第四十四話 『やってみなくちゃわからないこと』
自分の危機が去ったことよりも、包女は他のことにその表情を緩ましたようだ。九津も疲労は見えるもののたいした怪我がない彼女を見て安心した。
「悟月くん、遅いよ」
「ん、ごめん」
そう答えると九津はスッと手を差しのべた。
式神たちは襲ってこない。無理もない。先ほど包女を襲った式神たちはこぞって傷をおっている。消滅までいかなかったものの、呪力生命体でありながら本体部分を直接やられたわけではないのにそこまでされたということに向こうも攻めあぐねているのだ。使い手であるアーサンは飄々とした彼には珍しく、目を見張るように九津を見ている。
「ありがとう」
「どういたしまして。間に合ったようで、本当に良かった」
九津は構わず、にへらとしたどこか気の抜けたような笑顔の包女を立ち上がらせる。この間に割ってはいるのは式神たちではない。身内だ。少しだけ怖い。
「騙されちゃ駄目よ、包女ちゃん。そいつが遅れたからピンチになったとも考えられるんだから」
桃輝の、ある意味もっともな意見が飛び出した。三種の斧槍をもったおばを見るのは久方ぶりだったが、その記憶に刻まれたあれを使った桃輝の姿と今とを重ね合わせて九津の笑い方が、あっはっはっ、と乾いた声に変わった。
「わ、わざわざそんな風に考えなくても」
「とりあえず私としてはさ、お兄ちゃん。なんで二人一緒の方向から来たのかをあとで聞きたいなぁってことだけは、覚えててね」
続いたのは追随するような、追求するような、そしてそれを逃しはしないと宣告されるような界理の言葉だ。立ち眩みを抑えるようにして九津は瞼を閉ざし、冷や汗をだらだら流して、ん…了解、とだけ呟いた。まさに追い詰められた状況だ。敵地のど真ん中とはいえ、なぜこうなった。そう自問自答したいくらいだ。だって追い詰めているのが、なぜか身内だからだ。
『おやおや、そっちもの方も手数が揃ったようだね』
と、そんな九津にとって気まずい空気を打ち破ってくれるのはいつだって敵側だ。つまりアーサン・バークラッブ。彼だった。
助かったなどとは決して口には出さなかったが、九津は安心してこの流れを変えることを喜んで受け入れた。
アーサンは一瞬こそ目を見張るようにして驚いていたが、もう彼なりの調子を取り戻していた。おどけた風に肩を上げて、杖を遊ばしている。そこへ少し遅れて駆けつけてきた光森が加わる。これでこちらは確かに九津たちは全員揃った。
九津は包女を庇うように、前に出る。
「うへぇ、あの人、いつの間に日本語を」
「どうもあの人の呪術の効力のようなのです」
「へぇ、すごい…語学の力は偉大だからね、ああいう術が使えるのはかなり羨ましいや」
周囲を確認しながら九津が尋ねると、瑪瑙が答えた。言葉だけの称賛はあれど態度による驚愕のない九津の的外れのような回答に、瑪瑙は一瞬呆れたようだったが、考えるように口をつぐんで何も言わなかった。そんな間に、またも身内は割って入る。
「相手を称賛することであやふやにしようとしてるようだけど、誤魔化されないからね」
「私も忘れずに絶対に尋ねるからね。ちゃんと答えを用意しておいてね」
九津は冷や汗が止まらなくたった。微妙に震えている。不思議だ、なぜこれほど追い詰められた。飛び交う心の自問自答。決着が見えない。仕方なく九津は溜め込んだ空気を丁寧に吐くように一言。
「…ん」
「やっぱ恐いな、お前んとこ身内」
そして視線を合わそうともしない非道なる先輩を背にして、吹っ切れたと言わんばかりに気合いを入れた。
「ああ、こうなったら」
『しょうがない、こうなったら』
