第3話 偉大なるフィークス
王家御用達の防具職人の工房で注文を終えた俺達は、次に武器を買いに行く事にした。
無論、そちらも王家御用達の武器職人の工房である。
「どこにあるんだ?」
「隣です」
「すぐそこかよ」
「この辺りは職人街ですから」
この聖王都ユピテルには、七代聖王の命で造られた職人が集まる「職人街」と言うのがあるそうだ。
鍛冶職人だけでなくなめし革職人や服飾職人など、工房を持って仕事をする者は皆この区画に集められている。
おかげで食料以外の旅立ちの準備は、全てこの区画の中で済ませる事が出来るそうだ。
武器職人の工房に入ってみると、中の造りは防具職人の工房と同じだった。最初の部屋にサンプルとカウンターがあり、奥からは鎚を振るう音が聞こえてくる。
応対専門の店員がいる事も同じであり、こちらの買い物もスムーズに済ませる事が出来た。
特筆するべき事は、この世界の長さの単位が『ストゥート』だと言う事だろう。
春乃さんとセーラさんはそれぞれ剣を注文したのだが、その刃渡りの長さを決める際に店員の口からその言葉が出て来た。
隣に控えていた執事さんの解説によると、「ストゥート」と言うのはこの世界における長さの単位で、「王が三歩歩いた距離」と言う意味を持っているらしい。
基本的には一度計ると次の聖王が即位するまでそのまま使われる物だそうだ。
そのため国によって一ストゥートの長さが異なり、また新たな王が即位する度に一ストゥートの長さは変わってしまう。
俺と春乃さんは今の一ストゥートの基準となる物差しを見せてもらい、約一メートルぐらいだと判断した。
店員曰く、代替わりしても一ストゥートの長さと言うのはさほど変わらないらしい。
それが本当に長さが変わらないと言う意味なのか、彼等が細かい事は気にしていないのかは俺には判断する事が出来なかった。
「五代聖王陛下が即位した頃は大変だったと聞いた事があります」
「なんで?」
「四代聖王陛下は若くして亡くなられてしまったため、即位されたのは五歳の時で……」
「あー……」
つまり、当時の一ストゥートは五歳の子供が三歩歩いた距離。かなり短かったのだろう。
「流石に不便だったのか、五代聖王陛下が成人の儀を迎えた際に、特例でもう一度計り直したそうです」
「まぁ、そうなるだろうな」
それからは国法自体が変わり、成人する前に聖王が即位した場合は、成人の儀を迎えるまでは先代のストゥートをそのまま使うようになったとの事だ。
それはともかく、春乃さんは一ストゥートと少しのロングソードを。セーラさんは一ストゥートに満たないショートソードを選んで注文していた。
この世界の神官は刃物を持っても良いらしい。
そして俺はと言うと、店員と執事さんとも相談し、素人でも振り回す事が出来ればそれなりに威力が出せる武器と言う事で片刃のブロードアックスをチョイスした。
それほど大きくはないが幅広の刃を持つ片手用の斧で、重さが平気であれば扱いやすい武器だそうだ。
戦闘用として作られているが、野外生活の道具としても使えると店員は勧めていた。
実際にサンプルを持ち振り回してみて、これなら大丈夫だろうと判断する。加護の力と言うのは本当にすごい。
更にサブウェポンとしてダガーを二本注文する。
これはどちらかと言うと戦闘以外の用途の方が広い物らしく、春乃さん達に勧めてみると二人も一本ずつ注文していた。
後は柄を作るために粘土の塊を握らされたりして武器工房での注文は終わった。
次に向かった先は服飾職人の工房だった。
今日までは神殿で服を借りて過ごしていたが、旅立つとなれば自分の服、着替えを用意しておく必要がある。
「なんだあの看板、葉っぱか?」
「あれはこの『フィークス・ブランド』の看板ですな。イチジクの葉をモチーフにしていると聞いております」
「ふーん、すごいのか? その『フィークス・ブランド』って」
