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ココノツバナシ  作者: 高岡やなせ
夏のある日の序破急 編
29/83

第二十二話 『夏の一日 急の続き』

 瑪瑙めのうは、自分が狙われなかった(・・・・・・)ことの不甲斐なさを噛み締め、今、目の前で繰り広げられる戦いを見つめる。


 次こそは。次こそは必ずあの場所で私も共に。


 秘めた言葉を心の奥に放り込み、熱くなりそうな瞳をしっかりと据え、痛む手の平を胸の前で重ねた。





 筒音と光森はなんとか防戦を維持している状態だった。決め手に欠ける筒音はもちろん、攻め手を持たない光森は不利以外のなにものでもなく、厳しいことは変わらないからだ。


 唯一善戦しているのが、魔術師である包女だった。単純に魔術が効かないために戦法を変えたことがことを奏したのだ。木刀ぶきにまとわせた魔力そのものを、一時的に底上げすることにより、少なからず影人形に傷を負わせている。


 しかしその程度、と操流人は軽視していた。


 いかに傷を負わせられようとも、それ事態はたいしたことはない。何よりも、影の魔力生命体せいれいとなった自身に、包女以外の攻撃などおそるに足らないものだったからだ。


 いや、それよりも。今自分自身が戦っている相手こそが、一番厄介なのだった。それでも攻め手としては、こちらが優位だと操流人は声を弾ませた。


「どうだ、金髪?」

「まだこんなもんじゃ、俺はやられてあげるわけにはいかないよ」


 光の刃を力づくで弾く。上手くいき、連撃をあびせようと影を伸ばす。回避をしつつ九津が言葉を返すが、その頬と服にかすり傷がついていた。


「へぇ、そうかよ」


 僅かだが自分が圧している。この事実に、決して影により表には出なかったが、操流人は笑みをこぼした。愉悦に浸ることが出来た。


 この高揚こそが、自分が求めていた「強さ」なのだ。相手を圧倒する、精霊魔術師としての「強さ」。


 九津に六割以上の意識と力を注ぎ込んでいるが、構わなかった。卦我介たちを退けた相手を追い込むということが「強さ」の何よりの証明だったから。


 しかしその一方で、「弱さ」がよぎる。それは時間だ。


 敵を圧倒する力。魔力生命体せいれいになる魔術。これは強い意思で制御することが求められた。


 その重要性は、魔力そのものよりもずっと、ずっと求められた。集中力が途絶えれば、飲み込まれる(・・・・・・)のは自分だ。


「しぶとい奴、いや、…奴等、か」

「当然」


 意識せず、呆れた声が漏れた。九津に拾われ、妙に感情に触れたが、別段優位なのは変わらない。気分を害するほどでもなかった。


 精霊同化から数分の経過。集中力の限界を考えると、そろそろ光森辺りに決定的な一撃を与えたいところだった。焦りとまで呼べないが、気にかかり始めた。


 ところが、常に間一髪。包女や筒音が割ってはいる。


「くそ。…悪いな」

「お互い様ですよ、鯨井くじらいさん」

『フム、そういうことじゃのぉ』


 情けない自分を責めるような光森の声。それに答える声も聞こえた。操流人の心に、不思議とざわめくものをあった。九津との戦闘や会話でも波立たなかった操流人の心に、また一つ、生まれたものがあった。


