第15話 トラノオ族の集落
トラノオ族の集落に到着したのは日が暮れてからの事だった。
真っ先に到着したのは俺を背負ったドクトラ。いつの間にか前を走っていた三人を追い抜いてしまっていた。
ルリトラと違って俺のレイバーと言う訳ではないのでここに到着するまでに一度さん付けで呼んでみたが、呼び捨てで良いと言われている。
「思いっ切りしがみ付いてたけど、首絞まらなかったか?」
「ん? 俺の首を絞めるならもっと力を付けてこい!」
必死にしがみ付いていたのだが、ドクトラにとっては大した事はなかったらしい。
俺の方はと言うと長時間振り落とされない様に力を込めていたので腕がパンパンだ。
出来る事ならば早く休みたいが、その前にやらねばならない事がある。
「そう言えばドクトラ。水が無くなり掛けてるって話だったが、どこに保管してるんだ?」
「ああ、ルリトラのヤツが自分を売った金で買った水なら、水瓶に入れて皆の家にあるぞ」
そう言って俺を背負ったままのドクトラが指差した先には、真っ白な布で出来た大きなテントが幾つもあった。
この集落では、皆テントで生活しているらしい。定期的に住む場所を変えると言う話だったので、家は建ててもあまり意味が無いのだろう。
「それじゃ、その水瓶から一杯にして行くか。ドクトラ、水瓶を集めてくれないか」
「そう言えば水を出せるって話だったな……分かった」
「あ、その前に俺を下ろしてくれ。腕が動かん」
「ちょっと待ってろ」
ドクトラは俺を下ろして岩にもたれ掛からせると、テントの方へと走って行った。
残された俺は腕の痛みに耐えながら荒野・砂漠用の野暮ったい外套を脱ぎ捨てる。
そこでルリトラと他の九人の戦士達が到着し、ルリトラが人力車を曳いて俺の所に来た。ナイスタイミングである。
「申し訳ありません。遅れてしまいました」
「いや、丁度良いタイミングだ。ドクトラに水瓶を集めてもらってるから、外套を片付けておいてくれ。俺は水を出す準備をする」
「今からですか? 休息を取られてからの方が……」
ルリトラが俺を心配してくれるのは分かるが、今一番心配しなければならないのは水が無いリザードマン達だ。
「は? なんでだよ? 水、底突きかけてるんだろ? 多分、今もろくに飲んでないぞ」
「あ、ありがとうございます!」
深々と頭を下げるルリトラを横目に、俺は『無限バスルーム』の扉を開けて中に入ると蛇口にホースをセットした。
ハッキリ言って腕が痛い。と言うか全身が痛い。
だが、サンド・リザードマンはこの『無限バスルーム』の中を嫌がるので、こればかりは俺がやるしかなかった。
辺りは既に真っ暗だが『無限バスルーム』の中から漏れる灯りのおかげで視界には困らない。改めて火を付けたり光の精霊を召喚する必要はないだろう。
「ほい、ホース。来たらこの先を瓶に入れてくれ。水出すから」
「分かりました」
ホースの先端をルリトラに渡し、俺は浴槽を背もたれにして座り込む。
神官長さんからもらった魔法の本には回復魔法も載っていたはずだ。基礎の精霊召喚以外は覚える順番などは無いそうなので、まずはその魔法から勉強するべきだろうか。
しばらく待っていると、水瓶を持ったリザードマンがやってきた。男か女か、年寄りなのか若いのか、俺には外見から判断する事は出来ない。
小さなリザードマンも連れているので、そちらはおそらく子供だろう。そこだけは外見から推測出来る。
「……ルリトラ、問題が起きる前に聞いておくんだが」
「なんでしょう?」
「俺でもリザードマンの性別とか年齢とか判別する方法ってあるのか?」
「ああ、なるほど。人間と違って髪も乳房も皺もありませんからね、我々は」
ちなみに今近付いて来ているリザードマンは若い子持ちの女性らしい。その後ろを付いて来ている小さなリザードマンが子供だ。
しかし、身に着けているのはルリトラ達と同じ腰から下を覆う前掛けのみだ。おっぱいも無い、と言うかそもそもほ乳類ではないのだろう。彼等は。
「……俺がフォローするしか無いでしょうな」
「そうか、頼む」
残念ながら俺では判別する事は不可能の様だ。
「あ、あの、ルリトラ様。ドクトラ様から水をいただけると聞いたのですが……」
恐る恐る声を掛けてくるリザードマン。何も無い所に浮かぶ扉と、その向こうの『無限バスルーム』に戸惑っている様だ。
「ああ、こちらの『女神の勇者』トウヤ様がギフトの力で水を出してくださる。それと、今の私は戦士長ではなくトウヤ様のレイバーだ」