「フィークスとは昔の職人の名で、今は偉人として名を知られております。世界中の大きな都市ならばほぼどこでもあると言えば、その凄さが伝わるでしょうか」
「そりゃすげぇわ」
執事さんの説明によると俺達が連れて来られた服飾職人の工房は、世界規模の有名ブランドの物らしい。
緊張しながら工房の中に入ると、俺の目の前に予想外の光景が広がった。
「……これはケンカを売られてるのか?」
「決してその様な事は」
「それなら、男性客を排除する意図があるのか?」
「それはあるかも知れません」
「あるのかよ!」
工房に入ると武器・防具の工房と同じくサンプルが並んでいるのだが、そこに並んでいたのは全て女性用の下着だったのだ。
入ってすぐにこれでは「男は帰れ」と言う無言の圧力を感じさせられる。
「フィークスと言うのは昔の女性下着専門の職人なのです。まったく、この程度で狼狽えるとは修行が足りませんな」
狼狽える事なくしれっと言う老紳士。実は変態紳士なのかも知れない。
春乃さんとセーラさんは揃って恥ずかしそうに頬を染めている。
「って、ちょっと待て。中世の下着ってこんなだったか? コルセットで物凄く締めてたとか言う話を聞いた事があるぞ」
「あっ、言われてみれば……」
その時俺はある事に気付いた。春乃さんも俺の言葉を聞いて気付いたようだ。
そこに並んでいたサンプルの下着は、現代地球の女性用の物とほとんど変わらないデザインをしている。
他の服は地球の中世ヨーロッパそのままと言う訳ではないが、中世ファンタジーの範疇にあるのに対し、下着だけは明らかに時代が違っていた。
戸惑った俺と春乃さんが顔を見合わせていると、この工房の応対専門の女性店員がやってきて俺達の疑問について答えてくれた。
「偉大なるフィークス様は女性用下着を専門に作る下着職人でした」
「まぁ、専門技術とかあるなら、専門の人もいるんだろうな」
「あのお方は、女性を美しく魅せるための下着とは何なのかと研究を重ね、たった一人で女性用下着の歴史を千年押し進めたと言われているのです!」
「大変態じゃねーか!」
自慢気に胸を張る店員に対し、俺が思わずツっこんでしまったのは言うまでもない。
気を取り直して俺達は自分達の服を買い揃える事にした。
流石に一緒と言う訳にはいかないので春乃さん達とは別行動だ。
「それにしても……扱いに違いがないか?」
工房の中には男性用の衣服の売り場もあったが、その扱いは非常に小さい物だった。売り場面積で言えば全体の二割程度ではないだろうか。
俺は下着を一つ手に取ってみた。流石に腰布と言う事はないが、そのデザインは俺にとって馴染みのある物ではなく、一昔前のステテコパンツである。
「フィークスとやらは男性用の下着は全く作ってなかったのか?」
「私が聞いた話では、偉人フィークスは男性用の下着に関しては『葉っぱ一枚あればいい』がモットーで、生涯一枚たりとも男性用の下着を作る事はなかったとか」
「頭が痛くなってくるな……つまり、ここにあるのは」
「フィークスの死後工房を継いだ弟子達が、彼のデザインを参考にして今日までに作って来た物でしょうな」
「昔の人なんだっけ?」
「はい。二百年程前の人物だったと記憶しております」
「つまり、二百年掛けてもフィークス一人に追い付けてないって事か」
「それでも男性用の衣類のブランドとしても、他の追随を許しておりません」
「すげぇな、フィークス」
思わずフィークスを認める言葉が俺の口から漏れた。
フィークスと言う男は変態だ。大変態だ。それは間違いない。だが同時に偉大なる天才である事も否定出来ない事実である。
「偉人フィークスは自らの言葉通り、自身は生涯葉っぱ一枚のみで過ごし、ある冬の日に病死したそうです」
「身体張るにも程があるだろ! て言うか、看板の葉っぱってもしかしてそれなのか!?」
エキセントリックな天才と言うのは、きっとこう言う人物の事を言うのだろう。
