たった二〇分のクリスマス
優羽はお茶目でかわいい女の子。那智はちょっと引っ込み思案なメガネ美人。この二人の物語をいろいろ書いていきたいなと思っています。
「そんなのってないよ。いくら、優羽の頼みでも」
私は、声が大きすぎたような気がして、急に声をひそめた。幸い工芸室には二人きりだった。というより、優羽がそこへ誘ったのだったが。
「ごめん。怒らないで……もちろん、ナッチがいやならいいんだよ」優羽は私の左手を、両方の手でつかまえて、大きな瞳を曇らせて、泣きそうな顔になって私を見つめた。
優羽は本当に可愛い。そんな目で見つめられると、女の子の私でも、心がとろけそうになる。ストレートのロングヘアが、夕方の光を浴びてお人形さんのように可愛い。
「だって、どうしてそんな条件つけるの、その、高久翔ちゃんだっけ。ほんとに優羽の友だちだっていうなら、そんな条件つけるなんておかしくない?」
「ごめん。私のいい方が悪かったみたい。そんなんじゃないのよ。翔ちゃんは、とてもいいひとなの。幼なじみで、何でも話せる仲なのよ。そうでなかったら、男の子にこんなこと、話せないよ」
「ふーん。で、翔ちゃんとその優羽の憧れの彼とはどういう関係なの」
「ただの、普通の友だちだと思うわ。私もよくは知らない。とにかく、仲はけっこう良くて同じ高校に行ったことだけは知ってるの。翔ちゃんに、久しぶりに駅であったので、家まで一緒に帰ったの。わりと近いから。で、私、卒業してから、ずっと気になっていた人のことを、思い切って聞いてみたの。そしたら、翔ちゃんが『あいつのことが好きなの? 彼女は今いないと思うよ』なんて、ずばり言われてあせっちゃって」
「優羽、その人のことが好きなの?」
優羽は私の目を見つめてうなずいた。なんて、大きなきらきらした眼だろう、と私は思った。「テニス部で一緒だったの。やさしくて強い人。いつのまにか好きになって、卒業する前に気持ち伝えたかったんだけど、勇気がなくて、ずっと後悔してたの」
「今も好きなの」
「わかんないの。あれから一年もたってるし…それに、どうせ、私の片思いだし……忘れてしまえばいいだけと思うんだけど、でも、どうしても、もう一度だけ話してみたいと思って」
「翔ちゃんにたのんだのね」
「自分から直接言う勇気がなくて…」
「そしたら?」
「そしたら、『いいよ、あいつとデートできるように話してあげる。クリスマスでいい? クリスマスに一緒に過ごす彼女がいないって嘆いていたから、たぶん大丈夫』って言ってくれて…だけど『そのかわり、優羽も紹介してくれないかな』って言われたの」
「私を? それとも誰でもよかったの?」
優羽は首を振った。「よく、一緒に歩いている、賢そうな眼鏡美人の子、っていったらナッチしかいないよ」
「ほんと? 眼鏡はかけてるけど、わたし美人じゃないよ」
「ナッチ、美人だよ。眼鏡で隠してるつもりかもしれないけど…別に交換条件というわけじゃないんだよ。だから、断っていいよ。わたし、何も困らないから。でも、翔ちゃんが紹介して欲しいって言うから、一応、ナッチに話さなくちゃと思って」
「何で、わたしなの?」
「時々、一緒に歩いている姿を見て、素敵な人だなあと、ずっと思っていたんだって」
優羽はわたしの右手をつかまえると、左手と一緒に両手でつつんだ。華奢な女の子らしい指先がかすかに冷たい。不意に、何か直感めいたものが頭にひらめいた。もしかして?