「えっ、あ、申し訳ありません」
ドクトラからも話を聞いていたが、ルリトラは元々トラノオ族の戦士長だった。彼女はその時の感覚で話し掛けてしまったのだろう。
慌てて子持ちの女性リザードマンは頭を下げる。彼等にも色々と事情があるらしい。
「ルリトラ、ホースの先端を水瓶に。いや、先に子供の持っているカップに水を入れてやれ」
水の蛇口を捻りながらそう言うと、ルリトラは子供からカップを受け取って水をなみなみと注ぎ、続けてホースの先端を地面に置いた水瓶の中に入れた。
水に満たされたカップを受け取った子供リザードマンはどうすれば良いか分からず俺と母親の顔を交互に見ている。
「飲んでいいんだぞ、まだ余裕はあるから」
俺がそう言い、母親が俺の方に頭を下げてから子供の頭を撫でると、子供は目と口を大きく開き、カップを呷って水を飲んだ。
リザードマンの表情はまだ分かりにくいが、きっと今の顔が「嬉しい」と言う表情だったのだろう。
「おいしい~!」
「良かったわね。トウヤ様、本当にありがとうございました」
「いいのいいの、そう言うギフトだから」
何度も何度も頭を下げられるとかえって恐縮してしまう。俺は話題を変えようとルリトラに声を掛けた。
「ルリトラ、その水瓶って神殿で使ってた樽の何分の一ぐらいだと思う?」
「そうですね、おそらく半分程度かと。む、そろそろ水瓶が一杯になります」
「おっと、それなら十五はいけるかな」
蛇口を捻って水を止めながら俺は言う。
自分の最大MP量、そして水や石鹸を出すのに使用するMP量は、この一ヶ月で直感的に分かる様になっていた。
『無限バスルーム』の能力は身体を休めるためのものだからか、それともギフトだからかは分からないが、MPさえ残っていれば肉体的な負担も無く使用出来る。
一方で魔法は、疲れている状態で光の精霊を召喚すると肉体的にも負担を感じるのだ。
ギフトと魔法は超常的な現象を起こすと言う点では似ているが、全く同じ物ではないらしい。
それはともかく今の俺のMPなら、神殿で使っていた樽ならば十は行けるだろう。
そう考えると半分程度の水瓶も二十は行ける事になるが、あえて十五と言ったのは明日の事を考えて力を温存しておくためである。
MPはギリギリまで使ってしまうと、回復に時間が掛かるのだ。負担にならない程度で済ませて一晩休んでから同じ様に水を出した方が、トータルでは出せる水の量が多くなるのだ。
こう言う感覚的な部分は、この一ヶ月の訓練で身に付けたものだった。
「この集落には、どれぐらい水瓶があるんだ?」
「水商人が持ってきた十四個のみです。私達は使っていなかったものですので」
俺が問い掛けると、母親のリザードマンが答えてくれた。
「俺を売っても水瓶十四個分の水にしかならなかったのか……」
「ここまで運ぶ輸送費もあったんだろ」
山までならともかく、『空白地帯』の荒野に入るのは、水商人達にはキツかったのではないだろうか。もたもたしていると水も蒸発してしまいそうだ。
話を聞いてみると、リザードマン達は少ない水をやりくりしながら生活をしていたらしい。
それでも水が底を突きかけていて、本当に危険な状態だったそうだ。子供リザードマンが喉を渇かせているはずである。
「大急ぎで来て良かったな、これは。十四個なら何とかなるだろう」
「ええ、数日遅れていたら……」
そう言ってルリトラは子供の顔を見た。
あと一日二日遅れていれば、子供の様な体力の無い者から死人が出ていたかも知れない。車酔いに苦しみながらもルリトラの全力疾走で来た甲斐があったと言うものである。
「とにかく、十四個の水瓶は全部一杯にしよう。明日からはため池の方に水を出すぞ」
「朝は狩りで、昼からでしたな」
「狩りは明後日から」
「……大丈夫ですか?」
「正直、あんまり大丈夫じゃない」
痛む腕で自分の腕をマッサージしながらそんな会話をしていると、続々と水瓶を持ったリザードマン達が集まって来た。
分かり切っていた事だが、皆リザードマンである。亜人のいない世界で生まれ育った俺にとっては圧倒されてしまう光景だ。
ここまでルリトラと過ごしてきた経験のおかげか、怖いと感じる事は無かったが。
並べた水瓶にホースから注ぐと、リザードマン達からわっと歓声が上がる。水が出てくる事もそうなのだが、水のきれいさに驚いている様だ。
彼等が使う水は基本的にため池の水なので、ここまで綺麗なものではないのだろう。
