1-2 廃墟
出会いと別れは表裏一体。
出会いがあるから別れがある。
出会いがあったからこそ別れがある。
では、別れた後に出会う事は出来るだろうか。
出会った後に別れてまた出会う事は出来るだろうか。
出会いと別れは1度きりか。
何度でも出会って別れるのか。
瑠璃が灯したランプの明かりを頼りに、琥珀は薄暗い廊下を歩いて行く。琥珀が、否、瑠璃と琥珀が召喚されたこの世界は魔法を中心とした中世気質な世界観を構築しており、科学の気配等欠片も感じられない。そのため電灯などという便利な物は存在せず、明かりと言えば炎のそれだけなのであった。
廊下にはボロボロの赤いカーペットが敷かれているが、所々で木目の床が見える。辛うじて見える程度に照らされる壁もあちこちにガタが来ているのがよく分かり、控えめに言ってもかなり古い建物のように思えて来る。
どこかへ連れて行く少女の背中に――すぐに分かると、行先は教えてくれなかった――少年は疑問を投げかけた。
「瑠璃、訊き忘れたんだが、ここはどこなんだ?」
「ん? 私のアジトだよ?」
「アジト?」
「そ、アジト」
クスクスと何が面白いのか笑う幽霊少女。
幽霊なのにランプを持てるのかとか、10年も寝てたのによく俺は歩けるなとか、疑問は尽きないものの、彼女のこうした笑顔を見ているとどうでも良い事のように感じてしまうから女の子はズルいと思う。
瑠璃曰く、この屋敷に彼女は琥珀が来るまで寝泊りしていたらしい。となると魔王の城からそう遠くない場所にあるのだろう。<テレポーテーション>の魔法が使えるなら話は別だが、窓の外で周囲を照らす青い月光が、最低でもここが魔王の城がある魔界である事を如実に物語っていた。
「さて、琥珀にはこの世界のシステムについて説明しないといけないよね」
「システム?」
「うん。私がどうして琥珀を助けられたか、琥珀が闇属性にどうして変化したかっていうのも、凄く深く関係してくる、この世界の根幹に根付いたシステム」
ギシギシと軋む廊下の音をBGMに、少女は緩やかに語り出す。
「私もそんな多くは知らない。でも確実に言える事が2つある」
「勿体ぶるな、さっさと教えてくれ」
「OK」
じゃあ1つ目、と瑠璃は振り返って、衝撃の事実を口にした。
「――この世界には最初から、魔王や魔界なんてものは存在しない」
それを聞いた時、琥珀の脳は理解を拒んだ。
無理も無い話である、何せ瑠璃の今の発言は詰まる話『魔王討伐のために魔界へ足を運んだ琥珀の旅は大半がデタラメ』と言っているに等しい。
当然ながらそんなセリフ、受け入れられるようなものでは無い。
「ちょ、待てよ瑠璃。ここは魔界で、俺の最後の相手は魔王だったんだぜ? それが間違いだって言うのか?」
「うん。ここは魔界じゃないし、君のラスボスは魔王じゃない」
裏世界、と瑠璃は言った。
「う、裏世界?」
「そう。ここは世界の……そう、コインの表裏みたいに一体になった世界。太陽に照らされる人間や亜人達のための世界の反対側の空間。それがこの、青い月が照らす世界なんだ」
彼女曰く、世界とはコインの山らしい。それらは無数に、数えるのも億劫になる程に積み上げられており、表裏を時折行き来する生物がいる。更に極々稀に硬貨から別の硬貨へ移動する者もいるとか。
兎角、この世界は琥珀と瑠璃が嘗ていた地球の逆側にある、という事だ。成程分からんと言われてもそう説明するしか無い。
「分かった?」
「大まかには」
今はそれで充分、と幽霊少女は廊下に足音を刻む事の出来ぬ両足の動きを止めた。
そして瑠璃は2つ目の、最も重要な真実を琥珀に告げる。
「そして琥珀、アンタが最後に戦った黒い鎧の大男。アイツの正体を教えてあげる」
「おう」
何が来ても驚かない、そんな決意を瞳に滾らせる琥珀を見ながら、瑠璃は目的地なのであろう一室の戸を開いた。
(さて、現れるのは魔族……いや裏世界の存在か? それとも館の主? 或いは倒したハズの魔王と定義できる何某か、か?)
