第十四話 『夏の一日 序の続き』
付近の学校が終業式を迎える今日、鷲都家は少しばたついていた。急な来客が予定に入ってしまったからだ。そのため、現鷲都家の当主である鷲都 日戸を筆頭に、鷲都に連なる面々が準備に勤しんでいた。
「あ、旦那様。もうこんな時間」
和服に身を包む五十代の女性が慌てたように声を出した。
女性の名は雀原 里麻といい、この鷲都家に連なる家系の中でも上の立場で、場を取り仕切ることが多い人物であった。
この里麻には当主である日戸も頭が上がらない。
小さな声で「え」と呟き日戸が時計を見る。針は午前十一時を回っていた。
「本当だ。そろそろ向かわないと約束の時間に間に合わないな」
日戸はもう夏の日差しで汗ばむシャツをはたきながら言う。雀原は腰に手を当て声を出した。
「こちらの方はわたくし共に任せて、早く着替えてらっしゃいまし。先生のお迎えは当主である旦那様の役目です。遅れるわけにはまいりませんよ」
背中を急かすような言葉に日戸少しだけは困ったように笑い、「わかりました」と答えた。
「じゃあ、ちょっと着替えて来るから。そうしたら行ってくるようにします」
「はい。そうしてください」
日戸は雀原に見送られ、着替える為にこの場を離れた。
このやり取りが親と子のようで、聞き耳をたてていた面々は楽しそうに笑顔を浮かべていた。しかし、雀原にとがめられるように軽く咳払いをされると、直ぐ様自分達の持ち場へと散っていった。
本日、鷲都家がばたついていた理由は二つあった。
一つ目は鷲都家そのものに関する事だ。
鷲都家は「術の五都」呼ばれる五つの魔術師の一族の一つだ。そして、それらが集まって行われる「力比べ」と称される行事が年に二度あった。
行事とは簡単に、五つの一族がその内側の序列を決める風習である。ここ最近では鷲都家は最下の五位に甘んじていた。
ところがひとつき前、今年初めの「力比べ」の行事で、日戸の一人娘である鷲都 包女が当主代行として参戦したところ、「暫定四位」を言い渡されたのである。
これは近年の鷲都家からすれば相当な快挙であり、鷲都に連なる面々は多いに喜んだ。
忙しかったのはその知らせを受け、宴会ともいうほどのものを日々、続けた結果だった。これが一つ目である。
では、二つ目は。
それは鷲都本家、それも日戸の個人的な来客が原因であった。
六月頃に連絡はもらっていたのだが、七月半ばになり急に家へ訪れると言うのだ。自身の妻であり包女の母である鷲都 通弦の世話になった恩師である以上迎えなくてはならない。もとより、日戸とも面識があり断る理由もない。
しかし、本来なら八月の頭を予定したのが早まったと言うのだ。だからこそ慌ただしくなった。
七月の半ば、夏休みを迎える今日は包女が友人達を連れてくる手筈になっていたからだ。
話を聞いていると随分と魔術師に詳しく、包女も大変勉強になったと言う。何より、今年になり、六月が近づくにつれ塞ぎ込みがちになりつつあった包女が楽しそうにしている姿が多くなったのはその友人達のお陰だと日戸は気づいている。
だからこそ早いうちに会っておきたかった。
鷲都本家は客人を大勢迎えるには充分な構えと広さを有した。けれど、住人である日戸と包女は二人だけ。準備用意をするには時間と人手が足りない。
そうして重なる事情と都合により、鷲都連なる面々での用意となったのだ。
「ではでは、旦那様。先生によろしくお伝えください。昼過ぎにはこちらの用意も済むでしょうし、わたくし達はそれをもって下がります」
「すみません、雀原さん。いつもおませしてばかりで」
玄関で雀原に向かって頭を下げる日戸。雀原は軽く息を吐き、自身の背筋を伸ばした。
「よいですか、旦那様。当主はあなたなのですよ。そう軽々しく頭を下げるものではありませんよ」
