顔』
お分かりいただけるだろうか。
俺たち二人が美しくも痛ましい思い出として無数に所持している写真の中から、人質たちの引いた紙に該当するものをどんどんプロジェクターで写して晒してやろうって魂胆だ! やべ、怖え〜。
当然、新郎新婦は顔面が生まれたての地球みたいに真っ赤になることは避けられず、俺たちの苦々しくてやり場のない気持ちもそれを見ることによってなんとなく解消されていけばいいなと。
まあ、定番。こんなもんだろ。
マスクはミキがどこかで仕入れてくるということなので、俺はエアガンの調達にかかった。
でも俺はそんなもの持ってない。買う? まさか。
俺は中学校時代の連絡網を引っ張り出してきて、田中ヤスヒコと連絡を取る。どうしているかな〜と思ったら本人が電話に出た。どうやら実家の農業を継いだらしかった。
「お〜タクちゃん久しぶりじゃん〜」
田中の声はあの頃と同じようによく響いた。
久しぶりに行く田中の家は何も変わっていなかった。中学、高校とゲームをするためだけに通い詰めた田中家も記憶にあるままに変わっていない。ただ、縁側でいつも日向ぼっこをしていたおじいちゃんは仏壇の写真の中に収まってしまっていた。お線香を上げて二階の田中部屋に上がる。
果たしてそこは銃器のオンパレードだった。
田中は、まあごく控えめに言ってオタクであり、ノーマルな言い方をすればマニアであり、ちょっと引いた目で見れば危ない人だった。とにかく銃器が大好き、エアガンとかガスガンとか片っ端から手に入れなければ気がすまないといった性質の男だ。昔からそうだった。
「いやぁ〜マイちゃん、結婚かぁ。僕も呼ばれたよ」と田中は笑った。
「お前も呼ばれたのか。ていうか、なんか複雑だよな。もう結婚する年なんだな、俺たちって」
「なぁ〜。気付かない内にさあ。まいっちゃうよね。僕なんてご覧の有り様だよ。今でも仲間と土手とかでサバゲーやるんだ」
サバイバルゲームは危ないので人里離れた山奥でやりましょう。
「ま、俺も大して変わってないけどさ。それより」
俺は本題に入り、例のサプライズイベントのことを田中に話し、ちょっと銃器を貸してはもらえないかと持ちかける。田中は喜んで協力してくれた。
田中は照れたように笑った。
「へへっ、こういうことで役に立てるって嬉しいよなぁ〜、どれでも好きなの持ってってよ。どれがいいかなぁ〜、式場制圧するなら順当に行けばそこのマシンガンかなぁ。ちょっと重いけどガトリング砲もあるよ。ミキちゃんならそこのスナイパーライフルなんか似合いそうだなぁ〜」
「あの、普通のでいいです」
俺はハリウッド映画とかでロス市警が使ってるような小さいハンドガンを所望していたのだが、田中に「威力が足りないんだよ、威力が」と押し切られ、マシンガンとスナイパーライフルを手渡された。クソ重い。
箱に収められたそれをやっとの思いで車に積み込むと、田中がサッカーボールを転がしてきた。
「ヘイ、パ〜ス」
使い込まれて傷だらけで、ナカタのサインの印刷がしてあるやつ。
「へえ、まだあったんだな、これ」
「へへ、今でもたまにリフティングとかするんだぜ。まああの頃みたく綺麗にはできないけどさ〜」
そういや田中はリフティングだけは何故か得意だったっけ。
それからしばらく、俺たちはサッカーボールを転がし合った。
あの頃はゲーム画面との睨めっこに疲れる度、田中とこんな風にボールを転がして遊んだのだった。俺はエアガンには興味がなかったけれど、こうしてサッカーをしながら田中と話をするのは楽しかった。
革靴で転がすサッカーボールはちょっと固かった。
そんな風にして準備を整えた俺とミキは、ダンボールを加工して箱を作ったり、昔の写真を選定しつつ昔の思い出に浸ってみたり、そんな風にして、あっという間に結婚式の日はやってきたのだった。
回想終了。
そんなわけで、現在、披露宴会場前。
真っ黒スーツ姿の俺とミキ、人目をはばかり悪事に勤しむ極悪非道の悪党組織、現在休業中。
「どーすんのよ……!」
ミキが声を潜める。
男たちが会場に押しかけていってからだいたい三分くらい経過していた。最初の銃声と悲鳴以外、会場の中からは何も聞こえてこない。見張りの男は相変わらず遠くに立っていて、俺たちは現在位置から移動することができないままだ。通路は一本道で、その出口は会場の入り口か、見張りが立っているところだけ。
つまり身動きがとれないということだ。
俺たちはマスクを外し、顔を突っつき合わせるようにして声を潜める。
「ミキ、ケータイは?」
「置いてきちゃったよそんなの」
「まずいな……どうにかして警察に報せないと」
「でもあんだけ大きな音がしてんのよ? いくら何だって誰か連絡してるんじゃないの!」
「声でかいって!……それかもしかしたら、この建物全体が占拠されたとか」
ゴクリ。
「それ超ヤバいじゃん……」
「ああ。もしかしたら今この会場で奴らの目が届いていないのは俺たちだけかもしれない」
「えーウソウソ、マジで? やだよーあたしまだ死にたくないし」
「俺だってそうだ! でもここでじっとしてたらいずれ見つかっちまう……! どうにかして状況を動かさないと」
「何か考えがあるの?」
「待ってろ……今、大学院生の頭脳をフルに活用してだな……」
俺の頭の中に颯爽とハリソン・フォードが現れる。痺れるカッコよさ、ハリウッドの良心。
ハリソンならどうする? まああの男なら「おいおいどう考えてもそれ無茶だろ」っていう動き方をしても間一髪のところで生き延びることだろう。かすり傷程度で生還するに違いない。でも俺はハリソンじゃない。あっという間に蜂の巣だ。あ、ブルース・ウィリスはどうだ? なんだか煤まみれでアメリカ中を飛び回っているイメージ。ニューヨーク市警だかロス市警だかのくせにアメリカ全土を飛び回ってる不思議な人だ。ブルースがよく使うのは……そう、通気口だ!
