【5 懐の敵】
海辺の町ピニミの繁華街にある中央劇場。今、ここは海賊達によって占拠され、たまたま観劇に来ていたルーラは他の観客達数名、役者たちと一緒に人質となっている。
舞台の隅から魔導師ウイッツ・ファルトの使い魔のネズミ・ジェムが様子を伺っていた。使い魔と感覚を共用することによって、劇場から離れた建物の中にいるファルトも様子をうかがうことが出来るのだ。
そして今、彼は劇場前の建物に集められた人質の関係者たちと一緒にいる。
ルーラと海賊とのやりとりが一段落付いたと判断した彼は
(そろそろはじめるか)
魔玉に精神を込めると、魔玉はジェムの感覚と彼のそれを共有、すぐ上の空間に視界を映し出す。
「あいにく視界だけなんで音はない。見た目だけで勘弁してくれ」
映し出された無音の映像、ジェムの視界を少しでもよく見ようと関係者たちがファルトの後ろに殺到した。出遅れた1人が後ろに回った時は、関係者たちが壁になって映像が見えないほどだ。
「ミネールだ!」
皆が口々に安否を気にしていた人の名前を呼び、手を伸ばす。が、もともと映像でしかないその姿を掴むことはできず、ただただ空を切るだけだ。
「落ち着いてください。まず確認をします」
押し寄せる関係者たちを押し止めると、ベルダネウスはファルトに並んでいる人質を端から順番に映させる。
「この向かって左端の娘が私の連れでルーラと言います。その隣にいるツインテールの少女は」
「ミネール! 私の娘だ」
「その隣にいるのは」
「僕の妹です」
確かめるように、1人1人映し出してはそれが誰なのかを確かめていく。
探し求める人の姿を確認した人達は、とにかくも辱めも受けず無事でいることに微かにホッとしていく。
「……衣装から見て、ここから先は役者たちでしょう。とにかく、人質の身元はこれで全員わかったわけです。ファルト、ここにいない人質はどうだ。用を足しに離れているとか?」
「椅子は空いてないし、俺が潜り込んでそこそこ経つから、便所だったらとっくに戻ってきているだろう」
「とすると……あなたが探しているのは誰ですか?」
関係者たちの1番後ろに立っていた男をベルダネウスは指さした。
それが合図でもあるかのように、皆が一斉にその男を見る。どこかの雑貨店の店員のような地味な男だった。
もちろん衛士ではない。今まで自分たちと同じ、人質の関係者として一緒にいたのだ。
「どなたか、この人をご存じですか?」
皆が顔を見合わせ、首を横に振る。
「いや……どうやら私の勘違いだったようです。彼女は人質にはなっていなかったようです。不謹慎ながら、ほっとします。それでは私はこれで……もしかしたら家に帰っているかも知れませんし」
微かに顔を強張らせ出て行こうとする彼の前に、2人の衛視が立ちはだかった。
「あなた、先ほどファルトが人質を映し出した時にすぐ動きませんでしたね」
彼の背中に向けてベルダネウスは言葉を続ける。
「他の皆さんは我先にと映像に殺到したのに。大切な人が海賊の人質になっているんです。それが当然の反応です。でもあなたはそうしなかった。前にいる人を押しのけようともしなければ、肩越しに必死にのぞこうともしなかった。横から回り込もうともしなかった。
なぜです? 答えは1つ、人質の中にあなたの大切な人などいないからです」
その言葉に男は肩を怒らせ
「失礼じゃないか。確かに人質の中にはいなかったが、彼女がこの劇場に来たのは事実なんだ。解放された際、私と入れ違いになったぐらいで」
「その大切な人のお名前とあなたの住まいをお教え願えませんか。確認します」
衛視の1人が聞くと、男は口ごもり「ベラット・オーシィ」と答えた。探しているのはソネットと良い、友人だという。最後に「今のところは」と付け加えた。
住まいを聞いて、衛視の1人が出て行く。確認しに行くのだろう。
ホールに入ってきた海賊の1人に耳打ちされ、イレットは眉をひそめた。
「……バレたか。なぜバレたかは?」
海賊は無言のまま首を横に振る。
「単なるドジか、でなければ……」
浮かぬ顔をして劇場内を見回した。
「どうした?」
「気に入らない……」
「何がだ?」
それには答えず、イレットは静かに劇場内を歩きながら魔玉の杖を左右に振りはじめる。
(やばい)
彼のような仕草をルーラは何度か見たことがある。魔導師が他の魔力の気配を探る時によくやる動作だ。優れた武闘家が他人の気配を察するように、優れた魔導師は近くで使われている他人の魔力を察することが出来る。
(たぶんファルトとジェムの感覚共有で生じる魔力を探している)
見るとジェムは人質達の方を向いたままじっとしている。ファルトも優れた魔導師だが、やはり使い魔越しではいくらか鈍感になる。
静かにイレットが動いた。人質達から離れ、ジェムの死角へと移動する。
(気づかれた?!)