雀原の言葉にはっとなり、日戸がなにかを言いかけるがそれを「それにですね」と遮る。
「お嬢様はこの度とてもご活躍をされました。しかし、わたくし達は何もして差し上げられなかった。せめてお嬢様から伝え聞くご学友の方々のもてなし程度、喜んでさせていただきます」
語尾と鼻息が少し強めに感じた。同時に雀原の心のうちが伝わるようで日戸はとても体の内側が温かくなった。
「ありがとうございます」
「はい、お気をつけていってらっしゃいまし。先生にもくれぐれもよろしくお伝えください」
日戸は会釈して家を出た。
「さぁ、あんた達。もう一仕事、頑張るよ」
気合いを奮起する雀原の声に、家の片付けや料理、使用する道具の準備や洗濯をしていた面々の元気な声が返った。
─────
日戸は途中でタクシーを拾い、目的地である駅名を告げた。本当ならば来客が最初につくフェリーターミナルまで行きたいところだったが、時間の都合上それは諦めるしかなかった。
何より当の本人である「先生」も急なことでむしろ申し訳ないと連絡が取れたので助かったのは事実だ。
タクシーの窓から流れる景色を見ながら日戸は思う。
先ほど、見送る雀原も言っていたが本当に包女は頑張ってくれた。
鷲都の名のためであり、自身の為。そしておそらくこれが一番の理由になるだろう。
母の誇りを取り戻すため。
鷲都家の前当主であり、「行事」に自ら参戦していた鷲都通弦は強かった。付加という魔術に関しては当然、人としての精神面でもだ。
三位の座さえ近づきがたく、危うい時期が続くさなか、通弦は当主代行を可能とする十五の年になった時に一族皆の前で宣言したらしい。
「私が鷲都を盛り返して見せる」
と。
これは日戸が婿に来るずいぶん以前のことでありあまり知らないことだが、聞いた話では間違い無さそうだった。
本人もあっけらかんと笑うだけだったが、それこそが通弦にとっての真の証明だと連れ合う時間が教えてくれた。
「私はただ、鷲都として培ってきた魔術が大好きなだけ。その気持ちの証明がわりに行事で暴れたかっただけよ」
日戸も笑い返すしかなかった。
実際、日戸が鷲都に入ってから「三位」を称し、時として暫定とはいえ「二位」に食い込むこともあった。
その実力や実績がどれ程のものなのかを日戸が身をもって知ることになるのは、通弦がなくなってからだった。
通弦が病魔に侵されている間もそうだったが、命を落としてからは怒濤の日々だった。
葬儀もすまないうちにまずは当主の襲名だ。日戸は通弦に出会ってから「魔術師」という存在を知った一般人だった。しかも本格的な「魔術」の才能には恵まれなかった。
この為、鷲都に連なる家系から当主として人を入れるかと論議がされた。その中で雀原里麻が一喝したのだ。
「正当な当主である通弦様の婿である旦那様はご健在。嫡子である包女お嬢様は才能にも長けている。何故このお二人を差し置いて他が鷲都を名乗れましょう」
この言葉に誰一人として異を唱える者はいなかった。日戸もそうだ。
正論も含めその義を重んじる面々と雀原の説得する力が大きかった。
こうして一族ぐるみで支えられる形で日戸は鷲都の当主となった。
当主となってからは妻の死を悲しみ、娘の悲しみを取り除こうと勤める時間があまりなくなってしまった。
襲名を他の四つの一族への報告。鷲都としてすべき表側の仕事の確認。魔術師としての裏側の勤勉。理由は多様にあった。
雀原を始め、各方面から出向いてもらったり、出向いたりと、家に居る時間も無い日々が続くこともあった。
包女の涙を隠しながら言う「大丈夫」がどれ程身に染みたか。日戸は胸を痛めた。そして同時に、今の自分がこなす仕事の中で、包女と過ごす時間を大切にしていた通弦の気持ちと器量を汲み、自身の力の無さを悔やんだ。
しかし胸を痛め、悔やみながらも時間は容赦なく進む。
