第三十八話 『頂をめざして!』
九津は適当な木に触れてみる。本物だ。斜面であることからもここがあの山のどこかなのだろうと想像はつく。青年が発したあの光を浴びて、登山口からその周辺に飛ばされたのだろうと考えた。
しかしすぐに、違うかと頭を振った。
これは飛ばされたのではなく、立ち位置を「変えられた」のだ。呪力結界が及ぼす範囲内において、呪術を用いて。
最初から呪力結界には気がついていた。だがまさかそれを打ち破ることが相手が現れる呪力術式になっていたとは考えが及ばなかった。普通は隠れるため、隠すために用いるからだ。良い発想力だと不本意ながら笑った。
何より厄介だったが、破った相手の位置を変える術式に繋がっていたことだ。完全に不覚をとったとしか言いようがなかった。
「やられたぁ…完っ全に…相手の術中にはまってた」
妖力や呪力を始めとする源力にそれぞれ「超越変化」などの特性があるように、術式には術式の特徴がある。
悪魔やそれに通ずる無限活性を特性にもつ源力を使った術式は攻撃特化だ。その効果は術そのものだけでなく、術師の体力にも大きく影響した。
次に菩薩やそれに通ずる完全固定を特性にもつ源力を使った術式に防御特化。これはとにかく他の効果を寄せ付けない不動の力を示し、信念の象徴ともなった。
さらに天使やそれに通ずる絶対分離を特性にもつ源力を対術式特化もある。分断するその効果は術式と源力を分け、ときに浄化の力ともいわれた。
これらに代表されるように、妖怪やそれに通ずる超越変化を特性にもつ源力を使った術式にも、臨機応変に対応する応用特化という特徴があったのだ。それは例えば自身をこう化けさせたい。他をこう変えてみたいというものだ。
ようは想像力を形にするような術式だったのだ。
この度、相手がどんな意味を込めて呪力術式を用いたのかわからない。しかしだからといって落胆してばかりもいられない。道の先を見据えなければならないからだ。
「とにかく進まなきゃだ。おばさんの通訳が正しければ、上に行けばゴールはあるはずだし」
唯一の救いは、この呪力術式というものは、必ず「かけられた」場合において解く手段があるということだ。おとぎ話で「のろい」に対して対となるものがあるように。
今回の場合は鬼ごっこという最後に聞いた言葉が鍵になるだろう。その遊戯には規則がある。逃げ手《あいて》がいて追い手がいることだ。鬼は自分であり、術師を追う。そうすれば解決の糸口にたどり着けるだろう。九津は山頂を目指し始めた。
まるで導くように山の頂へと道がある。もともとあった登山道を使った認識の変化のためなのかわからなかったが、少なくとも進む道があるのはわかりやすくて助かった。
ただ、わからないこともあった。
「何、これ?」
思わず九津から声が漏れる。
突然、青空をぼやけさせていた緑色のもやが集まった。集まったのは呪気だ。かと思っていると、強く輝きだし、あたかも空から流れ星が落ちてきたかのような曲線を描いて落ちてきたのだ。そして目の前で形と成した。
それは一角獣だった。
「……もしかして妨害用の式神?」
漏れる緑色の気配は呪力の証だ。ということは、これは間違いなく呪力術式による物、つまり呪力疑似生命体だ。
一角獣の形を模した式神は立ち塞がるようにこちら睨み付けている。今にも突撃をいさないような振る舞いだ。
「敵対心バッチリか…仕方ないな。逃がしてくれそうもないし、相手をしてあげるよ」
冷静に瞳を走らせる。相手の動きを見るためだ。突撃してきた。それなりに早いが単調だ。一角獣に恥じないその武器で仕留めようとしてきたのだ。しかしこの程度なら問題ない。そう判断して九津は光の剣、万式紋で応戦した。
勝負は一瞬。もとよりこういった術式関係に強い九津だったが、なおのこと迅速だった。これは早く進まねばという意識以上に、この式神と呪術師との距離関係による強弱が大きいだろうと判断できた。
また逆を言うなれば、遠く離れていてもそれだけの操作が可能であると黙して語っている。相当な実力と自分に対する自尊心がなければ語れないが。
九津は、ともかくもことの成り行きを眺める。
「空にかえった?ってことはこの式神のモチーフは…星座か。ん?」
そして。
「なんとまぁ」
行く手を阻むように斧をもった羽飾りを付けた小人のような人間を象った式神がまた現れた。今度は複数体だ。彼らが守らんとするその姿勢に、進むべき道のりの正しさがより強く物語られていた。
「夜空に煌めくはずの星たちが、こんなにたくさん地上に降り立ち形を成すなんて…」
肩に万式紋をあて、不敵に笑う。
「相手にとって不足はないっ」
いざ、歩を進めた。
─────
「ここは…」