イレットの魔玉が光り青白い稲妻が生じた。魔導師が自分の体内にある雷を増幅、魔玉を通じて特定方向に放出する電撃魔導だ。
(まずい!)
魔力で強化されているとは言え、ジェムはネズミである。電撃の直撃を受けたらひとたまりもないし、その即死級の衝撃は感覚を共有しているファルトにも襲いかかる。へたすると彼自身ショック死しかねない。
状況を考える間はなかった。ルーラは立ち上がると、思いっきり足を振り上げ靴を飛ばす! 狙い違わず、それは正に電撃を発するため、ジェムの前に飛び出そうとしているイレットの顔面にぶち当たった。
「わっ!」
たまらずイレットの精神集中が途切れ、電撃が霧散する。
そこへルーラが突撃、いきなりのことで反応の遅れたダブルの脇を駆け抜け、そのままイレットに体当たり!
「この女!」
駆けよったダブルが力任せにルーラを引き寄せ、そのまま床にたたきつけるように転がした。
「抵抗するとどうなるか!」
振り下ろされる金棒を転がって避けるルーラに、ダブルの2撃目が襲いかかる。
立ち上がりかけた彼女はそれを受け、そのまま勢いに逆らわず床を転がる。
痛みにしかめながら片膝で立つ彼女に、周囲から駆け寄った海賊たちの剣が突きつけられる。
「動くな」
ルーラはちらと舞台に目を向けると、ジェムの姿は消えている。
それに安心して、彼女は手かせのはまった両手をあげた。金棒を受けたところには青痣が出来ている。
イレットは魔玉に手をかけ、周囲の魔力を探っているが何もつかめないらしく、軽く舌打ちをした。使い魔は感覚共有さえしていなければ、よほどの実力者でない限りそれを察知することは難しい。さすがの彼もそれだけの力はなかった。
「……あなたは確かC席の観客でしたね」
言葉は優しいが、それを口にする彼の目は厳しい。
「お名前を聞かせてもらえませんか?」
「ルーラ・レミィ・エルティース」
対峙する2人を皆が言葉なく見ている。
「お仕事は何を?」
「サークラー協会に護衛役として登録しているわ。今はある自由商人と契約中」
護衛という言葉に、ミネールが驚いたようにルーラを見た。
「自由商人の護衛がどうしてこの劇場に?」
「港の混雑は知っているでしょう。荷揚げが遅れて、時間が空いたのよ。それでちょっと休みをもらって観劇としゃれ込んだんだけど」
「……今のは何のつもりですか?」
「せっかくの観劇をつぶされてむかついたのよ」
だが、それを信じる海賊は1人もいなかった。
「あれはあなたの知り合いですか?」
「あれって?」
それを遮るようにイレットは魔玉の杖で床をつく。彼の怒りを表したような重い音が劇場に響いた。
「ここに潜り込んだ使い魔ですよ。感覚共有でここの様子を探っていた」
「使い魔だ?」
ダブルが眉をしかめた。
「おい、ここの衛士やしゃしゃり出そうな魔導師の使い魔はカモメと猫だろう。誰か猫を見たか?」
周囲の海賊達はみな見ていないと首を横に振る。
「いや、ハッキリは見えませんでしたが、多分ネズミです。私たちがつかめていない魔導師のようです。あなたはご存じでしょう」
「さあ?」
とぼけるルーラに、ダブルは腰から短剣を抜くと彼女の襟元に切っ先を差し込み一気に切り裂いた。
人質達が悲鳴を上げる。
彼は続いてルーラの背後に回り、背中部分を同じように切り裂く。ドレスが裂かれ、彼女の日に焼けた肌がむき出しになる。切り裂かれたスカートが床に落ちた。
「ちょっと、あたし、ドレスはこれしか持ってないのよ」
ドレスを剥かれ、半裸にされたルーラはむくれた。わざとか偶然か、切られたのはドレス部分だけで、下着は無事だ。手枷のせいで、今やただの布きれとなったドレスの上の部分は両腕にぶら下がったままだ。