「無理しなくていいよ。でも、よかったら、翔ちゃんに会ってあげて。とってもいい人だし、けっこうイケメンだよ。三〇分でいいって言ってたし」
やれやれ、そうまで言われて断る理由もあまり見あたらなかった。クリスマスは、イブに家族でパーティをやる以外には、幸か不幸かたいした予定もないし、男の子にまったく興味がないというわけでもない。女子高に入ったせいで、同年代の男の子と話す機会はほとんどない。その、優羽の幼なじみと三〇分ぐらい世間話をして見るのも悪くないかもしれない。
「いいよ。わかった。会ってあげる」
「ありがとう」優羽は不意にわたしに飛びついて、わたしを両手で抱きしめた。リンスかな、それとも何かの香水かな、女の子らしい香りがした。優羽がこれほど喜んでくれるなら、三〇分のデートも悪くない気がした。それに、さっきふと感じた直感が正しいかどうか、会って確かめてみたい気もした。
改築したばかりの市の図書館には、喫茶コーナーがある。片面がガラス張りで、小さな竹林の庭に面している。図書館へ勉強しに来たときにはかならず寄る、私のお気に入りの場所だ。クリスマスの二五日、わたしは小さなテーブルで、紅茶を飲みながら本を読んでいた。時計を見て、約束までまだ十五分あるから、トイレに行って髪ぐらいとかしておこうかなと立上がろうとした時、もう目の前に彼がいた。
「こんにちは」と高久翔が微笑んだ。「来てくださって、ありがとうございます」
優羽の幼なじみ「翔ちゃん」は、確かにけっこうイケメンだった。カッコイイという感じはしないが、おだやかでやさしそうな表情が魅力的だった。両手に飲み物を持っていて、ひとつをわたしに差し出した。「紅茶でいいですか」
「ぼくの名前は高久翔です」翔は、向かいの席に座って、わたしを見つめた。あまりにじっと見つめるので、なんだか恥ずかしくなって顔を伏せた。「無理を言ってすみません。一度お話ししてみたくて。三〇分でいいですから」
「わたしのことをどうして知っているんですか」
「優羽ちゃんと歩いているのを、何度か見かけて、きれいなひとだなあと思っていたんです。眼鏡が好きなんですか? 眼鏡をとったらほんとにきれいでしょうね」
「わたし、乱視なのでコンタクトでは矯正しきれないんです。眼鏡はなれてしまったので、コンタクトより面倒がなくていいんです」
わたしは、自分を自分できれいだなんて思ったことはない。だから、翔が言うことも一種のお世辞だろうとわかっていた。女の子には、可愛いとかきれいとか言っておけば間違いないと思っているのかもしれない。でも、お世辞でも、けなされるよりは気分はいい。それに、翔は、妙に媚びたり気取ったりしてお世辞を言う男の子とは違って、誠実さが感じられた。
「名前は、風野那智っていうんだよね。すてきな名前だね」
名前まですてきと言われてもね、と思いつつ曖昧に微笑む。「高久翔という名前こそすてきですね。鳥のように飛翔するという意味なんですか?」
「親は、そのつもりだったのかもしれないけど、だとしたら、名前負けしてるね。完璧に」
翔はわたしの手にしている本を見た。「本が好きなの?」
「いいえ、ただの暇つぶし、というより、勉強の一部かな。学校で薦められた本を読んでるだけ」
「優等生なんだね。成績もいいんだって聞いたよ」
「そんなことないわ。うちの学校、勉強しない人多いから…わたしは少し勉強しているだけ…」
「じゃあ、趣味はなんなの」
「趣味?」まるで、先生との個別面談でもしているようだなあ、と思いつつ「そうね、ピアノかなあ」なんて適当に答えておく。何も、正直に答えることもないよね。
「ピアノ弾くの?」
「一応ね」親に言われて嫌々やっているとも言えずまた曖昧に微笑む。
「将来は何になるの?」
「えー? 将来?」ますます先生との個別面談だなと思いつつ、首をかしげる。「全然、考えたこともないぐらい…高久さんは、もう決めてるんですか」
「ううん、何も」
高久は時計を見た。そして、持っていたカバンから封筒を出した。「ぼくは写真を撮るのが好きで、時々撮ってるんだけど、しおりを作ったので、今日のお礼に、そしてクリスマスプレゼントに風野さんにあげたいんだ」
封筒から出てきたのは、駅の広場に毎年飾られるクリスマスツリーのイルミネーションの写真だった。細長く切ってしおりのように小さな飾り紐がついていた。
「わあ、きれい。上手なんですね。写真を撮るの」
