表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ココノツバナシ  作者: 高岡やなせ
怪の公式 編
34/83

第二十六話 『コレヲBトスル』

 郊外にある閑静な住宅地。そこを通り抜け、もう一つ離れた場所に、門を構えた屋敷と呼ぶに相応しい和式邸宅があった。


 日本が誇る「五都」は付加魔術師の一族の本家、「鷲都」の家屋敷だ。その付近の住宅地は、関係者ばかり住んでいる。


 屋敷の縁側、夏の空を和らげてくれる蛇腹のカーテンの影で、この屋敷の居候、半妖の筒音は少女の姿で寝そべりながら本を読んでいた。


「筒音どの。その姿の時くらいは、もう少し節度をもった仕草を心がけてもらうよう、いつも言ってあるはず」

「じゃから、妾もいつも返しているじゃろう。それはちと難しい相談じゃと」


 少女の姿の筒音が、応えるように足をばたつかせ、小言を添える雀原 里麻(すずめばるりま)にあしらうように返した。


 里麻は隣に正座し、茶を啜りながらチラリとそんな筒音を見ると、嘆息して空を眺めた。


 半妖である筒音は主に二つの姿を多用する。


 一つは獣。狐を主体とした姿で、その大きさを変化させる。特徴的な白黄色の毛並みをなびかせるその尾は、物語に出てくるモノノケとしての神秘さを持っていた。


 そして、もう一つ。それは今寝そべりっている少女の姿だ。狐の姿以外はこの姿を好む。包女によく似ており、長くその背を隠すように垂れる髪は包女の正反対の白色だった。


 せめてこの、包女たち(・・)に似せた姿の時くらいはなんとにらないものか、などともう何度目のやり取りかもわからない。なんともならない気持ちをまぎらわせる為、里麻は空の色を見る。


 こう言うときに見上げた空の色というもの、なんと純粋で、心を優しく包む眩しいものか。そう気持ちを整え、里麻はまた茶をすすった。


「それは先生の本ですか」

「そうじゃよ。包女にと、持って来ておったのを借りて読ませてもらっとるのじゃ」

「珍しいですね。貴女が、漫画や小説以外を読むなど」

「あぁ、これはタメ(・・)になるのじゃ」

「なるほど、それで」


 横に積まれた分の題名から、普段筒音が読んでいる物と違うことを判断し、里麻は尋ねた。


 筒音は、今読んでいる本を少しだけ持ち上げて示し、また読み始めた。


 随分と熱心に読んでいると思えば、そういう本か。里麻は納得しながら呟き、自分も一冊、手に取った。


 まさか鷲都家の賓客にて、もう一人の居候、ガータック・シュヴァルツァの研究資料だったとは。


 基本、筒音は物語の本を好んで読む。ジャンルを問わず、人間の思い描く物語がとても面白いらしい。時に、ホラー作品をケラケラと読んでいたのを思い出す。


 そして、物語性の欠片もない人間の文化的解釈の本、つまり科学や数学の本などには、興味を示さなかった。


 何故なのかと、一度だけ聞いたことがあった。筒音はつまらなそうに『詰まらぬからじゃよ。タメにならんのじゃ』と両断された。


 妖怪にとって、この「間界」での知識は役に立たないらしい。それは、あくまで人間が、人間として、この世界に対して抗うために得た力だ体と言う。


 そう言うものか、と聞き流していたが、実際は最近になって理解出来てきていた。


 確かに、物語の中で広がる想像されたものは、筒音の新たな妖術の糧となっているのだ。人間が造り、人間が創り、人間が作ってきた沢山の物語の中の想像ちからを反映しながら。