「弱ぇ奴がいたところでよ、足を引っ張るだけじゃねぇのかよ。見捨てろよ」


 弱者に対する非礼だ。皮肉の範囲を越え、あからさまな侮蔑を言う。言葉には、姿を見せたときと同様、人を嫌い、人に嫌われるような感情が込められていた。


 九津は、うって変わった様子の操流人に怪訝さを覚えた。


 違和感ではない。決定的に、違う。


「んとさ」


 攻撃は止まないが、九津から切り出した 。聞きたいことが出来たから。


「ずいぶん精霊魔術師らしからぬ発言だね、それ」


 刹那的だが、言葉に詰まったような間ができた。質問の意図がつかめなかったのだろうか。それとも、意図をつかんだ上で、説明を求められているのだろうか。


「あぁん?」


 操流人から返ってきたのはそれだけだった。ならば、説明してやろう。九津が静かに力を込めて口を開いた。


「友達がさ、仲間がさ、お互いを助け合いながら戦うのって、普通だよね?そしてさ、それは魔術師の中でも、精霊魔術師きみたちが一番理解してると思ってたよ」

「……知るか」


 思案の末に絞り出したのか、そう告げる。あとは関を切る勢いだった。


「いいか、金髪。弱ぇ奴は弱ぇ!それが全てだってこともあんだろうが」


 操流人はここに来て初めて、九津に苛立ちを越えた怒りの熱をみせた。その声とは対称的に「へぇ」と九津は、冷めたふうに受け止める。


「そうかもしれないけどね、精霊魔術師きみこそがそれを言っていいのかな?」

「んだと」

「だって精霊魔術師(・・・・・)だろ?」


 まるで核心を突かれたように、攻撃が止んだ。


 九津も警戒しつつも、面と向かって佇んだ。視界の端でとらえた限りでは、他の影人形も止まっているようだ。


 包女たちもことの流れに驚きながらも、こちらに視線を送ってきている。


「…何が言いてぇ、金髪」


 そんな中、操流人が言った。


 九津にとって言いたいことは、操流人へさっき言った通りだった。操流人が精霊魔術師であるなら、ということ。


「付加魔術は動物性物質からだに影響を及ぼすぶん、とても繊細で丁寧な魔術ものだって教えてもらった」


 視線の集まる先、操流人に向かって語る。


「空間魔術は最強の力の変わりに、魔力の総量が最も求められる魔術ものだと教わった。属性魔術は使い安い反面、すぐに日々の努力が反映されるし、召喚魔術は未知の領域が多い、発展途上の魔術ものだと教えてもらった」

