第六十二話 『たまたまだよ』
夜空の色を、まばらながら元の「黒」に戻した光と影の二つの螺旋は、突如現れた操流人の元へと戻っていった。戻った二つの螺旋は、じゃれつくように操流人の回りをくるくるしている。
アスモデウスと操流人。二人の間で視線が交じる。音のない火花が生まれた気配がある。
『なんだ…貴様らは』
「あ?てめぇこそ、何もんだよ」
一番最初に口を開いたのはアスモデウスだった。怪訝そうな表情に、新たに出現した敵に対する鋭い視線を張り付けた。
受け止めて即答する操流人は、彼らしいと言うか、荒っぽさが目立つ悪態ぶりだ。それでも二体の精霊たちは、その声に喜んでいるように飛び回っている。と、
「い、いやいやいやいやい…本当に、なんでって感じなんだけど?え、どうして君が今ここに?」
そんな彼に、アスモデウスの言うことの方が正しいよと言いたげな九津は尋ねた。呆けてしまっていて、反応が遅れてしまっていた。と言うか、操流人がここにいる現実を受け入れきれていないのも事実だ。さらに彼からの素直な返事はない。操流人は、詰まらないものを見るよな視線を九津に向けると、目元をひくつらせて怒りをあらわにした。
「ああ?んだと、てめぇ」
「まぁまぁまぁ、坊っちゃん。今回は急でしたし、ね、ね。金髪くんも心の準備が出来てなかったんですよ、まぁさか坊っちゃんに助けられるなんて」
「…あ?助けたわけじゃねぇ。うざったらしいチマチマしたのをぶち抜いてやっただけだ」
「ハイハイ」
そんな彼をたしなめるように、なだめるように後ろに控えていた男の一人が、操流人を制するように前に進み出た。
見たことがある男だ。どことなく、などというものではなく、明らかに女性らしさを追求しているようなしなりとした印象の男。彼も束都のものだったはずだ。
「それに一対多数っていうのは、精霊魔術師の方が得意じゃないですか」
「ちっ」
名前は確か枯枝看垂。しなやかな仕草で操流人に言い聞かせる。操流人は小さく毒づいたかと思うと、それ以上は何も言わなかった。
「束都の、人たち…なんで」
九津と同様に気がついた包女からも疑問の声が聞こえた。包女も知らなかったらしい。急だと言っていたのは、どうやら本当のことのようだ。さらに、
「あいつら…」
「あのオカ…じゃないのでした。あの人たちは…」
光森と瑪瑙も、現れたのがどんな人物たちだったのか気づいたようだ。瑪瑙は思わずこぼれ落ちそうになる真実に口をすぼめながら、言い直した。これで別の火種が上がるのは避けられた。
注目をあび、操流人の後ろに立っていたもう一人の男が前に出た。堅真面目そうに背筋を伸ばした男だ。
彼の名は布具敷唯螺。彼もまた束都に連なる精霊魔術師だった。
「この度、鷲都の当主どのの要請を受け、束都操流人さま以下我ら六名、助太刀に参らせていただきました」
唯螺はこんなところには相応しくないような静かで浅い礼をして宣言した。その言葉に驚いたのは、包女だ。
「え、嘘…まさか、こんなに早く…」
唯螺に対して包女は、信じられないものを見たように唖然としている。
しかし、それは無理もなかった。
実のところ彼女の父である鷲都の当主、日戸が念のためと魔術師の連盟組織たる「協定」に対して増援を要請してくれていたのだ。その事はもちろん包女だって知っていた。知っていたが、包女だって知っているのだ。そんなものが一個人に近い鷲都単体の要請に対してこんなに早く動いてくれることはないということを。
魔術師たちは普段、同じ魔術師同士なら力付くでことを解決することがある。あくまでも「協定」の決められた範囲でだが、互いに争うことがあるのだ。だがそれは、本当の緊急時には遺恨を捨てて、協力出来るのなら、などという前提の元で成り立てている。
そして今回、日戸はそれを使った。鷲都は現状、緊急性を要する事態に陥った。だから救援を要請する、と。
「協定」で決められていることであり、動いてくれる魔術師は多いだろう。だがそれは、要請を受ける側にとっては決して最優先事項ではないのだ。
助けに行ってしまうことで自分たちが受ける損害を計算した上で動く。それが当然なのだ。だから来てくれる望みはあるが、時間はかかる。少なくともギリギリ後始末に間に合えばいい、その程度であり、頭数に入れるには不安要素にしかならない、はずだった。