いつ何が起きても良いようにと聖剣の柄に手をかけ、呼吸の量を抑える。瑠璃を疑っているワケでは無いが、現状の全てを信じるワケにはいかない。最低でも数多の裏世界の住人を勇者として斬り捨てて来たのは事実。襲い掛かって来ないとも限らないのである。
「――っ!」
だがそこにあったのは、彼の予想を更に斜め上に超えていた物であった。
「魔王!!」
漆黒の、まるで闇そのものを吸い込み溶かしたかのような鎧。刺々しいデザインも無く、無駄な模様も有らず、ただただ“鎧”という存在その物を突き詰めたかのような無機質な人型の金属塊。そんな魔王の鎧が、そこにあったのである。
琥珀は思わず剣を鞘から抜いた。魔王との戦いは五人の仲間と共にあり、彼らの援護(と呼んで良いのか今となっては怪しいが)が前半にあったからこそ勝利をもぎ取る事が出来た。
だが今は琥珀独りだそれでは勝てない。瑠璃は戦力になるか疑問だし、何より戦闘時に使用した便利なアイテムや道具が手元に1個も残っていない。全て10年前の戦いで使い切ってしまったのだ。
ならばやるべき事はただ一つ。相手が反応するより早く、斬る!
「<一異戦心>!」
居合には向いていない西洋の剣で、しかしそれは流星のように素早く敵を横一文字に両断する必殺の剣。
本来なら西洋の剣は斬撃より斧のように叩き割る事に特化しているため、横薙ぎの攻撃には若干不向きだ。しかし魔力で強化されたそれは、流水すら切り裂く鋭さを得て刃の捉えた物質を上下に分かつ。
琥珀が身に着けた剣技の中でも、最も初動にかかる時間が無く、かつ最も速度のある技の1つである。首に目がけて放たれたそれはスピード重視のためやや威力に難はあるが、次に繋げるための一手だ、問題無い。
「……え?」
だが、現実は琥珀の想定していなかった光景を織り成した。
佇んでいた魔王の鎧の首は、まるで豆腐を切るかのようにアッサリと胴体で両断されたのである。
信じられない。決戦の場ではいくら技と力を凝らしても傷を付ける事すら容易では無かったのに。
「あ、何してんの。直すの大変だったんだよ、ソレ」
「はぁ!?」
更に瑠璃は信じられない事をまたまたサラッと暴露。
首回りが破損した兜を鎧の胴体に戻す瑠璃を見て、琥珀は今日何度目か分からない混乱に襲われていた。
どういう事だ、瑠璃が魔王の鎧を、直した? 意味が分からない。中身の魔王では無く鎧を見せられ、琥珀の旅は実は魔界への討伐の旅では無く、幼馴染の瑠璃は幽霊で。一度に大量のデータを刻まれ、少年の脳は既にパンク寸前である。
「は? はぁ? え、何、瑠璃が魔王の鎧を直した!?」
「そだよ。琥珀の凄いビームで粉々に砕かれた金属片を少しずつ集めて鎧に戻したの。いやー、修理が終わるの四年くらいかかったなぁ」
意味が解らなかった。瑠璃がこの鎧を直した事もそうだが、何よりこれを琥珀に見せた理由が全く推測できない。一瞬彼女が敵討ちでも目論んでいるのかとも思ったが、それなら琥珀をコフィンで回復させる必要は無いハズだ。
「鎧を見せた理由はただ一つ。君に言った私の知っている事のもう片方を教えるため」
瑠璃は言った、『この世界に魔界と魔王というものは無い』と。
ではこれは、何だ? 今、琥珀が切断した鎧は? 山羊のような角を持つ漆黒の鎧は、一体誰が着ていた? あの城の最奥部で戦ったのは……誰だったと言うのだろうか?