「だから、なんだってんだ」


 まだ動かない。


 包女たちは瑪瑙の下へ集まり、卦我介たちも動く気配はない。


「精霊魔術はさ」


 九津は影の向こう側の操流人をみる。


「最も信頼と協力が求められる魔術だって教えてもらった。それは、精霊と魔術師の絆こそが力になる魔術だからだって、俺の師匠が言ってた」

「…………ああ」


 ようやく、九津の言わんとすることが伝わったのか、影は揺れた。


「く……くは、くははははははは」


 笑ったのだ。楽しそうに。


「そうか、そうか、なるほどな。言いたいことはだいたいわかった」


 愉快そうな声が聞こえる。


「オレの親父もよぉ、同じようなことを言ってたぜ」


 揺れはおさまり、穏やかさが戻った。


「精霊との協力を得て力となり、信頼を経て強さとなる…ってな」

「ん、俺もそうだと思うけど」


 九津が同意を示す。と、


「違うな」


 操流人はそれを全力で否定した。その言葉は、経験した(・・・・)全てを乗せたように重く感じた。穏やかさが逆に不気味さを彩る。


「信頼?協力?そんな言葉は戯れ言だ。甘っちょろい理想、空想論でしかねぇ。んなことばっかを言ってるから束都は、いつの間に序列下位が当たり前に成り下がんだよ」


 語る間、興奮したのか、口調とは裏腹に影が形を崩すほど揺れ始めた。ときに破裂したように、ときに霞むように。


「何度だってな、なんとだって言ってやるよ。強ぇ奴は強ぇ。逆もまた然り、だ」


 断言。そして最後に、


「精霊魔術師ならば、強い精霊を手に入れりゃいい。それが一番てっとり早く強くなる方法ってもんだろぉが、なぁ」


 これがオレの理論で正論で持論だと言いたげに告げる。影の塊は落ち着く様子がない。あらぶる心を現しているようだ。


「それが今回の訪問ことと関係があるってことか」

「お前は知らねぇだろうがな、鷲都んとこの知り合いにそういうことを研究していたジジィがいんだよ。その研究資料こそがわざわざオレが来た理由だよ」


 しかし、操流人から返答を聞かされた九津は、小さく溜め息をついた。


「そんなもののために?」


 肩をすかし、呟く。ぴくりと影の中で動く気配があった。


「そんなもんだと…金髪。お前にとっちゃぁ」

「君さ、もったいないとか思わない?」


 九津は遮って続ける。顔には呆れた表情がある。虚を突かれた操流人は戸惑ったようにもみえる。


「あ?…もったいない、だと?」

「ん、だってそうだろ。才能を持って生まれてさ、才能を伸ばせる家系に育ってる。才能を発揮させる環境に恵まれてさ、才能を活かす生き方が出来る。それを君自身が、こんなつまらないことにしか、活かせないなんて…」


  溜める。そこから、


「もったいない以外、つまらないとしか言いようがないないね」


 温度を下げた声で言い放った。


「何…だと」

「俺はっ」


 言わせない。そんな勢いで九津は続ける。


「才能だけでは足りないと泣いてる人を見た」


 三ヶ月前の出会いが頭をよぎる。あの日のやり取りは忘れない。初めて自分と同年代の、誇り高き魔術師と出会ったのだから。


 伝わるか。


「才能が活かしたいけれど、迷ってる人を見た」


 二ヶ月前の勘違いが頭をよぎる。あの日の出来事は驚かされた。年下の才能ある少女の決意が、どれほどのものだったのかを知ったから。


 いや、伝われ。


「そしてさ、才能がいらないと怯えてる人を見た」


 この間の雨の帰路が頭をよぎる。あの日の拳の痛みは覚えている。年上の超能力者にとって、力そのものが恐怖心を煽るものだと気がついたから。


 そう。伝えるんだ。


「はぁ?金髪、一体お前はなんのことを言ってんだ?」

「誰かを巻き込んでまで強くなろうとしている相手だと、思わなかったってこと。楽しかったのに…なんかさ、しらけそうだ」


 本当に大切なものはなんだ、と。


 君がやっていることは、本当にそうまでしてしなくてはならなかった大切なことなのか、と。伝えねばならない。


 正しいとか、間違いだとか二の次だ。


 問いただすことはそれからだ。だから言う。


「精霊魔術師として、修行し直してからまたおいでよ。そうしたら、もっと本気・・で戦えるからさ」


 考える時間を、こちらから与える。優劣は関係ない。もう、これ以上未熟な(・・・)精霊魔術師に付き合うことが出来ないからだ。


 我が耳を疑うように操流人が言う。

 

「あ?…んだと…お前、本気じゃなかったって言いてぇのかよ」

「俺だって修行中の身の上だって話」


 九津は即答した。そう。互いに未熟だからこそ、こんな戦いが始まってしまったんだ。楽しさに溺れ、目的を見失うような、無価値な戦いが。


「意味わかんねぇ。馬鹿にしてんのか?」

「してないよ。してるとしたらそっちだね」

「…」

「わかんない?基礎、基本をないがしろにするようじゃ、誇り高き魔術師と呼べないってこと。中途半端な半人前を相手に、これ以上戦うことをしたくない…って言ったんだよ」


 はっきりと宣言する。


 影は揺れる。弾ける。霞む。気持ちの変化が著しいことがわかる。ただし、静かだ。


 静寂を打ち破ったのは操流人だ。


「黙れ」

「楽しかったよ。またおいで(・・・・)


 また即答。しかし、今度は止まらない。


「黙れ、黙れ、黙れっっ」


 影は膨れ上がった。


 操流人の支配が届かぬ魔力は、魔気となり、強く周囲の者を揺らがす気配となった。


「金髪っ。お前に何がわかる?力を最初っから持っちまったゆえに求められる奴の気持ちがっ。何が、もったいないだ、ふざけんな。活かさなきゃ生きてる理由さえなくなんだよ、こっちは。例えどんな方法だろうとなっ。どいつもこいつも才能だ、実力だ、誇りだ、なんだとうるせぇったりゃないぜっ!」