水を出しながら戻って来たドクトラに色々と話を聞いてみる事にした。やはり湯気を嫌がるので少し距離があるが、十分声が届く距離である。
彼の話によると現在トラノオ族の集落には百人ほどのリザードマンが住んでいるそうだ。
元々はもう少し多かったのだが、ため池を壊したモンスター『サンドウォーム』との戦いでそこまで減ってしまったらしい。
サンドウォームと言うのはその名の通り本来は砂漠に棲む巨大なミミズの様なモンスターで、荒野まで現れる事はほとんど無いそうだ。
地面に穴を掘ったため池をどうやって壊したのか疑問だったが、何て事はない。地面の下から壊されてしまっていた。
ため池の側面に穴が空いてしまったためそこから水が流れ出てしまい、残った水では次の雨季まで保たなくなったそうだ。
そのためルリトラが水を買うために自分をレイバーとして売ったと言うのが、俺の知る流れである。
「サンドウォームとの戦いで多くの戦士が死んだ。部族を守るためには若者を戦士として育てねばならんのにルリトラもいなくなって、正直どうしようかと思っていた」
そう言ってドクトラは自分の頭をぺたぺたと叩く。
ルリトラがいなくなった後、次に強い戦士として戦士長の座を継いだと言う話だが、このトラノオ族の取り巻く状況の悪さに困り果てている様だ。
「あの時、ドクトラと一緒に来た他の九人は?」
「ああ、あれは生き残りの戦士だ」
サンドウォーム戦以前から生きている戦士は、ドクトラを含めたあの十人だけらしい。
「若者を戦士として育てるのには時間が掛かるのか?」
「時間は掛からん。一人で狩りが出来れば良いのだからな。だが……」
「だが?」
「本来ならば、まだ狩りなどさせられんひよっこ共だ。それでも、あいつらを戦士にしなければトラノオ族は集落を移動させる事もままならん」
そう言ってしゃがみ込み、頭をかくドクトラ。その動きに合わせて戦士長の証である頭の羽根飾りが揺れる。
その話を聞いて、俺はおおよその状況を理解する事が出来た。
トラノオ族は、ため池を壊したサンドウォームとの戦いで、部族を守る戦士の多くを失ってしまったらしい。相当強力なモンスターだったのだろう。
モンスターを狩って生活し、また定期的に集落の場所を移動させるためにモンスターが現れる荒野を旅する彼等にとって戦士の補充は急務。
しかしトラノオ族に残っている戦士候補達はまだ若く、本来ならば狩りなどさせられない年齢の者達ばかりなのだ。
「実戦を経験すればいっぱしの戦士になってくれるだろう。だが、ひよっこ共に狩りをさせるのは危険が伴う。ただでさえ数を減らしたトラノオ族が更に減ってしまうのは……」
今度は天を仰ぐドクトラ。天にも祈りたいと言うのは、正にこの状況の事を指すのだろう。
見かねた俺は、素人なりに考えて助言してみる事にした。
「狩りの前に訓練させるのはどうだ?」
「訓練はずっとさせている。しかし、実戦経験が有るかどうかと言うのは大きくてな」
実戦経験がゼロに等しい俺には耳の痛い話だ。
「集団で狩りをすると言うのは駄目なのか?」
「それだと一人一人が戦士としてしっかり成長出来んだろう」
若い未熟なリザードマンにも安全に実戦を経験させるにはそれしか無いと思うのだが、ドクトラはお気に召さないらしい。
「この辺のモンスターって群とかじゃないのか?」
「群に手を出せば戦争じゃないか。狩りで狙うのは三匹ぐらいまでだ」
その言葉を聞いて俺は納得した。
おそらくドクトラ――と言うかトラノオ族にとっての狩りは、一人の戦士としてモンスターと相対し、勝利するものなのだ。
そのため少数を集団で狩った場合、ほとんど何もせずに狩りを終える者も現れる。すなわち戦士としての経験にムラが出ると考えているのだろう。
一人一人が部族を守る戦士としてしっかり成長して欲しいドクトラとしては、それは避けたいのだ。
「あ~、それならさ。部隊を作ると言うのはどうだ?」
「部隊?」
「俺も詳しくは知らないんだけど、この世界の人間の軍は四人で一つの部隊になるらしい」
四人一組で一つの部隊になり、それが集まったのが軍団となる。仲間を探していた頃に小耳に挟んだ話だ。
「軍の部隊がどうやって戦ってるかは知らないけど、ここの場合ベテラン戦士が十人は残ってるんだろ? その人達が三人ずつ連れて指導しながら狩りをさせると言うのはどうだ?」
少人数、しかもベテランが後ろからコントロールしていれば、いざと言う時にはフォロー出来るし、経験も偏らないのではないかと言う考えだ。