包女が目をあけると、木々に囲まれた場所だった。通常通りに思考を向けるならば、ここはあの「山」の周辺なのだろう。空からさす光や木々の揺れる音は、先ほどの事柄とはかけ離れた雰囲気を作っている。
静かというより、穏やかだ。そう思った。
『フム、どうやら呪力結界に囚われたようじゃな』
と、姿をまだ見せない筒音が言う。確かにあの光を浴びたときの感覚は呪力だった。九津に習い、瑪瑙に教えてもらった感覚とよく似ている。
「呪力結界。…ねぇ、筒音。それはどういうものなの?瑪瑙ちゃんが普段使うものと、なんだか違うみたいだったけど」
包女は尋ねた。いつも瑪瑙が使っている「目的のものから意識的に目をそむけさせる」呪力結界とは使用が違うからだ。どう考えても、あの光によってバラバラに移動させられている。
『そうじゃな。包女たちが使う魔力を使った精霊結界と近いと言えば近いかものぉ』
考えるような筒音の声。包女もまた考える。
精霊結界ならばわかる。魔力結界においてそれは擬似的な空間を作り出し、対象と発動者を閉じ込めるものだ。これに似ているということは、この呪力結界も疑似空間を作り出しているということだろうか。
「じゃぁ、力づくででも結界を破れば…もとの場所に戻れるの?」
『そこが魔力結界との決定的な違いじゃな』
「?」
どうやら思いついたものとは違ったようだ。首を傾けた。
『呪力結界の基本は、意識的に視線を外させる変化の力が働くのじゃ。強制的に対象を排除、隔離しようとする魔力結界と違ってのぉ』
「うんうん、悟月くんと瑪瑙ちゃんがそう言ってたよね」
頷きながら筒音に相づちをうつ。
『隔離…という意味では同じでも、異空間に捕らえる精霊結界とは違い、あくまでも呪力結界である以上この地の何処かじゃ。それを意識的に…今回は位置的に変化させられたようじゃ』
筒音はそう説明し、そのまま続ける。
『しかも呪力がかかっているということは、どうしても意識的にも通常の道に戻るのは難しいじゃろう。当然、無理矢理にでも戻ることは可能じゃろう。しかし、そうやって解けた場所がもとの場所とは限らんのじゃ』
「知らない場所に移動させられてるってこと?」
『そうじゃ。場所を無制限に変化させられるということじゃ。そうなれば面倒じゃぞ』
筒音はそう告げたあと最後に、人の世で言うなれば「神隠し」にあったというやつじゃな、と付け加えた。
「人が居なくなったりするっていう、あれか…そうか、妖怪も呪術師も通じるところがあるもんね」
となると、どうするか。包女は思考を巡らせながら、わざとらしく延びている山道を見据えた。
『あれのほとんどは、どこぞの呪術師が張った呪力結界に、どこぞの誰かが巻き込まれた類いの代物じゃろう』
なるほど。筒音の念のおしように、包女は素直に納得する。
「…無理に破ったら、筒音でもどこに飛ばされるかわからないんだよね?」
『技術、力量によっても距離や位置は変化するじゃろうしのぉ。妾だけなら包女のもとへすぐさま飛べるんじゃがな』
「そっか。じゃぁ一番、いい解決法は…わかる?」
だいたいの推測はまとまってきているのだが、やはりここは専門的に自分よりも詳しい筒音に尋ねてみる。
筒音も考えるような間が空いてから声が響いた。
『これが呪術ならば、手順を踏むことじゃな』
「手順?」
『相手が用意した条件を満たすことじゃ。あのとき、桃輝が言っておったろぉ』
やはりそうか。包女は自身の推測を確信に変えた。
「あの男の人を追いかけろ」
重要な点はいくつかあった。桃輝が伝えてくれた「鬼ごっこ」と「ここが呪力結界の中」であること。それにあからさま解決法が用意されていること。
それともうひとつ。
『そう言うことじゃ…しかし』
最後の重要な点は、筒音の声を聞いている包女の前に星のような輝きが、落ちるように収束してきたことだ。まるで制限時間のカウントが始まることと、その行動を阻害することを告げるように。
『そうそう容易にはいかなさそうじゃのぉ』
「あれは…」
光は形と成る。人型、それも筆のような物を持っている姿へと変わる。
『呪術師の呪術によって作られた創造物じゃろうな』
「シキガミ。あれは瑪瑙ちゃんのと全然違うタイプみたいけど…式神なのね」
とるべき行動はわかった。ならば進むだけだ。邪魔するのなら、そのすべてをなぎ倒して。
包女は愛用している黒光りする木刀を瞬時に手に携え、宣言する。
「お願いだから、私の邪魔はしないで」
呪力結界にとらわれた魔術師は、その一歩を踏み出した。
─────
普段ならパワースポットとしても観光地としてもそれなりの人々が訪れる、霊峰と讃えられた山。訪れる者たちは皆、様々な理由があるだろ。ただ、今日だけが特別なわけではない。
今、この山のある場所には戸惑いながらも他に気を配る者がいる。
