第2話 東雲春乃と
異世界に召喚されて十日目の朝、俺と東雲春乃の二人は馬車に乗せられて王城へと向かっていた。
ギフトに目覚め、神殿でステータスカードを作成してもらったので、今日王城でこの国の王に謁見するのだ。
窓の外を見てみると、いかにもファンタジーと言いたくなる様な街並みが広がっていた。
テレビなどで見るヨーロッパの歴史ある街並みを彷彿とさせるが、史実の中世ヨーロッパよりは清潔な様に思える。魔法があるためだろうか。
神殿で聞いた話によると、この街の名は『ユピテル・ポリス』と言うらしい。
一つの都市とその周辺地域が一つの都市国家となっていて、この国の王は代々「聖王」と呼ばれているそうだ。
そのためこの街は『聖王都ユピテル』、もしくは単に『聖王都』と呼ばれる事も多い。
俺達がこれから会いに行くのは、この国を治める当代の聖王である。
「あの、私、東雲春乃です。よろしくお願いします」
「え、ああ、北條冬夜だ。こちらこそよろしく」
馬車の中で自己紹介し合う俺と東雲春乃。
長い黒髪できれい系の顔立ちだが、その纏う雰囲気はどことなく可愛らしい。今時珍しい大和撫子の印象を受ける少女だ。
今は召喚されていた時に着ていた高校の制服であろうブレザーに、厚手の黒いカーディガンを羽織っている。
俺も今は学生服だ。おそらく彼女も下校中に召喚されてしまったのだろう。
同時にこの世界に召喚された俺達五人だが、実は混乱状態のまま説明を受け、その後は指導担当の神官がそれぞれに付いてギフトを目覚めさせる訓練を受けていた。
そのため互いの名前ぐらいしか知らず、まともに会話をしたのは今日が初めてだった。
今日まで最も長く会話をしたのは、西沢秋桜がギフトに目覚めた際に皆の前で能力を説明した時だろう。一方的に自慢話を聞かされただけで、会話とは言えなかったかも知れないが。
「この世界、名字で名乗るのは偉い人だけらしいですね。私の事は春乃と呼んでください」
「そうなのか? それじゃ、俺の事も冬夜で」
「はい、冬夜君」
「よろしく、春乃さん」
呼び捨てではなく君付けさん付けだが、そう親しい訳でもないのでこんな所だろう。
お互いに挨拶を済ませてしまうと、そこからは会話が続かず妙に気まずい。
元の世界の話題は意図的に避けているのだが、そうすると今度は話題そのものがなくなってしまうのだ。この十日間、神殿に籠もって訓練漬けだったので仕方あるまい。
春乃さんもちらちらとこちらを見ているが何も言ってこない。彼女の方も元の世界の話題は避けているのかも知れない。
先日、神官長さんにそれとなく聞いたのだが、俺達五人を元の世界に戻す手段は少なくともこの国には無いらしい。
と言うのもこの国では、召喚する研究はしても送り返す研究はしていなかった。
何せこれから会いに行く聖王の先祖、初代の聖王は――数百年前にこの世界に召喚され魔王を封印した、異世界の勇者張本人なのだ。
つまり召喚されてこの世界に残った者の子孫が治める国であるため、送り返す方法など研究する必要が無いと判断されているのである。
つまり、現在のところ元の世界に戻るための当ては全く無いと言う事だ。
里心を付けないためにも、元の世界の話題は避けた方が無難。俺がそう思っている様に、おそらく彼女も同じ様な事を思っているのだろう。
馬車が王城に到着すると、俺達二人は立派な礼服らしき服を着た中年男性に案内されて城の奥へと進んで行く。どうやらこのまま謁見の間まで連れて行かれるようだ。
謁見の間に到着する前に、俺は前を歩く男性に声を掛ける。
「あの、ちょっと良いですか?」
「なんでしょう?」
「聖王様への挨拶をどうすれば良いのか、基本的な礼儀作法を教えてもらえませんか?」
これから会う相手は王政の最高権力者だ。失礼があってはいけないので今の内に目の前に開く落とし穴を埋めておくのである。
男性が教えてくれた事によると、こちらの事情は聖王も分かっているので余程の事がない限り、いきなり処罰されると言う事はないそうだ。
謁見の間に入ると玉座まで赤絨毯が続いていて、玉座の手前に金糸で編まれた大きな刺繍があるので、その手前で跪けば良いそうだ。刺繍を踏まないのがポイントである。
ちなみに男性は片膝立ちで、女性は両膝を床に付けるのが礼儀であるらしい。
そんな話をしている内に謁見の間まで辿り着いた。扉が開けられ、まず案内の男性が謁見の間に入る。