一人で狩りをさせるよりも安全で、集団で狩りをするよりも経験になる。
俺自身もルリトラに護衛と指導を頼むつもりだったので、その方法をリザードマン向けにして提案してみた。
ドクトラとしては本当は一対一の方が良いのだろうが、そこは人数の問題である。
「うぅむ、今までに無いやり方だが……」
唸るドクトラ。俺としては、正直大した事を言ったつもりはないのだが、彼等トラノオ族にとっては未知の領域であるようだ。
彼等サンド・リザードマンは過酷な環境で生きていくために強靱な肉体をしていると言う。砂漠のモンスターはともかく、荒野のモンスターであれば一対一でも負けないらしい。
そう言う強者寄りの立場だったからこそ一人で強くならなければならないと、モンスターに比べて脆弱な肉体しか持たない人間の様な発想に辿り着けなかったのかも知れない。
「それを言ったら、今の状況が『今までに無い』だろ? それに、経験積んだら一人でも狩りをする様になれば良い訳だし」
「……それもそうか。狩りに出る前の訓練の一環だと思えば……よし、長老に話してみよう」
俺の言葉でドクトラは納得してくれた様だ。
両極端ではないバランス案。俺はトラノオ族の事情を全て知っている訳ではないが、話を聞く範囲ではこれがベストでなくともベターな案だと思う。
ドクトラは早速立ち上がり、少し離れた所でこちらを窺っているリザードマンの集団の方へと歩いて行った。
十四の水瓶全ての水を入れ終わると、時間は既に夜の十一時を過ぎていた。この世界の基準で考えると、結構夜更かししている事になる時間だ。
水瓶を持ったリザードマン達がそれぞれ家に帰って行くと、入れ替わる様にしてドクトラと一緒に彼よりも立派な羽根飾りを被ったリザードマンが近付いて来た。
ルリトラ曰く、リザードマンは年を取るごとにウロコが分厚くなって行くらしい。意識して顔を見てみると、確かにルリトラ達に比べて顔がごつごつしている気がする。
羽根飾りの立派さから見て、彼が先程ドクトラが言っていた長老なのだろう。
「こ、これは長老……」
ルリトラの漏らした言葉で確信が持てた。俺は跪くべきかと思ったが、それより先にドクトラ達の方が俺の前に片膝を突いて跪いてしまう。
「『女神の勇者』トウヤ殿。この度は我等トラノオ族を救うために駆け付けてくださり感謝のしようがありませぬ」
「部隊を作って狩りの訓練をする話も許可が降りた。早速明日から始める事になるだろう」
「トラノオ族のために知恵を絞ってくださったそうで、そちらについても感謝いたします」
深々と頭を下げる長老とドクトラ。神殿にいた頃もこう言う対応をされる事は多々あったので、そろそろ慣れて来た感がある。
少なくとも戸惑うと言う事は無くなってきた感じだ。
「ルリトラから話を聞いて、俺のギフトで助けられると思ったんでな。部隊の話も、俺も訓練するつもりだったからついでだよ」
「訓練、ですか?」
「MPの関係で一日中水を出しっ放しって訳にもいかなくてな。実戦経験を積む訓練も並行してやって行こうと思っている。その間、この集落に滞在させて欲しい」
「それはもちろんでございます。お休みの間は我々の方でお守りいたしましょう」
「ああ、よろしく頼む」
結局のところは、がめつくならない程度に適度に代価を要求した方が話もスムーズに進む。神殿で水商人と取り引きした時の経験が役に立った。
その際にギフトの能力はあまり安売りしない方が良い事を学んだが、今回の場合は人助けなので特別である。
集落に滞在させてもらって、警備を就けてもらう。水不足に喘ぐ部族を救った代価としては釣り合っていないだろうが、そこは恩を売ったと言う事にしておこう。
「ドクトラ。新たにテントを一つ建てるのだ。トウヤ殿にはそちらに滞在していただく」
「了解です、早速!」
長老に命じられたドクトラは、すぐに立ち上がって走り去って行った。走りながら他のリザードマンにも声を掛けている。すぐにテントを建てるつもりなのだろう。
「ルリトラ、滞在中の世話役は必要か?」
「いえ、そちらは俺がやります。守りの方に手を回していただければ」
「あい分かった。夜は部隊、だったか。四人組を二つ守りに就ける事にしよう」
「お願いします」
お互いに益のある話なのでトントン拍子に話は進んでいく。
こうして俺がトラノオ族の集落に滞在する準備が進められて行き、ドクトラ達が大急ぎで建てる白いテントを眺めながら一日目の夜は更けていった。