テスちゃんとクリスタさんとカナコ〈8〉
ピンポン玉乗り、タクトと駆けっこ、タクトの頭のてっぺんからバンジージャンプ、タクトの膝の滑り台。
タクトの協力のもとで、ねずみの身体を活かしての遊びに工夫を凝らす。ちょっと、タクト。指の輪潜りをするから準備をしてよ。
「面白そうだね、子ネズミ。あたしが相手をしてやるよ」
ぼきぼきぼき。
低めのアルトの声、指の関節が鳴る音。わたしの身体にすっぽりと覆い被さる漆黒。
「どうしたんだい? 子ネズミ」
ぶるぶるぶる。
浅黒のクールビューティ、クリスタがわたしににっこり笑っている。あ、タクトが逃げた。
はろーはろー。
愛くるしく挨拶をすれば、雑駁な情況から回避出来る。そうだ、自由を手に入れようと奮闘する氷の女王様を真似てみよう。
クリスタ、わたしはありのままよ。ほら、風を吹かせているのよ。れっつら、ふにゃにゃ。ずんどこどっこい……。
ーータクト=ハインを弄るほど、調子に乗るなァああっ!!
少しも怖くないわ……。
♧=♧=♧=♧=♧
世界と世界の融合と名を打つ現象の発生地は、時の刻みが平行した異なる世界。
公安局直々の指令の内容を忘れてはいない。
「『異質の超常能力現象によって、我々の世界の均等を崩す事態が発生している。侵入経路を特定、または該当者を発見して拘束』なあ、アダム。俺らは間違いなく“該当者”を発見したよな?」
「喋るな、ディー。俺らの情報をわざわざバラしてどないする。それに俺らが“拘束”されたっちゅうねん」
「そのわりには開放的な空間や。至れり尽くせりで、居心地よすぎるねん。アダム、気ィ引き締めときや」
衛生面が行き届き、空調設備が整っている“空間”でしかも豪華な食事をも堪能。
“奴”に連れてこられた場所は、リゾート地にある宿泊施設のようなもの。
与えられた自由に、立派な諜報員は違和感を覚えていた。
「ディー、俺らの思考は腕輪を通して相手さんがいう《奴ら》にリアルタイムで筒抜けや。其処を逆手に取るのはどうだ?」
「面白そうや。乗ったるで、アダム」
ふっふっふっ……。
アダムとディーは、笑みを湛え合うーー。
♡=♡=♡=♡=♡
違う世界での自己防衛策は能力。
あたしは能力者。だからだろう、バースさんはあたしに建屋の外で能力制御の稽古をつけてくれた。
灰色の雲が、風の流れでどんどん厚くなっていた。いつ雨が降ってきてもおかしくない空模様。稽古ではなく、実践宛らの訓練。僅かなフォームの歪みでもバースさんはゆるさないと云わんばかりの罵声を浴びせた。
まるで、テレビドラマに登場する職業訓練の教官、スポーツのコーチ。
だけど、涙は流れない。だって、かんかんでがくがくのバースさんに、嫌いになりかけていたのだから。
ちくちくと、心が痛い。そして、掌が熱い。
掌でぽっと、小さく焚き付ける炎。念じていない発火能力が発動した?
ああん、落ち着くのよあたし。間違ってもバースさんに“炎”をぶつけるのは駄目よ。
あたしは焦った。だって、どんどんと炎が大きく焚き付けているの。
息を吹き掛ける程度では消えないほど、炎はとうとうバランスボールを思わせる大きさで焚き付かせていた。
「狼狽えるなっ! 目標〈宇城の大野〉の上空。距離5502、高度1018に照準を合わせろっ!!」
ほええっ!? バースさん、何ておっしゃいました?
「……。いけねぇ。つい、職業柄が出ちまった。テス、水田が見えているだろう。用水路を跨いでの野原のど真ん中に、気になる大樹が根付いている。そのうんと真上に向けてそれをブッ飛ばしなさい」
無理無理無理、無理で~すっ!