 吐き出される言葉は向ける相手のいないものばかりだった。


「挙げ句、藁束ねだと…オレのせいだって言いてぇのかよ。言やぁいいだろぉがっ。影でこそこそと言わずによぉ」

「何を、」


 独白の意味がわからず九津が眉を寄せた。


「操流人様、もうやめて同化を解いて下さいっ。このままでは意識がっ、制御が利かなくなりますっ」


 ついに卦我介が口を挟んだ。操流人の心配、それにもう一つ。もし制御を越えた魔術が暴走してしまったら。その不安によるものだ。


「うるせぇよ、山枚橋。オレはこいつとしゃべってんだ」


 しかし操流人は聞かない。今は聞くわけにはいかなかった。


「向こうの人の言う通り、もう君の意識がもたないよ。朦朧としてきてるんだろ?これだけの魔力を使い続けてるんだから」

「んなことより、聞かせろよ。」


 静かに荒れ狂う影の塊から聞こえる声。


「オレは本当に、間違ってんのか(・・・・・・・)?」


 純粋に答えを求める少年の声だった。


「……」

「金髪っ。なんとか言ってみ…くっ」


 声が途絶えた。塊がうごめく。皆が一斉に構える。何が起こった、何が出来るかではない。とにかく、よぎる不安に対して体が勝手に動いてしまったのだ。


 包女と筒音は瑪瑙の前へ。光森は奥歯を噛み、緊張する。


 卦我介は精霊石を握りしめ、観垂みだれはいまだ意識の戻らない仲間を庇うように立つ。


「テミ……ヤ、オ」


 なんとか操流人の声だ。しかし言葉にはなっていない。意識が飛び、自我を保てていないのだろう。


 魔力に飲まれかけているのだ。


「坊っちゃんっ。まずいわ、卦我介。限界が来たのよ」

「やはり同化への負担は、憑依のそれ以上だったんだ?あれはもはや…」


 卦我介たちは悔やんだ。操流人を止められなかったことを。 こうなる可能性があったはずなのに。



 その瞬間、音もなくはぜた。弾けたのではなく、小さい規模の爆発だ。辺り一面を魔気となった力が撒き散らされる。風圧のあと、落ち着き始めた場所の中心には渦のようなものがあるだけだった。


 これが暴走の始まりを意味していた。


「くそ、くそっ」

「やめなさい、卦我介。今は坊っちゃんをどうにかすることを考えなさいっ」


 膝を付き、拳を地面に叩きつける卦我介を観垂が制す。


 そう、まだ(・・)暴走は始まったばかりだ。今、止めなくては被害が出る。それを精霊魔術師である自分たちは知っている。


 精霊魔術師による同化の暴走。


 この辺り一体の魔力による全ての破壊に繋がるおそれがある。





「あれは…魔力の暴走だ。やっぱり意識が飛んで、魔術が制御しきれてないんだ」


 唯一爆発に巻き込まれた九津は、立ち上がりながら状況を分析した。外傷による痛みはあるが致命的なものはない。傷の治りは遅いなりになんとかなると判断した。問題は目の前の渦だ。


「精霊化の反動なの…」


 包女たちも近づいてきた。今度は瑪瑙も一緒だ。


「ん、そうとも言える、かな。そうとう無理をしていたんだろうし」

「反動、か。なら待っていれば勝手に自滅すんのか?」


 光森の問いにそうですね、と思案してから、


「あの勢いならここら辺一体の魔力…鷲都さんちの結界や、まだ目に見えない魔力生命体せいれいたち、この付近に住んでるっていう魔術師の人たちの魔力を破壊し尽くす頃には…ってところですかね」


 少しずつ範囲を広げる渦を観察しつつ、答えた。


「ほぉ。つまりは?」

「この辺一帯が、危険地域になることと引き換えに、自滅します、たぶん」


 光森は呆れたといわんばかりに頭を抱えた。それは筒音も同様だった。


『フム。人騒がせも、ここまで来ると大したもんじゃと言わざるえ

 んのぉ』

「か、関心している場合ではないのですよ、筒音さん。大変なのですよ。九津さん、包女お姉さん!暴走あれを止める手段はないのですか?」

「止める、手段か…」


 あまり時間はないようだ。


「手段を考える前に、鷲都さんちが壊されるかも」

「ええっ、嘘っ。まだ中に界理ちゃんがいるんだよねっ。助けに行かなきゃっ」


 きしむ結界と、その影響により建物が震えている。慌てたように走り出した包女だったが、門をくぐろうとしたとたん弾き返されたように尻餅をつくことになる。対魔力結界としての役目がここにきて裏目に出ているようだ。


