第12話 旅立ちの前に
旅立ちの儀式は賑やかに終わり、次に俺達は『光の女神巡礼団』と顔を合わせた。
と言っても、ここ数日一緒にいる事も多かったので既に互いの顔は知っている。
彼女達が同行するのは春乃さんのパーティの方なのだが、何故か俺も呼ばれたので、俺はある物を用意して彼女達が旅立ちの準備をするために荷物をまとめている中庭へと向かった。
「と言う訳で、これを用意してきた」
俺が彼女達に見せたのは、準備期間の間夜毎に出して増やしていた石鹸類の山だ。
「前から夜の内に出しまくってたんだが、旅立ったらしばらく会えなくなるだろ? 春乃さん達にはきれいでいて欲しいから持って行ってくれ」
「あ、ありがとうございます」
春乃さんは喜色を溢れさせながら頭を下げた。
「こ、これがセーラの髪をきれいにしたと言う……」
巡礼団の団長だと言う神殿騎士の女性は、興味深そうにシャンプーのボトルを手にして見ている。
女性にしては大柄で、騎士らしく凛々しいと言う表現がよく似合う。名前はルビア。今年で二十五歳になるらしい。
燃える様な赤い短髪。長い旅の間に傷んだのか髪に艶が少ない様な気がする。
それは巡礼団では特に珍しい話ではなく、それだけに俺のシャンプーで艶やかになったセーラさんの髪は、ここ数日彼女達の間では注目の的だったらしい。
彼女はセーラさんのローブとは異なる、スラッとしたラインの服を身に着けている。それは裾が膝の下まで伸びており、コートの様にも見えた。
巡礼団の半数程は彼女と同じ服を着ている。尋ねてみると、それは神殿騎士の制服であるらしい。
石鹸の山を見ていた春乃さんが俺に声を掛けて来た。
「冬夜君、これ……軽く一年分は超えてませんか?」
「この程度の消耗品だとMPの消費も少なくてな。でも丁度良いだろ」
そう言って俺はシャンプーを興味深げに見ている巡礼団の方に視線を向ける。
「これだけあるんだから巡礼団の皆にも使ってもらえば良いじゃないか」
「良いのですか!?」
その言葉に真っ先に反応したのは団長のルビアさんだった。
「その分ちゃんと春乃さん達を守ってくれればな。あ、賄賂とか言うなよ?」
「言う訳がありません! ハルノ様をお守りするのは元より我等の使命です!」
堂々と力強く宣言する彼女だったが、その表情は嬉しそうな笑みを隠し切れていない。
「だったら何の問題も無い。春乃さんもそれで良いよな?」
「はい、むしろ私達だけ使う方が気が咎めます」
春乃さんが承諾の返事をすると、巡礼団の皆が歓声を上げた。年齢は様々な巡礼団の者達だが、皆女性として気になる物だったのだろう。
春乃さんが巡礼団の皆と仲良くなる一助になれば幸いである。
俺と春乃さんは少し離れた位置で、石鹸の山を前に盛り上がる皆を眺めながら話していた。
「それにしても……冬夜君が混浴出来る人を探してたのって、こう言う気分になるからだったんですね」
「分かる? 自分だけ良いものを使うって悪い気がするだろ」
「はい。前にいただいた物がまだ残っていますが、皆と一緒だと使いにくいと思ってました。皆で分けるには少ないですし」
それは奇しくも春乃さんが、俺が混浴を求める心境を理解する一助にもなってくれた様だ。
自分だけが良いもの、この場合は風呂を使うと言うのは、結構精神的にキツいものがある。
「でも、それを言ったら私も罪悪感がありますよ。私には巡礼団の皆さんが護衛に付いてくれるのに、冬夜君はルリトラさんと二人だけじゃないですか」
「いや、俺の場合は『無限バスルーム』に籠もれば、こっちの世界からは干渉出来なくなるんだよ」
『無限バスルーム』は、入って扉を閉めてしまうとこちらの世界からは認識する事も出来なくなってしまう。
神官長さんが魔法も駆使して干渉しようとしたが、それでも無理だった。
