1-10 強襲
良い予感は当たらずとも、悪い予感は当たるもの。
得てしてそれは、虫の知らせ。
弱者は力を振るえずとも、強者はいくらでも振るえるもの。
得てしてそれは、傍若無人。
駐屯基地を襲撃してゴッシェ達と入念に話し合った結果、リチムには翌日の昼頃に発つという結論に落ち着いた。
本当なら食料を受け取るチームだけ残しすぐにでもこのクソッタレ基地を出発したかったのだが、リチムまでは本当に道無き道を突き進む事になるし、時刻は既に夜。性奴隷として監禁されて弱った少年少女達が進軍するにはあまりにも条件が悪い、との事である。
取り敢えずスピネルなる悪代官に阿る不届きな騎士共は全員あの四畳半も無い部屋に拘束して叩き込み、子供達は比較的上質な騎士の寝床に寝かせておく事にした。何の償いにもならないだろうけど、とはゴッシェの部下の独り言だが、それでも償う気持ちがあるだけ連中より何百何千倍もマシというものだ。
そして琥珀と瑠璃も、この基地の長(念のため明言するがスピネルでは無い)が使っていた部屋で休む事にした。見張りに2人とも立候補したのだが、ゴッシェに
「それなら自分や部下がやります。お2人、特にノワール殿は全力を振るえるよう今はお休み下さい」
と語気を強く言われてしまえば、こっちも引っ込まざるを得ない。休む事もまた戦いの内、と自分達を納得させ、転生幼馴染男女は柔らかいベッドに腰掛ける。
「私は幽霊だから寝なくても平気なんだけどなぁ」
普段の黒いボブカットに戻った瑠璃が苦笑する。肉体という枷から解き放たれた少女は、筋肉に依存する能力を失った代わり、身体的な制約を受けなくなっている。
「ゴッシェさん達は感謝したいんだよ。集中力を養う意味でも、ここはお言葉に甘えさせて貰おう」
しかし制約を受けず、したがって眠気を覚えないかと思えばスヤスヤ眠る事が出来るし、五感もある。生に根付く感覚や価値観は健在だし、実体と透過を個人の意思で切り替える事も出来る。考えれば考える程、彼女には不思議が山程あった。
ちなみに鎧姿のノワール状態ではゴッシェ・ナトイには「殿」を付けていたが、“相原琥珀”に戻った際には「さん」付けで呼んでいる。彼の見た目は琥珀の実年齢26歳より下と思われるが、その内10年は眠っていたため、琥珀としては年上に思えて仕方ないのである。
こんな事を言ってしまうと2年も離れ離れになった上、10年もそのまま精神的に加齢した瑠璃は更に難しい事になりかねないのだが、その辺は面倒なので割愛。
「ねぇ琥珀。この後はどうするの?」
「リチムを立て直す。畑を耕し、家を建て、経済を回すんだ。ある程度賑わいはじめれば、亜人差別主義者のサルヴァトーレは絶対に気付いて自分で出張るか、最低でも派兵する。
派兵するなら片端から薙ぎ倒す。奴が直接来るなら斬り捨てる。兎に角、このシンシャに蔓延る悪政を根絶しなくちゃ始まらない」
この神聖大帝国シンシャの何が悪いかと言えば、サルヴァトーレ・ファーゴとそれにゴマをする彼の同類の存在に他ならない。
国は大きいものだが、だからと言って我儘を通して良い理屈はそこには無い。国とは1つの命なのだ。臓器が勝手に役割を放棄すれば機能不全に陥るし、外部から干渉する栄養や他人が無ければ命は長くないのだ。
「出来るの?」
「出来るかどうかの質問に意味は無い。これは俺の義務だ、どうしようも無い奴らに信頼を置くと言う愚行の結末。世界を壊した魔王は、俺だ。ならあの5人は魔王の眷属であり、手下の諌めるのは頭である俺の役目だ。そうだろう?」
「それは……、そうかもだけど」
他の4つの国の情報は、現在殆ど入っていない。しかし法治国家である現代日本から来た身からすれば、正直信じられないような情勢が断片的にだが聞く事が出来た。
日本とて、完全に安全じゃないし平等でも無い。これは人間が人間である以上、どうしても避けられない事だが、それにも限度がある。
「さ、明日も早い。俺も疲れたし、寝るよ」
「あいさ~」
ふっ、と瑠璃が息を吹き掛け、部屋の照明であった蝋燭の火を消す。一瞬で部屋の中は暗闇が支配する領域と成り変わった。
山腹にある基地という事で既に周囲も真っ暗。あるとして星明かりと、見張りが焚いている松明の火ぐらいである。
「お休み」
言うが早いか、琥珀からは寝息が零れ始めた。1日中歩き回っていたのだ、顔に出さずともやはり疲れてしまっていたのだろう。
「うん、お休みなさい」
もう少しだけ寝ずに番をするか、と瑠璃は肩を竦めると、目を閉じた幼馴染の顔をゆっくりと覗き込んだ。
