テスちゃんとクリスタさんとカナコ〈3〉
大変、大変、とっても大変っ! こんな不運なタイミングに、あたしだっておろおろしちゃうんだから。
そうよ。今、あたしの脚に尻尾を絡めている“怪物”が掌の中のカナコ(ねずみ)を狙っている。
にゃあ、にゃあ。
もうっ! 猫なで声したって、駄目だからね。
あたしは“怪物”を追っ払う為に「しっしっしっ!」と、足踏みをした。
ああん、なんて不幸なことでしょう。後退りをしていたら、金木犀の根っこに踵を引っ掻けたではありませんか~っ!
それでは、あたしとカナコ(ねずみ)の災難の全貌をとくと、ご覧になっていただきましょう。
ちゅーっ! ちゅちゅーっ!!
あたしの掌からこぼれ落ちたカナコ(以下、ねずみ略)は、公園の芝生の上をころころと転がっていきました。すると、やっと足元を踏ん張らせたあたしの視線の先にカナコを待ち伏せしていたかと云わんばかりに猫背になっている“怪物”がいるではありませんか~っ!
カナコが危ない。
あたしは無我夢中でした。カナコを助けたくて念動力を“怪物”に目掛けて発動させましたが、草が毟られるとか小石が跳ね返って来るばかりで、肝心の照準(猫)にはちっとも命中しません。
ちゅううう……。
あたしが見たカナコは命乞いをしていました。両手(前足)をですね、頭にすっぽりと被っているのです。
と、ここからは、いつものあたし。
「駄目~っ!」
カナコの傍に、ダッシュッ!
カナコを助けるのっ! 気分は銃弾にやられそうなヒーローを庇うヒロイン。ちょっとだけ、乗っちゃった。
きゃんっ!
“怪物”(猫)と至近距離になったあたしは、犬の吠えを真似たの。
じぃいい……。
反応、薄いっ! でも、くじけないわっ!!
今度は犬でいくわよ~っ!
ばうっ!!
ふにぁあ~。
ああん、欠伸をされてしまった~っ!
「……。」
頭の中で、シャボン玉が弾けたような感覚がした。
あたしの思考回路はショートしたの。能力者としての“決まり事”より、カナコを優先。ありったけの能力を猫(グレーと白の、ぽってぽての雑種)に発動させちゃった。
そう、あたしは絶対に忘れてはいけない、能力者としての“決まり事”を破ったの。
公認能力者は勝手に能力を使ったらいけない。
あたしはカナコを助ける為に使ったの。ちゃんとした理由でしょう?
ーーざわざわざわ……。
ほええ。あたしの回りが、あっという間に人集りで埋め尽くされちゃった。
ああん、言い訳を考える暇がない~っ!
「おいで、カナコッ!」
あたしは中屈みになって、地面の上で泣きべそをかいているカナコの前に掌を差し出した。
ちゅーっ、ちゅうう~っ!!
カナコはあたしの掌の中に入ると、手首に前足でがっちりと掴まった。
あとは、逃げるだけ。
ずっしり。
褄先が重くて一歩も動けない。
それもそのばずよ。だって、あたしが一生懸命追っ払った“怪物”がふてぶてしく毛繕いしているんだもんっ!
にゃん。
ああん。ビー玉みたいな目で、愛くるしくこっちを見ている。
「あなたもいらっしゃいっ!」
右手にカナコ、左脇に猫(眼差しに負けたから昇格)を抱えてーー。
浮揚能力を発動させて、空高く舞い上がったーー。
♡=♡=♡=♡=♡
ぐんぐん、ぐぐぐん。ぐんぐん、ぐぐぐん。
テスが発動させた浮遊能力は、わたしが暮らす世界では“飛翔の力”と呼んでいる。
雲を突き抜けるほど、どこまでも昇っている。
飛ぶって、いいな。今のわたし(ねずみ)では、テスの前髪を靡かせる程度の“風の力”しか発動出来ない。
ーーああんっ! どうしよう~っ!!
たぶん、テスの困った拍子での叫びだ。
甘い声が愛くるしい。わたしが見ても“女の子”らしいテスだから、モテモテ最高潮真っ只中の毎日を過ごしていると思う。
ーー降りられない~っ! 助けてぇええ、クリスタ~ッ!!
クリスタ? ああ、さっきわたしを駆除しようと“武器”をぶんぶんと振りかざしていた、ちょっとワイルドな女の人。
クリスタは、きっといなくなったテスを心配していると思う。
テス、ごめんなさい。わたしの為に、テスを大変な目に合わせてしまった。
ーーきゃああ~っ!!
