第十八話 『夏の一日 破の続き』
「あとどれくらいで着きそう」
日が沈み黄昏の時を過ぎ、いよいよ夜に変わる前に一度だけ赤く染まる。そんな空の上、筒音の背に乗った鷲都 包女たち四人は現在移動中だった。
向かう場所は帰る場所。
鷲都家、である。
『この人数じゃしのぉ…あと数分はかかるじゃろうな』
「そう」
包女の問いかけに、思案してから筒音は答えた。来る道中とは異なり人数が違う。包女と鯨井 光森の二人だけなら慣れた狐の巨大化だけで移動も出来た。しかし四人をとなると難しく、蛇を思わせる姿になっていた。
あまり変化し慣れない姿を維持するのと、四人を振り落とさない速度を考慮すると、来たときに比べ倍近くかかりそうだと判断したからだ。
『最善は尽くすがな』
「うん、ありがとう、筒音」
安心させるためか、優しい声色で付け加えた。礼を告げる包女の声も信頼がこもる。交わされる会話の中、割って入ったのは鷲都 日戸。包女の父親だった。
「ごめん。僕も迂闊だったんだ。まさか先生の持っていた手荷物が彼らの狙っていた資料じゃなかったなんて」
謝罪を込めて言う。もとより人のよい日戸は自分を責めているのか表情は暗そうだ。
「鷲都の親父さんじゃなくても間違えると思うけどな」
「そうじゃ、その通りじゃ。すまん、日戸くん」
そんな日戸を擁護したのは光森だった。同時に、光森に同意しつつ謝罪したのはガータック・シュヴァルツァだ。光森がガータックの手荷物を見ながら続ける。
「っつか、手荷物全部が、鷲都んとこへの土産なんて思わねぇし」
呆れたような声。ガータックは心外とばかりに目を見開いた。
「変ではなかろう、鯨井少年よ。〃仕来たりの中にも礼儀あり〃じゃよ」
片目を閉じて、自信をみなぎらせながら言うと、光森はさらに呆れたように嘆息した。
日戸も苦笑しているのがわかる。
「仕来たり…ではなく親しきですよ」
「…ぎりぎり微妙に違ってんじゃねぇか」
ガータックは豪快にわははと肩を揺らした。気にする様子もなく続ける。
「そうじゃったか。まぁ、よい」
「いいのかよ。割りと大雑把なじいさんだな」
「先生はいつもこうなんだ」
光森をなだめるように日戸が言う。しかし突然に難しい顔をした。
「問題はわしが荷物として送ってしまったことじゃ。悪いことをした…今ごろ包女くんの友人たちに迷惑がかかってなければよいが…。むろん、鷲都家にもじゃが」
肩を落とすガータック。うって変わったその様子に光森と包女は思わず視線を合わせた。筒音もこちらの気配をうかがっているようだ。と、急に笑いが込み上げてきた。
押さえることが出来ず、ついに三人は顔を崩した。筒音が笑うと直接地面が揺れるように一同は揺れた。
「確かに予定外の想定外でした。でも、さっきも言いましたけど」
振り落とされるかと焦る一同に、包女は前を向きつつ語り始めた。その顔は誇らしそうだ。
「私の友人たちはとても頼りになるので大丈夫です 」
筒音にしがみついていた日戸とガータックが包女の表情に気づいた。ほぉ、とガータックは唸り、日戸は優しい顔になった。
「っつか、あいつはこっちに来たがってたからな。むしろ喜んでんじゃねぇ」
『それは言えるのぉ』
光森が言い、続いてシシシと筒音が空気だけを揺らした。
この少ない言葉数だけで日戸とガータックには、今、鷲都家にいる留守番組にたいする二人と一匹の信頼が感じ取れた。
それでも帰る道中を急ぐことには変わりはないのだが、確かにどうして。二人まで大丈夫なのかも知れない、そう思えたのだから不思議だった。
そして、急ぎ鷲都家を目指す理由。この理由を語るには時間は少し遡る。
束都の精霊魔術師たちとの勝負に決着がつきかけた頃だ。
光森と筒音。二組の勝負を見届けて包女が対峙する男に告げる。
