第四十二話 『二人の呪術師』
ここ最近では、少しだけ短いです。
寒気がした。
背中に走る悪寒。瑪瑙は思った。ああ、これが悪い予感を知らせる寒気というものか、と。それは彼、アーサン・バークラッブに言われた言葉を反芻してのことだ。なんと言った。
──同じ匂いがする。
反芻しつつ、どの程度のだと瑪瑙は思い、苦虫を噛んだように顔を歪めた。
確かに相手は呪術師だ。同じ道を歩む者なのかも知れない。しかし、自分はこんなことはしない。誰かの迷惑になるような行為はしない、絶対にだ。その強い思いこそが顔を歪まさせた。
「色々と聞きたいこと、言いたいことはあったのですがとりあえず…まさか言葉の壁を越えることの出来る呪術があるとは思いもよらなかったのです」
目付きはなるべく鋭くなるよう心がけた。威圧感も出ればいい。そして相手を観察するためにも、こちらの準備を整えるためにも、言葉を繋げたつもりだっだがあまり意味はなさなかったらしい。
アーサンはおどけた表情になった。
『あるのか、か。うーん、それは正しくはないね』
「正しくは、ない?」
相手を計りながら、瑪瑙は問う。純粋な疑問でもあった。正しくない、とはどういうことだ。
『うん、そう』
コツコツと杖を鳴らしながらアーサンは歩きだした。その一挙一動を見逃すまいと瑪瑙は睨みつける。
『じゃぁさ、君にとっての呪術ってなんだい?』
立ち止まり、向こうから尋ねられた。それが答えに繋がるということなのだろうか。わからなかった。
「どういう意味なのですか?」
『まさに言葉通りだよ。君がこれだと思っている呪術ってなんだい。あっ、これは例題解答ととして先に答えるべきなのかな』
ま、いいか、と、一瞬だけ考えるような仕草をしたが、すぐにニコッと笑って瑪瑙を見た。無邪気そうな瞳は敵意なとというものを孕まない。むしろ罪悪感さえ抱かせるようだ。
そんな得体の知れない不快な感覚に怯まないように、瑪瑙は息を深く呼吸した。
『僕はね、呪術において、そんなことは〃出来るはずがない〃なんて考えたことがないんだよ。意味、わかる?』
遊ぶように杖をくるくる回し始めたかと思えば、ピシャリと止めた。そしてまた忙しなく動いたかと思えば瑪瑙を指した。
『わかるよね。だって君は、同じ匂いがするもんね』
瞬間、アーサンの瞳に陰りが見えた。瑪瑙のよく知っている色だ。あれは呪術師特有の呪力を宿した者の色。口許にはその喜びを表すような曲線を描いていた。
瑪瑙は深く酸素を取り入れて、
「そう、なのですね。わからなくは、ないのです」
そう答えた。
瑪瑙自身、アーサンの言葉の意味がわかってしまったのだ。
──出来るはずがない、何て考えない。
その通りだと思った。ここに来るまでの間でも瑪瑙は学んだからだ。竜脈を取り入れる手段を。始めこそ出来ないなどと弱音を吐きそうになりながらも、それを自力で乗り越えることによって。
それを可能にしたのが、出来るという自分の意思と、他の何物でもない呪術だ。
出来るはずがない、何てことを考えるなんて、呪術師ではないとさえ今は思えるし、理解もできる。例えそれが、九津が苦言していた呪術師特有の知識の驕りだとしてもだ。瑪瑙はその領域にまで確かに足を踏み入れたのだ。
『だったらさ、その事を含めてもう一回聞くよ?』
まるで瑪瑙の思考を読むような間合いでアーサンは言う。瑪瑙は唾を飲み込んだ。
『君にとっての、呪術ってなんだい』
首を傾げる姿は子供のようだ。単純に聞いてみたい、そう態度でも示しているのだ。打算的なことなど予測する方が徒労に終わるような気がしながらも、瑪瑙は相手の術式を警戒しながらも答える。