「どうしよう。結界が過敏に反応し過ぎて跳ね返される。魔術師わたしじゃ中に入れない」


 強力な暴走を前に防衛機能が正しく働き、魔力を持つものを拒んだ結果だった。


「おい、かなりヤバイんじゃねぇか?結界は見えねぇけど、なんかすげぇ揺れてんのは見間違いじゃねぇよな」

「わわわ、どうするのですか、どうすればいいのですかっ」

『仕方がないのぉ、一度妖術で試して…』


 二人を置いて、ゆらりと筒音が獣の尾を動かし火の玉を作った。その時だ。


「束都の者たちっ。何をしているっ。お前たちの結界なら隔離空間にその物騒なものを閉じ込めることが出来るでしょうっ」


 新たな声が響いた。


「え?誰よ、何」

「わからん。だが、確かに俺たちの結界なら被害を抑えられるかもしれん」


 精霊魔術師むこう側の様子をみる限り、束都の増援ではないようだ。九津たちも周囲を見渡すと、こちらに駆け寄ってくる人影があった。その人物は叫ぶ。


「早くなさいっ」

「ああ、わかった」


 後押しされるように卦我介は魔力を振り絞った。


「この声…雀原すずめばるさん?」

「雀原、さん?」

「知り合い、なのですか」

『鷲都の関係者…ようは味方じゃ』


 筒音は穏やかな声でそう言った。


 魔術の展開。精霊魔術特有の隔離空間への転移が平行感覚を揺らす。


「なるほどね…精霊魔術の結界か」

「やっぱ気持ちのいいもんじゃねぇな。けどよ、隔離空間ここなら」

「はい。この結界の中なら、ある程度破壊されても問題ありません…界理ちゃんには被害がおよばないはずです」


 安堵するように包女が頷く。これで中の界理への被害は最小限になったはずだ。そこへ、かの人物が走りよる。


「大丈夫ですか、お嬢様っ」


 聞きなれた声。里麻に包女は応えようとする。が、


「やっぱりこの声は雀ば…る、ええっ!誰、ですか?」

「何を言っているのですか?雀原ですよ。お忘れになったのですか?」

「え?え?でも」


 思っていた人物がそこにはいなかった。いるのは、和装を動きやすいよう乱した着こなしで箒を携えた妙齢の女性だけだった。困惑した表情の包女に代わり、筒音が口を開いた。


『里麻。お主の今の姿、どう見ても若き人間のそれじゃぞ』


 そうなのだ。包女と筒音が知っている雀原里麻という人物は五十代。少なくともここに駆けつけた女性は三十代といったところだった。


「ああ、これですか。簡単な付加魔術です。あまりお気になさらずに」


 それをどこ吹く風とでも言いたげに、それだけ言う。そして呆然とした包女を、凛とした口調で促す。


「ある程度、話は聞いていたつもりでしたが…これはどういう流れですか?束都のもの。お前たちもこちらへ来て説明なさい」


 里麻に促されるままに九津たち集まり、話した。


 この状況の全てを飲み込んだ里麻は、「なるほど…愚かな」と溜め息と共に切り出した。


「精霊魔術の使い手が、精霊化し、自分の魔術に飲まれるなど、愚かとしか言いようがありません。この場に置いて戻りましょう。このまま力尽きるとしても、未熟な魔術師の宿命と言えます」


