第三話 『同級生・転』
直撃した。
鷲都包女は巻き上がった土煙を見ながら確信したように緊張を解いた。だが脱力はしても注意は怠らない。次に備え気配を伺う。と、同時に少し不安がよぎる。
今放たれた魔術の効力が強すぎたのではないか、と。
自身も手加減や容赦は出来ないと宣言していた通り、攻撃の決め手になるように放ったのが今の魔術だ
しかし、しかしだ。おかしい。
確かに普通に直撃すれば炎と土煙が巻き上がるかもしれない。それでもあれだけの量が巻き上がるとは思えないことに気がついたからだ。さらに言えば、魔力で作られた炎はその一撃を果たせば消滅し、それが包女にも魔気を通じて感覚的に伝わるはずだったから。
伝達感覚がないのだ。
正確には無理矢理に遮断されて指揮下を離れた…とでも言うのだろうか。ようはわからなくなったのだ。
包女は目を凝らし前を見つめる。しばらくは自身が巻き起こしたはずの土煙を眺めた。
そして、収まりつつある中に人影を視認した。
「鷲都さん、手早く魔術を使うんだね。しかもかなり強い。すごいなぁ」
人影こと悟月九津の声がした。当人は驚いた風な口をきいているが、それは包女の比ではないはずだ。
「嘘…っ」
包女は声を隠すように手元で口を押さえ呟いた。予感がよぎったとはいえ、まさか魔術に対処しただけではなく無傷だったとは。その上、
「それは…何?」
思わず敵対者側から指を差し聞いてしまった。
それ。
九津が右手をかざした先に浮かぶ金色に輝く三十センチほどの編み込まれた紐のような、不思議なもの。
「これ?これは万式紋って言って…俺のとっておき。これを使えば俺は…何とだって、どんな術師とだって戦える」
九津はそう言うと、万式紋と呼ばれた紐を握り締めた。すると万式紋から放たれていた光が収束していき、最後には刃持つ細身の剣のような形となった。
「万式紋、いこうか。初戦が魔術師なんて……ああ、違うや。月師匠曰く魔力師か。しかし、どうにも因縁じみてるなぁ」
構える九津は楽しそうに笑っていた。
「……………」
わけがわからない。
包女は混乱する頭の中で唯一言葉に出来たのがそれだった。それでも声には出せなかった。
何だって。万式紋って言ってたよね。私の魔術を打ち消したの。相殺したの。だからあれだけの土煙が巻き起こされたの。あんなもので、どうやって。
混乱を増長する疑問が包女を支配する。
「そんな魔法……見たことない。ううん。そんな魔術、見たこと無い。だって万式紋……魔力を感じなかったし、あなたは魔法を使えないって……」
いや、そんな事よりも。自分で理解するために声に出す。
「あなたの万式紋は一体なんなの?あなたは一体……何者なの?」
普通の魔術師側の常識では考えられない技を操る同学年の男子生徒、九津に対し本当の意味で、本物の忌みを覚えた包女。こぼれ落ちた疑問は震える声により九津に届けられた。
「私の繰り出した炎を簡単に防ぐなんて…」
混乱気味にツツメの口が動く。
「属性に精霊、召喚はもちろん空間でさえない無いっ。ううん。魔力を使ってこそ魔術。操ってこその魔術師。けど、魔力を感じさせないあなたは本当に一体なんなの?」
「俺?俺は」
構えを解かないものの九津は柔らかく包女に語りかける。
「誤解を解きたいだけのただの同級生…だった。んだけど、ゴメン。」
興味津々、好奇心に満ちた笑顔を少しだけ崩して言いのける。
「鷲都さんの魔術を見せられたら、本物の魔術を見せられたら俺、鷲都さんと勝負したくなった。同学年で、しかもこんな優秀な魔術師にこんなに早く出会えるなんて夢にも思わなかったから」
と。そして。
「改めて悟月九津です。よろしく、鷲都さん。いざ、尋常に…ね」
とんでもない自己紹介になってしまった、後悔は無いものの九津は思った。
しかし「勝負がしてみたかった」とは本当のことなのだ。
今まで「魔術師」と呼べたのは自身より遥か高みに鎮座する師達のみだった。しかも同世代、さらに魔術師に限定すれば九津はこれまで出会った事が無かった。だからこそ多大なまでに膨れ上がった好奇心に胸が高鳴ってしまったのだ。
戦ってみたい、比べてみたい。だって。
「だってこんなに凄い人が挑んで来てくれているのに戦わないのは失礼だもんね」
目を輝せた。
……なんだかわからないが、不味い相手を敵に回したようだ。包女は思った。別段、自身の実力を疑うわけではないのだ。
ただ。目の前にいる同級生の悟月九津という人物が信じられないのだ。
