アンラッキーシンドローム
7作目となります。
頭の中で考えた話をきちんと文字としてアウトプットできなのがもどかしい今日この頃です。
感想や評価などいただければ嬉しいことこの上ないです。
もしも願いが一つ叶うなら、俺はきっと間違いなくこう願うだろう。
こんな病気が世界から無くなってしまえばいいのに、と。
突発性不幸誘起症候群、通称「アンラッキーシンドローム」、それが俺の抱える病だ。
症状はその名の通り、突然いきなり予兆無しに不幸や不運が自分の身にやってくるというもの。
タンスに小指をぶつけるレベルから事故で無残に死ぬレベルまで、この病におかされた人間は、自分がいくら注意しようとも絶対に何かしらの不幸に見舞われる毎日を過ごすことになる。未だ原因不明の、患者数もごく少ない未知の病気というわけだ。
脳の機能障害や血行障害等を理由として注意力及び身体能力が低下することにより事故に遭いやすくなるだとか、不幸な出来事だけを印象強く覚えてしまう記憶障害の一種だとか、一応のところのそれっぽい理由づけはされている。
しかし、もはやこれは病気ではなく呪いの一種だと、俺は強くそう思う。どこかの誰かがばらまいた、迷惑極まりない厄介な呪い。
なぜならばこのアンラッキーシンドローム、ただ単純に自分に不幸をもたらすだけの病気ではない。周囲の人間にも強い影響を及ぼすという現実離れした恐ろしい症状があるのだ。それも、その人間と親しければ親しいほどに効果は強い。
だから、俺は今は独りぼっちだ。
この病気にかかってから、実家を追い出されて家族とは離れて暮らしている。
この病気を知られてから、十数年来の親友とは縁を切られてしまった。
この病気にならなければ、もしかしたら恋人も居たかもしれない。
今は、病院の一室でただ独り。ただ無為な毎日を過ごしている。
医者や看護師と接する際も、モニター越しだったりメールでのやり取りなどと、直接会って会話することはない。
別に親しくはなくとも、多少なりともこの病気は効果を発揮するからだ。物理的な距離が近いだけでも相手に影響を及ぼしてしまう。
逆に、いくら親しい相手であっても物理的な距離が非常に遠い場合、これでも病気は効果を発揮する。ある患者のケースによると、インターネット上で知り合った外国人と親しくなった際、相手の顔も知らず住んでいる場所も数万キロ離れていたというのに、見事に「不幸」が訪れたということだ。
だから、この病気にかかった人間のほとんどは隔離病棟に入院し、不幸により死ぬことはなくとも幸福も感じないような日々を過ごすのが普通となっている。
研究のために四六時中観察されるとはいえ、衣食住は完全に確保されるし、大抵の娯楽品も要望通りに支給される。病気になってもすぐに診てもらえるし、働く必要もない。
考え方によっては非常に理想的な生活と言えるだろう。この生活を羨ましいと思い、自分はアンラッキーシンドローム患者だと詐称する者すら現れるぐらいだ。
だが、「誰にも会えない」「誰とも話せない」ということがどれだけ辛いことなのか、それを彼らには想像してほしい。
テレビに映る相手を見ることも許されない。インターネットの匿名掲示板を見ることも認められない。「相手」という存在を認識した時点で、この病気は「不幸」を発生させるからだ。
そんな毎日を、俺は耐えきれなかった。
誰かに会いたい。誰かと話したい。
また両親や兄弟と一緒に暮らしたい。親友ともっと一緒に話したい。
恋人だって欲しいしいつかは結婚して幸せな家庭を築きたい。
俺の存在をきちんと認めてほしい許してほしい。
一人は嫌だ。独りは嫌だ。どうして俺がこんな不幸な目に会わなくちゃいけないんだ。
別に、他の人間の不幸ぐらいどうってことないんじゃないか?
今こうして俺は最大限の不幸を味わっているんだ。それで他の人間の不幸が何だと言うのだ?
少しぐらい平気だろう、少しぐらいなら病気も効果を発揮しないかもしれない、発揮しても少しで済むかもしれない、そうだ、少しの不幸ぐらいならいいじゃないか何か問題があるのか?
