いなくなった猫ちゃん
僕は猫を飼っていた。年齢はよくわからなくて、たぶん2歳ぐらいで、飼い始めてからは1年経っている。気の弱いメスで、飼い始めた頃は、僕に怯えて、よくカーテンと窓の間に逃げ込んでいた。名前はミーツだ。
ある時、開けた覚えのないドアが大きく開ききっていて、そこから風が強くびゅうびゅうと吹き込み、微かに雨粒が玄関の靴を濡らしていた。僕はそのさまをボーッと眺めてから、ミーツがよく隠れていたカーテンと窓の間を覗き込んだ。
いない。ミーツの首輪につけた鈴の音はこの家のどこからも聞こえなかった。
つまりミーツは雨ばかり降って不愉快な9月4日にこの家からいなくなったのだ。
大切なものをなくした時、きっと、人の心が入った水槽には涙が溜め込まれる。そして、心がぷかぷか浮かんでゆらゆら揺れて、人はそれに酔う。目眩がくらくらして胸がもやもや詰って、吐きたいのに何も吐くものがなくて、この水槽に溜まった涙を流してしまえたらどんなに楽かと想像する。
でも、僕は意外と気丈で、猫がいなくなったくらいでは泣かないのだ。
大人になってしまった、と奥歯を噛み締めてから、僕は躊躇いがちに叫んだ。
「ミーツゥ!」
どこかで、鈴の音が聞こえた気がして、耳を澄ますが、それは過去の残響を耳が繰り返しただけだと思った。
5日ほど経って、僕はあっさりミーツの好きなおやつを持って近所を徘徊するのをやめた。近所で見知らぬ猫に出会って、その度おやつを分け与えて、買い置きのぶんが無くなり、もういいか、となったのだ。
それからの僕といえば、真面目に働き、心の水槽に溜まった涙も汗とともに流れ出てしまい、酔いがさめて、ミーツのいない生活に慣れた。
とはいえ、この体は未だにミーツのいた頃の生活を覚えている。毎朝6時に餌を与えていたので、毎朝6時に目が覚めるし、寝転んでいるとそばに寄ってきたので、ミーツの居場所を作るようにベッドの端に寄る。
それが癖であり、習慣であり、生活だった。
その後さらに1週間経って、僕はミーツを見つける。ベランダで洗濯物を干しながら、ふと隣の家を見ると、その屋根にミーツはいた。
「いた。」
僕は神様だけに聞こえる声でそう言った。
僕は洗濯物を、カゴの中に戻して、急いで玄関からサンダルを引っ掛けてアパートの階段に向かった。
うちのアパートの階段は、2階の部分が隣の家の1階の屋根に隣接していて、手すりに足をかけて塀づたいに屋根に登れるのだ。
幸い、隣の家は空き家で、僕はミーツを捕まえに屋根に登った。サンダルは失敗だった。斜めになった瓦の上で、滑りながら、ミーツのもとまで行った。
ミーツは迷惑そうな顔をしていたと思う。なんだお前、何しに来たんだ、と言いたげに、僕の前を軽快に横切り、僕のアパートの大家さんが所有する倉庫の屋根に降り立って、そこからまた地面に降りて、どこかへ消えた。
僕はミーツをまた失った。見つけたと思ったのに。
屋根の上で呆然として、ここから転げ落ちる自分を強く想像した。
しかし僕は、意外と足腰がしっかりしていて、瓦の上でもきちんと二足歩行をしてみせたのだ。
その後、その姿を見ていた大家さんにこっぴどく叱られた。
「危ないでしょ?うちの階段から登って落っこちられたら、こっちだってその対策取らないといけなくなるんだから。」
大家さんは同じことを5回に渡って別々の言い方で言った。
僕の心の入った水槽には、今度は大切なものを無くした涙ではなく、大人になったというのに人から怒られたという悲しみが水になって溜まった。また僕はそれに酔って、
「はい、すいません。」
と、今度は言葉を吐き出した。
僕がもし、あの瓦の上でミーツをとっ捕まえていたら、僕はこれから先をミーツとまた楽しく暮らしていけたのに、と思ってから、いや違うな、と思い至った。
楽しいのは僕だけだ。ミーツは今頃野良猫生活に大はしゃぎで、うざったく体を撫でてくる人などという生き物に合わせて生活しなくてよくなるのだ。
ミーツを愛でていたのは僕だけで、ミーツは僕を愛でてなどいなかった。
要するに、言葉のない関係が必ずしも清く強い絆で結ばれるなんてことはない。わかりあえず、思いあえない関係だってある。
なので僕は今度から、ペットは飼わないことにした。
さようなら、ミーツ。