「もう結果は見えています。敗けを認め、下がってください」
「…確かに」
お互いにこの戦いの場の主格としてにらみ合いを効かせていた二人。実力としては包女の方が分があるとはいえ、迂闊に動けないのは相手と同じだった。
それも今は崩れた。この期は終戦を告げるにはもってこいだった。
束都側のスーツの男。包帯のような布の体をもつ精霊「レキノヌ」を操る精霊魔術師布具敷 唯螺は状況を飲み込み頷いた。
もともと当主代行者としての実力をもつ包女が現れた時点でおおよその想像はしていたが、本当にあっけなく終わったと諦めながら。
「わかりました。これ以上の戦闘はよりこちらの分が悪くなるだけです。敗けを認め、勝者に従い退かせてもらいます」
精霊レキノヌは消さないにしろ、戦う意思のないことを示すように両手を上げた。
レキノヌも主人の思考を読んでか、包女から距離を置くように唯螺の後ろに控えた。
包女は構えを解かない。相手が敗けを認めてからも気を抜くことはしたくなかったからだ。
「結界も当然解いてもらいます」
「了解です。他には」
グニャリ、と入ってきた時に感じていた感覚が体を走った。あのときは高揚する気持ちと筒音が突撃する勢いであまり気にならなかったが、世界が揺れるというのはやはり気持ちのいいものではなかった。
とくに慣れない光森のわめくような声が少し遠くで聞こえた。
とりあえず、精霊魔術の結界はちゃんと解かれた。これで向こうも簡単には魔術を使うことはないだろう。それと同時に相手がこちらに従う意思をしっかりとみせた。
よかった。安堵するにようやく至る。
「これくらいが妥当です。結局こちらは被害がなくすんだので」
あくまで黒刀を納めることなく、笑顔で声をかける。唯螺は意外そうな顔をする。
「…甘い…ですね。協定に報告するくらいはしてもおかしくないのでは?」
「そうですか?むしろ最低限、魔術師の協定を遵守したあなた方にたいしての私の最大限の評価と考えてもらえたら、それでいいです。本来ならばけっこう厳しいんですよ、私」
包女は唯螺に朗らかに応えた。包女の態度に唯螺は背筋にゾクリとするものを感じた。この余裕は自分にない実力者のものだと悟りながら。
ただ、包女としては言葉以上の意味はなかった。
掟であり、組織の名である「協定」。唯螺の言うとおりそこへの報告をするとなれば、魔術師にとってはなかなか厄介なことになるだろう。
あまりにも相応しくない行為、やりすぎだと判断されればどうなるかわからない。
それを覚悟しての発言だと言うならなおのこと、包女は言う必要はないと思っただけのことだった。一応相手だって、順を追うくらいのことを守ってくれていたのだから。
「ありがとう…ございます。では、せめて私からも勝者側にたいしての賛辞代わりの捨て台詞を」
二人の同胞たちを器用に包帯で包み抱えるように唯螺は精霊に指示を出した。その作業を見守りながら口を開く。
「ガータック氏」
名を呼ばれ、ガータックは戦闘が終わったにしても警戒をあらわにした。唯螺はまた両手をあげて、特別な意志はないことを示す。
「私たちがあなたを束都にお招きしたいと申し出たのは、保険です」
「保険じゃと…」
唯螺の言葉を繰り返し呟く。ガータックは言葉の意味を考えた。何かに気づいたようだ。
「私たちの本当の狙いは当然、ガータック氏、あなたなら検討がつくでしょう。あなたが送った荷物の方です」
「知っておったのかっ!わしがすでに手元から離しておったことを」
「あなたの来日を知ったときにはすでに」
「ぬぬ」
「あと、何処に送ったのかも、です」
ひとしきり話すとガータックは「お前ら…」と絞り出すように口を結んだ。
「すみません。先ほども言いましたが、胸を痛めようともこれが魔術師としての私たちの仕事なのです…それでは失礼します」