グルグルと頭の中を駆け巡る疑問。ノーヒントで過去の旅の理由全否定では、然して勉強が出来る方では無かった琥珀では何も分からない。
「……あ」
そんな中、ふとある事に少年は気付いた。
瑠璃がどうして特殊な魔法で自分を守れたのか、という事。どうして明らかな致命傷だったのに運良く助かったのか、どうして瑠璃は都合良く瀕死の琥珀を助けられたのか、どうして裏切った仲間達が自分の肉体を破壊しなかったのか。偶然にしては出来過ぎている。
だが仮に、その全ての答えがもし“そう”であるなら、辻褄は合う。コフィンという防御と回復を併せ持った魔法、それを完全にトドメを刺される前に発動できる方法があった。
たった一つだけ、瑠璃が琥珀を助けられた、救助が間に合った理由が。
「鎧の中にいたのはお前、か!?」
「ピンポーン。いやー、幽霊じゃなかったら即死だったネ!」
あの時、琥珀と最も近い場所にいたのは仲間と魔王だった。だが五人の仲間は全て裏切った。ならば後は隠れていたか姿が見えなかったかのどちらかしか無い。
クスクス笑いながら、幽霊少女は種明かしを始める。
「魔王はね、この鎧そのものだったんだ」
「鎧が?」
「この鎧には、装備した人を殺した人に乗り移って操る能力があるの。人間も、エルフも、オークやスライム、幽霊だって例外じゃない。そして奪った体から自由を全て無くして肉体にする」
魔王という称号はあらゆる人々に浸透しているが、その真の力に見合うだけの猛者はそうそういない。一度倒されてしまえば、新たな魔王が現れるのに時間がかかるし、最悪その魔王が同じ勇者に負けるかも知れない。それでは魔王を崇める側としては意味が無い。
ではどうするか。簡単だ、倒された魔王より強い輩を新しい魔王にすれば良い。そのための呪い、そのためのシステム。それが、瑠璃が取り込まれた呪いの鎧の正体だ。
誰が作ったのかは分からないけれども、こんな事を考えるような人は相当なキレ者か捻くれ者とは瑠璃の弁である。
「十二年前、つまり琥珀がこっちに来る半年前、私はこっちの世界に死んで召喚されたの。シーフとしてね。
そして護衛の騎士と一緒に裏世界まで来て、そこから単身で乗り込んで寝首を掻き切ったの」
「お前サラッととんでも無い事言うよな……」
「あはは……。でも首筋に短剣を突き刺した後、鎧が乗っ取ろうと襲って来てね。逃げようとしたら合流した護衛にグサリ。死体は見る見るうちに鎧の中ってね」
「何?」
何だそれは。
つまり彼女は護衛の騎士に裏切られたという事か?
「うん、大方誰かにお金でも握らされてたんでしょ」
あっけらかんと言い放つ瑠璃。
だが少年はその話に違和感を覚えずにはいられなかった。
どういう事だろうか、自分も彼女も魔王討伐は成し遂げたと言うのに仲間に裏切られて死んでいる。これはどういう因果だと言うのか。
そもそも護衛に指名された騎士が金程度で裏切るのだろうか。魔王退治は言わば世界の命運を賭けた生きるか死ぬかの戦いだ。そんな信用に値しない奴を普通に考えて勇者の傍らに置くだろうか?