覚えたての「魔術」で行事に参戦した日。当然の敗北に誰一人文句を言うことはなかった。
幼い包女の側に入れない日。逆に懸命にたち振る舞おうとする姿に励まされる時があった。
あらゆる面で強くならねばならない。そう思い過ごしてきた日々。報われた日は無かった。
──今までは。
確かに厳密には「魔術師」としての日戸自身の努力は報われることは無かった。けれど包女が打ち破ってくれたのだ。
どうしても暗考してしまう日戸が「鷲都」としての名を貶めていたあの日々を。
それだけではない。
通弦との死別で強くならねばと思っていたのだろう。
日戸や雀原、連なる家の面々を見て自分を奮い立たせたのだろう。
筒音との出会いで道が開けたのだろう。
そして。
この頃よく聞く「悟月 九津」や「鵜崎 瑪瑙」、「鯨井 光森」という同年代との交流の中で新たに得たものがあったのだろう。楽しく話すことが多くなった。
それが嬉しかった。
鷲都の名にとらわれず、包女自身が手に入れた得難いもの。
そんな楽しそうに話す包女を見て、本当に報われたと思えた。
大人の勝手、親の偏見。なんと言われようとそうなのだ。
日戸は窓に写った自身のにやけた顔を見つけた。それを見ていたのは運転手も同じ様だった。
「お客さん、嬉しそうですね。愛しい人でもお迎えに行くんですか」
勘違いして話しかけてきた。
「いえ、ちょっと良いことがあったんですよ」
「あった?ある、じゃなくてですか」
さて、なんと話そうか。
これから迎えにいく先生と、今日自宅に招かれる包女の友人達。会いたい人達の顔を思い浮かべ日戸はタクシーの運転手に語りかけた。
─────
目的地であるこの辺では大規模の駅に到着しタクシーを降りた。客商売よろしく愛想を振り撒く運転手に支払いを済ませ別れを告げ、日戸は中へ入った。
「良かった。間に合った」
番号を確かめながら改札に辿り着くと、まだ目当ての人、「先生」は居なかった。時計を見ると午後一時半を過ぎたところだった。
「二時には着けるように来られるという話だったから」
雀原に念を推されるように早めに出たのが効をそうした。そう考えて日戸は一息ついた。
が、それがどうやら油断となったらしい。突然、背中に気配を感じたかと思うと何かで突っつかれた。
「ええっ」
驚きの声と共に振り向くと、
「油断外敵…じゃよ、日戸くん」
銀色の髪を後ろに流した老紳士が、穏やかな表情を浮かべて立っていた。突っついたのはどうやら老紳士が所持している杖だったようだ。片側には少し大きめのバックを持っていた。
「外敵じゃなくて、大敵ですよ…先生」
日戸も同じ様に表情を崩した。
「お久し振りです。もう七、八年前ですかね、僕らが先生と最後に顔を会わせたのは」
「そうじゃな。それほどは経つかのう」
老紳士は考える風に顎をなぞりながら、
「孔明、矢のごとしとはよく言ったものじゃ」
と返した。はは、と日戸は苦笑、
「光陰、ひかりとかげですよ。孔明は軍師です、おそらくですが…飛んではいかないでしょう」
いつも通りの「先生」に安堵していた。
「しかし、八年か…」
立ち話をすることもなく、歩きながら「先生」ことガータック・シュバルツアは考え深げに口を開いた。
真っ直ぐ進むガータック。
前方を見る視線は、もしかしたら景色とは別の時の流れを写しているのかもしれない。
「はい。本当にご無沙汰して、すいません。何かとばたついていて」
同調するように日戸も答えた。それにガータックは首を振った。
「いや、謝らねばならんのは私の方じゃよ。通弦くんのこと。駆けつけるどころか、この様だ。本当に遅くなってしまった…全くもってすまない」
立ち止まり、老紳士然としたガータックが頭を下げる。突然のことに日戸は言葉が出ず、「先生…」とだけ呟くのがやっとだった。
そうしているとガータックは頭を戻し再び歩きだした。日戸はそれに続いた。