「だったら正直にしゃべることです。でないと、残った下着も切り落とすことになりますよ」
「調べたら? サークラー教会からたどればわかるんじゃない」
「時間が惜しいんです」
そこへ海賊の1人が歩み寄り、ルーラの顔をのぞき込むように見つめた。彼女も見つめ返すが、覆面のせいで相手の顔はわからない。
「どうした?」
ダブルに聞かれても、その海賊は無言のままイレットに駆け寄り、耳打ちした。
「なるほど」
頷いたイレットは改めてルーラを見
「先日に続いてのご活躍というわけですか」
「何の話だ?」
「先日、港で荷揚げの最中に人足が海に落ち、精霊使いに助けられたというのはあなたも聞いたでしょう。その精霊使いがこの女です」
「精霊使いだと?!」
「たまたま私たちのお仲間が1人、それを見ていましてね。断言は出来なかったんですが、先ほどの動きで確信したそうですよ。あなたがその時の精霊使いだと」
「あちゃあ……見られてたの。サインでもしましょうか?」
「サインはいりません。代わりに、精霊石をもらいましょう」
「観劇するのに精霊の槍を持ち込めるはずないでしょう」
「精霊の槍は持ち込めなくても、精霊石は持ち込めます。ここにはいませんが、私たちの仲間にも精霊使いはいましてね」
「あなたの仲間とあたしとは違うわ」
「精霊使いという点は同じです。それに、先日の精霊使いがあなただとわかった以上、交渉の仕方もわかりました」
人質を顎でしゃくると、さきほどの海賊がミネールの背後に回り、その首筋にナイフを突きつけた。その刃先を見て、彼女が怯えた声を出す。
「他人の危機を救うため、自分の仕事も放り出すあなたです。自分の対応1つで人が死ぬと言うことになれば」
思わず口を開きかけたルーラだが、言葉を出す前にそれを閉じる。
それを見たダブルの腕が動いた。
ミネールのツインテールの片方をつかむと、その根本部分に刃を滑らせた。
「え……」
前に放り出された自分の髪に、ミネールの表情が固まる。
今まで彼女の頭部を飾る愛らしいものだったそれは、今はただの髪の塊だった。
「いやぁぁぁぁぁっっ!」
叫ぶ彼女の頬に刃先が突きつけられる。
「黙れ。今度は髪じゃなくて目が落ちることになるぞ」
強張ったまま目を動かし、寸前まで迫る刃先を見た途端、ミネールは「ひっ」と息を飲んでそのまま崩れ落ちた。
「気を失ったか」
ツインテールの片方を切り落とされ、顔を引きつらせたまま床に転がる彼女を見下ろし、そのまま視線をルーラに向ける。
彼女は無言だった。
無言のままダブルを見ていた。その目に殺気を感じ取ったダブルは肩をすくめ
「続きをするかはあんた次第だ」
ルーラは大きく息をつき
「はいはい。あたしの負け」
ベルトのバックルに手をかけ、力を入れる。精霊石で作られたバックルを外すと床に置く。
「良く出来ている」
それを拾い上げたイレットは満足げに頷き
「こいつはもらっておきますよ。それと、念のため下着姿のままでいてもらいます。これとは別にもっているかも知れませんしね」
「2つも持ち歩くほど用心深くないわよ」
「だから念のためです」
手枷をはめられたままでは脱げないというルーラに、ダブルが「じゃあこうしてやる」とナイフでドレスを切り刻む。服を脱ぐと言うより、切り裂かれ、剥ぎ取られて下着だけにされたルーラは手枷に加え、足枷もつけられて他の人質とは離れて座らされた。
「さてと」
イレットは改めてルーラの前に立ち
「お話しいただきましょう。さきほどの使い魔は誰のものです?」