「……ダメだ、埒が明かない」
一瞬、魔王と国がグルだったと可能性を考えたが、それなら魔王を殺させる前に勇者を殺す筈だ。仮に魔王の死を望む魔王サイドの者だったとすれば話は通るが、果たして琥珀だけにバレず残った5人の仲間に接触する事など可能なのだろうか。勇者を殺して発生する利益は……、考えないでおこう。胸糞悪くなるだけである。
それに誰がどうグルだったか等、『元』仲間に聞けば自ずと明らかになるに違いない。
「……あぁ、アイツらの事考えてたら、何かムカついてきたな」
「え?」
渡る世間に鬼は無しとかいう言葉があるが、あれは嘘だ。正しくは『連れ添わないから鬼がいない』のだ。人間、長く付き合えば相手の欠点や短所も見えるし、性格の不一致等も明らかになる。ただ一時の付き合いしかしないから鬼に見えない、それだけなのである。
と言うか鬼を押し付けるなと声を大にして言いたい。勇者は動く児童相談所でも刑務所でも厚生施設でも無いのだ。
「それで、琥珀はこれからどうするの?」
「……俺は、奴らと話がしたい」
どうして自分を裏切ったのか、どうして何も言ってくれなかったのか。それが知りたい。何の嘘偽りも無い、彼らの本当の心中が聞きたい。
「良いの? 10年経ってるとは言え、また殺されちゃうかも知れないよ?」
「それでもだ。理由を知らないままってのは気持ち悪い」
変わらないね、と苦笑する幽霊少女・瑠璃。
例えどれだけ怒っていても、琥珀という少年は根が優しい善人であった。
☆
外に出るべく瑠璃に案内されるままに階下に降りると、そこには安楽椅子に座った男性がいた。
種族は恐らくエルフ、年齢は人間で言う60前後か、70は行っていないだろう。もっともエルフは人間の倍以上の時間を軽く生きるので、実年齢はもっと上だろうが。
「おやおや、目覚めたのかい?」
「はい、お世話になりました」
安楽椅子から振り向き、朗らかに笑う男性エルフ。
瑠璃は彼の事を館の管理人だと紹介した。この古い屋敷を管理し、瑠璃が重傷を負った琥珀を匿うための場所を提供してくれた御仁である。
「君が、そうか……。君がルリちゃんが大切に守っていた少年か」
「相原琥珀と申します」
「ジル・コンラッドだ、この屋敷を縁あって管理し、また占い師をやっていた、ただの老いたエルフだよ。ふむ……」
コンラッドは体をどこか悪くしているのか、ゆっくりと立ち上がると椅子に掛けてあった杖をついて琥珀に歩み寄った。
「コンラッドさん?」
「ああ、良い目をしている。だが希望に満ちているにも関わらず闇がある。暗い絶望を知り、希望を持つ目……。そうかそうか、闇属性というのも頷ける」
意味深に頷くエルフの翁。
琥珀が闇属性に変化した事に何か勘付いているようだが、雰囲気からして教えてくれなさそうだ。旅の中で、こうした輩には無理矢理でも物事は聞き出せない事を少年は経験している。
琥珀は黙って老エルフの先の言葉を待った。
「少年よ、何を望む? 人の身では長き時を癒しに使い、何を願う?」
「俺の願い? そんなものはただ1つ。何故あいつらが俺を裏切ったか、です」
金のためと言われれば納得しかねない程度の連中ではあるが、理由は聞きたい。
聞いた上で怒りを覚えればケンカするし、正当なそれであるなら文句程度で諦める。後ろから刺されて既に10年、怒っていないと言えば嘘だが時が経ちすぎた。過去の怒りは恨みとなり、怨恨になる。怨恨は怒りと異なり心にいつまでも根を張る。根を張ったマイナスの心は人を変えてしまい、ついには歴史に残るドス黒いシミとなるのだから。
「そうか」
老人は短く頷くと、ゆっくりとある方角を指差した。
「若くも聡明な少年よ。私が指差す方角へ行きなさい。君の最初の目的地はそこにある」
「おお、ありがとうございます!」
琥珀は知らない。瑠璃も知らない。
この老人、ジル・コンラッドが何者なのかという事を。
どうして闇属性に己がなったのかという事を。
この先に何が待ち受けているのかという事を。
何も。
何も、何一つとも。
ただ少年少女は、自分達を匿ってくれた屋敷の管理人という理由で、幼馴染が信じているという理由だけで老人を信じた。
それが後に何を引き起こすかは、誰も何も知らない。
良くも悪くも、或いは、幸か不幸か。
旅支度を早速整えようと意気投合する琥珀と瑠璃は、そんな事を思いつきもしなかった。
To be continued