ガータックは前を向きながら話す。
「知らないことを言い訳にするなど、研究の分野に属するものとして本当に恥ずかしい限りだ。通弦くんなら…」
一拍置く。通弦の姿、仕草、思考を思い出しているのだろう。
「腹を抱えて笑ったあと、これよみがしにお説教をされていただろうな」
「ですね。僕もそう思いました。先生だろうと容赦ないですからね、通弦さんは」
年の離れた二人の男は、一人の女性を思い浮かべ互いに笑みをこぼした。
「だから言ったじゃないですか」
二人には、強気そうな女性のはつらつしたそんな声が聞こえた。
駅の出入口まであともう少し。二人は懐かしい時間を埋めるように話ながら歩いていた。と、
「ところで」
日戸は声をひそめた。
「さっきはなぜ突然に付加魔術をお使いに?」
「ふむ」
ガータックは曖昧に頷いた。辺りを視線だけで伺っているようだ。少なくとも駅を行き交う人々は一般的な様子に見える。
「すまんな、説明が遅くなった」
「理由があるんですよね。魔気を封じるなんてよほどですよ」
「どうやらつけられておるようでな」
────
日戸たちのいる駅から数キロ離れた場所にある小さな喫茶店。おさえめな照明の下で男三人が同じテーブルを囲み各々時間を潰しているようだ。
そのうちの一人。瞑想しているように背筋を伸ばし、瞼を閉じていた細身のスーツに身を包む男が口を開いた。
「あの駅以降からガータック氏の魔気が途絶えたのは間違いないんだな」
「ああ。車内で魔気を封じる付加魔術を施したんだろうよ。うんともすんともだ」
この中で一番大柄の男がストローをくわえながら大袈裟な手の動きを含めて答えた。
返事を聞くと細身の男は考えるように顎を下げた。
「ガタック老は付加魔術ならわずかに使えるらしいっスもんね」
読みかけの雑誌を閉じ、後頭部を抱えるように腕を組み、一番若そうな男が喋った。答えるのはまた大柄の男だ。
「ああ。魔術の研究するのに必要で習ったんだと」
「へぇ、すげっスね。ガタック老ってこっちの世界に足を突っ込んだのって四十過ぎてたって話っスけど…遅咲きの桜ってやつじゃないっスか」
「だな、こりゃ。魔術を知らずに生き、老いてなお、現代魔導の一任者って呼ばれるまでになってんだ。元々の才能がちがうんだろうよ」
大柄の男の言葉に若そうな男がうんうん頷いた。
「っスねぇ」
店内の天井を見ながら自身のこれまでを振り返っているかのようだ。
ここで、最初に口を開いて以降黙っていた男が目を開けた。
「そろそろお喋りはやめろ。見つけたぞ。ん?」
今度は視線だけが思考するように漂う。
「どうした?」
二人が伺うように顔を寄せる。言葉にしたのは大柄の男だ。スーツの男は構わず視線を漂よわせている。
「この辺りでガータック氏の向かいそうな場所と考えれば予想はついてはいたが…」
視線の動きがとまり、スーツの男は顎に手をおいた。
「いたが…どうしたんスか?」
若そうな男が体を持ってきた。
「一緒にいる人間がいる。…おそらく鷲都だな。護衛を頼んだのか…」
「ゲッ。護衛っスか!まさかあのお嬢さんっスかね!」
手をあげて、おどけた風に驚きをみせた。
「だとすりゃ、やめておくか?俺らじゃちと分が悪いだろ」
大柄の男も声の調子を落とした。
「いや……今、魔気が消された。これは消したのではなく、消されたようだ。ガータック氏が消したのか…」
うわ言のように言葉を端的に言う。
「俺らの精霊に気づかずガータックのじいさんに強制的に消された…ってことは」
「魔力感知…魔術に不馴れな鷲都ってことっスね」
大柄の男の台詞に被せるように若そうな男がパチンと指を鳴らした。
スーツの男も同意するように頷き、
「そういうことだ、行くぞ。我々の目的はあくまで交渉だからな」
立ち上がった。
「あいよ」