「でも……例えば、巡礼団から何人か連れて行くとかどうですか?」
「いや、俺の条件は知ってるだろ? 俺だけ風呂入る事の罪悪感も今分かってくれたばかりじゃないか」
「でも、巡礼団の団員なら女の人ですよ?」
「春乃さんはそれでも良いのか?」
「……色々と思うところはありますよ。やきもちも焼くと思います。でも、それで仲間を増やさなくて冬夜君が危ない目に遭う方が嫌です」
俺の問い掛けに対し、春乃さんはためらいながらもハッキリとした口調で答えてくれた。
そこまで想ってくれているのかと嬉しくなってしまう。
だが、彼女の言う事ももっともだった。
俺の中には混浴出来る女性の仲間が欲しいと言う思いがあったが、同時に春乃さんに悪いのではないかと言う思いもあった。
しかし、彼女の事を気にしてこのまま仲間を増やさず、それで窮地に陥ってしまっては本末転倒である。
もしそれで俺の身に何かあれば、俺の気持ちを知っている春乃さんは事情を察して責任を感じてしまうのではないだろうか。
「でもな、それやったら浮気だぞ? 俺、我慢出来ないぞ? それとも春乃さんにとって俺って、まだその程度の存在なのか?」
「そんな訳ないじゃないですかッ!」
問い詰める様な形になってしまった俺に対し、珍しく春乃さんは声を荒げた。その声に気付いたセーラさんとリウムちゃんが何事かとこちらに近付いて来る。
「ハルノ様、どうされたのですか?」
「…………」
春乃さんは無言のまま答えない。
「……トウヤ、何かやった?」
「いや、ちょっとな……」
リウムちゃんにジト目で見られて、俺は言葉を濁した。
息を整えた春乃さんが、再び俺の方に向き直る。
「冬夜君の存在がその程度とか、そんな訳ないじゃないですか! 私にだけ巡礼団の皆さんが付くから、冬夜君もって!」
「俺としては安心なんだがな、それは」
「私は心配なんです! 冬夜君の事が!」
「そう言ってもらえるのは正直嬉しい」
「私も……心配してもらえる事自体はすごく嬉しいです」
そう言って視線を逸らす春乃さんの顔には、怒りの感情を通り越した羞恥が現れていた。
なんだかんだと言って、やっぱり俺達は両想いになれている。今のは変な事を聞いた俺が悪かったのだ。
「ゴメン、春乃さん。俺、変な事言った」
「いえ、私こそ……ごめんなさい」
互いに頭を下げて謝り、顔を上げて目が合うと、俺も春乃さんも穏やかな笑みを浮かべる。
そんな俺達を見て、状況を理解出来ないセーラさんがおろおろしていた。
「え~っと、どう言う事なんでしょう?」
「結局……ハルノはトウヤが心配?」
その一方で状況を理解したのはリウムちゃんだ。
「男は仲間にしないって言う、俺のわがままが原因ではあるけどな」
「それは私のわがままでもあるので良いです。冬夜君には、男の人とお風呂に入って欲しくないです」
そっぽを向きながらぷんと怒った顔になっている春乃さん。すねてしまっている様だ。こう言う姿も可愛いと言ってしまったらもっと怒られるだろうか。
「まぁ、あのお風呂は小さいですもんね……」
セーラさんも春乃さんを宥めながら彼女の意見に同意した。
『無限バスルーム』は便利なのだが、浴槽の大きさと言う一点においてはこの世界の風呂に敵わない。
そもそもこの世界には「個人用の風呂」と言うのが王侯貴族用ぐらいしか存在しないのだ。
そしてそう言う風呂は贅を尽くした大きい風呂であり、『無限バスルーム』の様なユニットバスではない。
そんな狭い浴室に裸の男二人と言うのは、あまり想像したいものではないだろう。
「それなら女を仲間にすればいい」
そう言ってきたのはリウムちゃん。正論と言うか、俺は実際にそれを目指していたのだ。成功はしなかったが。
