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【2 観劇】


 茶と若草色のツーピースドレス。スカートの裾をちょっとつまみ、ルーラがくるりと回ってみせる。

「どう、これなら上流階級のお嬢様とまではいかなくても、そこそこ良いところの娘さんに見えない?」

「見えない」

 ベルダネウスの即答に、ルーラはその場でこけそうになった。今日の彼女はいつもの男のものの服に皮鎧姿ではない。唯一のドレス姿に加え、新たに買い足した黄色い花のブローチと赤い実の髪留めをつけている。

「良いところの娘に見るには、お前はちょっと日に焼けすぎだ。それに姿勢もしゃんとしすぎて作法と言うより規律に感じる。育ちの良さというのは、無意識の仕草に出るものだ」

 しかしそういう彼の口元は緩んでいる。

「でも、ちょっとした田舎娘が一生懸命お洒落してきたようには見える。それなら劇場で追い返されることはないだろう。ただ、槍は置いていけ」

「いくらあたしでも、精霊の槍を持ったまま劇場にお客様として入ったりはしないわよ」

 壁に立てかけてある愛用の槍に

「ごめんね。今日はお留守番」

 と申し訳なさそうに頭を下げた。もちろん精霊の槍の代わりはある。

 彼女が締めているベルトのバックル、ちょっと見た目には地味なデザインのそれは精霊石で出来ている。

 精霊石。それは人の心と精霊たちとの心をつなぐ特殊な石である。精霊使いたちはこの精霊石を通じて精霊たちと心を通わせ、様々な願いを精霊たちに聞いてもらえるのだ。

 精霊使いのほとんどは精霊石を穂先に加工した槍を持つ。これが精霊の槍だ。もっとも、精霊石で精霊たちと意思を通わせるには、ある程度の大きさは必要だが形は問わないので精霊の槍である必要は無い。槍にしているのは扱いの良さに加え、身分証明書として使うためでもある。

 バックルに加工された精霊石は、槍の穂先に比べれば小さいが、精霊たちとの意思疎通は十分可能だ。使い慣れていないため、ちょっと戸惑うことがあるが、

「それじゃ、行って来るね」

 買ったもののほとんど使ったことのないポーチを手に、ルーラは開演時間に充分余裕を持って宿を出た。劇場に行く前に美容室によるつもりなのだ。

 昨日に比べて涼しかった。


 劇場の中は別世界のようで、ルーラはどうも落ち着かなかった。空気が違う、いかにも選ばれた人達が集う場という感じだ。

「……ウブの劇場とはかなり違う」

 絨毯のふわっとした感触を感じながら、かつて衛士時代に警備に訪れたことのある劇場とつい比べてしまう。

 ロビーでくつろぐ人達を見てまたたじろいだ。着ている服や手にした小物、髪留めに至るまでルーラとは数ランク上だ。彼女にとっては奮発して揃えたドレスや小物だが、ここにいる人達のものに比べればいかにも貧乏人が無理をしているような貧弱さ、窮屈さを表しているように見える。

 さきほどベルダネウスに見せた態度が急に恥ずかしくなってくる。自分が身の程知らずに思える。

(負けてたまるもんですか。お洒落もしたし美容室にも行ったんだから)

 それでも背筋を伸ばし、開演を待つ人達の中に入ろうとすると

「お客様、こちらは招待状をお持ちのお客様専用となっております」

 たしなめるように警備員の一人が声をかけた。

「どうぞこちらへ」

 たしなめるような口調だった。年はルーラと同じぐらいだろうか。青い制服がどこか似合わないのは、この仕事について日が浅いのだろう。よく見ると歩く際に左足がわずかに遅れてびっこを引いている。

 案内されたロビーは、悪くはないが明らかに先ほどよりも格が落ちていた。

(一般客用とで分けている訳か)

 こちらのお客は、着ているものなどは明らかに招待客達よりも下だが、楽しげな笑顔や声は変わりない。むしろルーラにはこちらの空気の方が心地よかった。

 若い娘達が楽しげに役者や芝居の話題に花を咲かせている。出ている役者に対する知識が皆無のルーラは入っていけないが、それでも本当に芝居や演じている役者が好きなのだという空気はわかる。

 ベルダネウスも知らないことだが、彼女は1度だけ舞台に立っている。故郷の村が祭りで小さな劇団を招いた時、

「せっかくだから村人にもちょい役で出てもらおう」

 と彼女を含む数人を舞台に立たせたのだ。そこで彼女は主人公に道を教える村の子供役に選ばれ「あっちだよ」というセリフまでもらった。

 人気のない場所で何度もこのセリフを練習したのはうれし恥ずかしい思い出だ。それ以来、彼女は劇場を見るとつい視線を向けてしまう。

 壁のポスターを見ると

[ステッチ王子:ナイトリッチ・オーキンス]