「こりゃぁ、呪術で仕掛けられたって思った方が無難だな」
光森はこれまでの知識をもって冷静に現状を受け入れ、これから自分がとるべき行動を考える。
「どうすっかな。じっとしてても助けは来るかも知れんが…」
あの後輩はなんといっていた。ココノツ講座と題した後輩の話を思い出す。
呪術とは条件を揃えることだ。それを解くには、その一つ一つの条件を、逆順に満たしていけばいい。
なるほど。自分の記憶力を褒め称えたい。
「待ってても癪に障るだけだし、何よりあいつらはともかく九津のおばさんや妹はさすがに不味いかもしれないしな」
また別の場所では悟りつつ、うれう者もいる。
「呪力結界かぁ。飛ばされただけみたいだけど…」
空をぼんやりと眺めていた界理は、悟る前触れのように目を閉じた。
五感、意識、状況、原因、要因、重要点、解決法、手段。あらゆることを把握する。
体は無事だ。意識も同じく。状況は呪力結界に囚われていて、原因はあの青年だろう。要因は完全なる油断。要点は記憶にある桃輝が残した言葉。重要点は結果が未知数であること。解決法は要点に帰属する。手段はこの場に一人である以上、自分自身でどうにかするしかない。
ここまで僅か数秒。再び瞳はこの景色を写した。
「よほどのことが無ければ全員大丈夫な人たちで良かった。とりあえず今は自分のことをなんとかしなきゃいけないなぁ」
そう呟き、歩き始めた。もうすでに、どこへ向かえばいいのかを理解しているように。しかし不意に、
「あっ」
と、年相応の声をあげた。先ほどの考えに、不安要素を入れるのを忘れていたからだ。
「お兄ちゃん、余計なことしてどっかにまた飛ばされてなきゃいいけど…」
少女がよぎらせた不安要素は、それだけだった。あとは真っ直ぐに山道を歩き出した。
この場所にいるのは瞳に闘志を抱く者。
桃輝は、むしゃくしゃを抑えるように自分の髪の毛をかきむしった。もともと癖の強い髪が、力任せに形を変える。
だぁぁ、と声なき声を飲み干して、ようやく前を見る。山頂へ続くと見られる一本道だ。
「はぁ、私がいながら飛ばされるとは…情けなくって涙も出ないね」
苛立ちは置いておこう。桃輝は呆れたように振る舞った。誰も見ていない。けれど自身が見ているからだ。これ以上の失態はさらしたくない。
「星だ?導きだ?おいかけっこだ?上等じゃない。おばさんだからって舐めんなよ」
山の頂をこえ、天に向かって呟いた。あの青年の顔が思い出され、目元がひきつる。
グッと拳を握りしめ、空に突き立て宣言した。
「私に喧嘩を売ったこと、何より、私の側で私の身内に危害を加えようとしたその罪、その身をもって後悔させてあげるわよ、呪術師」
この場所にいるのは敵を追い、責任を負う者だ。
「大変なのです」
山道を駆け、二つに結った長い髪がまるで羽のように舞っている。瑪瑙はその小さな体を精一杯に動かして頂へと目指していた。
理由は簡単だ。これは呪術によって作られた状況であり、この解決の糸口は頂きにあることを知っているからだ。
「私がこんな場所に来たいなどと言ったために、皆さんをとんだことに巻き込んでしまったのです」
背中に背負う黒リュックを掴んだ手に力が入る。後悔、そしてそれを払うための決意。
「かくなるうえは、私がなんとしても頂上へたどり着き、先ほどの呪術師の方を制してこの術を解いてもらわねばっ」
すると、目の前に星が降ってきた。それは地上に落ちると形を成した。呪術によって生まれた呪力生命体だった。怪訝な顔になる。しかしだ。すぐにそれは払われ、心に浮かぶのは一つだ。だからどうした。
「今の私を邪魔するな、なのですよっ」
瑪瑙は躊躇うことなく、おさえることなく、己の呪術を振るった。彼女の行く道は、誰にも邪魔されることを許されないものだから。
────
星を眺めるような青年が一人、山道を歩いている。杖をつく姿はたどたどしくもあったが、足取りそのものは軽そうだ。
「(ようやく全ての星が動き出したみたいだ。僕も頑張って山頂を目指そうかな)」
青年は一人語る。
「(楽しみだなぁ。彼らが僕をどこまで止められるんだろう。行くつく先は、まだ星たちも知らないもんねぇ)」
笑顔がこぼれる。
「(あれ、でも、彼らは六人しか姿を見なかったぞ?星たちは七人って教えてくれてたのに)」
これは、九津たちが来訪することを予見していた彼にも予想できなかったことだ。
思わず、といった風に呟く。
「(楽しみだなぁ)」
空は青く、どこまでも突き抜けている。その中に薄く光る星がひとつ。それに語るように言葉を続けた。
「(まだ僕も、星さえも知らない行方があるのかぁ。さぁ、早く次の舞台に移らなきゃ)」
そしてまた、鼻唄まじりに歩き出した。




