第1話 『無限バスルーム』
いつまでも風呂の中でぼやいていられないので俺は風呂から上がり、元の服を着て『無限バスルーム』を出た。
久しぶりにさっぱり出来たが、服が元のままと言うのがマイナスだ。どうせならば洗面所もセットにして洗濯機が欲しいところである。
俺が外に出てみると元の神殿の一室だったが、そこにいるはずのギフトに目覚めさせるために指導していた神官の姿がなかった。
振り返ってみると虚空に開いた扉が浮かんでいて、扉の向こうにバスルームがある。
扉の後ろに回り込むと、扉そのものが見えなくなってしまった。一歩ずつ動いて確認してみたところ、ある角度から見えなくなるようだ。
そして扉を閉めると扉そのものが消える。
更に念じると再び俺の前に扉が現れ。開くとバスルームに繋がっているのだ。
何度か開け閉めをして確認してみたところ、どこで扉を閉めても再び開いた時は、「俺の目の前」に扉が現れる事が分かった。
そうこうしていると俺を指導していた神官と神官長が部屋に飛び込んで来た。
涙目で狼狽える神官は話が通じないため神官長に話を聞いて見ると、俺が扉の向こうに消えていなくなってしまったため、探し回っていたらしい。
どうやら俺がバスルームに入って扉を閉めると、扉が消えて外から干渉する事が出来なくなってしまうようだ。
その後、捜索に協力してくれていた者達には初めてのギフトの使用に失敗したと説明した。嘘ではない。事前に説明せずに心配を掛けてしまったのは明らかな失敗である。
俺は指導の神官と共に神官長室に向かい、そこで目覚めたギフトについて指導の神官と神官長の二人に説明する。
ギフトに目覚めた事はすぐに王城に報されるが、もう少しギフトについて調べたいので、向こうに招かれるのは数日待ってもらう事にした。
指導の神官だけではなく神官長にも協力してもらい、二日掛けて調べたところ以下の事が判明した。
まず、この『無限バスルーム』は俺しか使えない、俺専用の能力である。
例えば俺が扉を開き、神官長がバスルームに入って扉を閉めようとしても扉は閉まらない。俺が外に出た時、中に別の生き物が入っていると扉を閉める事が出来ないようだ。
また、この状態では風呂を使用する事も出来なかった。
逆に俺がバスルームの中にいれば、神官長が一緒に入っていても扉を閉める事が出来る。
つまり、俺と一緒ならば他の者も一緒に入浴出来ると言う事だ。
試しに入ってみたところ、老人の神官長にも中年の指導担当神官にも好評だった。
広い銭湯などならばともかく狭い家庭用のユニットバスなので、俺としては嬉しくない経験であったが。
次に備品についてだが、俺は使用して減っていた石鹸が、再びバスルームに入ると開封直後の完全な状態に戻っている事に気付いた。
と言う訳で試しに石鹸をひとつ持ち出し、一度閉じた扉を再び開いてみる事にした。
するといきなり身体から何かを抜き取られる様な感覚と共に扉が開き、中にはまた新品の状態の石鹸の姿があった。持ち出した石鹸もそのまま残っている。
この抜き取られる様な感覚と言うのは、魔法の力――MPを消費した感覚だったらしい。
つまり『無限バスルーム』の中にある物は、全て俺のMPで作られていると言う事だ。
俺のMPが尽きない限りは無限に入浴出来る。それが二日掛けて調べた事で判明した俺のギフトの能力であった。
「……これでどうやって戦えって言うんですか」
ギフトについて一通り調べ終えた俺は、神官長さんの部屋で彼を相手にぼやいていた。
この二日間一緒に苦労したおかげか、一緒に風呂に入ったおかげか、彼とは年が離れているがそれなりに気の置けない関係を築けている。
「いや、この世界における人の強さと言うのは加護の強さだ。光の女神に祝福されている君ならば、ギフトが無くとも我々よりも強くなれる可能性を秘めている」
「いやいやいや、明らかに『無限弾丸』に比べて弱いでしょ。俺のはあると便利系の能力じゃないか、明らかに」
俺の反論に神官長さんは唸る。俺の『無限バスルーム』は戦闘に使える物ではない。これは紛れもない事実なので言い返しようが無いのだろう。
「必殺技が無いに等しいだろ、これは。『必殺・風呂入る』って何だよそれ」
「我々の魔法でも再現出来ないと言う意味では、非常に高度な物である事は確かだよ。実際、『無限バスルーム』で生み出される石鹸は我々の技術では再現出来ない物ばかりだ」
「なんて無駄なハイレベル……」
俺のMP製の石鹸は、泡立ちからして違う。
と褒められてもこの場合は嬉しくも何ともない。
「一昨日教えた手作り石鹸の作り方は?」
一時期流行っていた手作り石鹸の作り方を俺は知っていた。
苛性ソーダ、すなわち水酸化ナトリウムとオイル。それに精製水。更には石鹸の種類によって更に牛乳などの材料を混ぜて作る方法だ。
「昨日確認してみたが無理だと言う結論が出た」
「何で?」
「そもそも『カセイソーダ』と言うのを手に入れる術が無い。精製水と言うのも我々の技術では手間が掛かりすぎる」