[女海賊エミリア:ヴァイ・ソフィン]

 と主演が記されている。彼女達の話題にも、この2人の名前がちらほら出ている。どうやらピニミでもかなり人気のある役者らしい。ポスターも主演二人の顔はこの役者の顔で書かれている。

(この王子様役の人、なんかロジックに似ているな)

 剣を構えているステッチ王子の顔を見て、ルーラは以前メルサ国で知り合った男を思い出した。ただ、ロジックよりもかなり凜々しく、男前に描かれている。

「あなたもオーキンス様のファンなの?」

 いきなり寄ってきた女の子に声をかけられた。14~15才ぐらいだろうか。フリルの付いたオレンジのドレスは夏の果実のように瑞々しく、生きているのが楽しくてしようがないとでも言うように大きなくりくりした目を輝かせてくる。光沢のあるツインテールを振り回しては勢いよく言い寄ってきて、ルーラに何か言う暇を与えない。

「良いわよねぇ。この前の怪盗役も良かったけど、今回のステッチ役は本当にはまり役。そう思わない?」

「あの……ごめんなさい、あたし初めてで、役者についてはよく知らないの」

「だったら運が良いわ。最初にこんなはまり役を見られるなんて。絶対ファンになるわよ。これあげるから読んで。オーキンス様のことを書いた本を作ったの」」

 いかにも手作りっぽい小雑誌を押しつけてくる。自分の本のページを開き、事細かに解説を始めた。

(やばい、熱心なファンに捕まっちゃった)

 熱心すぎて周りが見えなくなるタイプのファンだと、ひとつ対応を誤ると一方的にひどい人扱いされる。ルーラは必死で言葉を選びはじめた。


「先ほどの言い方は不味かったな」

 劇場警備隊長のフォーリックは、目の前の若い警備員に苦笑いを向けた。劇場の警備員控え室。そこで若い警備員ユーサは、呼び出しをうけ、さきほどの娘の客に対する態度で注意を受けていた。

「不味い言い方でしたか」

「言葉自体は問題はないが、口調がちょっとな。相手によっては気分を害するかも知れない」

「勝手に招待客専用ロビーに入ろうとしたんです。今日はディファード様の奥様や娘様が観劇に来られます。怪しげな人物は近づけさせないのが大事だと思います」

「私もちらと見たが、あの娘はドレスを着こなしていない。あれはおそらく、あまり裕福ではない街の娘が、貯めた給金で自分の持つ一張羅を着てやってきたのだろう。今日の体験が彼女の劇場鑑賞に対するイメージに大きな影響を及ぼすかもしれん」

 フォーリックの言うあの娘とはルーラのことである。

「年に1度来るか来ないかのような、生活の余裕のないものにそこまで気を配る必要はないと思いますが」

 面白くなさそうにユーサは答える。「貧乏人」と言わなかっただけ、彼は気を配ったつもりだった。

「だからこそ、彼女にとって今日は特別な日のはずだ。大切に扱わなければ」

「しかし」

「今日、ディファード様の奥様や娘が友人達ともに観劇するのは事実だし、気をつけなければならん。ディファード様はピニミ海軍のトップで強硬派としても知られている。先の戦いも彼の強い主張あればこそ実行された。それだけに海賊残党の中には危害を加えようと考える輩もいるかもしれん。

 しかし、今は心配あるまい。残党も自分たちの生き残りやまとまるので精一杯に違いない。攻撃する余裕はないさ」

「……そうでしょうか」

「心配はわからないでもないが、そのギスギスした空気を客に感じ取らせてはダメだ。わかったら仕事に戻れ。そろそろ奥方様が来られる時間だ」

 控え室を出ると、ユーサは足の痛みを感じつつ、自分の持ち場である2階C席付近に向かった。

(この足さえ無事だったら……)

 ユーサはピニミの有力者インセル・ユーサの三男坊である。歳は16だからルーラより1つ若い。兄たちが父の後継者として順調に育っているため、彼は自分の居場所がなくなりつつあった。そんな有力者の息子達が目指すものは、ピニミでは1つしか無い。

 衛士隊に入り、海賊と戦い、手柄を立てることだ。

 そんな彼らにとって、先の海賊討伐は絶好の機会であり、彼もティッシュとまではいかなくても、名のある幹部の首を取ってやると張り切って訓練したものだ。

 ところが、その訓練の最中、足を折ってしまった。手当が早かったので回復は早かったが、完全に元の動きを取り戻すことは出来ず、わずかにびっこを引くようになった。そのために彼は討伐隊から外された。