「っス」
二人もそれに倣い立ち上がり、三人で店を出た。
────
日戸とガータックは移動の手段を持っておらず、再度日戸はタクシーに頼ることにした。ガータックも人の目を下手に気にするよりはと、同意した。
日戸にとっては来るときとは逆に流れる風景だ。窓の外を眺め見て、ガータックは切り出した。駅を出る前に躊躇った、理由を伝えるためだ。
「日戸くん。君はまだわしの研究…いや、わしらの研究内容を覚えていてくれておるか」
日戸はやんわり表情を崩し、頷く。
「もちろん。先生と通弦さん、それに僕の三人でやったものですからね」
「そうじゃな…」
二人にはまた、共有する過去の景色が写っているのだろう。視線の先は違うが、眺める表情が似ていた。
その景色の中には、今ここにいない三人目の人物がいるのだろう。
「研究にあまり協力出来なかった事をあわせて、大切な思い出です。忘れられるわけがありません」
思い出す過去の景色を大事にしまいこむように日戸は言った。
「わしもだよ。研究という事を除いたとしても、君たちと過ごさせてもらったあの時間を忘れるわけがない」
噛み締めるようなガータックの言い方に、日戸はまた嬉しく思った。
娘である包女や、一族として昔馴染みである雀原たちとは確かに通弦との記憶を共有している。しかし、ガータックと共有する記憶は三人だけの日々であり、特別な想いがあったからだ。
ここで日戸は尋ねる。
「流れからするとその研究に何か関係が?」
まさか何の脈絡もない話をするはずがない。そう考えると自然と口にしていた。
「ああ、そうじゃ。忘れられない懐かしさに浸り、話の要点を忘れるところじゃった。日戸くん、君は精霊とは何か答えられるか」
途中、咳払いを挟んだガータックは話題を戻すために新たに質問をした。
日戸は問われた意味をしばらく考えて、
「え…、ええ、まぁ。さわり程度、この業界では基礎的な知識くらいですけど。概念だけでいいのなら、〃この世の理の中で魔力そのものが意思を持った存在〃ですよね」
日戸は通弦や雀原から学んだ知識をたぐり答えた。ガータックが首肯するのを確認し、さらに考える仕草をする。
「そして先生と通弦さんは、付加魔術を応用して呪術的観念から行われる錬金術とは違う形式で擬似魔力生命体、つまり人工精霊を産み出す研究をされていたんですよね」
「ああ。愚かと言うか、不様と言うか…〃命と意思〃に関わることをだ」
日戸の解答にガータックは満足そうに頷き、次いで自身を皮肉るように口の端をあげた。
わずかに沈黙が生まれた。
「いや、それこそ今は関係ないな。とにかく通弦くんや君の尽力もあり、研究は格段に進展した。産み出すこと自体は失敗に終わったが、それで良かったと思っておるよ。それなりに満足のいく成果と経過はあったからのぉ」
破ったのはガータック自身だ。また柔らかく笑みをこぼし日戸を見た。日戸も返すように笑った。
と、刹那。日戸の脳裏によぎる思考があった。
キーワードは二つ。満足いく結果。そして通弦の協力。
結果とは「擬似魔力生命体の創造」だ。
協力とは「魔術全般の知識」であり、「付加魔術」のことだ。
ガータックは何を言おうとしていた。──魔気を封じざるえない理由だ。
「あ…あの、まさか先生」
日戸は自身の頬に冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。
「わしが現代魔導の一任者なぞ呼ばれるのは君たち二人の力でもある」
相変わらず強い意志を宿すその瞳は、まっすぐ日戸を写している。
「いや、それより先…生」
そんなはずはない。日戸は内心で呟く。
「そして研究とは誰かの、何かの役にたたなければ、ただの自己満足で終わってしまうのだ。例え、広く認知されたとしても、だ。わしはそんなつもり毛頭ない」
