第四十三話 『参、上!!…的なやつ』
「これでどぉっ!」
包女は力強く装飾刀を振り払った。変化した筒音であるその黒い刀身は魔力、妖力の両方を受け、冠座を象る式神を空に返した。
昇りゆく光を見つめ、包む女が肩で息をする。ここに来るまでの間にも既に何体もの式神を空に返した。それに登った距離も相当になってきたはずだ。無理もないと筒音は思った。
『もうかなりの数を倒したはずじゃがのぉ…』
筒音が言う。包女は呼吸を整えてから答えた。
「うん、そうだね…」
強化を得意とする魔術師といえど、人間である以上そこに限界がある。しかも筒音の妖力を変換して自力の制限を越えた状態でもう一時間はその強化を維持している。流石にそろそろ区切りをつけたいと二人は思っていた。
と、突然に目の前が光に包まれた。あの時の光と一緒だ、包女は警戒した。この砂混じりのような触覚にざらつく光は、自分たちをこの場所に迷いこませたあの呪術の始まりと同じだったのだから。
一時だが瞬きをしてしまった。目を開くと、そこは緑に囲まれた山の中の変わらぬ景色が広がっているだけのように見える。しかし雰囲気が違う。あのざらついていた感覚が消えたのだ。これは包女にとって呪術の類いから解放されたことを意味する。
「……ここは…普通の山?さっきまで感じていた気配がもうほとんどない」
空を見上げながら呟いた。青さは変わらないが、なぜだろう、眩しく感じた。
『どうじゃろう…もしかすれば今の式神を倒すことでこの結界が解ける仕組みだったのかもしれんな』
筒音の推測。包女は切り抜けた安堵に駆られながらも一つの不安を語った。
「山全体にかけられた分…かな?」
『さぁ、わからんのぉ。瑪瑙の奴がパワーアップじゃなんじゃというだけあって、ここで匂いは特定できん。気配も断定しにくいのじゃ』
「そう。でも、これで山頂を目指しやすくなった…はずだよね。急ごうっ」
筒音にしても、その不安を拭うことは叶わない。それでも解放された自分がすることは変わらない。包女は山頂を目指すだけだ。そうすれば全ての解決に繋がるから。
『そうじゃな、奴らのことじゃ、何とかしとるじゃろう』
筒音の言葉に頷くと、流れる汗を払うことなく包女は走り出した。
山頂はもうすぐそこだった。
目に見える緑の色の力が一瞬強く光り、ざらつく感覚と共に消えた。辺りは一見して変わらないようだが、漂う雰囲気は変わった。
結界からの解放。界理はそれを察した。
「結界が、解けたんだ…誰かが条件を満たせたんだ」
自分ではないことは明白だ。歩みは止めず、では誰が、と考える。
「包女さんたちかな…それともおばさんや瑪瑙ちゃんかな?…お兄ちゃんたち…お兄ちゃんってことはない気がするなぁ」
ふぅ。考えて、ふふっ、と笑った。
「…誰がって考えてても仕方ないよね。山頂までいけば、合流できるだろうし」
と、そういうことだ。
それに普通の山に戻ったというのであれば、もうほとんどの驚異はない。熊程度の獣の奇襲があったとしてもだ。むしろ奇襲など意味がないということを教えることになるだろう。界理が本気で戦うならば。
小学生の考えではないと、ここに笑う者はいない。この山に一緒に来た者の中には、という意味だ。包女たちもおのずと気づいているだろう。界理が戦う忍術を持っていることを。光森などあからさまに警戒している。
そう言えば超能力者は第六感というものに優れているらしいと聞いた。それは新たな進化を得るために必要な超直感であり、物事を見抜くことに優れた感覚だという。光森は警戒はそれが原因かも知れない。
「私も超能力について話を聞いてみたいなぁ」
それを叶えるためにも、界理は急いだ。
ぐらりとした感覚に、桃輝は三刃の大槍を地につけて見上げた。
「お、解けた。条件を満たしたんだ…やるじゃない子供たち。こりゃぁ、大人の面子、面目、ずたぼろだわね」
両目を覆うように手のひらを置く。なんというか、大人としてやりとげることの出来なかった後ろめたさに、そうしたくなったのだ。しかし、すぐやめた。
「はは、面目も面子もいらないか。誉めてやらなぁにゃ、ねぇ」
呟いて歯を見せるように笑った。それに、と続ける。
「だからと言って、私があの呪術師を叱るために、歩みを止める理由は一切ないしね」
結界の解けた山道を、三刃の大槍を相棒に桃輝はぐんぐん進んだ。
「だから、今の奴に止めをさしたのは誰がどうみたって俺だろう?」
光森は言う。ここが主張すべき正念場だからだ。
「いやはや先輩。誰がって、俺が見てましたってば」
対する九津も負けてはいない。首を横に振って抗う。
彼らがここまで争う理由は、単純だ。
どちらが先に式神を倒したか、である。ここに彼らを止める者がいないことが悔やまれる。