「……琥珀。アンタは自分の所為だ自分の所為だって言うけどさ、そんな事無いと私は思うよ。別に琥珀がこうしろああしろって言ったワケじゃないんでしょ? じゃあ琥珀が責任感じるのはおかしいよ」
そんな半透明な少女の呟きは、誰にも届かず闇に溶ける。
☆
翌日の昼過ぎ、この基地に配給される食料を受け取るための人員としてゴッシェの部下4名が残る形で、一行は出発した。
無論、昨日琥珀が取っ組み合いの末に叩き伏せた腐れ騎士共は全員監禁したままである。逃走を封じるため窓は嵌め殺しだし、扉は分厚くて重い。小窓から水と食料だけ差し入れておけば、取り敢えず死にはしないだろう。
「馬と馬車道が残っていて何よりだ」
「他の基地では軍馬を食べて飢えを凌ごうとしたという話を聞きました。……尻尾を振らないと、誰もこの国では生きられないなんて、間違っていると僕は思う」
「同感だ。ヒトには、ヒトらしく生きる権利と義務がある。それを取り上げる事は誰にも許された事では無い」
命の講釈をする気は無いが、尊厳すら強者に委ねられるような世界には流石に口を挟む。
仮にそれが絶対の才知を持った王であるなら、或いはそういった道もあるのかも知れない。だがサルヴァトーレは違う。奴に、そんな資格は今も昔も無い。
奴に関してはもう顔を思い出すのも嫌になるので、琥珀は兜越しに馬車の荷台に目を向けた。
「トントントントン、ヒゲ爺さん♪」
「「とんとんとんとん、コブ爺さん♪」」
荷台にいる年齢も性別もバラバラな子供達を、瑠璃は一手に面倒見ていた。幼児向けの手遊び歌であっても小さな子達にはウケており、彼女達が笑うに連れて大きな子達の顔にも微笑みが浮かんでいた。
昨日まで濁り切った瞳をしていたと言うのに、瑠璃に触れて少しずつその目に光が戻り始めている。彼女の子供受けする性格と気の回し方には頭が下がる思いだ。
性被害者達や瑠璃がそちらの遊びに集中していると感じた琥珀は、声を潜めてゴッシェに話題を振る。
「……ゴッシェ殿。サルヴァトーレ・ファーゴが10年前にあった、とある王国の公爵貴族の嫡子であったという事はご存じか?」
「初耳ですね、それは」
「俺も事細かに知っているワケでは無い。だが奴は優れた兄や姉に比べ、全くと言って良い程に才能に恵まれなかった。故に騎士団に所属したが、ここでも問題を起こしてな……」
そんな時だった、琥珀と仲間達がサルヴァトーレと出会ったのは。
旅も中盤を越えた頃で、彼が仲間に入ったのは旅が終わる半年前かその辺だったと記憶している。
「騎士団も公爵家の嫡子を無碍には出来なかったが、しかし彼の居場所を確保すれば軍の内部に不満が溜まる。これ幸いと彼らは勇者コハクに、サルヴァトーレ・ファーゴの世話を押し付けたのだ」
「それは……、何とも勇者に同情してしまうなぁ」
「勇者一行は当時大きく名乗りを上げ、各地で優秀な戦績を得ていた。名声も申し分無く、ファーゴ公爵家の顔に泥を塗る事も無い。かくして、奴は勇者一行に加わったそうだ」
もっとも、琥珀の仲間になってからも別に活躍したワケでは無かったが。
サルヴァトーレの武器は琥珀と同じ剣なのだが、琥珀は喧嘩慣れして鍛えた肉体という下地に加えて召喚された国でも腕利きの騎士による稽古が乗り、更に1年の実戦経験があった。
一方サルヴァトーレ・ファーゴは訓練は怠けていたし基礎体力も無い。剣の握り方から琥珀が教えたと言えば、彼が騎士団生活でどれだけ遊び呆けていたか分かるだろう。
「優秀な兄と姉がいたのだ、多少歪むのは致し方無いだろう。多少は、な」
「多少は、ね」
多少は、である。
「兎角、サルヴァトーレ・ファーゴは所謂“出来損ない”であったという事だ。その境遇やコンプレックスがこの国の惨状を招いているとすれば、奴の言動の動機は理解できよう」
ハッキリ言えるのは、彼の歪んだ思想を矯正する機会も無いまま、今を迎えてしまっているという事だ。
そこだけが、サルヴァトーレの歪みを正面から受け止めてやらなかった事だけが、少年の僅かばかりの心残りである。
「ったく、奴が闇属性で無い事が寧ろ不思議ですよ」
「闇属性と性悪をイコールで繋げるのもどうかと思うがな」
闇属性=邪悪では無い事は、この世界ではあまり知られていない。闇属性魔術を魔族、正しくは裏世界の住人が使うとされている事が理由だ。敵が使う術ならば邪悪な物であるという図式は、分からなくも無かった。
そうだ、と琥珀はある事を思い出す。
「ゴッシェ殿、訊ねたい事が1つ。闇属性の魔術について詳しく書かれている書物はないだろうか?」
「闇属性魔術の本? また何故?」