 そして、今。小難しく、もっとも嫌いな分野だろうこの本を嬉々として読んでいるということは、筒音にとって想像力をかきたてられる内容なのだろう。


 そう思いながら、里麻は目を通した。少なくとも、自分も、ほぉ、と思わず目を細める箇所もあったが、正直、半妖・・の彼女がこれほど楽しめるのかと疑問に思った。


 思ったが、口にはしない。価値観、思考、概念。人間と妖怪、その時点で違うのだ。


 例え妖術を扱う筒音が、魔術について書かれた本を楽しそうに読んだところで、疑問を解決しようと試みることが疲れるのだ。


 里麻は、本に視線を落としながら別のことを口にする。


「そう言えば最近、貴女はお嬢様に憑いて回らないのですね」

『ん?…まぁ、のぉ。その必要は、すでにないじゃろうし』

「…そうですか」


 一瞬珍しく口を濁したが、あとは筒音は簡潔に答えた。里麻もその答えで充分だと返した。


『それにじゃ』

「それに?」


 ふと、筒音が上半身をあげた。里麻も視界の端でそれを捉える。


 筒音は本を置き、空いた手を持ち上げて自分の黒い方の瞳を指す。片方の、黄色の瞳は瞼で隠し、より強調する。


『妾たちは憑ながっているのじゃからな。音は聞こえんが、視界は共有してる。問題はないのじゃ』


 シシシ、と楽しそうに空気を鳴らした。


 妖怪は「動物性物質」と「鉱物性物質」を操る。とくに「動物性物質」の扱いに秀でており、それを踏まえて同じ「動物性物質」を持った生き物にとり憑くことが出来る。これは体の一部を共有するということだ。だから筒音は片方の瞳の「色」を包女に交換したように、色が変わっている。当然、相方の包女の方もだ。