そうだ、もう俺はこれ以上ないってぐらいの不幸を味わっているしそれがこれからもずっと続くなんて耐えられないし、ならほんの少しの変化ぐらい求めたって罰は当たらないだろうし、大丈夫だ、ちょっとだけ外に出てみるぐらいなら、ちょっとだけ街を歩いてみるぐらいなら許されるだろう。
そして俺は、病院を抜け出した。
時間は真夜中、人通りも全くない。
うん、これなら大丈夫だろうと、病院近くの住宅街を俺は歩いていた。
鳥の糞が頭に落ちてきたり、何故か何処からともなく飛んできた野球ボールが顔に当たったりなどといった小さな不幸が既に数回ほどあったが、まあこのくらいなら慣れたものだ。
大丈夫、もう少し散歩しよう。誰とも会わなければ問題ないんだ。この時間に人が居るわけがない。
後から思えばこのときはまともな精神状態ではなかったのだろう。いくら真夜中とは言えども外を出歩く人が必ず居ないとは言い切れない。実際、自分がまさにこうして出歩いているのだから。
ふと、足を止める。
今、何か人の声が聞こえたような気がする。
久々に聞こえた人間の声に少し興奮しながら、しかし慎重に耳を澄ませる。半ば発作的に病院を抜け出したとはいえ、落ち着いて考えると絶対に人と会うわけにはいかないのだ。それで何が起こるか、どんな不幸が起きるか分かったものではないのだから。
声の代わりに、足音が一つ。静かな闇の中から響くように、こちらに近づいて来ている。
会うわけにはいかない、でも誰かに会いたい。
気持ちの板挟みに悩みつつ俺が出した結論は、背を向けて道の端に立つというものだった。
これなら相手のことを見ることもないし、向こうも怪しんでさっさと通り過ぎてくれる。あとは遠ざかる相手の後姿を見て、久しぶりの人の姿を目に焼き付けるとしよう。
足音が、近付いてくる。
近付いてきて、近付いてきて、近付いて来て俺の後ろを通り過ぎ……と思いきや、予想だにしなかったことに、その人間は俺にぶつかってきやがった。
思わず、そいつの顔を思い切り睨んでしまう。
おそらく、高校生ぐらいの少女だ。学校の制服らしきものを着ていることから、まあ間違いないだろう。
こんな時間に外をうろついているのはいかがなものかと一瞬思ったが、それより彼女の顔、その両目に注視してしまい、さらに思わず声に出してしまう。
「目、見えないのか」
俺の声を聞いて、少女はぶつかった何かが人間だということにやっと気づいたらしい。
慌てて頭を下げ、心の底から申し訳なさそうに謝り始めた。
「すみません、すみません! 全く見えなくて、本当にすみません!」
ぶつかられたことは別にどうでもいいが、目の見えない少女が、こんな時間に制服で、杖や盲導犬も無しに一人で出歩いてるというのはどういうことだろうか。
アンラッキーシンドロームの存在を一瞬忘れ、いや、存在から目を逸らすことにして、彼女にその疑問をぶつけてみることにした。少々の会話なら平気なはず、だろう。
「あはは……学校から家に帰る途中だったんですけど、途中で杖が野良犬か何かに持って行かれちゃって……。どうにかここまで、あ、もう家はすぐそこなんですけど、ここまで手探りで帰ってきたんです」
そしてあと少しだと油断して俺とぶつかってしまった、とのことだ。
未だに野良犬なんてものが街中に存在していることに驚きだが、さらに杖を持って行かれるだなんてベタな「不幸」だな。改めて見てみると幸薄そうな顔つきをしている。
「私あんまり運がよくないんですよね、昔から。この目だって、先月ぐらいに突然見えなくなったんですよ、病院に行っても原因は分からなくて……」
もしやアンラッキーシンドロームなのではとも病院で聞いたことはあるそうだが、どうやらそういうわけではなく、ただ本当に生まれついて極端に「運が悪い」だけらしい。アンラッキーシンドロームほどではなく、しかし確実に常人離れした運の悪さ。
ある意味そういう、「病気」と「通常」のボーダーに居るというのもなかなかに不幸ではあるな。
「あはは……、本当にすみませんでした、ご迷惑をかけてしまって」
少女は何かを諦めているかのような寂しい笑顔を浮かべる。
確かに、いきなり視力を失ったともなれば戸惑い絶望の淵に立たされたことだろう。
だがその程度の不幸、俺のアンラッキーシンドロームには遠く及ばない。
なぜならば、他人にも影響を与えるというふざけた症状、呪いじみた症状がこの病気にはあるからだ。ただの不幸とはわけが違う。
そしてさらに、この病気にかかったことで初めて分かる症状が実はもう一つある。
その症状は今まさに、俺の心と体をむしばんでいる。病院を脱走したのはその症状の初期段階に過ぎない。そのまま誰とも会わず、大人しく病院に戻ればこの症状は進行せずに済んだだろう。