「勇者トウヤ殿、および勇者ハルノ殿、聖王陛下に拝謁いたします!」
そう宣言すると男性はさっと脇に避けて道を開ける。
ここからは俺達の出番なのだろう。ふと隣の春乃さんを見ると彼女も俺の事を見ていた。二人で小さく頷き合うと、二人揃って謁見の間に入り聖王の前へと進んでいく。
そして刺繍の手前で二人が俺が片膝を立て、春乃さんが両膝を床に付けて跪くと、聖王は突然大笑いを始めた。
「ハッハッハッ! 跪き方、位置まで完璧か! そのやり方、誰に習った?」
その問いには俺が顔を伏せたまま答える。
「案内の方に尋ね、教えていただきました」
「なるほど、小器用な奴よ。では二人とも面を上げい!」
言われて顔を上げた俺は、そこで初めて聖王の顔を見る事が出来た。
黒髪で立派なカイゼル髭。年の頃は壮年、四十代辺りだろうか。
相手の強さが分かる様な鋭い感覚を持っている訳ではないが、それでも強そうだと感じさせる雰囲気を目の前の王は持っていた。
「まずは光の女神の招きに応じてくれた事に礼を言おう。大儀であった!」
「は、はい」
俺が慌てて頭を下げると、隣の春乃さんもそれに追随する。
「一月――残りは二十日程か。それが準備期間となる。聖王家から援助もしよう。旅立ちの準備を整えるが良い」
「わ、分かりました」
今度は春乃さんが返事をした。
「詳しい説明は担当の者にさせよう。堅苦しい話はここまでだ。では励むが良い」
聖王がそう宣言して短い謁見は終わり、俺達二人は謁見の間から退室した。
思っていたよりあっさりと終わったが、かなり緊張していたので短く済んだのは有難い話である。
隣を見ると春乃さんも頬に汗をかいていた。緊張の度合いは彼女も同程度だった様だ。
俺達が謁見の間から出ると二人の人物が待ち構えていた。
片方が見覚えがある。春乃さんの指導担当だった女神官だ。
「え? セーラさん、どうしてここに?」
「その、ハルノ様が心配だったので……」
その女神官はセーラと言う名前らしい。
神殿では遠目に見ていただけだが、こうして間近で見ていると思っていたよりも若い。年の頃は俺と大して変わらない様子だ。同い年か少し上ぐらいだろうか。
金色の軽くウェーブの掛かった長い髪で、ゆったりとした白い神官用のローブを身に着けている。なんとも真面目そうな雰囲気がある少女だ。
「春乃さんに詳しい説明をする担当はあなたですか?」
「え、あ、はい! 志願しました!」
俺が声を掛けるとセーラさんは少し慌てた様子で返事をした。
「となると、そちらが俺の?」
「はい、聖王家に執事として仕えている者です。この度はトウヤ様に説明と案内をする担当を仰せつかりました」
もう一人の人物、俺に詳しい説明をする担当は燕尾服を着た老紳士だった。口元にたくわえられた髭が印象に残る。
「な、なんか、随分偉い人の雰囲気があるんですが」
「昔から仕えているだけですよ」
そう言って執事さんは微笑む。正直信じられなかったが、これについてはツっこんだところでまともな返事は返って来ないだろう。
そこで俺は、別の事を聞いてみる事にした。
「何故あなたが俺の担当を?」
「長年お仕えしているキャリアを見込まれたと言ったところでしょうか」
聖王にそれだけ信頼されていると言う事だろうか。
「それでは早速参りましょうか。説明は道すがらにでも」
「……分かった、行こうか」
執事さんの提案を俺は受け容れた。
彼によると、まずは防具を買いに行くのが良いらしい。
まず身を守る事が大切だと言うのもあるが、物によってはサイズ調整に時間が掛かるため先に注文を済ませてしまうのだ。
「あ、あの……」
春乃さんが俺に声を掛けてきた。彼女の方を見ると、春乃さんとセーラさんの二人は縋る様な表情でこちらを見ていた。
二人揃ってもじもじしていて何か言いたげな様子だ。防具を買いに行くなら自分達もと言いたいのだろうか。
俺達五人は互いに競い合っている訳ではない。こうなれば旅は道連れである。俺は執事さんに二人も同行させられないかと提案してみる。
「執事さん、春乃さん達も一緒で良いか?」
「構いませんよ。それならば皆で乗れる馬車を用意いたしましょう」
すると執事さんはすぐに馬車を用意してきます。と言ってその場を離れた。
「冬夜君、ありがとうございます」
「助かりました。私、そう言うのには疎くて……」
春乃さん達がお礼を行ってくる。どうやら二人を誘ったのは正解だった様だ。