去り際、同胞を抱えた精霊を従えた唯螺は丁寧に頭を下げて消えた。
四人と一匹はそれを静かに見送った。と、
「どう言うことですか、先生」
「奴らの言った通りじゃ」
日戸が思い出したかのようにガータックに問いかけた。しかし返答はつれないものだった。
「言った通りじゃ、つわれてもな」
「お父さん、ガータックさん。結局、何が目的だったのか話してくれますよね」
光森と包女も詰め寄る。ガータックはしばらく考えるように目をつむり、日戸に聞かせた話を含めて事情を説明した。
「つまり、まだ門外不出の研究魔術をガータックさんが日本に持ち出して、それを束都に狙われてた…ってことですね」
「しかも門外不出である以上、責任問題が問われかねない。そこでじいさんがいたらその責任問題を押し付けられる…ってところか」
少し困った顔で包女が確かめるように呟いた。光森は苦虫を噛んだような顔だ。
ガータックの話でようやく経緯を知った面々に浮かぶ表情は様々だった。
「じゃろうな」
ガータックが肯定する。
包女と光森の顔は浮かないままだ。理由を聞けばなんと言うか、まるで子供のわがままを聞かされているようなないようだった。
ガータックにしろ束都にしろ、結論から言えば待てば良かったのだから。そうすればこんな騒ぎになることはなかったのだ。
軽い嘆息を漏らす二人を横目に筒音が輪郭を歪まし、巨大な狐の姿から普段通りの「人間」の少女へと変化した。
『で、ガータックよ』
「お、お、獣よ…その姿は…」
声をかけられたガータックは震えた。日戸と筒音を交互に見る。日戸は何と言えばいいのかわからないようだ。
『ほぉ、日戸とも長い付き合いと言うだけあってお主もわかるのか』
「ならやはり?」
筒音の言葉になおも驚きを隠せないでいるようだ。筒音は今度は答えず、腕を組んでガータックに告げる。
『しかし今は関係ないじゃろう?今、必要なのはお主が何処にその荷物を送ったのかではないかのぉ?』
ガータックは何も言わない。視線こそ筒音を見ているが、どこか合わない。その無言の時間を惜しむかのように包女が進み出た。
「筒音の言うとおりです。ガータックさん、何処ですか?私たちも直ぐに向かわないと」
光森と日戸も続いた。
「先生」
「じいさん」
幻想から引き戻された様子のガータックは全員に応えるように口を開いた。
「実はのぉ…」
言いよどむ。頭をかき、迷っているのがわかる。
「日戸くんの家…つまるところ鷲都家に送らせてもらったのじゃ」
「…えっ!ええっ!じゃ、じゃぁ、早く帰らないと。今、包女の友人たちが家にいるんです。巻き込まれたら大」
「そうなんですか、良かった」
場所を明かされ、驚いたのは日戸だった。あわてふためき狼狽していると、包女の声に遮られた。
「そう、大変だろ…え?」
「つ、包女くん、どういうわけじゃ?良かったというのは」
申し訳なさをにじませるガータックも尋ねてきた。包女は困った顔をしながら──。
──微笑んだ。
「だって…ねぇ」
筒音と光森に目配せする。二人も呆れたような態度だ。
『フム。妾たちが相手した程度のものたちなら、なんら問題ないじゃろうな』
「だよな。帰る頃には終わってんじゃねぇ」
こうして今度はこちら側の状況を知らない大人たちを引き連れて、包女たちは家を目指したのだ。
─────
駅からも離れた土地柄であり、付近の家々との間隔も都市部に比べるとある方だ。さらに言えば、この付近の住民というのは鷲都に関わる者が多く、多少の怪しさを放つことをしていても目立つことはない。
例えば、見張られることだ。
とくに六月を越えて、日本の魔術師たちに衝撃が走った。鷲都の名が再び轟く事柄がおこったのだ。そしてその噂の当主代行者の顔を確認しようとする輩が少なからず現れたことも要因のひとつとなった。