訝しげに尋ねるゴッシェに、琥珀は「……少々入用でな」と適当な事を言っておくに止まった。まさか自分が使うからとは、今の環境では言えない。
青年騎士は暫く首を傾げていたが、有難い事に追及はして来なかった。
「恐らく王城の書庫に行けばあるかも知れないですね。あそこなら本も大量にあるし、1冊くらいあっても不思議じゃない」
「感謝する」
――どの道、クソ猿と戦う事は避けられないだろう
――なら城にも何かしらの形で関わるだろうし、好都合と考えるべきか
琥珀が使える闇属性魔術は10年前の旅で見た3種類のみ。それぞれ<ナイト・ヴィジョン><ダークアロー>、そして未だ使用していないもう1つ。
別にそれ以外記憶していないワケでは無く、単に試し撃ちして使えたのがこの3つのみというだけである。
3種類以外使えなかった理由も王城に行けば判明するかも知れない。そう考えると、これからのレジスタンス活動に向けて俄然やる気が湧いて来た。
その時だった。
――ゾワッ
「っ!」
琥珀の背筋を嫌な予感が駆け抜けた。
虫の知らせ、と言っても良い。兎に角、悪寒が走ったのだ。
「――ゴッシェ殿、リチムまで後どのくらいだ?」
「そうですね、もう1時間もすれば見えますよ」
「すまないが急いでくれ。何か嫌な予感がする」
18ヶ月の旅路の中で、こういった胸騒ぎが杞憂だった試しが無い。
生存本能とでも言うべきか、琥珀の生きるための本能に直結したこの感覚は、かなり鋭いと自負している。
今回ばかりは杞憂であってくれ。琥珀は心の中で必死にそう願った。
☆
琥珀が馬車を急がせた頃、リチムには部下2,000人を率いたマフィックが到着していた。
マフィックはサルヴァトーレの部下の中でも随一の切れ者なだけあり、部下を400人ずつ5つの部隊に分割。4つの部隊はリチムの東西南北に、そして残る400人をシェルターに利用している古井戸の周辺に集めると、総勢2,001人の包囲網を完成させた。
リチムの地形は東西に延びた街道と南北に位置する森で形成されており、街道に配備した400人2チームの内、1チーム100人は最低でも森の中を見張るようにしている。この辺りはサルヴァトーレに任せると全員で突撃しそうであるため、彼の戦術眼が最低でも王より上という事を示唆している。
マフィックは一見すると枯れた井戸を覗きこむと、あっと言う間に透明化させた梯子を見つけ出し元の色を取り戻させた。
「隊長、それは……」
「ふん、何処ぞのチンケなド三流魔術師が掛けた隠蔽の術だ。一見すると分からんが、所詮ド三流はド三流よ。我のように魔術に慣れた者ならばすぐに分かる」
だが避難場所に井戸の底を利用しているのは賢い選択だともマフィックは密かに思った。
出口が別にあるかも知れないが、入り口がこんなに狭くては大軍を投下する事が難しい。充分な戦力を確保するより早く、避難民の撤退が完了してしまうだろう。
ならば、それならそれでやり方はある。
「全員下がれ、大規模魔術を使う」
「ハッ!」
マフィックは部下に後退を指示し、懐から一本の巻物を取り出した。
スクロールと呼ばれる、使い捨ての魔術の触媒の一種である。価格も品質もピンからキリまであり、高価な物は国家予算を投じてまで買う価値があるとされる。
1m四方の羊皮紙を広げて地面に置くと、そこを中心に巨大な魔法陣が展開された。マフィックの魔力に合わせた色合い――通称『魔力色』――であるチョコレート色の輝きが地面に満ちる。まだ昼間だと言うのに、その光は誰の目にもハッキリ映る程に眩い。
「――地に満ちる杉の根よ」
マフィックがその口から言の葉を紡ぐ。
呪文詠唱という、魔法を正式に成立させるためのプロセスだ。
「空に溢るる柳の葉よ。我は今、果てなき木々の恩寵を込めて希う。地の底に眠る穢れの眠りを妨げ、森の怒りで雲を突け! <トレント・ラスィズ>!!」
一際強く魔法陣が輝いたかと思うと、周囲の地面が激しく揺れ動き始めた。
部下が何事かと騒ぐのを気にする事も無く、マフィックはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて事の成り行きを見守っている。
やがて腹の底に来るズシンという音と共に大地にヒビが入り――
「うわぁあああああああ!?」
「キャアアァアアアアア!?」
下から無数の木の根と共に、避難していたリチムの住人達が間欠泉のように空へ吹き飛ばされて現れた。
「フハハッ、地の利を得て守るというのならば、その地の利を覆せば良い! 感謝しろ愚物共、このスクロールは2枚で家が建つ程に高価なのだからな!!