声が重なった。互いに視線が絡んだ。包女たちも動く気配があった。式神たちももう一度集まって陣形を立て直している。
その決戦の再開を物語る狼煙のように、九津は万式紋の切っ先をアーサンに向ける。
「とにかく、あとのことは止めてから考えよう」
『とにかく、やってみなきゃわからないよね』
さながらアーサンは、悪役のような不敵な笑みを浮かべ、九津たちに向けたきた。無理矢理にでも呪力術式だけは果すつもりのようだ。それを見逃さず、九津は桃輝と界理に合図をし、瑪瑙に早口で話しかけた。
「鵜崎ちゃん、まだ頑張れそう?」
「…っ、ええ、当然ですっ!」
後れをとるまいしたのかと瑪瑙は奮起したように鼻息を荒くして言う。九津は満足そうに、にやり、と口の端をあげると告げる。
「ならさ、悪いけど。俺たちがあの人の式神を止めるから、あの人の呪術そのものを止めてもらえるかな」
「私が…なのですか?」
わずかだが瑪瑙から躊躇いのような間が生まれた。不安なのだろう。呪術の解除ほど手間のかかることはなく、失敗による代償のようなものは多いからだ。しかもそれが、発動と同時になるとなると当然だ。しかし彼女に頼まなくてはならないのだ。
「呪術は下手に解除しようとしたら不味いからね。強大になればなるほど」
言われなくても瑪瑙なら解っているだろうことだ。だが、あえて言う。なぜなら彼女が、鵜崎瑪瑙という少女が、九津の知るこの中で最も優れた呪術師だからだ。
「出来れば同様の呪術師に任せたいってのが言うのが正直なところなんだ」
相手との間合いを計り、牽制しあいながら九津は続ける。桃輝たちは同じ意思だったので何も言わずにただ戦いの姿勢をとる。
時間がないのはわかっているはずだが、瑪瑙からの返答はない。
「……」
「難しいのは…」
「いえ、その大任、お任せくださいなのですっ」
待ちかねて声をかけた。しかし、口を開いた瑪瑙から聞かされた言葉はなんとも頼もしい言葉だった。ふっ、と込み上げてくるものが九津の中にあった。ん、と強く頷くと、九津は瑪瑙に道を作らんと勇みでた。桃輝たちもあとに続く。
式神総勢十二体対、九津たちの最終決戦が始まった。
九津たちに告げた言葉を最後にアーサンは一人距離を置く機会を伺っていた。目的である呪力術式にとってもっとも最適で、最高の場所に移動するつもりなのだ。そして、ついにその機会は訪れる。乱戦が始まったのだ。数で勝る彼の軍勢は確実に仕事をこなした。足止めだ。彼は容易にその場から遠ざかることが出来た。
そこで彼は、そうさせられたのだ、と知ることになる。そんな彼を追ってここまでやって来たもう一人の呪術師と二人きりになったことによりだ。遠くには彼の式神たちと決戦を繰り広げている音が聞こえる。そうか、下手に術式を中断させるよりも、確実に対峙させて解呪させようという魂胆か。彼は、喜んだ。目の前の呪術師以外を気にしなくとも良いのだから。
アーサンは心置きなく呪術を始めた。視線だけで相手を見る。ここにいるもう一人の呪術師、瑪瑙だ。
『やっぱり最後は君になるんだね、僕の相手は』
静かに言う。
辿り着いた時もそうだ。いや、もしかしたら初めて会ったあの瞬間からかもしれない。同じ匂いのする人物。アーサンにとって瑪瑙との出会いはとても運命的であり、とても本当に嬉しくもあったのだ。彼もまた知っているからだ。この呪術師というものの紛い物の多さを。ただ彼女、瑪瑙は自分とも違う気もしてたのも事実だ。孤独ではなかったからだ。だからこそ嬉しさを悟らせないようにしたまま出会いを終わらせた。そして話してわかった。彼女は自制心と責任感を優先事項に入れ、自分は好奇心と探求心を圧倒的に優先させていただけのことなのだったと。