「春乃さんを差し置いてって言うのは浮気になる様な気がしてな……」
「あの、お二人はお付き合いされていたのですか?」
首を傾げ、戸惑いながら聞いてくるセーラさん。当然の反応である。
それに対し春乃さんは顔を真っ赤にしてこう答えた。
「お互い強くなったら付き合うの! 一緒に混浴するって約束したのよ!」
「まぁ……それはそれは、おめでとうございます~」
春乃さんの告白を聞いたセーラさんは、満面の笑みを聞いて祝福してくれた。
ありがとう。でも俺はセーラさんとも混浴したいんだ。
そしてリウムちゃんはと言うと、春乃さんをビシッと指差しストレートな言葉を放つ。
「それなら旅も一緒にすれば良い」
「うっ……それは……」
彼女の言う事はまたまた正論ではあるのだが、春乃さんにも譲れないものがあるのだ。
真っ直ぐな目で見詰めるリウムちゃんに対し、春乃さんはもじもじしながら答えた。
「冬夜君とも話したんだけど、今一緒に旅立ったら私は冬夜君に頼りっきりになっちゃうと思うの。だから別々に旅をして、お互い強くなってからって……」
「それは俺も納得済みだ」
「ハルノ様らしいですね」
「なるほど……」
セーラさんの方は納得してくれた様だ。
そしてリウムちゃんの方は、何やら考え込み、そして何か思い付いたのか顔を上げて俺達の方を見た。
「それなら解決方法が一つある」
「あるの? 本当に?」
「本当に」
春乃さんが問い掛けると、リウムちゃんは自信有りげに頷いた。
「私がトウヤの仲間になればいい」
身を乗り出して話を聞こうとしてた春乃さんが、体勢を崩してずっこけかける。
セーラさんに支えられる春乃さんを横目に、リウムちゃんは話を続ける。
「ハルノにはセーラと巡礼団が護衛に付く。トウヤは私が仲間になる」
春乃さん、俺と順々に指差しながら言うリウムちゃん。
そして彼女は最後に微かな笑みを浮かべながら自分自身を指差した。
「私は『無限バスルーム』に入れる」
「リウムちゃーん!?」
素っ頓狂な声を上げる春乃さん。どうもリウムちゃん相手には調子が狂ってしまうらしい。
「あのね、リウムちゃん。『無限バスルーム』に入るには混浴しないと……」
「構わない。前にも言った」
そう言えば彼女は前にも『無限バスルーム』に入りたがっていた。
良い考えだと自慢気に胸を張るリウムちゃんを見て、これは自分には説得出来ないと悟ったのか、春乃さんは涙を浮かべながら俺に助けを求めて来た。
そんな目で見られてしまっては助け船を出さない訳にはいくまい。
「リウムちゃん、春乃さんの方に巡礼団を付けるのはな。俺が春乃さんを心配してるからでもあるんだ。だからリウムちゃんも、春乃さんに力を貸してあげて欲しい」
すると今度はリウムちゃんの方が微かに悲しそうな目をして俺を見詰めてくる。
「私は……『無限バスルーム』に入れない?」
「いや、そう言う訳じゃ……」
小学生ぐらいに見える彼女にそんな目で見られてしまうと罪悪感が湧いてくる。
その目に負けて、俺は白状した。俺の目的を。
「大丈夫だ! 春乃さんと混浴する時は、リウムちゃんとセーラさんも一緒だから!」
「それなら問題ない」
「えっ、私もですか? どうしましょう」
俺の言葉にリウムちゃんは目を輝かせ、セーラさんは両手で頬を押さえて顔を真っ赤にしている。恥ずかしがっているが、嫌がっている様には見えないのは俺の欲目だろうか。
「確かに昨日、冬夜君とそう言う話をしました」
「ああ、それが俺の望みだ。この望みを叶えるために、俺は強くなる」
俺は三人を前にして堂々と宣言した。
「分かった。それまで待つ」
即答するリウムちゃん。
「私は神に仕える身で、今はハルノ様を守護する立場ですが……トウヤ様がハルノ様と一緒にと仰ってくださるなら」