なおイチジクの葉一枚のみと言うのは、偉人フィークスの偉業を称えて礼装の一種として認められているらしい。
どうやって固定するのかと言うと、実は魔法を使うそうだ。なんと言うファンタジー。こんな所でファンタジーを感じたくはなかった。
その格好で王の前に出ても許されるそうだが、フィークスの死後二百年の間実行した者は一人もいないそうだ。
良くも悪くも偉人フィークスに追随出来る者はいないと言う事であろう。
俺だってしたくない。
それはさておき、デザイン的に古臭いのはともかく機能的には全く問題が無さそうだったので、俺は下着、普段着をまとめて買う事にした。
旅をする者のための丈夫な服もあったが、そちらは注文して仕立ててもらう物だったので店員に頼んで採寸してもらう。
ちなみに採寸を担当したのは女性だった。中年のおばさんだったが。
その後注文を終えて、今日持ち帰る事が出来る出来合の服は会計を済ませて包んでもらったが、女性陣の買い物はまだ済んでいなかった。
女性の買い物、特に下着となると時間が掛かるのだろうと、おとなしく待つ事にする。
しばらく待っていると注文を終えた春乃さん達が戻って来た。
俺と執事さんの姿を見ると、二人揃って申し訳なさそうに頭を下げたが、そこは男の甲斐性だと言う事で笑って済ませておく。
どうやら着やせするこの二人、ブラジャーは全てオーダーメイドになるらしい。
工房を出て乗り込んだ馬車の中で、春乃さんは呆れているのか感心しているのか分からない微妙な表情で話してくれた。
「こう言う話しても冬夜君には分からないかも知れませんが……下着としての機能は地球の物より優れてるかも知れません」
「……マジで?」
隣に座っていた俺は、目を丸くして彼女の方を見る。
「詳細は省きますが、戦う人の事も考えてるらしくて、それ専用に作られてるんです」
「文化の違いってヤツ?」
俺が問い掛けると春乃さんはこくりと頷いた。
「身に着ける者の事を考えて魔法も使ってるそうです」
「そこまでやるのか」
「はい。その分、お高くなってしまいましたが……」
詳細は省かれてしまったが、激しく動く者のための下着と言う事だろうか。
俺は思わず黒い厚手のカーディガンに包まれた胸元と、白いゆったりしたローブに包まれた胸元を見てしまったが、すぐに視線を逸らす。
この二人、揃ってかなり着やせするタイプである。と言うより、わざと体型が分かりにくい服を着ている節がある。
「しかもデザインは可愛いんですよ」
きっと彼女には彼女なりの苦労があったのだろう。大きいサイズになる程、デザインは選択の余地が無くなっていくと言う話は俺も聞いた事があった。
「本当にすごいんだな、フィークス」
「ええ……一見中世っぽく見えるせいか、この世界を侮っていたかも知れません」
「こっちは魔法があるみたいだしなぁ」
変な所で思い知る事になったが、この世界は単に中世レベルの遅れた文明と言う訳ではないと言う事だろう。
魔法が存在するし、フィークス・ブランドの様に独自の進歩を遂げているものもある。
現代人だからと言って、現代知識があるからと言って、それだけでこの世界を甘く見て良いものではない。
俺にとってフィークス・ブランドとの出会いは、この世界に対する考えを改める良い切っ掛けとなった。
春乃さんにとっても同じだったらしく、彼女も神妙な面持ちをしている。
「でも何でだろうなぁ」
「どうしたんですか?」
「偉人フィークスとやらに感謝したりする気には全くなれない」
「それは、私も……」
俺が馬車の天井を見上げてぼやいた。それから隣の春乃さんの方に視線を向けると、彼女もどこか困った様な笑みを浮かべていた。
それから俺達は旅をするための靴、寒さから身を守るためのマント、照明器具、火口箱にその他諸々、旅をするために必要な道具を一通り買い揃えていった。
今日の内に食料以外の買い物を全て済ませたのである。