しかしこうして実際に人と会い、会話してしまったことで、症状は一気に悪化した。
この症状こそが、アンラッキーシンドロームにより患者が死亡する大きな理由。
それが、その症状が、ついに俺にも訪れ、
「あんたの不幸、俺がもらってやるよ」
と、言葉となり口から飛び出した。
アンラッキーシンドローム患者が死亡する主な理由は、その不幸により事故死してしまうこと。
正確には、「他人の不幸を引き受けることにより結果的に事故死すること」だ。
そう、このアンラッキーシンドロームは、ただ単に自分に不幸を与えるだけでなく、他人にも影響を及ぼす。
他人に影響を及ぼし、本来彼らが受けるはずだった不幸を、自分の方に招き入れてしまう。それがこの病気の真に厄介な点なのだ。
自分一人分の不幸ならば、この病気によって死ぬことは少ない。それこそせいぜいタンスに小指を一日に数回ぶつける程度か。
だが他人の、周囲の人間の分の不幸も背負うとなると、不幸のレベルは一気に跳ね上がっていく。例えば落雷に遭うなどの滅多にない「不幸」すらも当然のごとく起きるように。
だから俺の家族は、危険な目に遭わないようにと心を鬼にして俺を実家から追い出した。
だから俺の親友は、俺の身を案じてもう二度と合わないようにすると縁を切ってくれた。
医者や看護師が直接接しようとしないのも、俺たち患者が不幸な目に遭わないようにするためだ。
人と接すること自体が不幸につながる病、しかし人と接することができないという不幸を背負う病。それがアンラッキーシンドロームというわけだ。
そして人と接することのできない不幸に陥った患者は、誰かとの繋がりを強く渇望し、見失った自分の存在意義を得るために誰かの役に立ちたいと強く願うようになり、自らの病気をもって誰かの不幸を引き受けてしまう。
たとえ自分がその不幸により死ぬことになるとしても、それを分かっていてもこの思考は止められない。
患者の思考を捻じ曲げて捻じ曲げて捻じ曲げて、死に至らしめる病気。
アンラッキーシンドロームは、そういう病気なのだ。
そんな病気にかかった俺は、まさに不幸と言えるだろう。
そう本当に、こんな病気にかかってしまって不幸極まりない。
何よりも、こんな病気にかかってしまっていることを、今こうして嬉しく思えてしまうというのは本当にふざけた「不幸」だ。
俺がこの病気にかかっていたおかげで、この目の前の少女の不幸を取り除いてやれる。
それがどうしようもなく嬉しくて嬉しくて、幸せだとすら感じてしまう、この上ない「不幸」だ。
この嬉しさも病気によるものだとは理解している。
この少女の不幸を引き受けることで歯止めが利かなくなり、次々に他の人間の不幸を引き受けようとしてしまうことも理解している。
結果、俺は近いうちに不幸により死んでしまうことも十分に理解している。
それでも俺は、今のこの嬉しさを失いたくはない。
「私の不幸を……?」
突然の俺の言葉に、少女はきょとんとしている。
当たり前だが、初対面の男に突然そんなことを言われても意味が分からないだろう。俺がアンラッキーシンドローム患者だとは思ってもいないだろうし、この病気の症状も詳しくは知らないかもしれない。
まあ、そちらの方が都合がよい。少女が何か気に病むようなことは避けたい。
そもそも、俺や少女の意思なんて関係なく、既に少女の「不幸」は俺の方に移されていることだろう。少し会話しただけでも効果が出ることはよく知っている。
「いや、何でもない。それじゃあ気をつけて帰れよ」
あとはさっさと立ち去るだけだ。
できればもっと久しぶりのまともな会話を満喫したいが、下手に居座ることで俺に訪れる不幸に彼女を巻き込みたくはない。万が一ということもある。
「あの……ありがとうございました」
少女の声を背中に、俺はまた歩き始めた。
街に出よう。人と会おう。誰かと笑顔で会話をしよう。
そうするだけで誰かの不幸を引き受けられる。
そうすることで誰かが幸福を手に入れられる。
そう考えるだけで、心の底から幸福感が湧きあがる。
ああなんて、俺は幸せ者なのだろう。俺以上に幸せな人間なんているのだろうか。
アンラッキーシンドロームにかかって本当に良かった、本当に幸せだ。
この幸せを世界中の人達に分けてあげたい。
もしも願いが一つ叶うなら、俺はきっと迷うことなくこう願うだろう。
世界中の人たちが全員、アンラッキーシンドロームにかかればいいのに、と。
読んでくださった方、本当にありがとうございます。
アンラッキーシンドロームが広がるというホラーチックな要素を、もっと前面に出して話を展開させた方が良かったような気もしています。