彼も同類がおらず、語ることが出来ないことを残念にも思うところがある。それを今回、こんなにも気の合う相手に恵まれたことは彼にとって、特別な幸運だった。唯一無念が残るのは、意が合わないことだろう。だからこそ精一杯に語ろうとしていた。呪術師として、術式を完成させることにより。
そんな風にアーサンが思っていることを知らず、瑪瑙は息を整えて言った。
「一つだけ、いい忘れていたことがあるのです」
『なんだい』
アーサンは始まった術式そのものを止める気配なく相づちを打つ。瑪瑙もまだ対峙して止める様子はない。
互いに睨み合うでもない、歪み合うでもない二人。遠くに聞こえる戦いの音や、山固有の自然の音とは無関係に時間を共有する。
それは長い時間ではない。
「私にとって呪術とは、学問であり、目標目的を達成するための手段であり、何より自分との約束なのです」
『ふぅん。それで』
馬鹿にした様子もなく、にんまり、という風に唇を曲げた。それに呼応するように静かに瑪瑙は頷いた。
「あなたを阻止する。私はそう言いました。ならば」
互いの目が細められた。純粋に自身のここに来た理由を成し遂げようとする意思だ。
空の青さも遠くの雑踏も。自然の景観も今日の運勢も、そんなものいっさい関係ない。ざらつくような感覚だけが二人を包む。
「自身のため、皆さんの想いに応えるため、今度こそあなたの呪術に打ち勝つのですっっ」
「…で、鵜崎を向かわせたのはいいが五人でこの式神たちを相手にすんのはかなりきつくないか?」
式神たちの攻撃をいなし、背中合わせになった瞬間、光森が言う。焦りこそないもののてこずっているのは九津にもわかる。
「そうですね…まさか不十分だったとはいえ一点腕那でも傷を負わすのが精一杯とは思いませんでした」
九津にとっての奥の手である「一点腕那」。先ほど包女を助けるために放った一撃だ。本来なら相手の元力に合わせて使う自爆誘発型の技だったが、それを相手に合わすことをせず不十分なままで使った。その結果が正直芳しくなかった。
「なぁ、そのいってんなんとかって技、連発出来ないのかよ」
「そんなに都合のいい技じゃないんですよ。今のだって無理矢理だったんですから」
ひらひらと左腕を見せる。なぜか焦げたように煙をあげる肌は擦り傷のようなものがたくさんあった。うっすらと血も浮かんでいる。その腕の様子に光森も黙りこんだ。
「こら、少年どもっ!!ぐたぐたがたがた言ってないで根性みせなっ」
動きを止めた二人にげきを飛ばすのは桃輝だ。自分とも見劣りしない大きさの三刃の大槍をブンブン振り回して敵を撹乱、そして攻撃している。
「残りの黄道十二宮が強そうでヤル気満々だろうがなんだろうが、やることは一つでしょうがっ」
ぶん、と降り降ろされた斧刃の部分が力任せに大地に刺さる。それを即座に抜いて肩に当て、こちらを見ている彼女の姿に少年二人は背筋を伸ばす思いだった。
「瑪瑙ちゃんが頑張ってる間、私たちがここを食い止めなくちゃ」
「そ、そう言えば界理ちゃんも戦えるんだね…以外というか、納得するというか」
界理が言うと側にいた包女が、今更ながらなんか不思議な感じだね、と苦笑していた。耳にした界理はクスクス笑い、口許に人差し指を添えると言った。
「足手まといには、なりませんよ」
『見ものじゃのぉ』
言葉を無くし、苦笑を続ける包女の代わりに筒音が楽しそうに言った。
「よっしゃっ。行くよ、あんたたちっ」
桃輝がさながら人民を導く女神の如く、自分の獲物を天高く突き上げた。面々は、勝鬨の声に繋がれと願いを込めるように、全力で声を張り上げそれに応えた。
これも予定していたより短くなりました。