あんなに遠くの空と樹の間に、こんなに大きな炎の球を投げ飛ばす……。ああん、また膨らんでしまった~っ!!
「テス、自信を持て。おまえは“力”でクリスタを無事に着地させた、感覚を思い出せ」
バースさんが優しく言っている。
あ、ほんの少しだけ炎の球が萎んだ。少しずつ、少しずつ、炎の球が小さくなっている。
緑の匂いを含ませた、風が吹いている。
(アナタガサカセルヒノハナ、アタタカイ……。)
陽の花? あたしの掌でゆらゆらと揺れている炎のことなのね。
声が聞こえた。何処からはわからないけれど、あたしは声を聞いた。
「いってらっしゃい」
あたしの掌から離れた炎は、宙でくるりと一回りすると、鳥の象に変わる。
くーくー。
翼を広げ、羽ばたく炎の鳥。途中で急降下してまた高く翔ぶ。
くー。
大樹の天辺に、炎の鳥は止まった。そして、花火のように眩しく裂き、火が飛び散った。
「見事だ、テス」
バースさんのお顔がとても柔らかい。
誉められたと、思った。あたしは、能力を上手く使えたのね?
るんるんと、鼻唄混じりでスキップ。一歩、二歩、三歩目を踏み掛けていた。
ぐき。
左足首が大変なことになってしまったーー。
♧=♧=♧=♧=♧
我らの思考を監視しているのは、コンピューター。
機械仕掛けの能力などに、屈服しない。超常能力を発動させる権利をこの世界で剥奪されるのは阻止する。
機械も所詮は造形物。人が持つ超常能力に耐久性はなかった。
「成功や、アダム」
手首に貼り付く崩れた腕輪の破片を、ディーは息を吹き掛けて払い落とす。
「ハッキング。超常能力で機械の思念に同調して、データを回収。なあ、アダム。俺らの行為は、一歩間違ったら犯罪とちゃう?」
「捜査の為に使用許可は下りてる。おっと、外がやはり騒々しくなった」
「グラ……。長ったらしくて呼ぶのに面倒臭い企業名やな。略して《奴ら》で呼ばせて貰おう」
「挑むには、俺らふたりでは無理や。そういえば、あっちの方向から能力が発動されたのを感知した。そっちへと移動をするで、ディー」
ディーが羽織る、アニマル柄のロングコートの裏ポケットにカードをし舞い込む一方、アダムは視線を窓際へと向けていた。
ーーうぉおおりゃあ~っ!!
アダムが窓硝子を蹴り破り、潜り抜ける。ディーはアダムに続けて窓枠に足を掛ける。
空中で全身を右旋回、前方宙返り。
ふたりは地上30階建ての最上階から着地をして、大樹を目指して掛けていったーー。
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間が悪い。
ルーク=バースは建屋の玄関にあと一歩のところで足留めをした。
豪雨に雷鳴、雷光。ずぶ濡れになっているテリーザ・モーリン・ブロンだけでも建屋内に入れさせたかったと、ルーク=バースは後悔した。
「クリスタ・ロードウェイは建屋内で待機させた。テリーザ・モーリン・ブロン、そなたもーー」
「嫌です。だって、タクトさんが大変なことになっているのですから」
「……。アルマ、俺だって言い聞かせたさ。だが、そいつらがタクトを盾にして誰一人も動くなだとよ」
アルマは目を細めた。
派手。もとい、若さを強調している服装でのふたりの男が、タクト=ハインを羽交い締めにしている。
「アダム、ディー。お願いだから、タクトさんを離してっ!」
「テス、堪忍な。このお兄さん、重要危険人物なんや。俺らは、こいつを捕まえるのに山あり谷ありの状況だったんや」
「アダム、ええのかい。俺にはテスがお兄さんを庇っとるように聞こえとる」
「……。お兄さん、清楚やもんな。テスが惚れるのもなんとなくわかるっちゅうねんっ!」
「テス、マジ?」