実力的にも未知、と言うのもあるが普通の─この場合同じ側の人間である魔術師─とは違う雰囲気を出している。自分を調査に来るような魔術師関係者と推測しようものならなおのこと正体不明に陥るだろう。
そして、最初にあった躊躇いが無くなったあとのあの雰囲気。どこぞの組織に与する人間であったとしても下っ端なはずがない……包女はそこまで考えた。
どうする、一旦ひく。いや、駄目だ。それは改善策として芳しくない。
考えながら間合いに気をつける。九津がやる気になった今、距離は思考時間を稼ぐためにも必要…だったが。
「っ!」
「万式紋の調整も兼ねてるからさ、こっちからも軽くやらせてもらうね」
九津が踏み込んできた。
軽く、の言葉通りの縦からの単純な一撃。光の刃は斬撃となり襲い来る。それを包女は木刀で防ぐ。
「くっ……」
この木刀には熱量を上げるよう魔力を注ぎ込んであり、通常の武器なら防いだ時点で破壊できるようになっていた。これは包女が持つ得意な魔術の一つだ。
だが一撃を受け止めることになった光の刃は、破壊されること無く輝き続けた。
包女がしっかりと対応したのを見計らうように九津は二回、三回と流れるが如く踏み込み仕掛けてくる。
受け交わしながら包女は万式紋と呼ばれた光の刃自体が魔力を相殺し、魔術を破壊しているのだ、と気付いた。
「魔力相殺用の武器ってこと?あなたどこでそんなものを手に入れたの」
「鷲都さん、半分正解、半分間違いだよ」
先程の包女の真似をするように九津は答える。軽く見るような態度に苛立つ包女は、
「何をっ」
対抗するように木刀を力の限り振るった。
鍔競り合う均衡した状態。
「出所は察したと思うけど、俺に魔術を教えてくれた人だよ。でさ、質問の答えだけど、この万式紋は魔力相殺用の武器……ではないんだ」
「何言ってるの?馬鹿にしないでよ。万式紋が私の魔力を相殺している、それくらいわかるっ」
苛立ち募る包女の声は知らずに大きくなった。それをさらに焚き付けるような九津の渇いた笑い方に、より魔力と腕力が込められる。
「知ってるかな、鷲都さんは。この世界には色んな力が溢れてるんだよ。魔力だってその一部でしかないんだ」
「……………………は?」
突然の話に包女は怪訝と疑惑の声を出した。
「あなたは本当に何を言っているの?何を知っているの?何者なの…………とか、もう関係無くなった」
呟きながら包女は今度こそ理解してしまった。不気味さの正体に。
この目の前の同級生は自分たちに近い立場にいながら全くもって遠いところにいたのだ、ということ。
魔術師は魔力以外は使わない。
当然だ。
『魔力を使うことに重きをおき、魔術を極めんとする者こそが魔導士であり、魔術師であり、魔法司だから』
この世界があらゆる力で溢れていて、魔力がその一部なのだと言う。
だからどうした。
そんな言葉をいってのける人間が、そんな道理をいってのける人間が、自分と同じ魔術師の人間なわけがない。そんなはずがない。
だって、それでは、まるで…「魔術」というたった一つの絆にすがり付く包女が馬鹿みたいだ、と言われているようではないか。
いや、もはや侮辱されたのだと思い込んだ。
不気味さの正体。それは相手が魔術師の世界を、魔術という繋がりを、そこにある大切な絆を土足で荒らす不届き者だったという事実だ。
「わかった、悟月くん。ちょっとズルいと思うけど、あなたに私の全力を見せてあげる」
フッと力を抜き、包女は一歩分下がった。
「私はあなたが何者であろうと……魔力で負けるわけにはいかない。例えあなたが魔術を越える秘術を持っていたとしても……それだけは負けられないから」
木刀を九津に向けたまま呟く。
「だから、ゴメン。筒音。力を貸して…」
包女は自身の相方に呼びかけた。
─────
『フム……』
筒音は包女を通して九津を視ていた。
不可思議な小僧だ、それが最初の感想だった。
理由は簡単だ。
九津は魔力を相殺してみせているようだが、魔力そのものを感じさせないからだ。これは余程の事でもない限り有り得ない事だ。
例え「ばんしきもん」という道具を用いたとしても、それを平然とやってのけたのだ。これを不可思議と言わずなんと言おう。
そもそも相殺する為とはいえ〃力を使う〃という事は外部にどんな微細な量であれ放出するのが自然の流れというものなのだ。だから、それを抑えるという事は無理な話ではないが、限り無く零に等しいだけで、いっさい表に漏らさない事は不可能なはずなのだ。