 それを知っていた里麻は、黙って頷くだけだった。


『それよりもお主こそ、ここにいていいのか?来客中と聞いたのじゃが?』

「問題ありません、私がいない方が良いこともあります。お茶を出すまでが私の仕事。口を出すのは、出過ぎた真似です」


 里麻の言いようにまた、筒音は楽しそうに肩を揺らし、シシシと空気を鳴らした。


『そうじゃのぉ。門から入った者を無下に扱うような者は、鷲都家ここにはおるまいて』


 里麻の隣に座り直し、縁側の外に足を投げつけて、思い出を語るように筒音は言った。


 遠い日、倒れた一匹の獣を拾ったのも、この家の者だ。


『フム。ところで里麻よ』

「なんです」

『昼は何にするつもりじゃ』


 筒音はお腹をさすりながら尋ねた。


「そうですね。素麺を、色々とトッピングをするような食べ方にしましょうか」


 里麻はそう言うと、本を閉じて積まれた箇所に直した。そうして立ち上がり、筒音にそれでいいか尋ね返し、了承を得ると台所へ消えていった。


『おぉ、里麻のトッピングソーメンじゃ。楽しみじゃのぉ』


 筒音は、垂らしそうになる涎を飲み込みながら、再び時間がくるまで本を読むことにした。





 小鉢に入れた里麻特製のめんつゆ。それにつけた最後の一すすりを美味しそうに飲み込み、筒音は箸を置いた。


『上手かったのじゃ』

「はい、お粗末様でした」


 手を合わせ、瞠目しながらの筒音に、少なくなってきていた湯飲みにお茶を注ぎながらの里麻は返した。


 食べ終わり、満足感たっぷりの筒音は、今度はぐんと背中と腕をめいいっぱい伸ばした。


 そしてまだこの食卓に並ばない二人がいる方向を見ながら、そそがれたお茶に手にとった。


『しかし日戸とガタックはまだ相手をしているのか?もう昼を回ったのじゃが』

「先生は、本気で学ぼうとする者に道を示すのが自分の役目だと仰ってましたからね。熱が入っているのでしょう」


 里麻もお茶をすすりながら返す。


 食べ終わってしまった筒音と違い、里麻の前にはまだ綺麗に盛られた素麺とトッピングの薬味、使われていないめんつゆと箸があった。


 随分と熱心なことじゃ、と筒音は呟き、傍らに置いていた本を開いた。


 しばらくして、こちらに向かってくる足音が聞こえた。


 里麻は立ち上がり、新たに二つ、湯飲みを出して中身を満たした。


「すいません。二人とも、お待たせして」


 顔を出すなり、申し訳なさそうに言うのはこの家の主人で、現在鷲都の当主であり、包女の父親の鷲都 日戸(わしみやひのと)だった。


 まだ手のつけられていない食材を見て、言ったのだろう。筒音は視線は落としたまま、軽く手を振った。


『いや、妾は先にいただいたのじゃ。気にするな』

「すまんなぁ。ついつい力が込もってしまったようだ。お、年寄りと冷や麦とは、また皮肉が利いておる」


 日戸に続く老紳士然とした男はこの家のもう一人の居候、ガータック・シュヴァルツァである。


 それでも、と言うように食卓に座る二人にガータックは告げた。そして、自信満々に諺を添えると、


「それはもしや、年よりの冷や水ですか?私も入っているのですか?」


 里麻にとても冷たい視線をもらうことになった。微妙に温度が下がったこの部屋。慌てた日戸に言葉の意味を注意され顔を青ざめさせたガータックは、ごほんごほんと咳払いをしつつ、最近馴染み出した席に座った。