 九津はもちろん、包女たちはなにも言わない。


「鷲都のもの。確かに…この結果は愚かだと言える。未熟なことも認めよう」

「卦我介っ、やめなさい」

「それでも操流人様は…操流人様なりに魔術を極めようと努めていたんだ」


 擁護を試みる卦我介だったが、


「その結界がこれなのでしょう?」


 一蹴。切り捨てるような里麻に、言葉を詰まらせるしかなかった。


「不躾な交渉戦、無礼な訪問、最後の最後は暴走による破壊未遂…もはや自業自得以外のなにものでもありません」


 丁寧に語られる事実。否定の要素が見当たらない。観垂は卦我介の背中を軽く叩いた。


 視線をかわし、寝かせていた椴丸を抱えて誘導するように自ら先行してこの場を離れる。


「卦我介…今回は向こうの言う通りよ。最初からわかっていたことでしょう、こちらに非があることは」

「だが、観垂」

「だから私たちでなんとかしましょう。大丈夫。私たちだって精霊魔術師の端くれよ。やって出来ないと決めつけるのは早いわ」


 あとを追う卦我介に、背を向けながら答える。


「…そうか。そうだな」

「そうそう。じゃ、悪いんだけど椴丸を預かったら結界の保持を私に変更して外に出て。私の方が魔力は残ってるし。んで、唯螺ただらたちを呼んできてほしいの」


 ようやく振り向いた観垂の顔はもの悲しげだった。


「私では思いつかないから…最善の策が」


 卦我介は、観垂の言葉に返す答えをもたなかった。





「お嬢様、筒音どの、ご学友の方々。遅くなり申し訳ありませんでした。帰りましょう。あとのことは束都に任せておけば良いのです」


 頭を下げたあとそう告げると、里麻は箒を掲げた。どうやら結界を破り、出口を開こうとしているようだ。


 すでにいつもの少女ひとの姿になった筒音も同意し、終わりを告げるように伸びをする。


『そうじゃのぉ。妾も疲れたしのぉ』

「まぁな。向こうの責任っちゃぁ責任だもんな」

「ん、確かにね。でもさ」


 腑に落ちない様子の光森を横に、九津が包女をみる。自然と全員の視線が集まった。


「鷲都さん、このままじゃ帰れないって顔してるね」

「…うん」


 包女は一瞬こそ迷いをみせたが、あとは力強く肯定した。


「確かに束都の代行者の無礼な訪問や、やり方は間違ってたと思うの」

「ん」


 応えたのは九津だけだったが、全員静かに呼応し、続きを待っているのがわかる。それを知ってか「でも、でもね、わかるんだ」と、包女は自分の意志を伝えようと言葉を選んでいる。


「何かしなきゃいけない…そう急き立てられるような気持ちは私は理解できるの」


 胸に手をあて、過去を振り返るように語る。


「私もね、四月までは同じ気持ちだった。これでいいのか。他にはないのか。強くなるため、負けないために出来ることは、って。それこそ、勝手な勘違いで同級生を疑ってしまうくらいに」


 九津と目が合う。お互いに苦笑する。共有する記憶。なんとなくくすぐったい不思議な気分だった。


「だからかな、わかるの。束都の代行者も、強くなるために何か(・・・)したかったんだろう、って」


 誰も答えない。構わず包女はでもね、と繋げる。


「もちろんね、こんなやり方は間違ってる。だからこそ、こうなってしまったとき、誰かがしっかりと教えてくれないと駄目なんだって思うの」


 熱のこもった台詞は自分にも当てはめているのだろう。自分はそうしてもらったということ。


 行き過ぎた感情、行き場のない理性、自分というもの。それら全てをいさめてもらった。励ましてもらった。


 何より、ちゃんと認めてもらった。


 自分を追いつめることしか出来なかった人間にとって、それがどれほど救いとなるのか。それを、ちゃんと教えてもらっているのだ。


 ならば、操流人にも言うしかない。


「貴方の気持ちは間違ってない。ただ、やり方を間違えただけだって」


 全員の視線に応えるように言い切った。そして、ふと力を抜いたように笑う。


「だってあんなにあの人のことを心配してくれる人たちがいるんだもん。今、帰ってしまったら…助けることをしなかったら、いつか後悔する。絶対」

 