「俺の万式紋の切っ先の方が、先に相手に当たってました」
光の刃を光森に見せながら主張する。とくに証拠になるようなものもなく、光森は鼻で笑った。
「とーにーかーく、倒したのは俺です」
「いーや、俺の拳が一瞬早く伸びたっ」
互いにムッとした表情で言い合うが、その程度が低すぎて逆に誰もいなくて良かったのかも知れない。おそらく巻き込まれた方も巻き込んだ方も幸せにならない争いだからだ。
と、そこで、九津が言いかける。
「いいえ…って、先輩。腕が伸びるわけないでしょう…いくらなんでも、ねぇ…伸びませんよね?」
伺うように、疑うように光森の腕を見る。この先輩ならありうる。そういう目だ。
「どうかなぁ。俺の原動力は、限界改変だぜ。腕の長さくらいやろうと思えば出来るんじゃねぇ?」
光森は言う。九津は真顔で返す。
「…だとしたら、バランス悪過ぎて変ですよ」
「んだと、こらっ」
ついさっきまでの、どちらが先に倒したか、を全て水に流し、光森は現状の怒りをぶつけるために九津の胸ぐらを躊躇なくつかみかかった。
九津も慣れたものだ。その状態で、まぁまぁ、と落ち着かせようと方を叩く。
「怒らない、怒らない。で、本当に出来るんですか?」
「…今のところ出来ないな」
「ほら、やっぱり!」
呆れたように答える光森に、我が意を得たりと指を鳴らした。ふん、と光森は掴んでいた服を離した。
「蜂峰さんの話によると、体の改変については性別の転換と、もともと成長する部分に対する促進くらいしかみられないらしい」
「体の部分…ああ、爪とか髪の毛とかってことですか」
納得する九津に光森は、そうだ、と頷いた。
「そういう成長する部分に対して副作用的には働くらしい。ただ実際問題として、限界の改変ってのは定義が確立してないうえに能力の時間制限もかなり短い」
「十分もたないんでしたっけ?」
「まぁな。で、身体能力や潜在能力なんかの形の伴わないものなら改変しやすいんだが、どうも体のってなるとな」
言い淀む光森。
「作用している時間が足らず、調べたりしづらいってわけですね」
「それもあるが…」
「他にもあるんですか?」
やはり言い淀む。と、言うよりは、言いたくないのかも知れない。無理に聞くとご機嫌を損ねかねないな、と今さらのことを九津は思いながら待った。
「…俺自身がイメージしづらいんだよ」
光森がぶっきらぼうに言う。はぁ、と意味がわかりかねている九津に、不機嫌そうに光森は言葉を続けた。
「お前な、想像できるか?自分の意思とは関係なく女になったりするならともかく、自分の意思で女になるとか」
「………ああ…なる、ほど」
長考のあと、その瞬間に想像してしまった全てを忘れるように、それだけ返した。
「腕が伸びたりもなぁ、どうもピンとこねぇしな」
「はっきりいって…変、ですもんね」
「ちっ」
あからさまに嫌そうな顔をする光森。原動力者という超能力の使い手も色々と大変だな、と九津は思った。思って、はっ、と気がついた。ようやく辺りの気配が変わったことに気がついたのだ。
「あれ、先輩っ!大変ですよ」
「新手かっ!」
「違います」
九津の焦り具合に、身構える光森。しかし、否定を受け怪訝そうになる。
「じゃぁ、なんだよ」
「結界が、解けてます」
「なんだってっ!結界が、解けてるだと…結界が…はぁ?いつから」
「…さぁ?」
おどけた風に小首を傾げる九津を、まるでゴミを見るかのような目で見る光森。可愛くねぇよ、と言わずに、
「さぁって、お前な。こう言うのを察せないお前は、かなり役立たずだぞ」
と、言い切った。
「うわっ、ひどっ」
「とにかく上を目指すぞっ」
九津の反論もそこそこに先を促す光森。当然、九津も慣れた様子でそれに従った。
─────
山の頂上にて、二人の実力ある呪術師は開戦していた。
『どんなもんだい、僕の式神は』
アーサンはその実力を見せつけるように従えている式神たちを出現させている。星を象る式神たちの中で最も上位の存在。黄道十二宮正座だ。そのうちの三体、牡牛座、射手座、水瓶座を相手に瑪瑙はときに皮肉を吐きながら奮闘していた。
「キラキラと燦然と夜空に輝くからこそ、星は美しいのですよ。地をはっていては、台無しなのですよ。意味がないのです」
『黄道十二宮をもってして意味がないなんて、面白いね。みんなが知っている星座たちだよ。強さだってこれまでの比じゃないだろ?』
意味の大切さは知っている。式神の本体部分になるのならばなおのことだ。それは自分と相手の認識の差も力になるから。残りの九体を侍らせて語るアーサンに、瑪瑙は牡牛座の突進による一撃を受け、転がった。
それでもすぐに立ち上がる。
「だから、どうしたというのですかっ。私が、ここで、立ち上がるっ」