「あー……」
ちなみにこの世界の石鹸は、木や海藻の灰とオイルを混ぜて作る物らしい。それでも普通に石鹸は作れるのだが、やはり俺の石鹸と比べると遠く及ばないのだ。
百パーセント天然由来と言うか俺のMP由来の完全無添加石鹸。肌にも環境にも優しい正にパーフェクトな石鹸だ。
すごいぞ『無限バスルーム』、でも戦闘の役には立たないぞ『無限バスルーム』。
「と、とにかくだな。君が加護の力を更に高めれば我々より強くなれる素質がある事は確かなのだよ。光の女神の祝福を授かっているのだからな」
俺が自棄になってきた事に気付いたのか、神官長さんは強引に話題を変えてきた。
俺の方もこのまま続けても落ち込むだけなので、彼の話に合わせる事にする。
「どう言う事です?」
「我々が使用する魔法の根源も加護の力なのだが、魔法を使ったり、倒した相手の冥福を祈る事で相手の加護の一部を自分の物にしたり出来るのだ」
「そうする事で強くなれると?」
「うむ、レベルが上がる」
「レベル制かよ」
突然ゲームっぽい言葉が出て来てしまい、俺が呆れた様な表情になってしまった。
しかし、この反応は神官長さんも前の三人で慣れていたらしくもう少し詳しく説明してくれる。
魔法の力を「MP」と呼ぶ様に、この世界には人の強さを表す言葉として「レベル」と「ステータス」と言うものがあった。
「レベル」と言うのはその人の持つ加護の強さを表しているらしい。
ステータスを表す言葉は「MP」以外に体力と生命力を現す「HP」、肉体的な強靱さを表す「VIT」の身体の性能そのものを表す三つ。
それ以外に活動する能力として筋力を表す「STR」、精神の強さを表す「MEN」、そして器用さ、機敏さを表す「TEC」の合計六つのステータスがある。
ちなみに頭の良さを表すステータスは無い。
頭の良さと言うのは知識や思考能力など様々なものが関わってくるものであるため、ステータスで表せるものではないそうだ。
「レベルと言うのは何となく分かった。でもなんで身体能力を数値化出来るんだ?」
「細かい数字で出てくる訳ではないぞ」
疑問に思った俺が神官長さんに尋ねてみると、彼は懐から一枚のカードを取り出して俺に見せてくれた。
一般的なプリペイドカードよりも一回り大きい紫色の金属で作られた不思議な光沢を放つカードだ。この世界の技術の限界なのか、厚みもそれなりにある。
裏面に描かれているのは、この世界に召喚されてから毎日の様に見るこの神殿のシンボルマークだ。
表面には右側に神官長さんの顔写真――もちろん、魔法で描かれたものだろう。その下に彼の名前と「Lv.28」の文字。
召喚された際にこの世界の言語は理解出来る様になっていたので、カードに書かれている文字も読む事が出来る。
「このレベル28って言うのは高いのか?」
「一般人ならば30が限界だと言われておる。20を超えれば一流じゃな」
つまり、神官長さんは一般人の中ではかなり高い方だと言う事だ。
ちなみに人間の限界はレベル50だと言われているらしい。
そして左側には円の中に描かれたステータスを表すレーダーチャートグラフがあった。
それ以外の部分は細かな装飾が施されている、見た目にも豪華なカードだ。
これを見ると分かる。ステータスと言っても数字で出てくる訳ではない。強弱を表すのはグラフが描く図形の大きさだ。
神官長さんはMPとMENが高い事をグラフの形が表している。
「君達もギフトに目覚めたら、王城に招かれる前にこのカードを作る事になっていてね。せっかくだからここでやってしまおうか。それが一番分かりやすい」
そう言うと神官長さんは棚から丸い石板を取り出してテーブルの前に置いた。厚みがあって重そうだったが、彼は軽々とそれを持ち運んでいる。
「ここで出来るのか?」
「このカードを作るのは神殿の役目だよ。神殿以外では作る事が出来ない」
神官長さんは石版の中央に先程見せてもらったカードと同じサイズの白いカードを置くと、石版の上に両手を置く様に言ってきた。
俺が言う通りに両手を置くと、神官長さんは何やら呪文を唱える。
すると石版が一瞬強い光を放ち、それが収まると中央にあったカードがいつの間にか明るい緑色の金属に変わっていた。
「あれ? 緑だぞ?」
「レベルによって色が異なるのだ。緑、青、紫、赤、オレンジ、そして人間の限界を超えたレベル50以上になると金色になると言われている」
「見た事は?」
「無いな」
俺がカードを手に取って見ると、顔写真の部分は空白になっていて、その下にこの世界の文字で書かれた俺の名前、更にその下には「Lv.5」と書かれていた。
「最初はこんなものなのか?」
「いや、高い方だな。この二日間、ギフトの能力について調べるために何度も使っていたからだろう」
「ああ、魔法を使うと加護が強くなるって言うあれか」
先程聞いたばかりの話を思い出して言うと、神官長さんはこくりと頷いた。
「ああ。先日王城に招かれた三人も、リツがレベル2だったが、他の二人は1のままだった」