 日戸も同じくして席についた。


 こうして、一切血の繋がりのない者たちが、まるで家族のように同じ食卓を囲んだ。


 ここまでのやり取りを、本に視線を落としながらも筒音は、静かにシシシと肩を揺らして楽しそうに、くすぐったそうに聞いていた。


 人間というのは、血の繋がりを尊ぶ生き物だの言うのに。と、心の声を隠して。


「それで、あの者たちは?」


 配膳が完全に済み、自分も席についた里麻は手を合わせながら、二人が相手をしていた来客について尋ねた。


「帰りました。今日で一先ず終了です。あ、あとで差し入れに貰ったお菓子、食べましょう」

『お?なんじゃ、あやつら、そんなものを持参しておったのか』

「ワシは構わんと言ったのだがな。まぁ、彼らなりの気遣いだろ。有り難く、頂戴したのだ」


 素麺をつるつるすすりながら二人は話した。すると筒音は立ち上がり、とてとてと日戸が示した冷蔵庫ばしょまで行き、中を確認した。


 中身は色とりどりのケーキだった。


 おぉ、と瞳を輝かせ、どれにしようか筒音は狙いを定めた。やはり、あれが良いのじゃと呟いていると、


「なら、お嬢様がお帰りになられたら、皆でいただきましょう。筒音どの?」


 里麻が後ろから声をかけてきた。抑止力としてではなく、おそらく確認をとれ、との意味だろう。


 何せ、筒音と包女は、繋がっている。


『ウム、今、包女が何処に居るのか見てみるのじゃ』


 背中を三人に見せながら筒音は、声を弾ませ了承した。それをガータックが、箸を止めて物珍しそうに眺めた。


「ほぉ、視界の共有…これが妖怪との〃憑依〃の能力か。精霊とはまた違う繋がり方なのだな」


 顎に手を当て、観察する目は研究者のそれだった。ガータックは、魔術師の世界に足を踏み入れてなお、その目を、その生き方を変えなかった。


 力の増幅や上昇効果ではなく、動物性物質の共有。


 里麻は、ぶつぶつ呟くガータックを現実に引き戻すようにことんと、わざと箸を置いて音をたてた。


「先生。知的好奇心を刺激されるのもよろしいですが、先に食事を済ませて下さい。片付きませんので」

「お、お、こりゃすまん」

「で、筒音。包女は、まだかかりそう?」


 ガータックと里麻を苦笑混じりに見ていた日戸は、話題を変えるために筒音に尋ねた。


 筒音は名残惜しむように冷蔵庫にケーキをしまい、


『先まではあの修行場から色々と移動しておったようじゃがな』


 と言った。ガータックは首をひねった。


「あの修行場?」

「ほら、先生が通弦さんに頼まれ考案した…」

「おお、あの、付加魔術師でも可能な精霊魔術的要素を取り入れた結界広場か!あの場所を包女くんが…そうか、そうか」


 日戸に促され、記憶を辿るガータック。ぽんと手を叩いて頷いた。その顔はとても誇らしげだ。


「懐かしいですよね。ここならどんちゃん騒ぎに魔術を使っても大丈夫だからってはしゃぐ通弦さんをなだめ落ち着かせていた日々が」

「ああ、そうだなぁ」

「懐かしさに浸りながらでもよろしいので、食べてくださいませんか」


 そして、時おり思考が停止する二人を現実に引き戻すのが、里麻の役割だった。


 諌められ、手を動かし始めた二人をあとに里麻が続きを言うようにと、筒音を促した。


「それで、筒音どの?」

『いや、な。帰りの道中じゃったのじゃが…なぁ。何やら…』


 歯切れが悪い。視界だけでは判断しづらいことでもおこったのだろうかと里麻が尋ねる。


「何か、ことでも?」

『光森…覚えておるか?』


 この面々ならわかるはずだ。そう言いたげに名前をあげる。三人は互い合わせに顔を見て、


「包女の友人で、確か先輩だったよね?」

「ええ、覚えていますよ」


 と、筒音に返した。筒音はわずかに応えると腕を組み、考えるように立ち尽くした。


『そやつから、何やら呼び出しがあったらしい。九津を連れてこい、と』

「何かあったのかな」

『わからん…が』


 自分たちも色々と面倒ごとの多い魔術師いきかたをしているためか、心配するような声で日戸は呟いた。筒音は簡潔に言い、そして。


『包女からの呼び出しじゃしのぉ。ちと出てくるのじゃよ』


 そう告げる。


 その顔には心配する不安や、お菓子を後回しにされた不満はなかった。


 代わりに、親友つつめに頼られる嬉しさと、これからおこるだろう厄介ごとへの好奇心に溢れた不敵ともいえる笑みを浮かべていた。


 三人は見送る顔になる。


「いってらっしゃい」

「気をつけてな」

「夕飯に間に合わないようなら、お嬢様に連絡するよう伝えてください」


 まるで家族を見送るような台詞に、筒音は寛容に頷いた。すでに体は薄らがかっている。


『ああ、了解じゃ。では、妾たちが帰るまで、そのケーキは残しておいてくれよ。妾はそのチョコレートがたっぷりかかったやつを食べたいのじゃ』


 言い終わると、筒音の姿はそこから消えていた。包女のもとへ向かったのだ。


 残された三人は、また素麺をすすり出した。




 ─────





 妖怪は、とり憑いている動物性物質いきものと離れている時に、その距離関係を無視するかのように表れることが出来る。…わけではない。


 実際には、そう(・・)見えているだけだ。


 正確には物凄く早く、それこそ本人の意思よりも早く、正しく、最速の道程を、本人さえ意図せぬほどの刹那の間に移動しているだけなのだ。


 そもそも「とり憑く」ということ事態が、一般的に知られる知識とかけ離れていた。本来「とり憑く」ということは、その妖怪の体の一部分を相手に渡し預けること。もしくはその反対で、宿主の体の一部分を受けとることを言う。


 それだけの行為であり、実際に意識を乗っとるなどの類いはほとんど出来ない。よほど強い力を持った妖怪だとしてもだ。


 ならば何故とり憑く必要があるのか。


 当然、妖怪側に利点があるからだ。


 例えば弱っている妖怪が、動物性物質を補うためにとり憑く場合がある。この人間の世界の理に、中途半端な力と体がついていかない時だ。だからこそ、乗っとるなどの芸当は出来ない妖怪が多くなる。


 むしろ乗っとるとは逆で、この手のとり憑き方をした妖怪は、宿主を守ろうとする。その動物性物質を失わないためだ。この場合、視える者に「守護霊」と呼ばれる妖怪たちも出てくる。先祖を模した者、宿主の望む姿になる者。姿形が様々なのは、変化を得意とする妖怪であるためだ。


 もう一つ、よく知れ渡っている理由がある。それは一種の契約のことだ。


 つまり、「使役者」と「使役式」の関係。俗に「陰陽師・妖術師」と「式鬼・式神」と呼ばれる関係だ。


 これは一般的な非術師ではなく、妖力やその下位交換である呪力を持った術師と、互いに理解した上で力と体を共有することにより相互作用を高める効果で行われる。有り体に言えば、強くなるためだ。