とはいえ、さすがに三人の男たちが鷲都家を長時間見張る様子はかなり異質なことに変わりはない。男たちがその事を意識しているのかはわからないが。
「鷲都家の娘たちが出てって、荷物も届いたようね。あれからしばらく経つけど」
その中で一番しなだれた感のある細身の男、枯枝 観垂が呟いた。包女が家を出てからより注意深く見ていての発言だ。
鷲都家、と呼ばれる監視対象の家中には現在三人いるはずだった。もともとの居住者ではない。
鷲都の一人娘、包女の友人と思われる者たちだと推測するが、まず間違いないだろう。包女本人や、家主は出ていって以降まだ帰ってきていない。理由を心得ているだけに、あとは中を気にするだけなのだが。
中に居られては男たちにとって、目的を果たすために邪魔になるのだ。
「さて、どうしよっか?」
どこか間延びした調子で他の二人に声をかける。自分達にこの仕事を命じた上司は最近たいそう機嫌が悪かった。出来れば速やかに目的を果たしたいところだ。
「…仕方ない、決行。多少のことは大目ににみてもらうしかない」
肩幅のある男、山枚橋 卦我介が眼光を鋭くし、持っていた数珠、そのひときわ目立つ大きめの玉に触れた。これは「精霊石」だ。
「顕現」
「大丈夫かなぁ?どれだけ下っぱの人たちだろうと鷲都につらなる魔術師たちだしなぁ。非はこっちにあるしなぁ」
数珠玉を光らせる卦我介に対しまた別の小柄で猫背の男、上手利 椴丸が不安そうに問いかける。応えたのは観垂だ。
「あのね…あの人たちは先代が作り上げた実績を守りきることも出来なかった弱者。悪いんだけど中の子たちがどんな関係かは知らないけど、今回は自然災害にあったと諦めてもらうしかないわ」
私たちの為にもね、と肩をすくめた。卦我介も頷き、魔力を込めて自らの精霊を呼ぶ。
「…そう言う事だ。ナハク・サニノ、やるぞ」
イソギンチャクのような存在が幾何学模様の煌めきをあとに、ふらふら浮遊しながら現れる。これが卦我介の精霊、植物のもつ特性を魔力体に宿す「ナハク・サニノ」だった。
とたん、観垂が辺りを見回す。魔力を使用したことにより魔気が漂ったはずだ。感ずかれていないか注意を払った。
しかし、誰かが近づく気配はない。やっぱりね、とでも言いたげに観垂は肩をすくめた。
「…このような奇襲じみた行為、俺たちの本意ではない…詫びが必要ならいずれする」
卦我介が静かに言う。眉間をよせ、苦悶に耐えるようだ。
「はぁ。そうだね。そうしよう。菓子折は僕が用意するし…じゃぁ、結界は僕に任せてよ」
卦我介の決意した顔を見て、椴丸は諦めたように肩を落とした。ゆっくり持ち上げた顔も憂鬱そうだが、やるべきことをやろうとしていた。
作戦は簡単だ。椴丸が結界を解き、卦我介が眠らせる。そうして忍び込み、目的の荷物を取り上げる。
「顕現?エカッツ、お願いがあるんだ」
携帯電話のアクセサリーとしてつけていた「精霊石」に語りかける。魔力の流れ、幾何学模様と続き、消える頃には一本の黒い棒を持つ十センチほどの白い人形のようなモノが現れた。 椴丸の精霊、封を象徴する鍵の魔力体をもつ「カエッツ」だ。
いざ、作戦開始だ。
「ふう。先代の鷲都当主の付加結界は対魔力としてすごいからなぁ。だいたい本人がなくて発動し続けるとかなぁ…無茶苦茶なんだよなぁ」
ところが、いざ結界を前にした椴丸は愚痴をこぼし始めた。観垂はじれったそうに背中を押す。
「いいから早くなさい、あんたはいつもぐじぐじと」
「おわっ。おさないでよ、わかったからっ」
観垂に乱暴にせっつかれ、椴丸はカエッツに命を下そうと魔力を込めた。
しかし、結界を壊すまでに至らなかった。
「ちょっとやめてくれません?かなり困るんですけど」