ルーラは目だけで見回すが、ジェムの姿はない。
海賊達が何人か人質の後ろに回り、武器を突きつける。床で気を失ったままのミネールの頭上にはダブルの金棒がある。力を入れて下をつくだけで、彼女の頭は潰れるだろう。
「話すから、その金棒をずらしてくれない」
ダブルが金棒をずらすのを見てから
「……ウイッツ・ファルト……あたしと同じ、サークラー教会に登録している魔導師よ。なんでここにいるのかは正直、あたしも知らないわ」
できるだけ時間をかけて説明しながら静かに周囲を見回す。一時離れていても、ジェムがあのまま逃げるはずがない。今も物陰に潜んでいるに違いない。そう信じて。
関係者の控え室では、衛士に挟まれるように座っているオーシィを皆が遠巻きに見ていた。皆、彼をどう扱って良いか決めかねている。
「あの……、あなたは彼を不審者扱いしていますが、理由は何ですか? やはりその……人質の中に彼の知り合いがいなかったと言うだけでは」
「間違っていたら謝りますよ。
私が疑問に思ったのは、C席の観客たちが人質にされていることです。
ご存じの通り、C席は一番安い席です。当然、そこを買うのはいわゆる庶民、上流階級の人ではありません。海賊側から見れば、人質としての価値はそれほどないと思うのです。
なのに彼らはC席の観客を、ディファードさんの妻子とその友人たちに混ぜて10人ほど人質とした。妻子と友人たちだけではダメだったんでしょうか?
C席の観客を人質にする利点は何か? 誰が人質なのか具体的な名前を確かめづらいと言うことです。実際、ファルトが使い魔を通して中を調べなければ今もわからないままだったでしょう。
人数だって10人程度ということしかわかっていなかった。8人かも知れないし、13人かも知れない。そんなうやむやな状態にすることが海賊たちにとって大事だったんです」
「なんでそんなことを?」
「先ほど、人質を辱めるかが話題になった時、私は衛士達にとっては人質を無事に助けるためにも、中の様子を是非知りたいと考えていると言いました。それさえわかれば、それにあわせた突入作戦を立案、実行できるからです。
だからこそ、海賊たちにとっては中の様子を知られないことが大切になります」
「それでC席の観客を人質に混ぜたというの? 誰が、何人人質なのかわからなくするために」
「それもあります。が、それ以上の理由があります。海賊たちにとって、中の様子を知られたくない以上に、衛士の動きを知りたいはずです。それを知るには、衛士達の中に自分たちの仲間を混ぜることが一番です。しかし、衛士達に自分たちの仲間を入れていたとしても、この事件の担当を任されるとは限らない。
でも、ここに衛士達の中にずかずか入り込み、状況を根掘り葉掘り聞いても怪しまれない立場の人がいます。
人質の関係者です。自分の大切な人が人質になっているのですから、いきり立って衛士達に詰め寄り、衛士達の動きを聞き出そうとしても心配のあまりと受け入れられ、怪しまれませんからね」
「関係者として紛れ込ませるには、人質になっているのは誰かがわかっていない方が都合が良いと」
「はい。高い席の常連なんて、何らかの形で顔見知りになっていそうですし、そこへ知らない顔が紛れ込めばかえって目立ちます。
C席の客ならば、ルーラみたいな気まぐれで入った観客もいるでしょうから、身元確認は容易じゃないし時間もかかる。海賊達が仲間を紛れ込ませるには人質の中にそう言う客達が必要なわけです」
皆の視線を受けてオーシィが後ずさった。
「あまり近づかない方が良いですよ。うかつに近づくと人質にされます」