足に力を込め、射手座の弓矢による追撃を式神くんにより踏ん張って防ぐ。正直、きつい。足はもつれるどころか震えてきている。限界が近い、いや、もうとっくに越えてきていた。
そして思う。
だから、どうした。
限界を越えなくては辿りつけぬ場所があるのを知ったばかりなのだ。限界程度、皆、何食わぬ顔をしながら、どこかで歯を食い縛るように越えてきたのを知ってしまったのだ。
否定されるような才能にも諦めなかった者、境遇に恵まれても努力を惜しまなかった者、過去の自分を克服することが出来た者、生き方、生き様そのものを全てなげうった者。その全員をだ。
だから、自分だけが折れるわけにはいかないのだ。
「ここに私がいるっ。それにこそっ、意味が宿るのですっ」
『だとしても、時間稼ぎには充分だよね』
瑪瑙を見つめるアーサンの瞳は冷たく光る。興味の対象を失ったかのようだ。だが違う。それはとても呪術師らしい好奇に満ちた瞳の色だった。その証拠に、着実に呪力術式を完成させつつあるアーサンの口許には不敵な笑みさえ浮かんでる。
そして。
それをさらに嘲笑うかの如く、女たちの声が聞こえたのだ。
「そうね。時間稼ぎには、充分過ぎるくらいだわっ」
「ん、本当だよね」
「むしろ遅くなったことが恥ずかしいくらいっ」
桃輝、界理、包女だ。桃輝は両手で掴んでいた三刃の大槍をアーサンに容赦なく降り下ろし、二人は瑪瑙を庇うように駆けつけた。
『…っれ、いつの間に』
式神の一体、水瓶座の水流による守備行動によりなんとか桃輝の一撃をかわしたアーサンだったが、その降ろされた地面の抉れ方を見て冷や汗を浮かべた。
『…気が付かなかった。いつの間にか結界が解けてたのか…これは迂闊だった』
あはは、とここに来て初めて旗色の悪い顔をした。
「み、みなさん」
瑪瑙は目の前に現れた三人に、思わず目頭が熱くなるものを感じた。自分一人でことを終わらせることは出来なかったにしろ、少なからずここに至るまでの助けになれたことを知ったからだ。
包女は振り向きながら申し訳なさそうに言う。
「ごめんね、瑪瑙ちゃん。一人で無理させて」
「あ、いえ」
上手く言葉が出てこない。反んな瑪瑙に、にやり、と少年のような笑みを見せた桃輝が声をかけた。
「謙遜しないの。瑪瑙ちゃんは、本当によく頑張ってくれたよ。おばさん、感動しちゃった」
「そ、そんな」
「そんなもこんなもないよ、瑪瑙ちゃん。私も今回は、戦っちゃうんだから、少しは任せてね」
「界理ちゃん」
最後に界理がにっこりと自信満々に告げると、瑪瑙は言葉をそれ以上続けられなかった。
『ずいぶんと日本のお嬢さん方は威勢がいいなぁ』
「ずいぶんとあなたからは紳士らしさが抜けてるようですがね」
包女が装飾黒刀を構えて言う。
『星を読んである程度はわかっていたけど、本当にこうなってみるとなかなかに恐いもんだなぁ』
「あら、あんた。空気を読めんのね。星だけかと思ってたわ」
肩に三刃の大槍をのせながら桃輝が告げる。
『流石はここまでたどり着いた実力者ってところだね、雰囲気が違うよ』
「ここに…あれ、そう言えば…お兄ちゃんたちがいない」
言いかけて、はっとなった界理。これだから悟月の男は、と頭を抱える桃輝に苦笑を送る。
『ではでは、こちらも戦力を揃えよう』
アーサンは残りの九体に指示するように杖を動かした。
『さぁ、僕を止められるかな』
「止めて、見せるのですよ」
即座に返したのは瑪瑙だ。三人はその声にふっと口の端をあげた。いや、それは、相手も同じだった。
『頑張ってね』
「っ!」
第二戦の始まりを宣誓すると、式神たちが襲いかかってきた。呪術師が充分な距離で呪術を行い、操っている式神たちが、包女に集中して。
「っ六体っ」
『君だよね、結界を解いたのは』
尋ねるようなアーサンの声。
『呪術師のあの子が厄介だとするなら、ある意味、君が一番不確定な存在なんだよね』
そのアーサンの瞳は、包女ともう一人の誰かを見ているようだった。
容赦なく押し寄せる式神の襲撃に各自対応するものの包女はこれまでの疲労にからか瞬間的に隙が生まれた。そこは装飾黒刀に変化した筒音の反撃行動で凌ぐもののその数がこれまでと違った。他の者も駆けつけようとするが、焦りから式神たちに逆にあしらわれている。
ついに一体、包女の背後を完全にとった。とっさに回避行動をとろうとするが上手くいかず体制を崩した。
しまった。包女は覚悟した。
「飛べ、九津っ」
「ん、先輩っ」
しかし痛みは訪れない。代わりに聞こえてきたのはよく知った少年たちの声だ。
「ヒーローは遅れてやってくる…的な、ね」
金髪が太陽にさらされてより輝いて見える。九津だ。
「やっとこさついた。お待たせ、鷲都さん」
包女は自分の状況も忘れて、微笑んだ。