この場にそぐわない落ち着いた少年の声に気をとられたからだ。
「何の用か知らないけど、ここの家の人たちは出払ってていませんよ」
淡々と事実を告げる声。どこだ、と探すまでもなかった。目の前、監視対象である鷲都家の門から出てきたのがわかったからだ。
「まぁ、それを知ってて、結界を破ろうって言うのであれば…ねぇ、鵜崎ちゃん」
「はいなのです。包女お姉さんたちに変わってこの鵜崎瑪瑙、ことによっては仕置き人になる所存なのです」
後ろに続く少女の声も聞こえた。
卦我介たちは、その二人が鷲都の娘が招き入れていた客人だということを思いだした。
なるほど。先ほど少年の方が「結界を…」と口にしていたくらいだ。少なくとも魔術師という存在を既知していると判断できる。やはり関係者か、と警戒の色を強めた。
「…中にいた者か。入る手間が省けたな」
「でもどうすんのよ。こっちに気づいたってことは、結構やり手なんじゃないの、この子たち」
「…それでもやるべきことが変わるわけではない」
卦我介がそう応えると、観垂もまぁね、と調子を戻した。そして観垂の回りが赤くぼやけた。
「じゃぁ、二名様、ご案なーいってね」
高らかに声をあげ、手を天に突きつける。すると手首に絡んでいた装飾品の一部、「精霊石」がまばゆく輝き出した。
少女こと、鵜崎 瑪瑙がカッと目を見開いき、おののいた。
「むむむ。まさか…あの言葉使い…あの人はオカマさんなのですよ、九津さん」
「違うわよ。カマじゃないっての、お嬢ちゃんっ!あんな中途なキャラ設定のやつらと同じくしないでちょうだいっ」
観垂の怒声が響いた。瑪瑙は心外そうに顔をしかめた。
「お、怒られたのです」
「いやはや、俺もこのタイミングでそこを突っ込む鵜崎ちゃんの実力には脱帽するよ」
「ななんとっ!」
悟月 九津も相手よりだ。瑪瑙が信じられないという風に大袈裟にのけぞると、世界が突然揺れ始めた。あまりの同期のため、自身がふらついたのかと瑪瑙は思ったが実際は揺れてはいない。世界を認識する感覚が揺れたのだ。
たまらず辺りを見回すが、変わった様子が見当たらない。ふと、九津をみると、物珍しそうに周囲を見渡していた。
すると、瑪瑙も鼻をくすぐる「香り」がした。これは、
「この焦げ臭い感じ…魔力に包まれたのですか」
確かめるように九津と同じように辺りを見回しはじめた。
「正解だよ、鵜崎ちゃん。これは精霊魔術の結界だ」
九津が答えを言うが、どうもよくわからない。周囲の景色自体は変わった様子がないからだ。そんな考えを読みとったのか、
「精霊魔術の結界はいわゆる精霊界への強制転移…隔離空間の増築だからね。かなり特殊だと思うよ。いい経験になったんじゃない?」
と付け加えてくれた。
「おお!確かに、ザリガニなのです。経験こそ知識の宝庫、実戦こそおごりなき実力の見せ場なのですっ。素晴らしい体験が出来たのです」
瑪瑙は心底嬉しそうに応えた。新しい知識、新しい経験。何よりそれを柔軟なまでには受け入れる器の大きさがそう言わせたのだろう。
九津は、まだまだ才能を伸ばすことが出来るに違いないだろう。そう思いながら、律儀に長らく待って──いや、警戒している三人の男たちを見据えた。
「この結界の中に向こうも全員居るみたいだし、こっちにとっても好都合だね」
小さく瑪瑙にささやく。瑪瑙も頷き、三人に対峙する。僅かだが自分が緊張しているのがわかる。ところが、
「界理を心配せず精霊魔術師の実力をじっくりみれるもんね」
瑪瑙はこけそうになった。このいつ戦闘になってもおかしくない状況において、何故そんなに楽しそうな顔が出来るのですか、とあきれかけたのだ。しかし、違うと自分を否定する。
だからこそ、強くなれたのだろう。意を決して一歩踏み出した。