「不可能を可能にしていく手段…私は学問のようなものだと考えています」
『おお、いい答えだね。不可能を可能にしていく学問、か。実にいいねぇ』
静かに意思を伝える瑪瑙とは逆に、わざとらしく「」は拍手をし、瑪瑙の言葉を繰り返した。うんうんと頷き満足そうだ。
相手の術中にはまっていないか疑いたくかるほど、相手の調子に合わさせられている。瑪瑙は拳を強く握り、爪を手のひらに食い込ませた。
『僕もね、似たようなものだよ』
瑪瑙の心中を知ってか知らずか、アーサンは続ける。
『さっき言った通り、〃出来るはずがない〃って考えるよりも〃どこまで出来るんだろ〃って突き詰めているんだからね』
その流れの一つさ。言葉を『変えるのは』、と、つけ加えた。
ゆっくりと耳に届く口調。この全てが彼の呪術なのかと思うとゾッとする。瑪瑙はそう感じた。
考えてみればもうすでに彼はいくつもの呪術を見せてきた。山をも覆い尽くすような結界。配置がえの呪術や式神契約、言葉の変換。全くもって底が見えない。竜脈を使っているにしても、難易度が高すぎるのではないかと言いたくなる。これが彼の言う「突き詰める」ということなのだろうか。
『だからね、さっきの質問の答えを今さらなんだけど言わせてもらうと…』
アーサンは構わずに続ける。彼には瑪瑙が警戒していることを把握しながらも、それを驚異としてとらえないほどの自信があるのだろう。悔しいことにそれはおそらく間違っていない。
『あるか、ないかなんて、試してみなきゃわからないし、出来るか、出来ないかなんて、それこそやってみなきゃわからないよね』
目が細められた。悪い予感が体中をよぎった。背筋か凍るような寒気。最悪の前触れを予兆しているのだろうか。瑪瑙は抽象的過ぎて言葉にこそ出来なかったが。
「…」
『出来たから、ある。そういうもんさ』
最後に彼はおどけた風に言ってのけたが、瑪瑙はそれに乗じて笑う気になど到底ならなかった。
「そうなのですか。その言葉を変える呪術はまた今度、試してみる価値がありそうなので真似をさせてもらうのです」
苦々しくそれだけ言った。彼はさも当然と言うがごとく頷く。
『それがいいよ。真似すること、新しいことを取り入れること。呪術師にとっては大切なことだからね』
あれだけ忙しなく動かしていた杖を静かに地につけ、支えにして佇む姿の彼は、悔しいかな、呪術師の先輩としての貫禄を見せつけるように落ち着いていた。恐怖を越えた脱帽感が瑪瑙に忍び寄った。
しかし思った。まるでそんな彼と一番最初に対峙しているのが自分だったというのは、なんて運命的なものではないかと。なにせ、彼を越えることが出来れば自分はさらなる高みに登れるだから。
なによりもやらなければならないことがある。呪術師としての誇りにかけて、皆をここに連れてきてしまうきっかけを作った者として。
「ですが、やはりまだ、わからないことがあるのです」
『……何?』
だから、今度はこちらが尋ねる番だ。
「あなたは、竜脈を使って、何を試すつもりなのですか?下手をすれば、ここは呪われた地に成りかねないのですよっ!」
ついに切り出した。彼についてもっとも知りたかったこと。幾多の呪術を操る彼がこの場所を選び、この場所でなければならないと判断した理由。
『何を…ね』
アーサンは呟いた。真夏を越えた日差しがやたらと生ぬるい風を運ぶ。面妖な雰囲気とでも言うのだろうか、瑪瑙は視線だけを動かし辺りを探った。別段変わったことはない。やはり、雰囲気。彼が放つ空気が異様なのだろう。底の見せない呪術師という独特の雰囲気が。
『そうだなぁ、さっきの言葉が僕の呪術にとっての全てだからねぇ』
「…何が出来て、何が出来ないか…と、いうやつなのですね」