よく聞け、リチムのゴミ共! この村はこのマフィック率いる神聖なる軍が包囲した! 逃げ場は無いぞ!」
地面に叩き付けられたリチムの住人達は何が起きたのか理解していないのだろう、亜人も人族も皆揃って周囲を見回している。
しかしやがて周囲を国軍に囲まれていると理解したのか、痩せた手足で近くに落ちている武器になりそうな物を手に取った。この国で軍と言えば趣味で民を嬲るサルヴァトーレの手足でしか無いのだから。
「ふむ、造反の意思あり。反逆罪で3日3晩拷問した後に処刑だな」
淡々と呟くマフィックの姿は、その場に居合わせた部下すら恐怖を感じたという。
『セレナ、その大きな根の陰に隠れてなさい』
『で、でもおば様!』
『奴らの狙いは多分アナタよ、私達じゃない』
そんな彼の狙いがセレナである事を理解していたのだろう、彼女の保護者であるセッカはこっそりセレナを隠そうと立ち位置をズラし、半歩前へ空手で出た。
「国軍が何の用ですか? 我々はこの地に生き残ったただの塵芥、決して神聖なる帝王閣下のご不興を買うようなマネは致しておりませんが」
「不興を買っていない? クク、カハハハハハ! そんな言葉でシラを切ったつもりか、全く亜人というのは揃いも揃って頭の悪い連中よ! そんなだから貴様らは絶滅するのだ!!」
セッカを馬上から見下し、黄ばんだ歯をむき出しに嗤うマフィック。年齢からして倍は離れていそうな大男の嘲笑に、セレナの保護者は戸惑った。
「ならば改めて貴様らの罪深い血について言及してやろう。王は貴様らの血すらこの地に望まぬ、生きていた痕跡すら深いと仰った! これの意味が分からぬ程愚かでもあるまい?」
その言葉に皆が後退りする。これから襲い来る死の運命に恐れを抱くのは当然の事だ。
「……だが、貴様らの中に白い髪の畜生亜人がいる筈だ。そいつを大人しく差し出せ。我も無駄に剣を振るって疲れるのは真っ平でな、そうすれば殺すのは貴様らの内の半分にしてやろう。
さぁ選べ、皆殺しか、白い畜生亜人を差し出して半分だけ生き残るか!」
村の人々は一瞬だけ迷った。セレナを差し出せば、自分は助かるかも知れない。だが助からないかも知れない。何よりサルヴァトーレの部下が口約束を守ってくれる保証は無く、しかしこのままでは確実に助かる道は無い。
だが誰かが何かを告げるより早く、ものの数秒も空けずにマフィックはその口角を高く釣り上げた。
「無言が返答ならば没交渉だな。仕方あるまい、皆殺しにしろ!」
「なっ!?」
「まったく、土人が増長しおって! 我々貴族の尊き言葉は貴様の命を千集めてもなお足らん程に重いと知れ。我らが生きろと言えば黙って生きて搾取されよ、死ねと言えば拒まず愉快に死に踊れ、それが貴様らの責務であり、この国の秩序を司る根幹である!
身分を弁えずに生き永らえ、この国に汚らわしい臭い息を吐き続けるような蛆に命は不要! 蟲に反逆され、陛下はお怒りである! よって全員、この場で天誅を下すのだ!!」
あまりにも一方的な物言い。しかしこれが、この10年で繰り返された、この国の政治体制である。
蒼褪め、恐怖に震える人々の声を聞かないためにか、マフィックは今一度声を張り上げ、部下に命じた。
「これより粛清を開始する! 逃げ出す者は足を斬り裂いてから殺せ、抵抗する者は腕を斬り落としてから殺せ! 金品と食料は根こそぎ徴収せよ、これは正当なる断罪である! 総員、抜剣!!」
うぉおおおおおお!!と立ち上る勝鬨と共に、腰の鞘から鋼の長剣が引き抜かれる。
マフィックの右手に握られた人の命を奪う鈍色の輝きは、過たずして目の前にいたセッカを斜めに深々と切り裂いた。
その日、リチムの町は無辜の血によって、赤い花畑と化した。
To be continued