あれ、と虚をつかれた様子の九津には悪いが、瑪瑙にも引けない理由が生まれていたのだ。
「と、言うわけで今回は私が先陣を切らせてもらうのです」
「えっ!なんで、どういうわけ?」
唐突な瑪瑙の言葉に九津は驚いた。振り返りもせず、瑪瑙は堂々と前線にたったままだ。
この時、驚き焦ったのは卦我介たちも同じだ。
瑪瑙の方は、どう見ても魔術に不馴れだ。それだけではない。二人とも間違いなく魔力を感じないのだ。
魔術の中にいて、魔力、魔気を見せない。それは魔術師ではないと同義だ。この場に相応しくない、はずだった。だが、引くどころか一歩進み出た。
これはある意味、想定外の出来事だった。
「何故ならば私は九津さんにとってのお目付け役であり、好敵手であらねばならないからです。私の成長の為にも、そうさせてもらうのです」
周囲をおいて瑪瑙は語る。こうすべきだ、こうしなければならない。そう決めた時の瑪瑙はなかなかに手強かった。九津は深く息を吐いた。
「さぁすが家の中から察して来るだけのことはあるわね。強制転移じゃ驚かないか」
諦めたのは相手も同じで観垂が困ったように、楽しそうに腰に手を当てた。簡単な目配せ、他の二人も頷く。
「では、九津さん。言った通り、大人しく見ていてくださいね」
「でもね、危ないと思ったらすぐに俺も出るからね」
「了解なのです!」
瑪瑙はようやく振り向いた。その顔に浮き上がる決意と自信に、九津は応えるように親指をあげた。
瑪瑙は珍しくニッと口の端だけで笑い、あとは前を向いた。
「ではでは、とにもかくにも、鷲都のお家に何のご用ならば、まずは私が相手をしてさしあげるのです」
背中のバックの中から素早く赤と青の二枚の色つきの札を取り出した。
「ど、どうするのさ、二人とも」
椴丸が作戦の変更の有無をたずねる。二人の返答はこうだ。
「…予定通り実行するだけだ」
「そう言うことよ。どちらにせよ、私たちはこの子たちじゃなくてあの家の中に用事があるんだから」
つまり、変わらない。あえて変わったというのであれば相手がすでに目の前にいる、ということだけだから。
先手にでたのは卦我介だ。ナハク・サニノに魔力を流しことで命を下す。
宙を舞い、迫る黒いイソギンチャクに瑪瑙は冷静に対処する。まずは自身の呪術を発動するため「呪力」を作り出す。印を結び、呪文を唱えた。
「我・宿・命・来っ。翔・行・為」
言い終わると二枚の色つきの札は瑪瑙の指先から放たれ、意思を持つ生き物のようにナハク・サニノに立ち向かった。
呪力の疑似生命体と魔力の疑似生命体の激突。二つの「力」がぶつかった衝撃が気配として辺りに広がった。
「…何だ、あの術は」
「私が知るわけないじゃない、あんな紙っ切れを魔気を感じさせずに浮かべるなんてっ」
「うわっ、来るってば二人ともっ」
狼狽えたのは魔術師側だ。卦我介たちは見たことがなかったのだ。当たり前だ。魔術師の中で生き、魔術を全てと考えていた魔術師たちだったのだから。
呪力を使った術式など、知識になかった。
「…純粋な精霊と力比べ、だと」
思わず漏らした。声に出さなくても観垂と椴丸にも焦りが見えた。
少女が繰り出した不可思議な術に。精霊と対等に張り合う紙切れに。それを見据えていたかのような二人の態度に。
卦我介が考察していると、
「あーあー、しょうがないなぁ、もぉ。僕も参戦するよ」
迷い顔で椴丸が宣言する。
「まずはあのへんてこな紙を倒さなきゃ」
と。その通りだと卦我介は頷く。あの紙切れをどうにかしなければ、二人を眠らせることは出来ない。協力を受け入れる。
「むむむ」
エカッツが加わったことにより数での翻弄が出来なくなった瑪瑙は唸った。思わず「大丈夫?」と九津が聞く。
「ふふふのふ。これくらいの方が特訓の成果を見せれるのです」