そんで通気口はないかなーって上を見上げたところで覆面スーツ男と目が合った。
「大学院生の頭脳はどうしたのよ!」とマジギレするミキ。
「もうちょっとだったんだ」と俺は言い訳した。
俺たちは見張り役だった覆面と会場から出てきた一人の覆面に挟まれるようにして通路を歩いている。あっさり捕まってしまったわけだ。前後から銃を突きつけられているので身動きが取れない。微妙に反撃できない距離感を保っているのはさすがプロといったところだろうか。
これで俺たちも人質か……。くそっ、なかなかハリウッド映画みたいにはいかない。いや、もしかしたらこの覆面の中にスワットが紛れ込んでたり……しないかな……そんでパラララララって感じで覆面どもを片っ端から蜂の巣に……あんまし見たくないな。
詮無い考えの隙間にマイちゃんとノッチの顔が浮かぶ。
どうしてこんなことになっているのだ。
程なくして俺たちは披露宴会場の一番大きなドアの前に立たされる。
新郎や新婦がスポットライトを浴びながら出たり入ったりするところだ。そこにミキと並んで立たされた。
「ドアを開けろ」
覆面の男が初めて声を出す。よく響く声だった。
俺とミキはもう何もかも観念して、両開きの扉のそれぞれに手をかけ、その重々しい扉を開く。
瞬間、溢れるような拍手が会場から鳴り響く。
拍手?
ドアを開けると、盛大な拍手が静寂を切り裂いた。
会場の中の分厚い闇の中で、しかし惨劇の後はどこにもない。
テロリストもいないし、銃弾で破壊された机も椅子もない。ただ割れんばかりの拍手の洪水。
程なくして落とされたスポットライトの中に、花束を抱えたノッチとマイちゃんの姿があった。
そしてその花束に書かれた文字を見るなり、ミキは泣き崩れ、俺は全てを理解した。
『Dear Best Friend』。
「マシンガン」
「ん?」
「俺もあのカッコいいのが良かったよ。自分たちだけなんか良いの使ってたじゃん。隠してただろ? 田中」
「ははっ、いいっしょ? あれ。今度一緒にサバゲーやろうよ、楽しいぜ〜」
「もう銃はこりごりだよ……」
俺はぐったりと、しかし心地よい余韻に浸りつつ、田中とビールを飲む。
宴の後の宴。
俺たちは二次会を経て三次会場へとなだれ込んでいた。ステージではノッチがミキとデュエットしている。ミキの至福〜って感じの顔にカチンとくる。なんだよ、ついさっきまで目ぇ真っ赤にしてたくせに。
結局、サプライズの対象は、俺とミキだった。
当初は、俺とミキが本当にサプライズイベントをやるだけの予定だったのだ。しかしノッチとマイちゃんはふと思ったらしい。祝ってもらうばかりじゃなくて、……つまり、受動的なまんまの自分たちじゃなくて、最後くらいは何かしたい。まあ別に最後じゃないんだけど、こういう節目くらいは、何かしたいと。
まったく意表を突かれた。
まさかあの二人がこうにも積極的になっていようとは思いもしなかった。
「んじゃ〜、ちょっとあっちで飲んでくるから」と田中は立ち上がる。
「ん、ああ」
覆面集団のボス、田中は隅っこの方でモデルガンをうっとり眺めている異様な一団のところにふらふらと歩き去る。覆面、エアガンという仕様が同じだったのはもちろんネタ被りなんかではなくて、俺たちの計画をただ一人知っていた田中に、ノッチが相談を持ちかけたからだった。俺が田中を頼ることぐらいはノッチにもお見通しだったようだ。まったく狭いコミュニティで生きていると情報の漏洩も早い。果たして、田中のサバゲー仲間が式を盛り上げるために大挙して訪れたのであった。
テロリストも武装集団もサクラだったということだ。
まったく。
デュエットが終わり、ミキがふらふらと席に戻る。飲んでるな、ていうか飲まれてるな、あいつ。
「今日はありがとう」
マイちゃんがほんのり頬を赤くして隣にやってくる。
「こちらこそ、楽しい披露宴をありがとう」
「ふふ、びっくりしたでしょう?」
びっくりしたね。そりゃそうさ。