 向こうでは呆然じみた男たちが立ち尽くしている。


 包女は全員の答えを待つ。離れた場所から暴走する渦が徐々に大きくなるさまが、音から伺える。時間は限られている。


 静かに一歩を踏み出し、最初に口を開いたのは瑪瑙だった。


「私も、賛成なのです。包女お姉さんのお気持ちも、代行者さんのお気持ちも、私にもよく…わかるので」


 顔を合わせ、二人は困ったように 、楽しそうに、笑った。またくすぐったい気分が生まれる。


『フム…だ、そうじゃが、どうする、お主ら』


 にやにやし、シシシと空気を揺らす筒音は調子を取り戻したようだ。


「ここまで言われて置いて帰れるわけないですよね、先輩」

「…ったく、俺にふるなよ。ようやく終わったかと思ったのによ。で、どうすんだよ」


 不機嫌そうに返す光森の表情は、安心したようにもみえた。やはりこのままほっておくのは、どうにも後味が良いものではないからだろう。


 全員の意志を再確認するように、里麻がこほんと咳払いをして注目を集めた。


 そして、投げかける言葉。


「魔力ごと消滅させる手段はありますが、同化した肉体を分離させるのは私でも難しいです。よほど精霊魔術に長けたものでないと」


 ようは手段はあるのか、と問うたのだ。助けたい、だけで助けられるような状況ではないという最後通知をこめて。


 再びおこる沈黙。思案するが妙案が浮かぶものがいない。


「そう…ですよね。私も精霊魔術は…」


 悔しそうに包女が口を結んだ。と、突然に瑪瑙がぱぁっと嬉しそうに顔をあげる。


「そうなのですっ。九津さん。おば様に頼んでみてはどうなのでしょう?分離、分解は得意とのこと」

「そうなのか。なら九津…」


 瑪瑙の提案に光森ものり気だ。光森自身、九津のおばであるその人物を知らないが、魔術の分解(そういうこと)などが得意な人物がいてもおかしくないくらいには思うようになっているのだ。


 ところが九津は首をふる。


「おばさんに来てもらうのは無理じゃないよ。でも時間がかかるから、その前に力尽きる方が早いんじゃないかな」


 肩を落とす瑪瑙。光森は苛立つように地面を蹴った。


「助ける手段がなきゃどうしようも」

「力ずくで精霊と本人とを引き離しましょうか」

 

 光森の呟きを遮ったのは、顔を伏せながら考え込んでいた九津だ。


「出来るの?」

「出来んのか?」


 包女、光森が矢継ぎ早に返す。まだ考えの途中なのか、僅かに唸りながら言う。


「万式紋で強制的にその繋がりを断てれば…五分五分ってとこですかね」

「五分五分ならばやる価値はあるのですよ」


 瑪瑙は手を叩いて喜んだ。しかし九津は難しい顔のままだ。


「待って、鵜崎ちゃん。そこまで持っていく条件も聞いてから判断してね」


 諭すような口ぶり。自ずと瑪瑙の肩が下がる。


「まず俺が無闇やたらと切ったら本人を切りかねない。そうなれば死に至る可能性がある。これが一番最悪だね」


 ぶるりと瑪瑙、光森は身を抱えた。想像したらしい。包女も顔をしかめた。


「次に近づいて、慎重になりすぎてもたつけば、暴走に巻き込まれるおそれがある。これも二次被害になるだけだ、良くないパターンだね」


 そういうと、九津はおどけたように自分の姿をさらした。夜目に慣れた全員の目にその姿が写る。


 今まで変わらぬ口調で語るものだから気がつかなかったが、よくみれば服はほこりまみれのうえに、所々破けていた。うっすらとだが血も滲んでいる。


 包女が何かをいいかけるが、九津がへらりと笑い、片方の目を閉じ合図したので押し黙った。


 最後に、と九津は言う。


「本人の意識の復活を促さなきゃ意味がない。肉体は本人が維持して初めて分離出来る…はずだから」


 説明し終わる頃には全員がそれぞれに考えている様子だ。


「さて、説明は今ので全部。ようは本体を探すために魔力を縮小させる俺の補助役、二次被害を防ぐ為に暴走じたいを抑える防衛役、本人の意識を呼び掛ける役の三つが必要になる。この条件を満たしてやっと五分五分ってのを考慮してね」