「ささやかすぎるプレゼントかもしれないけど、あまり、いいものだとかえって風野さん嫌がるだろうと思って。よかったら、もらってください」
「あ、はい」
一瞬わたしはためらったが、なんだか心がこもっている気がして、うれしくなった。「はい、それなら、ありがたく、使わせてもらいます」
翔はにっこりわらった。すてきな笑顔だった。
「ありがとう。もらってくれて。今日は、ほんとに楽しかった。風野さんと話せて、ほんとにうれしかった」
え、もう終わりなの? とわたしは思った。三〇分どころか二〇分も話してない。これじゃまるでほんとに個人面談だよ。
「最後に、もう一つだけお願いを聞いて。実は、同じものがもう1枚あるんだ。ここに風野さんサインしてくれる? 今日の思い出に……大切にするから」
わたしは、心の中であせった。本当に三〇分のつもりだったけど、でも、今は、もっといろいろ話したい気持ちでいっぱいだった。でも、なんて言っていいかわからなかった。わたしはペンを受け取ると、ツリーの写真に重ねるように自分の名前をゆっくりていねいに書いた。少しでも、一緒にいる時間が長くなるようにゆっくりと。字が、もっとうまかったらなあ。
「ありがとう」翔は、私の書いたしおりを大切そうに受け取ると、両手でもってわたしをまっすぐに見て言った。「今年のクリスマスは一生忘れないと思う」
そして、椅子から立上がると、しおりをカバンにしまった。やっぱり、もういってしまう気だ。急がなくちゃ。別れる前にどうしても聞いておきたいことがあった。
「ね、高久さん、ひとつだけ教えて」わたしはすわったまま、翔を見上げていった。
「はい、なんですか」
「高久さん、正直に言って……」
わたしは彼の目を見つめた。
「ほんとは、ここにいるのがわたしでなく、優羽だったらよかったんじゃない?」
翔は、不意をつかれたらしく、目を瞠った。隠そうとしたけれど、間違いなく心が一瞬ふるえたのがわかった。
「そんな、なんで、そんなことを……?」
と、翔はいった。
「ぼくは、ほんとに風野さんと、今日、話せたことを、たぶん、一生忘れないと思います。ほんとに。今日、会ってみて、世の中にはあなたみたいなすてきな人もいるんだな、って思って、本当に感謝しています」
わたしはそれ以上は追求するつもりはなかった。わたし自身の胸もふるえていた。
「わたしも、会えてうれしかったです。ほんとにありがとう」
「じゃあ、またいつか」彼は、軽くお辞儀をして、扉のほうへ去った。わたしは、ずっとそれを見つめていた。彼は、扉で一度振り向いて、わたしに会釈をすると出て行った。
「ナッチ、今日はほんとにありがとう」優羽の声は弾んでいた。幸せそうな声がちょっぴり憎らしかった。
「どうだったの。うまくいったの?」
「すごくやさしくしてくれたの。映画見て、買い物して、食事して、いろいろ話しちゃった」
「ずいぶんうまくいってるのね。気持ち伝えたの?」
「ううん、正直言うと、よくわかんない。いわなくても、察してくれてると思うけど。でも、たとえば、好きっていうのかどうかというと、自分でもよくわかんない」
「でも、楽しかったんでしょ」
「うん、すごく楽しかった。会う前は不安だったけど、こんなに楽しく過ごせるとは思わなかった」
「よかったね、手ぐらい握ったの?」
「そんな、そんな、最後に今日は楽しかったよって、握手されただけ」
「しっかり握ってんじゃん」
男の子の気持ちはよくわからないけど、優羽みたいに可愛い子とデートしてうれしくない子なんてめったにいないだろう。
「ナッチはどうだったの? 翔と話したんでしょ」
「話したよ、わたしも楽しかったよ」
「翔ちゃんて、なかなかいいでしょ」
そう言われて、胸がきゅんとなるのを感じた。
「うん、そうね、なかなかね」
「でしょ、また会う約束したの?」
「うん、まあ、そのうちね」わたしはうそをついた。
電話を切ったあと、ベッドに寝転がって翔にもらったしおりを見つめた。優羽、あなた、自分で気がついてないだけで、ほんとは翔のことが好きなんじゃないの?
わたしは、もう、翔に会うことはないだろうな、と考えると、なんだか寂しかった。なんだか、たった二〇分で失恋でもした気分だ。
きっと忘れられないと思う,と翔は言った。たった二〇分だったけど、たぶん、私も忘れない。人生で一度きりの一六才のわたしのクリスマス。
たぶん、多くの人には面白くないんだろうなと思いつつ、個人的には好きな作品です。