第四十七話 『のろいの終わり、まじないの始まり』
依り代である羅針盤が砕け落ち、黄色がかる緑色の光も終えた。もう動く気配のない式神だったものを見つめながら、流れる汗もそのままに九津はその場に腰をついた。そのまま空を見上げるように仰向けに倒れる。
ゆっくりと左腕を持ち上げる。見るとプスプスと煙が上がっている。内側で処理仕切れなかった源力が身を焦がしているのだろう。術式不発者とは言え、内側からなら己の力によって身を傷つけられるのだと再認識した。まったく、自爆巻き込み型の大技とはよくいったものだと思い、それに耐えてくれる自身の腕を優しく撫でてやる。
やり遂げた。正しくは、やっとのことで一点腕那という技を完成させることが出来た。今になって九津はそう思うことが出来た。それは今回のことは勿論そうだが、実のところそれだけではなかった。思えば「一点腕那」を使用したときに倒せない敵が多すぎたのだ。最強の魔女の教授があったにもかかわらずだ。
原動力者。人間相手に暴走を加減をしながらとはいえ、膝をつくことさえさせられなかった。全力を、などといいわけだ。力加減を調整できない自分の失態だ。
黄道十二宮にいたっては準備不足、不完全だったことを鑑みても、もっと上手くやれたのではと悔しい思いの方が多かった。
──この技は、あんたをどんな術師にも負けない男にしてくれるわ。
自分の師匠の顔が浮かぶ。こんなに期待に応えるために時間のかかる不遜の弟子を、信用して止まない彼女の顔が。
やっと期待に応える成果を得られた。グッと、痛む拳を握った。
彼女に対して、そしてこの場を自分に任せてくれた皆に対して万感の想いだ。
「これで式神の方はなんとかなるだろう…あとは…呪術師の方か」
いまだに遠くでは強い呪力を感じる。どうにも式神を倒された代償そのもので彼が止まった様子はなく、もはや妖力といっても過言ではないのではないかという気配が伝わるのだ。もしかしたらこれも竜脈の力のせいであり、此処まで人間の力を昇華させるものなのかと呆れ果てそうだ。
しかし、思い出した。呆れている場合ではないのだ。あの少女はまだあの場所で戦っているはずなのだから。よっ、と体を起こす。寝ている場合じゃない。
「…鵜崎ちゃん、頼んだよ」
自分の力の及ばない戦いを任せてしまった少女を想い、とにかく動かなくては。
黄道十二宮たちの動きがあからさまに鈍った。壊れかけの電動玩具のようにひどいものは一時停止を繰り返している。何よりその状態を物語っているのは霞んでいくその体だ。
「薄くなって来たわね…これはどう?界理」
「ん、いける、いけるよ、今なら」
桃輝の短い問いかけに、界理は即座に答えた。桃輝はニヤリ、といい顔になる。首を鳴らしながら一呼吸、自身の相棒である三刃の大槍を力の限りぶんぶんと振り回す。そして構えるや否や大きな声で最後の指示をとばした。
「皆、もうこいつらは回復しないわっ、全力で目の前のやつらをぶっとばしなさいっ!」
この頃になると包女も光森も応答よりも先に反射的に体が動いた。躊躇うことなく、自然に全力を込めた一撃を式神たちに放つために。
光森の呪力に対応した鉄拳が、獅子座の体を打ち砕く。包女の持つ筒音の変化した黒刀が、水瓶座の本体を切り裂いた。回復、修復が確かになくなった。二人は呼応するように次々と式神たちを倒していく。別の方向では桃輝と界理に薙ぎ倒されていく残りの式神たちの姿があった。
ついに最後の一体。桃輝が降り下ろした刃によって止めをさされ、霧散していった。
「消えた…んだよな?」
光森はその最後の呆気なさに、言葉を漏らした。あれだけ手こずっていたのが嘘のように感じたからだ。
「九津のやつがようやく本体を倒したってところかな」
「本体を?あの呪術師のことか?」