はずだったのに。
まさかこんなに早く来てくれるとは。それも今現在、おそらくもっとも鷲都と因縁が深い束都が、と驚きの表情になるのだ。九津たちだってそうだ。言葉にされた通り、まさか自分たちをあの操流人が真っ先に加勢しに来てくれるとは夢にも思わなかったのだ。
操流人は、そんな包女たちの心の内を知ってか知らずか、ふん、と鼻を鳴らした。
「ちっ。勘違いすんなよ、鷲都、金髪。たまたまここいらを散歩してたら、てめぇらが黄色い奴らに馬鹿みたいにあしらわれるから茶化しに来てやったんだよ」
「んもぉ、坊っちゃんたら、そんなことばっかり言ってぇ…」
やれやれと肩をすくめる看垂。彼は、自分の上司の言葉を代弁するために、頬に手を当てて思い出すように語りだした。
「まぁ、確かに…旦那様のところに来ていた鷲都家からの要請をぉ、たまたま耳にしてしまってぇ、たまたま暇だった坊っちゃんがぁ、たまたま散歩に向かった先がぁ、たまたま現場だったぁ、みたいな偶然はありましたけどね」
「看垂、てめぇは少し黙れ」
看垂は操流人に軽く睨まれると、ペロ、と舌を出して笑った。
全然、偶然なんかじゃないじゃないな。誰しも思って、誰しも言わなかった。正直、先程からは信じられないほどこの場に似つかわしくない明るい雰囲気が流れている。しかも、あの妖怪たちでさえも彼らが喋っている間、警戒をしながらも黙して動かないでいる。やはり、ベルゼブブの一角を散らしたのは有効だったらしい。
「えと、それって…」
包女がこの状況にますます困惑、混乱していると、唯螺が柔和な笑みを浮かべて述べた。
「つまり鷲都の当主代行どの。そして悟月どのを含めた鷲都に連なる方々、今回我々は、あなた方の味方としてここに参上させていただきました」
彼は精霊石を赤く輝かせ、顕現せよ、と囁くと己の精霊を呼び出した。するとふわふわと布の体を持つ彼の精霊が現れて、瞬時にその体から包帯状の布を伸ばして九津たちの体を巻いた。その包帯はすぐにとれた。とれた部分の傷は癒えていた。
「あの時の貸しを一つ、返させてもらいます」
「あ、あ、ありがとうございますっ」
包女は反射的に返した。これは魔力特有の活性と、精霊魔術の掛け合わせの回復術だろう。それに悪態続きの操流人だが、ベルゼブブの進行を阻止してくれたのは事実だ。本当に今回は味方なのだ。そう思うと、昂る感情を抑えたような声になっていた。操流人は詰まらなそうに顔をそむけたが、他の二人は満足そうに頷いた。
『赤き力を受け継いだ人間が増えたか…』
アスモデウスは、魔術師が増えたことに警戒しているのか動かない。他の妖怪たちも同じだ。束都の者たちを値踏みしているような、推し量っているような、それぞれだ。
『なるほど。増援がありましたか』
『知らん。あやつらが勝手に来ただけじゃ。妾たちの勝負には関係ない』
『おお、それもそうですね。続けましょう。さぁ、今度は私の番です』
勝負を続行し始めた者たちもいる。
『うわー、魔術師だー。人間の中でも注意しなきゃならないやつらだー…どうしよう、面倒だなー』
「まさかあのオカ、いえ、束都の方々が来てくださるとは…………ん?」
ことの成り行きを見る者もいる。
『へぇーへぇー、ま、じゅ、つ、し、かぁー、いいねぇ、いいねぇ、楽しそう』
そして見定める者。
光森は肩で息をしながら、束都に助けられたことを苦笑した。さすがにあのベルゼブブを相手に、魔術師たちが控えていてくれるとはいえ町に野放しにするのは不味かったからな、と。
すると、そんな彼のズボンのポケットから着信音が響いた。
彼は、ルシファーが束都たちの登場に興味がそそられている間に着信をとった。どうしてもとっておきたかったからだ。この状況で、無視することのできない相手。まさかと思いながら耳に当てると、
──よぉ、コーシン。なかなか日本のハロウィンは酔狂だな。なんせ本物が町を歩いてんだからな。
そこから響く声に、光森はさらに笑いたいような、驚きたいような複雑な気分になった。
因縁の相手が助けに来る。こういうのが、好みです。