 その効果の派生に、術師の体内に封じる、というものに分類されるものがあるが、それはあまり好んで使う者も、使われる妖怪もいなかった。


 そして筒音は、いくつかある例のうち、前例二つを含め、もう一つ理由があった。


 それが宿主を拠点とした長距離及び超光速的な移動が可能となる点だ。


 動物性物質を共有している宿主がいる地点まで、瞬間的な早さで自動的に運ばれる。


 あくまで移動の範囲を越えることは出来ないが、それでも自分の意思で移動するよりはかなり早い。距離にもよるが、日本の国土内ならば、数秒かからずに移動出来る。


 これはこの人間の世界に生きる筒音にとって、とても有力な移動手段となったのだ。


 唯一の難点は、筒音自身が拘束や監禁されていては移動が出来ないため、成り立たないという程度だ。考慮するも、利点の方が大きかった。


 こうして、日戸たちの目の前で霞がかっている間に筒音の体は、包女に預けた体の一部分(ひとみ)を伝い、既に向こう側へと顕現し始めていた。


 完全に、鷲都家側の筒音が消えた頃には、包女たちのいるはずの場所に、包女を拠点にして表れていた。





 筒音は、包女を通して見ていた景色の場所、見慣れた修行の場に立ち尽くしていた。


 ここに着いたということは、間違いなく包女たちはいるはずだった。しかしその姿は見えない。


 おかしい、と口に出す前に考えがよぎる。匂いがしたのだ。いつも包女につきまとう焦げたような魔力においと、瑪瑙が時おり放つどこか自分と似ているようで違う新緑のような呪力においの。


 鼻をすんと鳴らし、目を凝らす。


 なるほど。確かに視界に姿は写らない。が、元力ちからの持つ識別色いろははっきりと視えた。昼前に修得しておったのは「これ」じゃな、と内心で視覚だけでは把握できなかった事情を悟りながら口を開いた。


『ホォ、姿を隠す術か。瑪瑙、お主か?』


 僅かに仰け反った時のような音がした。かと思えば。


「ががーん。簡単に見つかってしまったのですよっ。ショックなのです」

「すごい、筒音。わかるんだ」

「残念だね、鵜崎ちゃん。せっかくびっくりさせようと思ってたのにね」


 三者三様の言葉が聞こえた。あからさまに気落ちした瑪瑙の声に、筒音は気をよくし、ふんぞり返る。


『ふん、そんなことじゃろうと思っておったのじゃ。どれだけ姿を隠そうと、匂いと力の気配がただ漏れじゃ』

「な、なるほどなのですよ。まだまだ未熟、未完を痛烈に感じるのです」


 力なく項垂れた瑪瑙は大地に手を付いた。とたん、うっすらとだが輪郭が浮かんできた。


 術式が解けた上に、瑪瑙からの呪力が途絶えたからだろう。十秒を予定していたがそれを早回る解除だった。落ち込みながらも、それさえ瑪瑙は丁寧に記憶した。


 そんな瑪瑙を励ますのは包女だ。ふんぞり返る筒音を前に、いまだに落ち込む素振りの瑪瑙に一生懸命に声をかけた。


「で、でもすごいよ、瑪瑙ちゃん。魔術でこういった効果なんてないから…逆に魔術師わたしの方が何も出来なくて…なんか、ごめん」


 しかし。言っていて、段々とその声に力がなくなってきた。それは自信の崩壊を現していたのかも知れない。


 魔術を誇りにしている。してはいるのだが、妖術や呪術の凡庸性の高さと言ったら。


 はっきり区分するなら、少なくとも包女が得意とする付加魔術は、一般的な生活にはほとんど皆無といっていいほど役に立たなかった。せいぜい力持ち程度の役割しか果たせない。


 純粋な戦闘が始まれば、筒音に退けをとらず、瑪瑙さえも凌駕するだろう可能性をもってしても、今このとき、この瞬間に、何の役にも立てないという事実が、包女を押し潰しかけたからだ。自然と涙も浮かびそうに振るえる。