そして最後の買い物を終えて後は帰るだけになった時、執事さんが俺に向けてこんな事を言い出した。
「トウヤ様達には準備期間を終えるまで王城に部屋を用意しているのですが、神官長は魔法を覚える気があるのなら神殿に戻ってこいと言っておりました。いかがいたしましょう?」
「魔法を?」
「はい。基本的なものであれば準備期間中に教えられると言っておりました」
「へぇ、王城の部屋は使わなくても構わないのか?」
「仲間を探す事を考えるとあまり良くは無いのですが、魔法を覚えるためならばこちらとしてもあえて引き止める訳にはいきませんな」
「う~ん……」
俺は腕を組んで考えた。脳裏に浮かぶのは神殿で作ったステータスカード。俺のステータスは魔法に関係すると言うMENが高かった。
それに『無限バスルーム』は中の物を俺のMPから作っている。魔法を覚えればMPを鍛える事になるのではないだろうか。
「セーラさん、神殿で教えてもらえる魔法ってどんなのがあるんだ?」
「そうですね。色々ありますが基本的な魔法となると……やはり光の女神様の眷属である光の精霊様を召喚する魔法でしょうか」
ちなみに光の精霊は手の平に乗るサイズの青白い光の球の姿で現れるらしい。
「……召喚して何するんだ?」
「邪悪なる者達を攻撃していただく事も出来ますね。一度攻撃すると光の精霊様は元の世界に戻ってしまわれますが。あ、照明代わりにもなりますよ」
「回復魔法とかはないのか? 解毒とか」
「そう言うのはもう少し訓練をしないと……」
この世界の神の力を借りた魔法は、回復魔法が基本と言う訳ではないらしい。
だが、逆に言えば訓練を続ければ回復魔法も使えると言う事である。MPを鍛えると言う意味でも魔法を習うのも悪くないだろう。
「分かった。執事さん、俺神殿に行きます」
「承知しました。ハルノ様はいかがいたしますか?」
執事さんが春乃さんに問い掛けると、彼女は少し考えてから答えた。
「私、少しでも剣を習っておきたいんですけど、その場合はどちらに行けば良いですか?」
「それならば王城でしょうな」
「では、私はそちらでお願いします」
そう言って春乃さんは俺の方に顔を向ける。
「あの、冬夜君。今日は本当にありがとうございました」
そして彼女はぺこりと頭を下げる。
「いや、案内してくれたのは執事さんだし。お礼を言われる程の事じゃ」
「そんな事ないですよ。私最初は防具とか知らなくて、まず神殿に連れて行こうと思ってましたから」
「それはそれでどうなんだ」
急に礼を言われて慌てていると、そこにセーラさんも加わってきた。
説明担当として知らないのはどうかと思うが、実際に神殿に連れて行っていたら神官長さん辺りが見かねてアドバイスしていたかも知れない。
「助かったのは確かですから、ここは素直に受けとってください」
「あー、うん、そうだな」
落ち着いた俺が彼女の方に向き直ると、春乃さんはにっこりと微笑んだ。
「私もがんばりますから、冬夜君もがんばってくださいね!」
「そっちこそ、がんばって」
「はい!」
そう言って二人で笑い合った。セーラさんもにこにこと笑顔で俺達を見ている。
「ここからですと王城の方が近いですから、まずお二人をお送りし、それから神殿に向かうと言う事でよろしいでしょうか」
「ああ、そうしてくれ。あ、それともう一つ」
「何でしょう?」
執事に問われた俺は、セーラさんの方にちらりと視線を向けた。
「説明担当として必要な知識。一通り彼女に教えてやってくれ」
「なるほど、承知いたしました」
俺の言葉に執事さんも小さく笑みを浮かべて承諾し、それを聞いたセーラさんは「あはは……」と誤魔化す様に照れ笑いを浮かべる。
そして俺と春乃さんも、そんなセーラさんの顔を見てそろって噴き出してしまうのだった。
※ストゥートの語源は「strut」、意味は「もったいぶって歩く」です。