魔力には「魔気」という気配が生じる。それを感じ、覚られ、視られ、読まれる。
だというのに九津は魔力を外に漏らすこと無く相殺している。それを可能にしてる。全くもって道具も不可思議な妙なら、持ち主も不可思議な妙だ、というのが筒音なりの結論だったからだ。
しかも相殺出来るのが「あらゆる力」だと宣う。
不可思議なうえに、なんとも面白い小僧だ。その話を是非に詳しく聞いてみたい、それが次の感想だった。
しかしそれは難しくなってきたようだ。相方である包女がどうも苛立ってきているようだから。どうやら魔術師ではない人間に、己の魔術を防がれただけではなく、嬉々として「魔力とは…」と語られたからだろうとは予測は出来るのだが。
『魔術師であることを誇りにし、魔力を介した絆で妾と…いや、妾以前に母親との約束事を思えば、人間として無理はないのかものぉ』
筒音は声ならぬ声で呟いた。そこへ別の声が響く。
「ゴメン、筒音。力を貸して」
包女が呼んだのだ。
魔術師の誇りにかけて敵対する者を倒すために筒音の力が必要だと。
ならば行こう。
包女の勝利こそが筒音にとっても優先事項となるのだから。
─────
包女が右手で木刀を持ちその切っ先を九津に向けられたまま、左手で自身の顔につけていた眼帯を無造作に外した。
すると、九津はある気配が包女の左目から漏れ出すのが視えた。包女の右とは異彩を放つ左側の黄色く輝く瞳から、である。
「鷲都さん、その瞳の色って。それにこれは……この黄色い感じは……そんな、まさか。…妖気?」
九津は自身の捉えた気配の持つ色に戸惑いながら驚いた。
「赤色」が初めから魔力の色だとしたら、「黄色」こそ妖力の色だった。そしてある一定の制御を越えて溢れた妖力が「妖気」となる。
だとすれば。九津は記憶を辿る。
妖力なんてものを操る、それどころか持ち合わせている存在など、考えてもほんの一握りしかいない。その存在とは。
「まさか鷲都さん。その眼帯で封印してたのって……」
「もうあなたが筒音の正体を見破ったところで私は驚かない。そうだよ。私の相方、名は筒音……」
ゆっくり流れるように溢れ出す妖気の靄の中にぼんやりと人型が造られる。やがて人型はくっきりとした輪郭を伴いこの世界に一つの存在を「顕現」させた。
包女の隣に少しだけ浮いている人の姿。包女と瓜二つの容姿を持つ少女が白い髪をなびかせて九津と対峙する。
九津は呟く。
「……妖怪、だよね?そのこ」
『正確には妾は半妖、と言うやつじゃがのぉ』
完全に実体化した筒音は包女と真逆の表情で悠然と微笑み返した。
鷲都さん、「私は驚かない」なんて冗談じゃない。こちらは驚かされてばかりだ。九津は声に出せない思いに頬をゆるめた。
魔術師である事実、戦う状況になった成行、戦って伝わる包女の実力。
何もかもが九津にとっては好奇心を刺激される事ばかりだ。
さらには。
最後の最後にこんな妖怪の相方を隠していたなんて。
「鷲都さん自身がすごいってのは理解出来たつもりだったけど…いや、これは参ったよ。まさか妖怪……半妖の相方がいたなんてさ」
『普段は妖気を抑えるのが面倒じゃて、眼帯ような道具を使っておる』
筒音が答えてくれる。
『しかしのぉ、見つかってしまうとはのぉ』
シシシ、と喉を鳴らし楽しそうに笑う。
「いやいや、妖力を隠してたなんて思ってなかった。これは本当。だって俺も半妖なんて初めて会ったし」
『なんと、そうなのか。知ったように妖力を察したようじゃが?』
「黄色い感覚だってのを聞いてはいただけ。しかも間堕…じゃないや、半妖なんてさ」
九津の言葉にピクリと筒音が反応した。
『ほぉ、お主、間堕を知っているのか。能力といい知識といい、本当に不可思議かつ愉快なやつじゃのぉ』
言葉通り楽しそうに筒音はまた、シシシと肩を揺らした。
「筒音」
そんな筒音に気を引き締めさようとする意思をもって包女が呼びかける。筒音も揺らした肩を今度はすくめて、真剣味を孕んだ表情になる。
『フム、もう少し話を聞きたかったが、仕方がないのぉ。いくぞ、包女』
「うん」
筒音が目を閉じ意識を集中しだした。かと思えば、包女と瓜二つの姿から抑えを失った妖力が妖気となって溢れ出してきた。
注意を怠らないよう九津が見つめる中、やがて黄色がかる妖気の靄が包女を取り巻いた。
何を。と九津は一瞬怪訝に思ったが、刹那、その答えがわかった。
黄色がかっていた靄がだんだんと「青色」に変わり、次にだんだんと「赤色」に染まっていったのだ。
「…………え?」
自身の知識を疑うように九津は声を出した。つまり。