『そう、それ。だからね』
押し問答をするつもりはない。それはお互いにだ。その事を告げるようにアーサンは口を開いた。
『星が教えてくれたんだ。この場所、この時間を。でもね、それだけだった。だからわざわざ出向いて来たんだ、どんなことが起こるのかを…星たちさえも教えてくれない何かが起こるのを、試してみに…ね』
そして、見てみたいんだ、行き着く先を。そう、微笑んだ。
「……」
『可愛らしい顔がずいぶんと台無しだよ、小さな呪術師のお嬢さん』
瑪瑙はすぐには返せなかった。しかし、表情は言葉以上のものを語っていたらしい。アーサンの顔は苦笑に変わっていた。
「私は」
ゆっくりと瑪瑙は口を開いた。
「私はこの呪術は、誰かの役に立ててこその効果だと思っているのです」
『うん、それも一つの在り方かもね』
彼も賛同する。ただこれが、彼にとって自分はこの状況を変えるつもりはないと、断言しているのと同じことだ。
つまりは呪術は、彼にとって好奇心や探求心のままに行う新呪術は、例えどんなに他者に被害をかけてしまおうが、やるべきことなのだということ。
そんな理由が彼の行動理念であると言うなれば、自分は言うしかなかった。
「だからこそ、あなたのやろうとしている呪術は、間違っていると言わせていただくのですっ」
瑪瑙は水鉄砲に呪力を込めた。
『間違っているとかさ、間違っていないとかさ、正直、どうでも─』
「─よくないのですっ!」
アーサンの言葉を強く遮る。もう彼の言葉は聞く必要を感じなかった。
「呪術は確かに好奇心と探求心をもって、挑戦することに意味があるのです」
理解はしているつもりだ。同じ呪術師を歩む者として。
『…だよね』
「ですがっ」
しかしだ。歩き方が違う。瑪瑙が人のために使おうというのなら、彼は自分自身のためだけに使うというのだ。それだけは肯定してはならない。
「何かを危険にさらすようなやり方は、少なくとも私の前では見過ごせないのです」
彼はなんと言った。
──同じ匂いがする。
冗談じゃない。瑪瑙はそんな言葉を全力で否定しなかった自分を後悔した。そんなことあってはならなかった、と。
茶化し具合は、よく知っている金髪の少年のようだ。ただ、その彼とて誰かのために動くことはあっても、誰かの犠牲をよしとして動くことはあり得なかった。
アーサンは変わらぬ口調で言う。
『科学の発展、文明の進化、技術の向上。その全てには、いつの日も、いつの時代も代償は付き物だよ?』
そう続ける彼に、瑪瑙は覚悟を突きつける。
「ならばそんな憑き物、この呪術師が払ってやるのですっ!!」
瑪瑙は呪術師として初めて、一人の人間と戦うために対峙した。
アーサンは不敵にも見える笑顔を携えたまま、杖をカツンと鳴らした。石にでも当てたかのような響く音。瑪瑙は呪力が含まれていることを察した。ざらつく感覚、葉の香り、呪力結界とは違う呪術が発動したのだ。
どこに、どんな、など警戒する必要はなかった。
目の前にいる彼の後ろにその答えの全ての答えがあったからだ。
金色にも似た緑色よりも少し上の輝きを放つ、十二体の式神。
半身半馬の弓の名手、射手座。
陸をも唸らせる鱗もつ巨体、魚座。
荒ぶる闘志を宿す体躯、牡牛座。
慈愛と拒絶の担い手、乙女座。
異界よりの使者、牡羊座。
刃を煌めかす悪名、蟹座。
英雄への刺客、蠍座。
絶対なる獣王覇者、獅子座。
制裁と采配の暗示、天秤座。
不死の共有体、双子座。
悠久に世界を満たす宝具、水瓶座。
闇夜の賢者の象徴、山羊座。
黄道十二宮。世界でもっともよく知られた星座の姿を象った存在が現れたのだった。
『僕の憑き物は、強いよ。門前払いには気をつけてね』