緊張感が途切れたのか光森が肩で息をしながら腰をついて尋ねた。その顔には疑問以上に汗が浮かんでいた。まだこういった戦闘に慣れていない彼には相当負担がかかっていたのだろう。しかし彼自身、そんなことは今の今までおくびにも出さなかったのはさすがといいたい。
そんな光森とは対照的に、汗一つかかずににっこりと微笑んで答えたのは界理だ。
「それは違いますよ、鯨井さん。私たちが戦っていた式神たちの本体だけだと思います。まだ呪力の流れが完全に止まったわけではないので…」
そこまで言って、遠くを見る。あの場所は瑪瑙が彼を追って向かった場所だった。
「そうか」
短く答えた光森の内心は複雑だった。当然、瑪瑙に対する心配がその大半を占めている。が、あとは界理に対しての疑問だ。なんで息一つ切れていない、なんで汗一つかいていない、そもそもあの大技はなんだ。それに九津に耳打ちして本体の場所に向かわせたのも界理だ。
不思議が詰まりすぎていて、何処からどう聞けばいいのかもわからない。
こりゃ、九津のやつも一目置くはずだ。何となくそこら辺を光森は理解した。少なくともそう自分を納得させてから、界理の視線の先を追った。
『心配するな』
桃輝でさえ口を開かなくなった沈黙の中、筒音の声が全員に響いた。
『お主らは瑪瑙という呪術師のことを知っておるじゃろうが。少なくとも妾は知っておるぞ』
いつもの人間の姿になった。腕を組みながら彼女は言う。
『あ奴が本物の呪術師である意地を貫く覚悟で挑んだのであれば、この呪術勝負、負けるはずがなかろう。なんせあやつは、とことん負けず嫌いじゃからのぉ』
と。シシシと喉を鳴らす笑い方も、今日はなんとなく優しくみえる。
そうかもね。言葉にさえしなかったが包女と光森はとくに納得した。なんせ、もっとも鵜崎瑪瑙という呪術師と戦ったことのある半妖が言うのだ、間違いないだろう。そういうことだ。
「筒音」
「筒音さん」
「キツネ、お前そこまであいつの呪術認めてたのかよ」
光森の言葉に肩をすくめ鼻を鳴らすと、あとは筒音も静かに黙りこんだ。光森はあとでこっそりと瑪瑙に伝えてやろうとニヤニヤした。桃輝は、そんな若人たちの姿を嬉しそうに眺めたあと、瑪瑙の身を案じて次の行動を思案した。
アーサンの様子がおかしい。
瑪瑙がその事に気がつくのに時間はかからなかった。それを証明するかのように続き様にアーサンが膝をついたからだ。立っていられなくなるほどの原因が思い当たらないが、顔色もどんどん悪くなっている。
「ど、どうしたのですかっ、急に」
状況を忘れて心配そうに瑪瑙は声をかけた。アーサンはそんな瑪瑙に血の気の引いた顔で嘲笑ぎみに笑い、語り出した。
『僕の本物の式神と戦っていた君の仲間に、どうやら本体を倒されてしまったようだよ』
瑪瑙は彼の言葉を理解するのに時間を要した。
そして、
『おかしいなぁ、結構強い設定だったはずなんだけどなぁ、呪力も充分に込めたし』
「あ」
ここに来てようやく理解した。向こうの暴れる式神たちの方は解決したのだと。あの式神たちを本当に一体残さず倒したのだろうと。
「ふっ、ふふふ、すごいのですね、私の仲間は」
自然と笑みがこぼれた。九津たち仲間のことを考えると、どんどん力が溢れてくるようだ。
「私も負けていられない…本当にそう思わされてばかりなのですよ」
瑪瑙は呟いた。そんな瑪瑙をアーサンが満足そうに眺めていた。彼は最後の力を振り絞るように、小さく言った。
『負けるとは…思わないかった……』
するとアーサンは本当に力尽きたように地面に突っ伏した。突然のことに瑪瑙は驚いた。
「え……あっ」
しかしすぐに理由は解った。呪術の危険性、つまり代償を思い出したのだ。それは式神が倒されたことによる反動だろう。あれだけの式神を操っていたのだ、その代償たるやどんなものか想像もつかない。しかも竜脈などという人外の力を使ってなどと。