だって、確か、無理なはずなんだ。日戸は学んだ知識をひっくり返して考えていた。
「確か、先生の出した研究成果は、まだ公的な場での発表はされていませんよね。先生自身が遅らせて…」
公的な場とは遠い過去に遡る。
まだ魔術が曖昧な形で広まっていた時代。
呪術も仙術も、忍術も幻術も全てが一括りにされ、「魔術」と呼ばれた頃。「魔術」は一般に「悪」と呼ばれた。
一番の理由は呪術師たちのおこないだ。「知」と「驕り」を持って術式を操る呪術師たちが、自身の好奇心に任せて乱用、悪用したからだ。
時代の中で術式を「悪」と考えた人々は、生まれながらに「魔術」を用いて人々を助ける者たち、「魔助」を「悪」として捉えた。そして、捕らえた。
これが「魔女狩り」の始まりであり、魔術師にとって最悪の時代の幕開けだった。
唯一の救いは無惨な時代が長く続くことがなかったことだ。しかし流れた血は多かった。
魔術に関わることのない人々の、魔術師たちに対する恐怖を目の当たりにした魔術師たちは、そこで初めて組織的な仕組みを作り始めた。
それが公的の場、組織として構成する抑制力の名称、「協定」と「規定」だ。
協定とは一組の魔術師たちの集団を地域別や国別でまとめあげる組織的な仕組みだ。
規定とはその「協定」に組み込まれている審査機関の総称だった。
自身を、ひいては魔術師全般を守るための規則の象徴でもある。そしていくつかある規定の中には条件を満たさなければ「禁ずる」ことがある、となっていたはずだ。
例えば「研究」に分類され、新たな可能性を示すための「成果」や「結果」としての「魔術」だ。
可能性の中に含まれる危険度を審査し、公表しなくてはならないのだ。
長ければ数年単位で懸かるときもあるとのことだったはずだ。
それを。
「知らん。そもそも魔術とは簡単で単純で純粋なものじゃ。研究の果てに検査され、公的な場を設けてでしか使うことが許されない魔術など、魔術であって魔術なとではない」
ガータックは知らないはずはない。しかし腕を組み、まるで子供の言い分のように言い放つ。
日戸だってガータックの言い分を理解出来ないわけではない。通弦が生きていれば喜んでま賛同していたとも思う。と、言うか元々通弦の口癖だ。
しかし、そもそも提出と審査を遅らせていたのはガータック自身だ。研究の過程から規定を管理する組織側からもせっつかれていたのだが、「もう満足している、そのうちな」とはぐらかすようにあしらっていたからだ。
理由は……もっと三人で遊ぶ時間が欲しかったから、らしい。
「そう…かも、知れませんけど」
しかし、それでは駄目なのだ。どれだけ研究者が言ったところで「研究」が対象の魔術である以上は規定を抜けなければ。
そうでなくては魔術師の世界では罰せられる。
「それに元々、わしと通弦くん。それに君を加えた三人のものじゃ。となれば、わしが君たち二人の娘さんに授けても何ら問題はあるまい」
ガータックの紳士の服を破る音が聞こえ、悪がきじみた笑みが出てきた。気づいたとき、日戸は頭を抱えてしまった。
だから問題はあるんですよ、と。
「つまり…その研究内容を日本に持ち込んだんですね」
否定を求めて口にする。限りなく無いに等しいとだろうと思いながら。
「わしたちの研究は、魔力の付加対象の範囲に関するもの。必ず付加魔術の担い手である君たち二人の娘さんの役に立つはずじゃ」
ガータックは嬉しそうに年の割に残る白い歯をみせた。逆に日戸は瞼を閉じた。
「そして、研究内容が狙われてるわけなんですね」
日戸の言葉を最後に二人は静かになった。
よほど日戸に疲労が見えたのか、タクシーの運転手が大丈夫ですかと一度だけ気にかけてくれた。
日戸はええ、まぁ、と曖昧に答えてこれからおこるだろう事に考えを移した。
その時だ。日戸の携帯が鳴ったのは。
着信は包女だった。