「バースさん、あのふたりに吊られないで下さいっ! ああんっ、アダム、ディーッ! タクトさんを誰と勘違いしているのっ!!」
「髪染めた?」
「眼鏡変えた?」
ルーク=バースとテリーザ・モーリン・ブロンのやり取りを途中で無視したアダムとディーは、タクト=ハインに向けて聞き取りをする。
タクト=ハインは、沸々と苛ついていた。
テリーザ・モーリン・ブロンは、このふたりを知っている様子だが、人の顔を見るなり悪党呼ばわり。
話し方、態度。タクト=ハインはふたりの素性を見極める為に、抵抗するのを耐えていた。
「タクト、合わせる振りは止めていいぞ」
ルーク=バースの促しに、タクト=ハインは「了解」と、返答する。
「あ、兄ちゃん。ちゃんと大人しくしときや。ディー、しっかりと腕を押さえとけっ!」
「アダム、無理や。ホラ、するりと逃げられてしまってーー」
ーーふたりとも、あとで指導室に来なさい……。
タクト=ハインは“加速の力”を発動させて、アダムとディーを振りほどく。そして、ふたりの背後に移動をするとアダムの頭部に拳、ディーの腰を目掛けて膝蹴りをしたーー。
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またしても、違う世界からの来訪者。
クリスタ・ロードウェイとタクト=ハインの報告にあった、拘束されていた筈のふたりの男が自らやって来た。
「堪忍な、お兄さん。相手さんに余りにも似てたもんだから」
「ディー、よく見れ。お兄さんの方が相手さんよりずっと色男やねんっ!」
ルーク=バースが見る、タクト=ハインの顔つきは「むすっ」と、不機嫌を表していた。
「あー、そっちの明るい茶色の髪。名前はなんだっけ?」
「アダムや、アニキ。わかってくれとは言わへんが、俺らそんなに悪いンかい?」
「で、そこの長い金髪は?」
「ディー言います。アダム、もうちっと腰を低うして喋らんと」
本題に入るような雰囲気にならない。
ルーク=バースは半ば、愛想を尽かせていた。
「アニキ、俺らはある事情で動いてる」
「ちゃんと話せ。おまえ達の素性は、テスから聞いている。そこにいるタクトだって、おまえ達を目撃していた」
「知らなかったのは、俺たちだけ?」
「気が抜けてしもうた。ああ、かといって帰る術がない。頼む、アニキ。俺たちを使ってくれ」
「バカちん。まるでバイト感覚での物言いをするな。それに、命からがらで《奴ら》の拠点から此所まで逃げてきた。情報提供だけをして此所に待機だっ!」
ルーク=バースは椅子から腰を上げて、部屋を出た。
「まだ、何も喋ってないで」
「僕が代わりに視ます。ちょっと失礼」
タクト=ハインは両手を“蒼の光”で輝かせ、アダムとディーの肩に触れる。
「タクト、だったな。自分も俺らと同じような能力の使い手か?」
「静かにされてください……。はあ、おふたりとも、本当に捕まっていたのですか?」
「思念と同調しても《奴ら》についての情報はなに一つ視れへん。ディー、あれをお兄さんに見せてやれ」
アダムは「にっ」と、笑みを湛える。
タクト=ハインは、ディーが羽織るアニマル柄のコートの裏ポケットから抜き取られた、薄いカードに目を凝らす。
「メモリーカード。それが何か?」
「使うには、俺達の能力が必要や。タクト、アニキを呼んでくれ」
「……。正直言えば、キミ達のことはまだ信用していない」
「お兄さん、アダムは真面目に言ったんや。それに、この世界で蠢いているのに、俺達でも足元ががたがたとしてる。やっぱり、自分達が暮らしている世界が最高や」
「生きる為の証明を、バースさんに見せてください」
タクト=ハインは寂しげな顔をして、ドアノブに掌を添えたーー。