「何だよ、勝手に人を海賊扱いして!」
わめくオーシィの姿に、関係者たちの中から「本当に海賊の仲間なのか?」と疑問の表情が生まれる。
「どうしたファルト?」
さっきから彼が青ざめて黙り込んでいるのに気がついた。
ジェムの視界映像も今はなく、彼の魔玉も輝きを失っている。感覚共有も今は閉ざしているのだ。
「……わりぃ、ダンナ。しくじった」
周囲がざわめいた。
「ジェムに気づかれた」
「やられたのか?」
「いや、逃げられた。危ないところをルーラが助けてくれた」
「ルーラは無事か?」
「さっき、少しだけ感覚共用して確かめた。命は無事だが……」
言葉が途切れ、唇を噛む顔に、その後の様子を想像したのだろう。ベルダネウスの眉がひくついた。周囲の関係者たちも不安に表情を曇らせた。
皆が息を呑んだその時を狙ったのだろうか、オーシィはいきなり椅子をベルダネウスに投げつけると、窓に向かって駆け出した。
「逃げるぞ!」
腕を顔の前に組み、窓をぶち破ろうとジャンプした瞬間、彼は窓のすぐ手前で何かに遮られたかのようにはじき返された。まるで窓のすぐ手前に見えない壁があって、それに激突したかのように。
いや、実際あったのだ。見えない壁が。
ベルダネウスが鞭を取り出し、立ち上がろうとするオーシィを打った。激痛に身をよじる彼は、そのまま衛士達に取り押さえられる。
「いつ魔壁を張った?」
「ダンナが説明している間にね。逃げるとしたらあそこだろうからな」
ファルトが魔玉を軽く叩いた。だが、その目からはしてやったりという満足感は見当たらなかった。
魔導師達が自分の魔力を様々な力に転化させる現象を総じて魔導と呼ぶ。
魔壁はファルトがもっとも得意とする魔導で、自分の魔力を壁という物質にする魔導だ。単純な板状にしか出来ないが、ある程度の大きさ、長さを変えられる上、物質化するだけに矢を防ぐ盾にもなる。しかも素材が魔力のせいか、作ったファルトをのぞいて見えない。
「その使い勝手の良さは、数ある魔導の中でも群を抜いている」
とベルダネウスに言わせるほどである。
しかも通常の魔導が魔力の供給が止まると同時に消えるのと違い、一度、壁を作れば魔力が途切れてもしばらくは維持される。
物質化しているだけに魔導師でなくても力任せに破壊することが出来るが、ファルトの魔壁は少々力自慢の男がハンマーで叩くぐらいでは壊れない。
「勝手な真似をされては困る」
静かだが、アルテュールの口調には命令に近いものがある。
「確かに内部の様子を探れたのはありがたいが、それが海賊を刺激し、人質たちに被害が出たらどうするつもりだ。このような緊迫した状態では、何が刺激となってどんな動きになるかわからない。理屈通りには行かないのだ。
特に無能な衛士隊にはまかせられない。自分の働きで人質救出、海賊を叩きのめして自分は英雄となる。なんてことを本気で考え、実行しようとする馬鹿には要注意だ」
対策本部。ベルダネウスとファルトは呼び出され、お叱りを開けていた。
「ご指摘はごもっとな事ばかりです。つい先走ってしまったことはお詫びいたします」
うやうやしく頭を下げながら、ベルダネウスは面倒くさそうに小指で耳をほじるファルトを肘でつつく。
さすがに不謹慎と思ったのか、ファルトは姿勢を正し
「自粛いたします」
とハッキリ宣言した。ただし、それが上っ面なだけなのは誰の目にも明らかだった。
「まぁ、大切な人がとらわれの身なのだ。先走る気持ちもわかる。そこで特別に、人質救出の手助けをさせてやろう」
「回りくどいこと言わねえで、劇場に潜り込んだ俺の使い魔を使わせろって言えば良いんだよ」