セーラさんの案内で城門まで行き、少し待っていると先程乗っていた馬車より少し大きめの馬車がやってくる。御者台に乗っているのは執事さんだ。
「それではセーラ殿。移動中、トウヤ様とハルノ様への説明をお願いします」
「お、お任せ下さい!」
セーラさん、春乃さん、俺の順番で並んで馬車に乗り込んで座る。
そして御者台の執事さんが鞭を振るい、王家御用達の防具職人の店に向けて馬を走らせた。
馬車の中で聞いた説明は長くなるので適当に要約しよう。
基本的な事は二十日後に勇者の旅立ちを祝うセレモニーが行われるので、それまでに旅の準備を整えておけと言う話だ。
やはりゲームの様な話だと言う感想は否めない。
ゲームと違う事は準備のために必要な物に関しては、後で支払ってくれるのでツケで買い物する事が出来ると言う事だろう。これは有難い話である。
俺達の召喚は聖王家と神殿が協力して行った事らしいが、聖王家は先祖が召喚された勇者なので、手を抜くつもりは無いのだろう。
どうせならば召喚される側の気持ちを考えて召喚自体を止めてくれれば良かったと思わなくもない。
だが、よくよく考えれば召喚された後この世界に残る事を決めた者の末裔でもあるのだ。召喚される事が悪い事と言う認識そのものが無いのかも知れない。
神官長から聞いた俺達を送り返す手段については研究すらされていないと言う話も、その辺りに理由があるとすれば理解出来なくもない。納得出来るかどうかは別問題だが。
俺自身、元の世界に未練が無いとは言わない。
しかし全てを投げ打ってでも絶対に帰りたいかと問われると、ちょっと首を傾げてしまう。
既に結婚しているとか恋人でもいれば話は別だったかも知れないが、残念ながら俺は彼女いない歴イコール年齢である。
あえて言うなれば家族や友人だが、結局のところ問題となるのは「全てを投げ打ってでも」の「全て」が何なのかと言う話だ。
それが何になるのかは俺がこれからこの世界で出会う人、出来事、それら全てから得られるものだ。
つまりは全てはこれからの話であり、天秤にかけて比べようにも何を乗せるかも分からない状態である。
とりあえず今は元の世界に戻る方法を探すと言う選択肢も、戻らないと言う選択肢もあると言う事だけ覚えていれば良いだろう。
セーラさんの説明を聞きながらそんな事を考えていると、馬車は防具職人の工房の前に辿り着いた。
馬車を降りてみると想像以上に立派な佇まいの工房である。王家御用達と言うステータスは伊達ではないと言う事だろうか。
中に入ってみると最初の部屋が客の応対をする場になっているらしく、いくつかの防具のサンプルが並び、カウンターの向こう側からは壁を越えて鎚を振るう音が聞こえてくる。
鍛冶職人と言う事で職人気質の無愛想な男に出迎えられるのではないかと思っていたが、カウンターにいたのはにこやかな営業スマイルの男で拍子抜けだ。
「……王家御用達って事は貴族とかも来たりするのか?」
「はい、ご贔屓にしていただいております」
男とのやり取りで俺は理解した。
この世界には王家以外の上流階級として貴族と言うものが存在している。
貴族相手に無愛想な態度を取れば失礼だ。そのためこの工房では応対専門のスタッフをこうして用意しているのだろう。
カウンターの男は手慣れた様子で愛想よくさくさくと話を進めていく。
「お話は伺っております。まずは採寸からしていきましょうか」
「あ、あの、女性スタッフはいらっしゃいますか?」
「もちろんです。少々お待ち下さい」
男はすぐに採寸のための女性スタッフを呼ぶ。その間に俺は隣に控えていた執事さんに声を掛けた。
「執事さん、この世界だと女性が武器とか持って戦うのはアリなのか?」
「有りですな。トウヤ様達が召喚された際にいらっしゃった王女殿下を覚えていらっしゃいますかな?」
「ああ、初日以降は会ってないけど」
「あの方は魔法使いですので武器を手に取ると言うのとは少し異なりますが、あの方も勇者コスモス様と共に戦う仲間として旅立つ事が決まっているそうです」
「コスモス?」
「最初にギフトに目覚められた方が、今はそう名乗っております」
そう言われて俺は思い出した。三日目にギフトに目覚めた西沢秋桜、『無限弾丸』の能力の持ち主だ。
王城に行ってから何をしているのか聞いていなかったが、いつの間にか「コスモス」と名乗る様になり、王女を仲間にしていたらしい。