 ここまで来ると、瑪瑙の方が必死になって元気なのですよと、包女に気を使い始めた。


 力こぶを作るように腕を曲げ、鼻息を荒めに宣言する。


「案山子でなくて、しかしっ!私はめげず、挫けないのです。いずれ完全なる隠れみの術式を立ち上げ、筒音さんを驚愕の渦に巻き込ますのです」

『やってみるのじゃ。何度でも見破ってやるだけのことじゃ』


 やる気に満ち溢れた瑪瑙に、筒音は楽しそうに口の端をあげて挑発するように笑った。


 瑪瑙も負けじと「今のうちなのですよ」と返すと、筒音も鼻を鳴らして対抗した。言い合う二人。そんな二人を見ていると、自分も立ち止まってはいられないと、包女は奮い立つ。


「二人とも…。私も、もっと頑張らなきゃ。せめて力の気配くらいはえるようにならなきゃ」

「大丈夫だよ、鷲都さん。俺だって視えるようになってるんだからさ」


 精進を宣誓し、目標を示す。九津は、背中を押すように言った。包女もその言葉に、嬉しそうに頬を緩めて応えた。


 それから。


『…で。まさかこの為だけに呼んだわけではないじゃろう?』


 しばらく瑪瑙と睨み(じゃれ)合っていた筒音が、もう飽きたと言わんばかりに包女たちに尋ねてきた。


 包女は、あっ、と忘れていたことを誤魔化すように口元を隠した。九津も忘れていた。


「ん…そうそう、そうだったね。悪いけど連れていってほしい所があるんだ」

『それが光森からの連絡と何か関係あるのじゃな?』

「おっ、話が早いねぇ」

『包女の視界を通してな。妾たちは繋がっているのじゃからな』

「ん」


 九津が要件を伝えると、筒音は既に知っている有無を答えた。内容を察していた理由に頷きながら、九津は一言返すのがやっとだった。


 視線の共有。お互いに視たくないものさえ視ることになりかねないというのに。


 これが、妖怪と人間とが積み重ねてきた友情の絆か。なかなか羨ましいものだな、と思ったからだ。


 筒音も何か思うところがあったのか、


『…故に包女が違う形で妾を補うように、妾が包女をまた別の形で補えばいい。それだけのことじゃ』


 そう言った。


 包女は、先ほどよりも顔を蒸気させたようににっこりと笑った。今の言葉はつまり、筒音なりに包女を励ましてくれていたのだ。


 親友とは言え、普段はこんな互いに照れるような言葉は言わない。筒音の方は尚更だ。


 それを今、さらっと言ってくれたことが、包女は嬉しかった。


「…うん。ありがとう、筒音」

『それで、何処へ向かえばいい?』


 シシシと、照れたのを隠しているのか、いつもの調子なのかよく掴めない少女の姿をした半妖は、全員を促した。


「じゃあ、俺たちが説明しておく間に鵜崎ちゃんは術を解いて、体力おかし回復し(たべ)ててね」

「了解なのですよ」


 九津が指示をすると、包女と瑪瑙は頷きあった。


 瑪瑙が少し離れた場所でお菓子を広げて吟味し、選び抜いた逸品を食べている。その間に、九津と包女はこれまでのことを筒音に話した。


 大体の場所を頭に入れた筒音は早速、得意の変化を見せた。


 白金の毛並みの巨大な狐だ。数人乗っても余裕が十二分にあるほどだ。流石にこれには瑪瑙も素直に「今回ばかりは敗けを認めざるえないのです」と驚かされたことを悔しがった。


 しかし一転。


 狐になった筒音の背中に跨がり、包女に支えられながら、いざ、術を扱うとその顔は、影を帯びた真剣な呪術師の顔になった。


「満腹、満タン。全力全快なのです」

『では、行こうか。振り落とされるなよ』


 駆け出す前に一度、天を穿つように仰け反った。


「ん」「うん」

「出発、進行なのですっ!」


 瑪瑙の号令に背中に跨がる面々は姿を消した。そして、シシシと牙を見せるように笑い、筒音は大地を蹴った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