言った途端、ファルトの足をベルダネウスは踏んづけ、
「ご配慮、感謝いたします」
足を痛がるファルトを横目に一礼した。
「ったく、ピニミだって使い魔を持つ魔導師ぐらいいるだろう」
「こちらにも事情がある。それより魔力の残りは大丈夫か、感覚共有はまだしばらく出来そうか?」
現在、ファルトとジェムの感覚共有は途切れている。
ジェムは自分の意思で劇場内をうろついているが、使い魔は魔導師との感覚共有を長く行っているせいなのか、自然の動物に比べ知能が高い。4~5年も使い魔を続ければ状況判断能力は普通の大人並みになると言われている。
「補充抜きでも2~3時間は持つ。中の様子を探るだけなら1時間とかからないだろう。向こうだってずっと使い魔を探るために集中するわけにもいかないだろうし、短時間での感覚共有を繰り返せば、よほどタイミングが悪くない限り大丈夫だと思うぜ」
「そうか、ならばこちらの指示する場所を探れ」
「ちょっと待った」
ファルトは隣のベルダネウスを指し
「俺は今、こちらのダンナに雇われているんだぜ。ダンナ抜きで勝手に指示されても困るし、手伝って欲しいなら手伝い賃も出してもらわないと。
それとも隊長さんはアレかい? 平民は国家や衛士の指示に従うのが当たり前、従わないのは邪な気持ちがあるからだと見なして捕まえるって考えのお方かい?」
周囲の衛士が「何だその言い草は」と手を出しかけるのをアルテュールは止め
「いくら欲しいんだ?」
「それはこちらのダンナと交渉してくれ」
ベルダネウスを指さす。
「良いのか?」
「少なくとも俺が損した気にはならない額はふんだくると信じてるよ」
「責任重大だな」
笑って答える姿に、衛士の何人かは「これだから自由商人は」とあからさまに侮蔑の目を向けた。
「いくら欲しい?」
「金はいりません。衛視隊からファルトへの報酬は、私が肩代わりします」
即答に周囲の衛士達が唖然とする。
「その代わりひとつ条件があります。劇場突入時に、私たちも突入班として参加させてください」
周囲から失笑が漏れた。
「君はさっきの私の言葉を聞いていなかったのか。我々に英雄志願の素人の世話をする余裕はない。自由商人には護身用に武道を学んでいるものが多いというのは知っている。君もそうなのだろう。
だが所詮は素人の付け焼き刃だ。町のチンピラ相手ならともかく、海賊相手には通用しない」
「少なくとも足手まといにはならないだけの技量があるつもりです。何ならお試しになりますか?」
「試すか……」
アルテュールはわずかに迷いを見せたが
「良いだろう。私が相手になる」
すぐに本部内のテーブルや椅子が隅に移動され、中央に広い空間を作る。
「私に勝てとは言わない。足手まといにはならないと思わせる戦いぶりを見せてみろ」
剣を抜いて構えるアルテュール。ぴたりと構えるその姿だけでも、かなりの腕前なのは予想できる。
「怪我する前に止めておけ。隊長は去年の大会で5位になった腕だ」
衛士の1人が揶揄するのにファルトが心配そうに
「ダンナ、無理しなくても、突入は俺だけでも」
「今更引けないさ。勝てなくても善戦すれば良しと言ってくれる分、望みはある」
椅子にかけてあったマントを手にすると、裏のポケットから愛用の鞭を2本取り出す。
本部中央で対峙するベルダネウスとアルテュール。2人を囲んで衛士達が小馬鹿にする笑みを浮かべている。
「誰か開始の合図を」
アルテュールに言われ、衛視の1人が前に出て右手を挙げる。
「では……はじめ!」
右が振り下ろされた瞬間、ベルダネウスの2本の鞭が同時に動く。