返る答えは強気だ。と、ぶわっと木の葉の香りが広がった。九津には緑色に輝く光に包まれた瑪瑙の姿が見えた。
強い呪力。これには相手も気がついたようだ。より怪訝そうにこちらをうかがっている。
いいぞ、鵜崎ちゃん。九津は心の中で応援、喝采。楽しそうに眺めた。
数が対等になった疑似生命体戦。瑪瑙は新たに唱える。
「静かに聞け、二方の使者よ。いづれ宿すその命を知れ」
響く声に呼応するように札は止まらぬまま、呪力を受け加速する。
「赤きを持って南に座し、炎を持って南を治める」
瑪瑙は右手を横にかざし三度、印を結んだ。すると赤い方の札が炎を思わせるように輝き出した。
「青きを持って東に座し、水を持って東を治める」
次は左手。同じように横にかざし三度、印を結ぶ。今度は青い方の札が霧を纏うよに薄く光り始めた。
「おっ?おお……これはっ」
九津の興奮してきた。瑪瑙の修行の成果。新たな呪術に歓喜したからだ。
「鵜崎ちゃん、やるねぇ」
「ふふふのふ」
いつもの影を帯びながらの楽しそうな声。呪術師としての瑪瑙の笑い方だ。
「陰陽の式神に五行の守護を風水で繋げてみたのです」
得意気に言う。
呪術とは揃えることである。九津と出会い、皆で修行することで得た知識。それは組み合わせの数だけ呪術は変化し続け、使い手も進化し続けるということだ。
拡大解釈、応用。何でもいい。ようは「発想」し続けることこそが力なのだ。
「その才能、羨ましいほどずば抜けてるよ」
感嘆の声を九津がこぼした。瑪瑙は平然と答える。
「筒音さんが付き合ってくださった結果なのです。しかし数の制約上、二枚までしか使えないのです。まだまだ及第点が多いのです」
それでも歩むことをやめない意思に、九津は尊敬の眼差しになった。
「ではではお待たせしたのです。〃攻撃特化式八百万の神型〃、ひと呼んで、式神さん!行くのですっ」
「おお。〃くん〃じゃなくて〃さん〃なんだ」
待っていた訳ではなかった。これはおそらく卦我介、椴丸のどちらにも言えたことだろう。
さらなる少女の不可思議な術式に、精霊たちへの指示が遅れ、攻めあぐねていただけだ。
赤い札はまさに今、燃え盛る炎を纏ったようにナハク・サニノを威嚇、牽制している。
青い札はカエッツの攻撃を受け流し、霧のように霧散してはいなしていた。
「椴丸っ、もう面倒よ。術師の方を狙って強制的に術を解かしなさいっ」
観垂が叫ぶ。椴丸の精霊エカッツの得意分野は解術。不可思議な術式であろうと強制的に無力化出来るはずだと踏んだ故にだ。
「ご、ごめんね、君。あんまり痛くないようにお願いしてあるから」
「馬鹿。実力みたでしょうが。相手はこの時点でただのお嬢ちゃんじゃないわよっ」
ためらいながら指示通り行動する椴丸に観垂のげきが飛ぶ。
どうすべきか判断を迷う九津。「鵜崎ちゃん」動こうとする。が、
「大丈夫なのですよ、九津さん」
瑪瑙の言葉に焦りや戸惑いはない。
「これでも、くらいなさいなのです!」
いつの間にか構えていた愛用の水鉄砲。その銃口をエカッツに向けて引き金をひいた。
発射される緑色の弾。呪力の塊である弾丸はエカッツを見事に吹き飛ばした。
すでに警戒度数をあげていたはずの三人は、その光景に言葉を再度一斉に失った。椴丸にいたっては息をとめ、唾を飲み込んだ。
なんなんだ、あの少女は。
言葉による意志疎通など必要なかった。全員が同じことを考えていた。
忘れていたわけではないのだ。ただ者ではないと言ったことを。
否定するわけではないのだ。自分たちが信ずる魔術が決して弱いわけではないと。
ただ、一つだけ間違っていたのだ。
対峙する少女が魔術師ではない「邪魔者」などではなく、魔術を使用しないだけの「敵対者」だったことを。