 そして海賊討伐は大きな成果を上げ、手柄を自慢する仲間を見るのに耐えられず、彼は軍を辞めてしまった。

「1度機会を逃したぐらいで止めてどうする!?」

 激しく叱咤された彼は、母の強い勧めでこの劇場の警備員として昨日から働いている。手柄を立てた友人達に対し一劇場の警備員の自分。彼にとって、ここは国の重鎮達がよく観劇に来る特別な劇場であることが唯一の慰めなのである。だからこそ、

「あんな平民共に出しゃばられてたまるか」

 なのだ。

 彼の持ち場は2階左翼席。C席と言われる安い、彼に言わせれば「金のない平民たちの席」である。見ると、C席の端に先ほど招待客用ロビーに入ろうとした黒髪の女が座って隣のツインテールの女の子と話している。

 ツインテールの娘は昨日も来ており、彼も見覚えがあった。警備員達の間では有名な子で、名はミネール。王子役のオーキンスの大ファンだという。ただ、裕福ではないのかいつもC席である。

 ミネールの勢いに、明らかに黒髪の娘は困っていた。

 階下のざわめきが止まった。


「ほら、あの方がディファード大臣の奥様と娘さんよ。2人ともオーキンス様のファン」

 ルーラの袖を引っ張ったミネールが手すり越しに1階席中央を指さした。そっと下を伺うと、礼服姿の男の案内で総数10人近い着飾った女性達が案内されてくる。彼女たちの中に、一際きらびやかな女性2人がディファード大臣の妻サルシーラと娘のスィーマだ。

 2人を囲む友人達も美しく着飾ってはいるが、ディファード母娘が眩しすぎて霞んでしまっている。

「すごいわね。いつもこうなの?」

「いつもはもうちょいおとなしめよ。久しぶりの観劇だから力が入っているんじゃないかな」

「久しぶり?」

 この舞台の上演はすでに20日を超えている。

「ほら、今回は芝居の中身が中身だから」

「そっか、海賊退治の責任者の家族として、王族と海賊との恋は見に来づらいわよね」

 ディファード母娘を中心に、友人の女の子達が席に着き、さらにその周りを数人の男が座る。

(護衛か……)

 男達の目つきや動きに、ルーラはそう思った。

「あそこ、1番見やすいのよ。良いなぁ。あたしも1回あそこでオーキンス様の舞台を見たい」

 ミネールがハンドバッグから双眼鏡を取り出した。

「ルーラは双眼鏡は?」

 手ぶらの彼女は小首を傾げた。

「大丈夫、この距離なら充分見えるわ」

 実際、ルーラ自慢の目には舞台の下りているカーテンの細かな模様もハッキリ見える。

「無理しないの。役者の動きは見えても、表情までは難しいわよ。予備があるから貸してあげる」

 差し出された予備の双眼鏡を、ルーラは断るのも悪いと思って

「ありがとう。借りるわね」

 受け取った。

 それに合わせたように、開幕の鐘が場内に鳴り渡った。

 場内のおしゃべりが引いていき、沈黙が広がっていく。

 係員達が明かり用の窓を閉じていき、別の係員が壁のランプに火種を入れていく。

 涼しい空気が下りてきた。雇われた魔導師たちの冷気魔導によって冷やされた場内上部の空気だ。


「やっと始まった」

 他の警備員と交代し、廊下に出たユーサは観客席への扉を静かに閉めて一息ついた。観客席にいても、立場上芝居を見ているわけにも行かないし、騒がしい娘達も劇の間は静かにしている。観客席での見張りは苦痛というのが警備員達の感想だった。

 目立たないよう、通路隅の椅子に腰掛ける。観客席の見張りが苦痛なら、こちらは退屈だ。だが、まだこちらの方がマシである。ベテランの中には目を開けたまま眠り、人の気配を感じると目を覚ます強者もいるが、彼はそんな技は身につけていない。

「何か騒ぎでも起こらないかな」

 不謹慎とわかっていても、彼は海賊残党が騒ぎを起こすことを期待していた。もちろん、そうなったら自分がそいつらを叩きのめし、手柄を立てて有名になるのだ。

 椅子に座り、ただ通路などを見張るだけの間、彼は静かに自分が海賊相手に大活躍する姿を想像して楽しんでいた。むなしい妄想とわかっていても、思い浮かべている間は楽しかった。