1本はまっすぐアルテュールの剣を握る腕に伸びる。が、それを読んでいた彼は軽く腕を引いて鞭をかわす。
だがそれはベルダネウスの想定内。もう1本の鞭が本命だった。それは合図をした衛視の腰にある剣の柄に絡まり、引き抜いた。
自分に向けられるとは思わなかったのか、衛士は反応すら出来ない。抜かれた剣は宙を飛び、アルテュールとの間合いを詰めるベルダネウスの手に収まる。
それを迎え撃とうとするアルテュールの腕に、かわされた鞭が軌道を変えて襲いかかる。まるで鞭自身に意思があるような動きだった。
鞭に剣を握る指を舐められ、その痛みに腕が止まった。もともと拷問用を改造したベルダネウスの鞭は、撫でるだけでも指の皮をすりおろすように削り、激しい痛みを与える。
しまったと思う間もなく、彼の腹にベルダネウスが突き出した剣の切っ先が触れていた。
固まる衛視隊にかまわず、ファルトが右腕を上げる。
「はい、ダンナの勝ち」
宣言の後も、周囲の衛士達はその事実を受け入れられないでいた。
「……さきほどの自信なさげなやりとりは罠か」
「いえ、本当のことです。まともに戦ってはあなた相手に勝ち目はないですからね、できるだけ私を侮ってもらって、その隙を突くしかないでしょう」
剣を衛視に返し、ベルダネウスが一礼する。
「これで突入班に入れていただけますね」
アルテュールに睨まれ、剣を奪われた衛士が「申し訳ありません」と頭を下げた。
「わかった。ただし、突入後は私の指示に従ってもらうぞ」
「それはもちろん」
「……突入後は、2人には人質の救出に専念してもらう。海賊達との戦いは衛士達に任せて余計なことはするな。いいな」
ベルダネウスとファルトが顔を見合わせ
「ありがとうございます」
揃って頭を下げた。2人の目的が人質とされているルーラの救出にあるのを承知しての命令に対する感謝だった。
「それと、君は自由商人で生地を扱っていると言ったな」
「生地以外も扱っています。今回、ピニミに来たのも」
「それは関係ない。生地が欲しい。できるだけ派手で、とにかく目立つものだ」
「いつまでに?」
「今すぐだ。2~30人分のタスキが出来るぐらいの量がいる」
ベルダネウスがなるほどと頷き
「誰かが同じようなものを作ろうとしても、難しいぐらい独創的な柄でよろしいですね」
「そうでなければ困る」
自分の意図を理解したらしい返事に、アルテュールも満足げに頷いた。
「……他にはないのか?」
アルテュールが不満げに聞いた。
「条件は満たしております。派手で目立って、誰かが同じものを作ろうとしてもすぐには難しい。しかも一目で区別できます。目印としては理想的かと」
「だが、さすがにこれは」
ベルダネウスが持ってきたのは、先日、盗まれかけた女性の全裸柄の生地だった。
周囲の衛士達は複雑な表情だ。露骨に嫌悪の表情を浮かべる衛士もいれば、照れ笑いを浮かべる衛士もいる。
「しかし、今から別の生地を探しても時間がかかります。使い魔を通じて中の様子を探っていることはすでに海賊達も知っています。彼らが対策を立てる前に突入すべきでしょう」
「余裕がない……か」
アルテュールはこれ以上はないと言うほど苦悶の表情で天を仰ぎ
「仕方がない、これで行く!」
周囲の衛士達には「任務のためだ。耐えろ!」と言い聞かせる。
「それでは切りそろえておきますので」
ベルダネウスが鋏を取り出した時だった。
1人の衛視が血相を変えて駆け込んできた。
「隊長、突入は待てとのことです」
「どうした?」
「町議会が、ティッシュ・ペーパーの釈放を決定しました」
(つづく)