それどころか、すぐに気を失わない彼の技術と精神力に感服したい。したい、が、瑪瑙はすぐに驚愕させられることになる。辺り一面に、妖力に近いほどの強さの呪気が溢れてきたのだ。その速度は早い。
「な、なんなのですか?これは、この溢れてる呪気は……呪力が止まらないのですか?」
辺りを見回し、はたと気がついた。気がついてしまったのだ。重要なことに。苦虫を噛んだように表情が歪む。
「しまったのです…呪術が途中で止まってしまったのですね…」
呪術は、揃えることが大切だ。言葉を、仕草を、道具を、時間を。そうすることで万能と錯覚するほど幅広い効果を発動できる。
ならば揃わなければ、いや、揃えることが出来なかったらどうなる。
例えば途中でやめること。
それはかなり危険なことだった。成功失敗の有無に関わらず、呪術にとって終わらせることが重要だったからだ。そうしなければ、呪力の行き場所がなくなってしまう。始めから効果を持たない霊力や、この星に溶け込みやすい魔力、発生しにくい他の力たちと違い、呪力は残り続けその場所を良し悪し関係なく「変化」させ続けることになるのだ。
この事を知っておきながら瑪瑙は、思わぬところでやめてしまった。もともと解呪のために揃えていた術式であり、相手が倒れた以上続けることが出来なくなったからだ。相手がいなくなってしまっては、揃える条件の一つが欠けるからだ。その上、アーサンの呪術も途中でやめてしまった状態になる。
「二人ともやめてしまったから…」
つまり今、この山には術師たちの支配を離れてしまった強大すぎる呪力が渦巻いているのだ。
「…どうすれば…良いのでしょう」
自分の呪術なら今からでもなんとかなる。瑪瑙はその自信はあった。しかしアーサンの呪術までとなると。
「……」
ちらりと彼を見る。まだ起き上がる気配もない。あれほどの式神の反動だ、無理もないとは思いながらも、早く起きて、と願ってしまう。
その間にもどんどんと彼の呪力が彼の支配を離れ、呪気になり、辺りに広まっていくのが解ってしまう。ここに包女がいてくれたなら、魔力変換により緩和してくれたかもしれないし、九津たちなら良い案を浮かべてくれるかもしれない。しかしそれを待っていては間に合わない。完全にあの呪気がこの場所に馴染んでしまえば、ここは変化を続ける呪いの土地になってしまう。
そんなこと、させるわけにはいかない。瑪瑙は奥歯を噛み締める。
「どうすれば、ではないのですっ」
頬を手のひらで打ち付ける。いい音が響く。呪気を祓うような強い響きだ。
「私はやるしかないのです」
なぜなら、そう約束したからだ。自分と、自分を信じてくれた仲間に。そして自分にはそれが出来るはずなのだ。
「呪術師鵜崎瑪瑙、いざ、参るのですっ」
考えた末に瑪瑙のとった行動は。
彼を繋がった状態にすることだった。
本人の意思に関係なく、彼が目が覚めるとすぐにでも解かれてしまうような仮契約によるものだが、彼と繋がるには充分だ。これにより彼の中にある呪力を、呪術ごと引き受けることが出来る。おそらく今、最速で出来る最高の手段のはずだ。
「これで、これで本当の本当にお終いなのですっ」
あとは彼が完成させようとした呪術を引き継ぎながら、同時に解呪していけばいいだけだった。これまで苦労を思えば、なんと容易いことか。
「我、収めよ、納めよ、治めよ。この土地にありし力よ。そして我、沈める。静める。鎮める。この土地に群がりし力よ」
瑪瑙の作り出す呪術と消していく呪術の二つの術式が、願いを込めるような呪文と共に発動される。辺りの呪気が一度纏まり、そのまま引いていくのが感じられた。成功だ。
鼻をひくつかせても、もう呪力の匂いはしない。全部、上手くいったようだ。安心すると、どっ、と体の力が抜けた。
もう立っていられない。瑪瑙が重力に抑えつけられるように倒れかけた。その瞬間、何かに体を支えられた。
「お疲れさま、鵜崎ちゃん」
そしてよく知る金髪の少年の声が聞こえた。