「あの、すみません」

 彼の楽しい妄想は、手洗い所の入り口から恥ずかしそうに声をかける女性によって中断された。

「あの……ちょっと……」

 恥ずかしげに手招きする彼女の姿に、彼は苦笑いしながら

「どうしました」

 歩いて行った。用事が何にしろ、招いている場所が場所である。言いづらいものだろう。

「女性をお呼びしましょうか?」

 恥ずかしげにうつむく彼女の警戒心を解こうと笑顔を向けながら手洗い所の入り口に付いた時だった。

 突然、柱の陰から1人の男が飛び出すと、背後からユーサに組み付いた。

「な!」

 ユーサも軍を目指した元衛視である。体術の基本ぐらいは学んでいる。だが、組み付いた男は彼の抵抗を巧みに流し、鼻と口をタオルのようなもの塞いでくる。 途端意識が弱まるのを感じたユーサは、手洗い所の女が薄ら笑いを浮かべるのを見た。

 抵抗する力が抜けていき、何とか意識だけでも保とうとするユーサに、申し訳なさそうな女の言葉が聞こえた。

「お手間をかけます。イレット様」

 イレット……先日の改造討伐の際、取り逃がしたティッシュ海賊団幹部の名前であることに思い当たったユーサだが、何か反応する間もなく意識が途切れた。

「人手不足ですからね。私も手足を動かさないと」

 ユーサを床に横たえ、立ち上がる。パリッとした礼服姿のイレットは、痩せ型で手足が長い。その体型から彼を「棒人形」などと陰口を言う者もいる。

 そこへ「イレット様」と覆面をした者が3人やってきた。覆面だけではない。上半身は大きめのポンチョで覆い、吐いているのはダブダブのズボンである。おかげで年齢はもちろん、男か女かもわからない。

「準備完了しました」

「では、予定通りに」

 イレットは一同を見回し

「私たちの幕を開けましょう」


 舞台は前半の山場にさしかかっていた。

 帰国途中に囚われ、王子であることを隠したまま海賊達に奴隷としてこき使われてたステッチ王子。彼は自分の主人でもある女海賊エミリアの部下思いで凜とした態度、その美しさから立場も忘れて恋に落ちる。彼女も他の奴隷とはどこか違う彼の立ち振る舞いに興味を覚える。

 海賊討伐隊との戦いの中、スティッチは彼を知る指揮官によって救出され、エミリアも捕らえられる。

 国に帰り、裁判になれば間違いなく彼女は縛り首だ。ステッチは意を決して海賊仲間が奪還しに来た時、彼女をわざと逃がすことにする。

 今、舞台では嵐の中、エミリアを海賊仲間の待つ船に逃がそうとするステッチと彼女の別れが演じられている。

「これがバレたら、あなたは王族から追放、へたすればあたしの代わりに縛り首だよ」

「全てわかった上での決断だ。邪魔をするな!」

「セリフの相手が間違っているんじゃない」

 討伐隊の拷問と辱めを受けたにも関わらず、エミリアの態度は凜々しいままだ。

 海は彼のこれからを表すように荒れ狂っている。とは言っても、舞台左右の音楽隊の演奏とライトの演出だが。

「あんたがどれだけ情けをかけようと、あたしは海賊をやめないよ。命をかけてまであたしを助けに来たあいつらの為にもね」

「そうだ、君は海賊として生きれば良い」

 人が来る。こんなところを見られたら

「礼は言わないよ」

 エミリアは後ろを見ずに船縁を跳び越える。

 雷音。

 そんな舞台を、ルーラは2階C席から見ていた。ミネールから渡された双眼鏡は、視界が狭まるのと、無くても困らないのとで結局使っていない。

(結構面白いわ)

 話の筋が筋だけに少々大げさで都合の良い展開があるが、役者や演出のうまさで気にならない。これなら後半、討伐隊に参加したステッチと海賊として復帰したエミリアが対決するクライマックスも楽しみだ。

 隣を見ると、ミネールは舞台に向けた双眼鏡をのぞき込んだまま微動だにしない。幕が開くまでのおしゃべりはどこへやら、芝居が始まると一言も発せずに舞台を見つめている。

(本当に好きなんだなぁ)

 思いながら、ルーラは顔をそのままに視線だけを周囲に向ける。

(何だろう……何かおかしい)

 劇場内に漂う微かな緊張感を、幕が開いてから度々感じ取り、その都度舞台への集中が途切れた。

 最初は舞台本番に伴うものだと思っていたが、今は違うと考える。かつて衛士として、今はベルダネウスの護衛として敵意に敏感な仕事を続けている内に身についた感覚。

 それが彼女に気をつけろと言っている。

 しかし、具体的に何がどうおかしいのかがわからない。ここが初めて訪れる場というのもあるだろう。気のせいだと言われたらそれまでという程度の違和感。

 舞台が面白いため、違和感を探るのに集中できず、違和感があるが故に舞台に集中できない。

(このシーンが終わったら休憩が入るから、少し探ってみようかな)