「他の二人については何か聞いてるか?」
「皆既に武具の注文は済ませているでしょうから、今は共に旅立つ仲間を探しているのではないでしょうか」
「仲間か。詳しい話は後で聞かせてもらうよ」
「ああ、リツ様は王子を仲間に誘おうとして断られたと言う話が」
「何やってんだ、あの人は……」
それについて詳しく話を聞いてみると、もう一人の召喚された女性・中花律が仲間にと誘ったのはこの国の王子、しかも嫡男だったそうだ。
王女がコスモスの仲間になれたのは兄であるその王子がいたおかげ。常識的に考えて王の継承者である王子が旅立てるはずがない。
「もう一人の神南夏輝については?」
「そちらについては、特に目立った話は聞いておりません」
「そうか」
他の召喚者に関する話題はそこで一旦途切れる。
その後の買い物で、身を守るためにガチガチに防具を固めたいと考えていた俺は、店員が薦める「ブリガンダイン」と言う鎧を注文する事にした。
二枚の革の間に小さな鉄片を何枚も挟み込んで作られた、柔軟性と防御力を兼ね揃えた優れた防具らしい。
更に腕を守るヴァンブレイス、手首を守るガントレット、そして足を守るグリーブも揃えて注文する。
全て鋼鉄製で重さが心配だったが、実際にサンプルを身に着けて試してみたところ、流石に軽々とは行かないが意外と動き回る事が出来た。
神官長さんの言っていた加護の力による身体能力のサポートと言うのは、こう言う事なのかも知れない。
更に俺は大きめのラウンドシールドと、兜は視界が制限されるのは怖いと感じたので視界が開けているオープンヘルムも合わせて注文する。
全て装備すればかなり重装備だが、命の重さに比べれば軽いものだろう。
「春乃さんの方はどう?」
「私は、そこまで重い物は……」
彼女の方は流石に俺ほど重い装備は持てないらしく、胴鎧は革を煮詰めて固めた肩まで守れるハードレザーアーマーを注文していた。
それも決して軽い物ではないのだろうが、春乃さんは特に気にした様子は無かった。
やはり加護の力のおかげなのだろう。当初は重い防具を身に着けて旅をするなんてとも思っていたが、それはこの世界では通用しない考えの様だ。
胴鎧だけでは不安なのか春乃さんは更にガントレットとグリーブも揃えて注文した。盾は俺のラウンドシールドと同じく円形だが少し小さめのバックラーだ。
隣で見ていたセーラさんがそれだけではあまりにも無骨だと頭は装飾性が高く額を守る事が出来るサークレットを勧め、春乃さんも気に入って最後にそれを注文していた。
「それじゃ私は……」
次に何故かセーラさんが自分用の防具を選び始めた。
「え? セーラさんも買うの?」
「はい、私もハルノ様に付いて行きます!」
「えっ……?」
春乃さんが問い掛けると、セーラさんは突然春乃さんの仲間になると宣言する。
「……ダメですか?」
「え、ううん、そんな事ないよ! ありがとう、セーラさん!」
春乃さんが戸惑いの表情を見せたので不安になったのか、セーラさんはおずおずと問い掛けた。
すると春乃さんは慌てて否定し、セーラさんの仲間入りを歓迎する。
無理矢理言わされた感は無い。本当に歓迎している様子だ。
ギフトを目覚めさせるために昨日まで共に苦労してきた二人なので、それなりに信頼関係が出来上がっているのだろう。
手を取り合って喜ぶ二人の姿は指導担当者とその指導を受ける者と言うよりも、同じ年頃の仲の良い友人同士の様な雰囲気を醸し出していた。
結局セーラさんは春乃さんと同じ様な防具を注文した。特にサークレットは春乃さんとお揃いの物だ。
胴鎧だけは神官としてのローブとの兼ね合いで身に着ける事が出来ず、肩当てが無い胸当てタイプのハードレザーアーマーになっている。
こうして旅立ちの準備の第一歩、防具の注文は無事に終わった。
俺達のサイズに合わせて作るので時間が掛かるらしいが、聖王の命令で俺達の分は最優先で作業をし、一週間で作ってくれるらしい。
終わってみると店員の対応が良かった事もあり実にスムーズな買い物であった。流石は王家御用達と言ったところか。
この店の買い物で特筆すべき事があるとすれば、それは二つだ。
それは――ゆったりとしたローブを身に着けたセーラさんは、意外と着やせするタイプであると言う事。
そしてもう一つは厚手のカーディガンを羽織っていた春乃さんの方もそれに負けていなかったと言う事である。