次の曲が始まって、マイちゃんが少しこちらに身を寄せる。そして俺だけに聞こえるように話す。
「ありがとう」
「……あんまり何回も言う台詞じゃないだろ」
「ううん、いくら言っても言い足りないくらい。あたしとノッチがこんな風になれたのも、今日まで四人一緒でいられたのも、みんなタクロウ君とミキちゃんのおかげなんだから」
「そんなことは、いいんだよ」
――茜色の空。
校舎の屋上、不安げなノッチに俺は言った。
「大丈夫、マイちゃんはお前のこと、好きだって」
「そうかなあ、大丈夫かなあ」
「マジでいけるって。ここでノッチが諦めたら誰がマイちゃん幸せにすんだよ。いやマジな話、俺が取っちまうぞ」
俺はマジな顔でマジに言った。
野球部のノックの音、吹奏楽部の下手糞な合奏、肌を貫くような冬の風、冷めた手付かずの肉まん。
今では懐かしいだけの風景の中に、俺とノッチは立っている。
「――うん。分かった。告白してみるわ、俺」
「よっしゃ! さすがノッチ、胸張っていけよ!」
「分かった!」
「あとな」
「うん?」
「泣かすなよ」
「おう。えへへ」
……いつだって受身で、もう周囲が見てらんないくらいに純粋で引っ込み思案だったノッチとマイちゃん。例えば何かを犠牲にして、何かを押し殺さなければならなかったとしても、何もしてやれずにはいられないほどに、どこまでもお似合いの二人。
でも、今日を見る限り、もう安心だ。
「――そんなことは、過ぎちまったことはもういいんだよ、終わったこと。俺にもマイちゃんにもノッチにもミキにも、これからまだまだあるんだからさ、人生。ありがとうは一回でいいんだ。一区切りって意味でさ」
「うん。あのねタクロウ君」
「ん?」
「これからもよろしくね」
天使の微笑み。
ええ、もちろんですとも。こちらこそ。
ミキは顔を真っ赤にして泥酔して千鳥足になっていた。保育園で彼女が受け持っている子供たちは先生のこんな姿を見たらショックで全員グレるだろう。俺は保育園児の姿がないことを祈りながら、保育園児なんているはずもない深夜二時の路上を歩く。
四次会まで続いた宴はお開きになり、みんな楽しそうに家路に着いた。
ミキも俺もアルコールが入っているので運転はできない。タクシーを拾うのも面倒なので、酔い覚ましがてら散歩というわけだ。
「タクロウ、あらし、あたしさ〜」
「喋るな。舌噛むぞ。死ぬ気か」
ほとんど歩けなくなっているミキを背負う。意外と軽い。
路上に人影はなくて、頭上に燦々と輝く十二月の星がやけに綺麗に見える。星ってこんなに見えるもんなんだな。そういや星を見るのなんていつ以来だろう。
「……タクロウ、あたしさぁ、ノッチのこと好きだったんだぁ」
「知ってるよ」
「でさぁ、あたしねぇ、マイに言ってやったんだぁ。ちゅうがくの時ねぇ、ノッチ要らないなら、ひっく、貰っちゃうからねぇって。頑張んなさいよって」
俺は足を止める。
「それ、いつ頃だよ」
「え〜、わかんないけどぉ、うぐぇっ、寒かった記憶はある、かも?」
へえ。そう。
そうですか。
「わはははははははは」
「な、何よう、いきなり」
「ミキ」
「何だよう」
「お互い、苦労するなぁ」
「ひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ」
あの屋上から何年目の冬だろう。でも何年目だって、何十年目だって関係ないような気がする。
少なくとも、頭上に輝く星や月と同じくらいには、俺たちはまだ変わっていないし、変わることはないんだろう。
月夜の照らす道はどこまでも続いている。
俺はミキを背負ったまま、このやけに明るい道をどこまで歩いていくのかな。
某文学賞落ち作品を加筆訂正したものです。
「恋愛」ジャンルに放り込むのをちょっと迷いましたが、まあ恐らく一番適当だろうと思いますので。
読んでくださってありがとうございました。感想などいただけたら嬉しいです。
よろしかったら他の作品もどうぞ。