「へぇ、二日掛けて調べたのも無駄じゃなかったって事か」
「それはともかく、私のカードと君のカード。ステータスを比べてみるといい」
神官長さんのパープルのカードと、俺のグリーンのカード。並べて比べてみると、当然だが神官長さんのカードの方が遥かに描く図形が大きい。
俺のステータスはMEN、次いでVITが少し高めと言ったところだ。その図形の面積は神官長さんの半分以下だった。
「私はこの通り、年を取って身体も衰えてきている。だが、それでも君と素手で殴り合っても勝つ事が出来るだろう」
ステータスカードを信用するならば、そう言う事になる。
しかし俺は訝しげに首を傾げた。目の前にいる老人の神官長さんにそこまでの力があるとは思えなかったのだ。
「信じられんだろう? 実際、肉体の力だけなら私は若者には勝てんよ」
「肉体以外の力があれば勝てる。このカードのステータスになるって事か?」
「そうだ、それこそが加護の力だ」
その言葉を聞いて、俺は改めてステータスカードに描かれた図形を見た。そして理解した。カードに描かれているのは加護の力を合わせたステータスを表したものなのだ。
神の加護が関わっているからこそ神殿ではステータスを測り、ステータスカードに描く事が出来るのである。
「単に身体を鍛えるにも、加護の力を借りた方が効率が良いと言われている。そして君達は光の女神の祝福、この世界で最も尊い加護を授かっているのだ」
「この世界の人間より強くなる可能性があるって言うのは、そう言う事なのか……」
俺がそう呟くと、神官長さんはこくりと頷いて肯定した。
「この世界は魔王の脅威に晒され、モンスターは日々凶悪になってきている。ただ生きるだけでも強さが必要な世界なのだ」
神妙な面持ちで語る神官長さん。
魔王の影響で狂暴化するモンスター、俺にとってはゲーム等でよくある話である。
「一ヶ月後には旅立たなければならない君達には必要な事だろう……がんばりなさい」
だが俺はこの九日間で、その話を以前ほど軽い気持ちで聞く事が出来なくなっていた。
本当にギフトに目覚めてしまったと言う事は、魔王を倒すために旅立たされるのも本当だと言う事だ。
正直なところ『無限バスルーム』に目覚めた俺は、魔王との戦いは他の連中に任せれば良いと考えていた。
どう考えてもこれは魔王と戦う勇者の能力ではない。
おそらく神官長さんも俺の気持ちを察しているのではないだろうか。だから「ただ生きるだけでも」と言っているのだと思われる。
この世界に旅立つ以上、モンスターと戦い、この世界で生きていかなければならない。それは紛れもない事実だ。
そのためにはどうやって強くなれば良いのか。神官長さんの話してくれた加護とステータスの関係は、確かにためになる話だった。
「そのカードは君の物だ。持って行きなさい。それはこの世界では最も信頼出来る身分証明証でもある」
俺は緑のカードを取り懐にしまい込んだ。神官長さんも自分のカードを取る。
「顔の部分は?」
「それは別の魔法で転写するんだ。今から案内しよう」
そう言って神官長さんは椅子からゆっくりと立ち上がった。
顔写真専門の神官の所に向かう道すがら、俺はひとつ気になっていた事を尋ねてみる。
「……十日で俺達をギフトに目覚めさせるって言ってたよな?」
「ああ、明日で十日だな」
「あと一人の子、このまま目覚めなかったらどうなるんだ?」
「…………」
神官長さんはピタリと足を止め、廊下の窓から中庭に目を向けた。そこには長い黒髪の少女と女神官がいる。
少女は召喚された最後の一人、東雲春乃だ。俺より一歳年下の十六歳、高校一年生らしい。
今はギフトを目覚めさせるための訓練ではなく、木剣を手に身体を鍛えようとしているようだ。女神官も一緒になって剣の素振りをしている。
「あれ、ギフトを目覚めさせるのに意味はあるのか?」
「身体を鍛えるのにも加護の力を借りる事が出来る。全く無意味と言う訳でもないな」
「なるほど……」
ギフトに目覚めないまま既に九日。指導担当の女神官としては、試せるものは全て試したいのかも知れない。
「明日になってもギフトに目覚めなかったら……実戦の中で目覚めてもらう事になるだろう」
「それって……」
ギフトに目覚めないまま神殿を出て、王城に招かれると言う事だ。
「無論そうなっても、一ヶ月の準備期間の間に目覚められる様に努力を続けさせるよ」
「……そうか」
『無限バスルーム』なんて力に目覚めてしまった俺も大変だが、未だに目覚めない彼女も大変な立場だ。
せめて今日明日の間に目覚めてくれればと思うが、こればかりは本人の問題なので手伝う事も出来ない。
カードに顔写真を入れてもらうために神官長さんと共にその場を離れたが、その後も俺は彼女がギフトに目覚められる様にと祈っていた。
結局彼女がギフトに目覚めたのは、その日の晩の事だった。
そして翌日、俺と東雲春乃の二人は、同じ馬車に乗って王城に招かれる事になるのである。