「妖力を魔力に…変換した?」
九津は震えた。興奮して武者震いが止まらないくらいだ。凄い、凄い、とは感じていたもののここまで凄いとは。
先ほど「とっておき」と相方、筒音を心中評したが浅はかだったと九津は思った。
これこそ、「妖力を魔力に変換する能力」こそが本当の包女の「最終手段」だったのだ。
それを読めないなんて…。九津は頭を振った。
当たり前だ、と。
これはあの人と同じなのだから。「魔女」と畏れられた九津の術の師匠たる月帝女と同じ能力であり、そんな能力を持つ人間がそう何人もいるとは思わなかったのだから。
「何を驚いているの?あなたは見ていたんでしょう、私が魔力に変換していたところを」
言葉を続けない九津に不思議そうに包女が告げる。九津は「はは」と渇いた声で返した。
「うん、見てた。けど、わかってなかった。俺はそこまで気がついてたわけじゃないんだ」
悔しそうな、嬉しそうな、そんな微妙な表情をした。
何で、と包女はその言葉に怪訝な顔を見せた。しかし、「けどさ」と九津が喋りだすと怪訝さを直ぐに隠しまた睨み付けるよう目を細めた。
「何?」
「俺は鷲都さんの本気を知りたくなった。あの人と同じ能力を持つ鷲都さんの本気を、全力を。勝負の続き……しようか」
────
九津から返ってきたのはなんとも、わかりきった言葉だった。しかしそれが良かった、と包女は自身に言い聞かせた。決戦の合図だから、終戦の狼煙になるはずだから。
勝敗をつける。
そのために包女は筒音を呼んだのだ。本気を出すために。
今度こそ終わらせるのだ。この一撃で。
「筒音」
『ウム』
筒音がさらに強く妖気を放つ。受け止める包女が魔気を経て魔力に「変換」するとき、視覚的に世界が歪んむように視えた。これが今まで視てきた包女への違和感の正体か、と九津は納得した。
包女は木刀を振り上げる。赤い光で包まれていた刀身部分がよりいっそう濃く紅く染まる。
同時に感じる魔力の密度もとても濃く、強くなっていく。
九津は魅入ったように包女を見ながら思った。とても綺麗で純粋な光と力だ、と。そしてそれを操り従える包女自身がとても女神然とした眩しく美しい存在に見えた。
「これが私の、ううん。私達の全力。今は直接、筒音に妖力をもらい続けなきゃ維持は出来ないけど……」
包女の全身から溢れ出した魔力がとどまること無く木刀へと流れる。
「それが鷲都さん達のとっておき。……やっぱり、凄い」
九津が万式紋を両手で持ち構え、待ち受ける。
逃げるそぶりを全く見せない九津になかばあきれながら包女は思う。
あれだけ力の気配を読める人間が、全力を前にして怯むどころか嬉そうなんて……本当に何者なのだろう、と。
加えてもう一つ。なんて変な人なのだろう、と。
思えば筒音と共にこの「魔術」を生み出してから一度たりとも使ったことが無かった。そうすべき「敵」も、そうせざる得ない「状況」も無かったからだ。ある意味、九津の登場は包女にとって必要な試練になったのかもしれない。
そこまで考えると包女は内心で「もはや宿命的みたいだな」と笑いかけている自身がいるのを強く制し、叱責する。
なんにせよ、包女はこれで終わりだと思った。これは自身と相方である筒音と造り上げた最強に及ばないまでも、最高の「魔術」だったから。
術として未完な部分を補うだけの魔力を使用する奥の手。
生半可な者に防げるはずはない。圧倒的な熱量は物体を破壊し、二人で練り上げた魔力は相手の精神をも越えるのだから。
この勝負に終わりをつけるのだ。当然、勝者は包女達。
包女は紅蓮の如く力を纏わせ、一つの紅光柱となった黒無刃を全力で降り下ろした。そして。
それを九津が万式紋で受け止めた。
「ゴメン、鷲都さん。この勝負は俺の勝ちだ」
声が聞こえた。しかし包女には誰の声だかわからなかった。
理由は包女自身も気づいていた。声の主が判断できないほど、意識がとびかけていたからだという事を。
筒音と共に造り上げた雷火にも劣らぬ輝きを放つ魔力が打ち破られ、今まで制御していた力の奔流に自身が耐えきれなくなったからだという事を。
ただわかったのは、散り消える魔力の残光がとても綺麗な幾何学模様を描いていた事だった。
筒音は力無く倒れこむ包女を抱き止めながら九津を見た。
『これはお主と包女の勝負事。……包女が倒れた今、どうやら、こちらの敗けのようじゃのぉ……』
自身の膝を包女に許し、優しく額にまとわりつく髪を払い除けながら筒音が宣言し、勝敗がついた。