「…あの、失礼としり伺いますが、あなたに魔力生命体せいれいとの同化つながりを断つことが本当に出来るのですか?」


 完全に言い終わると、それを待っていた里麻が疑問を口にする。疑いの眼差し。それに近い顔で。


 魔術師でも難しいことを、本当にできると言うのか。そう問いたいのだ。


「雀原さん」


 思わず包女が里麻へ詰め寄ろうとする。が、


「信じてください、としか言いようがありませんね、こればっかりは。けど俺には万式紋っていう頼りになる相棒がいるんです」


 それを制するように九津自身が万式紋を掲げた。


 万式紋を知らない里麻は眉をひそめ見つめてくる。品定めされていることはわかる。判断は委ねるしかない。


「万式紋…ですか」


 そうです、と九津が頷くと、里麻は記憶を辿らせるように瞳を光らせた。


「ずいぶんと昔、似たようなものを作ろうと模索している知り合いがいました。その者の話では、なんでも王様気取りの男に頼まれた…と」


 真面目に語られる中、九津はむせたように吹いた。口を鯉のように無言で開閉し、彼らしさを失っている。


「ど、どうしたの、悟月くんっ」


 慌てたように包女が駆け寄るが、頭を押さえる九津はあははと渇いた笑いをもらした。


「い、いや、別に大したことじゃないんだけどね」


 時間がないのは充分理解しているが、九津はおそるおそる訊ねる。


「あ、あの雀原さん?もしかしてその知り合いの名前って…アテナっていいませんか?」

「…そう、やはりそうですか。じゃああなたはその王様気取りと呼ばれた男の」

「違いますっ。俺には王様なんて恥ずかしい呼ばれ方をする身内、いませんからっ」


 真面目に答えてくれる里麻に九津は返すと、疲れたように膝を折った。


「はぁ、それならそれで良いのですが…」

「悟月くん?雀原さん?何?なんのこと」

「ううん、なんでもないよ」


 九津の珍しい反応に、戸惑った包女たちにはそう言われるとそれ以上言うことが出来なかった。今は。


 気になるが、やるべきことがあるのだ。しかも制限時間つきで。


 光森と筒音は目配せし、頷きあう。あとで問いただそう、と。


 そこへ九津が、


「どうしようか。やるなら早めに決めないと」


 うずくまり、包女を見上げるように言う。決定権は包女にある。


「…やる。やろう悟月くん。私なら魔力を縮小させられる。ううん、やってみせる」


 力強く拳を握る包女に、九津は口角をあげて立ち上がる。落ち込んではいられない。


「お嬢様がそこまでおっしゃられるのでしたら、この雀原、下がるわけにはまいりませんね。お力添えさせていただきます」


 里麻も軽く首肯し、同意を示す。いや、里麻だけではない。全員が同意を示した。


 すると里麻は卦我介たちに顔を向けた。肺に空気を入れ、膨らますと、


「お前たち。聞いての通りです。いいですねっ!」


 有無を言わせぬ勢いで告げた。


 観垂がゆっくりと振り向く。


「鷲都の、それに少年ぼくたち…力を、貸してくれるの?」


 信じられないという表情だ。魔術師として、見捨てられても仕方がない状況なのに、と。


「…だが、これは」


 卦我介は躊躇いをみせた。自分たちのけじめは自分たちでつけると、覚悟は決めたつもりだからだ。


「必要なんですよ、精霊魔術師が。呼び掛けるなら、慣れ親しんだ近しい人たちがいい」


 九津が後押しするように言う。


 観垂には九津の、目の前の少年の未知過ぎる力と言葉を、確かに信じてみる価値はある。そう思えた。


「卦我介」

「すまない。恩にきる」


 観垂の声に、卦我介は目を閉じる。


 こうして鷲都と束都の同盟は組まれ、作戦はたてられた。


 あとは実行に移すのみとなった。

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