テスがまた叫んでいる。空への上昇がぴたりと止まって急降下している、テーマパークのアトラクションのような状況にテスは焦っている。
ーーテリーザ・モーリン・ブロン。わたしが“暁の風”を吹き込んであげるわ……。
わたしの中で“力”が渾と、湧く。
わたしはテスを助けたくて“力”を目一杯に発動させたーー。
♡=♡=♡=♡=♡
あたたかくて、強い。
ああ、これがカナコの“能力”ーー。
あたしはカナコの“暁の風”を纏ったから、地面にふわりと降りることが出来たの。
「カナコ。お願いだから、目を開けて……。」
カナコは、あたしの掌の中でぐったりとしていた。
目はぎゅっと、綴じられて。どんどんと、呼吸が弱くなっている。恐くて、哀しくて、あたしは震えることしか出来ない。
にゃあ。
そういえば、猫さんも連れてきたっけ?
さっきまであんなに鬱陶しかったのに、ただ傍にいてくれるだけでも構わないなんて、調子がいいあたしだ。
もっと欲張れば、クリスタが傍にいて欲しい。めそめそと泣くあたしを、クリスタから励まして欲しい。
ところで、此処はどこ?
空から墜ちるは、ちゃんと覚えている。でも、着地して見渡す景色は見たことがないの。
真っ赤に燃える太陽が真っ平らの大地の向こうで沈んでいる。右を向いたら、クリスタの背丈を上抜く叢。左を向いたら、見たこともない建物がどっしりと聳えていた。
足元で揺れている雑草の葉っぱの上で、クリスタが嫌いな蟲がもしゃもしゃと、食事の真っ只中だ。
カナコはお腹を空かせたのかしら。
あたしはカナコが食べられそうな食べ物を、探すことにした。
「カナコ、ご飯だよ」
ちょっと歩いた所に木の実が落ちていた。あたしは拾って、カナコの口元にちょこんと押し当てた。
ちゅう……。
カナコは弱々しく鳴いた。お鼻をひくひくさせたから食べてくれると思ったけれど、木の実はぽろりと溢れてしまった。
「カナコぉお……。」
どうしたら、いいの。あたしはぐすぐすと、泣くことしか出来なかった。
ーーお嬢ちゃん、悪いけれど言われた通りにしてくれい。
ほええ。何、何? ダンディーな声だけど気が抜けちゃった。
「聞こえなかった? おりこうさんだから、俺の言うことを聞いてちょうだい」
「イケオジさん。お姿と反比例したお話しの仕方に、あたしは拍子抜けちゃった」
「はいはい、お嬢ちゃんが“白”の証拠を見せてくれないと、おじさんは困ってしまってわんわんわわ~んと、吠えちゃうよ」
ぷ。
思わず、吹き出し笑いをしてしまった。
緑を基調にした服装でベージュ色の髪に被るベレー帽、瞳の色は髪と一緒。指先が見える臙脂色のグローブ、白のスカーフは首にたらりと下げていて、羽織るジャケットは大全開。
着崩しがとってもお洒落。喋り方が残念だったけれど、渋いルックスに成す術はないの。
「信じて貰えないかもしれないけれど、あたしは物凄く困っていますので見逃してください。違った、助けてください」
一か八か。駄目でもともと、掌の上でぐったりしているカナコをイケオジさまに見せた。
「ペット?」
「違います。この子の本当の姿は女の子。あたしは、あたしは……。」
涙が、目一杯溢れた。あたしはどこから何をどう言おうと一生懸命考えるけれど、言葉にすることが出来なかった。
「泣くな。話しは追々訊かせて貰うから、俺に付いてこい」
カナコを助けたい。あたしの思いは、それだけ。あたしはイケオジさまに付いていく。
〈大牟田の口〉いう場所に、イケオジさまはあたしを連れてきた。
鉄筋コンクリートの建物がぽつんと一件あるだけ。イケオジさんが言うには、其所が拠点。
イケオジさんは、危険なお仕事をされている。あたしが詳しく訊くは、とても出来ない。
怖い想像もしちゃった。
イケオジさんがあたしとっちめる、あたしが泣いても容赦なしで彼是と尋問する。
と、いうのは、まったくなかった。
「〈宇城の大野〉で保護したのは、娘ひとり。引っ付いていたのはねずみと猫。それならカナコの“力”を何故“感知”したのだ……。」
薄紅色の長い髪を左耳下でひとつ縛り。身に纏う服装の色は緑。中のトップスはイケオジさんが填めるグローブとお揃いの臙脂色。
凛と澄みきる声と凛々しい顔の女の人。話し方が、クリスタのように姐御気。
「アルマ、ねずみの容態が危ない。急いで診てくれ」
イケオジさんは女の人、アルマさんに“カナコ”のことを真剣に頼んでくれた。
「……。なるほど。バース、承知した。娘よ、ねずみの世話に心から感謝を致す」
寂しそうだったけれど、掌の上にカナコを乗せるアルマさんの微笑みが綺麗。
「カ……。ねずみさんは助かるのですね?」
「テス、だったよな? 俺たちの娘を見つけてくれたのがあんたで良かった。な、アルマ」
世話?
娘?
アルマさん、バースさん。あたし、頭の中がこんがらがっています。
ーーカナコ、わたしの中で呼吸をしなさい……。
アルマさんは、カナコの口に口を押したーー。
作中の挿し絵は、加純様からの贈り物です。
加純様、ありがとうございます。