 途端、この緊張感の正体に思い当たった。

 衛士時代に覚えた敵のアジトに突入する前に感じた、盗賊を待ち伏せしている時に感じた。

 これから大きな仕事をする時の緊張感に似ているのだ。

 何かが起こる。そんな予感がしても、何が起こるのかがわからない。それがじれったい。

 それの答えが出た。

 舞台では、討伐隊がステッチ王子にエミリアを見なかったか問い詰めている。明らかに彼が彼女を逃がしたのではないかと疑っている。

「私が彼女を逃がしたというならば遠慮はいらない。その剣で私を斬るが良い。神よ、私が偽りを申したというならば、この体に裁きの雷を落とすが良い」

 そのセリフが終わった瞬間、舞台を照らすライトが一斉に落ちた。

 セットの一部を壊して砕けた破片が役者達の肌を傷つける。ライトの油が飛び散り、中の火とつながって舞台の無数の小さな火事を生み出す。

 観客達が一瞬、息を飲み、続いて無数の悲鳴となった。

 さすがのミネールも思わず双眼鏡から目を離す。

 ルーラはベルトの精霊石に手をかけ見回した。

 1階の観客達が思わず立ち上がる。どうすれば良いのかわからず腰を浮かしたまま硬直しているのがほとんどだったが、数人の観客が逃げ出したのを合図に、皆が一斉に出口に殺到する。

「ダメ!」

 思わずルーラが叫んだ。上演中の出入りによる影響を少なくするため、ここの扉は小さめだ。そこへこれだけの人数が一度に押し寄せたら

 その時、扉の前で爆発が起きた。それは小さなものだったが、観客の足をすくませるには充分なものだった。

「爆炎魔導?!」

 魔導師が使う直接攻撃魔導の中で火炎、電撃に並ぶポピュラーなものだ。爆炎と呼ばれてはいるものの、実際は爆発の衝撃と音による威嚇用として使われることが多い。

「観劇をお楽しみところ、申し訳ない。残念ながら、本日の劇はこれにて終了とさせていただきます」

 舞台の袖からひょろりとした礼服姿の男が現れた。イレットだ。

 続いて覆面ポンチョ姿の者達が現れ、ライトの落下や爆炎魔導で生じた火を消して回る。

「これより私どもの出し物に皆様をご招待いたします。観客ではなく、人質という大事な役どころで」

「何のつもりだ!?」

 観客の一人が立ち上がり、拳を鳴らしながらイレットに詰め寄っていく。

「人の楽しみを勝手に奪ってその言い草は」

 前に出る彼の前に、音もなく1人の覆面男が立ち塞がった。観客も大柄だったが、この覆面男はそれよりもさらに一回り大きい。

「何だおまっ」

 最後まで言い終わる前に、覆面男の振るった鉄棒に横っ面を吹っ飛ばされた。鉄棒と言うより、細身の金棒と言った方が良い。

 文字通り吹っ飛ばされた観客はディファード母娘の前に落ちた。

 白目を剥き、有り得ない方向に曲がって自分たちの方を向いている首を見て

「ひぃっ」

 たまらず母娘がそろって気を失った。

「あなた方は大切な人質、抵抗しない限りそれなりに扱いましょう。しかし、抵抗した場合は容赦はしません。その方のようにね」

 一礼するイレット。動きが優雅な分不気味だった。

 ルーラは2階からその様子を伺いながら周囲を観察した。覆面集団は1階だけでなく、2階の彼女たちがいる席にも姿を表していた。

(見える限り全部で12人……でも、あたしの見えないところや通路にもいるはず。警備員たちはもう捕まるか殺されているか……あたし1人なら逃げられるだろうけど……)

 彼女の右腕をミネールがしっかと握りしめていた。その手は小刻みに震えている。

 何か言おうとしているらしいが、震えて歯が鳴るだけで言葉にならない。目も見開き、何か新たなショックがあればこの場で泣きわめきかねない。

 ルーラは彼女をしっかと抱きしめ

「大丈夫。助かるわ」

 目を見て微笑んだ。

「ここにいる人達をみんな人質にするのは大変よ。きっと何人か残してあとは釈放するわ」

 階下で気絶したままのディファード母娘を見る。

 犯人の目当てがあの2人ならば、関係ない観客は釈放される。そう信じて。


(つづく)



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