セーラさんの方は流石に躊躇している様子だったが、俺ならば良いと嬉しい答えを返してくれた。この一週間共に過ごした事で彼女とも仲良くなれていた様だ。
「俺が言うのも何だが、良いのか? 神官的に」
「結婚している神官もいますし」
そう言ってセーラさんはにっこり微笑んだ。光の女神の神殿では、神官の結婚などには結構寛容な様だ。
そしてセーラさんは真剣な顔をして俺に問い掛けてくる。
「ですが、そう言う事でしたら尚更仲間が必要ではないですか? こう言っては何ですが、私とリウムちゃんもと言いながら他の女性は拒むと言うのも変な話だと思いますよ?」
「いや、そうかも知れないけど、巡礼団は春乃さんを守って欲しいんだよ。俺の方も考えがない訳じゃない」
「本当に愛されてますね、ハルノ様は」
セーラさんがクスッと微笑みながら春乃さんの方に視線を向けると、彼女は顔を真っ赤にして俯いていた。
「……冬夜君」
彼女は真っ赤になった顔を上げ、決意を秘めた瞳で俺を見据える。
「私も覚悟を決めました。冬夜君がそう言うなら、私は巡礼団の皆さんと共に行きます。ですが、冬夜君もちゃんと仲間を増やしてください」
「……分かった」
春乃さんの言葉を理解した上で、俺は頷いた。
「それと、仲間にするなら余所余所しくしたりしないで、ちゃんと仲良くしてあげてください」
確かに仲間にしたにもかかわらず、春乃さんを理由に余所余所しくするのは良くないだろう。それこそ春乃さんに責任を押し付けて逃げている事に等しい。
「そして、その仲間の人も私達も、皆まとめて混浴出来る様な強く、大きな人になってください。堂々と胸を張って、冬夜君自身が望む通りに」
ハッキリとした口調で言う春乃さん。
色々思うところはあるのだろう。それでも彼女が認めてくれると言うのであれば、俺も堂々と胸を張ってこう答えるしかない。
「分かった。俺は必ず強く、大きくなる。そして春乃さん、セーラさん、リウムちゃんを迎えに行く。だから待っていてくれ」
「はい、お待ちしています」
「トウヤ様。それまでの間、ハルノ様の事はお任せください」
「待ってるから」
俺の言葉に応え、承諾の返事をしてくれる三人。
照れ臭くなって頭をかいていると、春乃さんも何やらもじもじし始めた。
どうかしたのかと思い彼女の方を見てみると、その視線に気付いたのか春乃さんも俺の目を真っ直ぐに見詰めてくる。
そして彼女は真っ赤な顔で何かを決意した様に小さく頷くと、俺に向かって数歩進んで身体を密着させ、ぐっと顔を近付けてきた。
「しばらく会えなくなるから、これだけは……」
そう言って彼女は目を瞑る。誰がどう見てもキスを待つ態勢である。
「ちょっ、春乃さん!?」
「…………」
しかし春乃さんはそれ以上何も言わない。
あたふたと周りを見てみると、セーラさんは興味津々な様子でこちらの様子を窺い、リウムちゃんも表情は変わらないが、真っ直ぐにこちらを見詰めていた。
向こうでは先程まで石鹸に夢中だった巡礼団の面々がこちらに注目しており、気を利かせているのか、ルリトラだけがこちらに背を向けている。
「…………」
「…………」
俺の方も何も言えなくて静かになってしまう。
こうなれば据え膳食わぬは何とやらである。恥ずかしさを振り切って俺の方からも彼女の身体をぐっと抱き寄せた。
胴鎧に阻まれて硬い感触だが、それでもボリュームのある胸が押し付けられる。
まだ少し距離がある。そう考えた俺は、彼女の腰に回した腕に力を込めて更に二人の身体を密着させた。彼女の腰は戦闘中の凛々しさからは想像も付かない程にほっそりとしている。
「……春乃さん」
ドキドキしながら顔を近付け、間近まで迫ったところで目を瞑る。
そしてそのまま、俺と春乃さんは唇を重ね合った。その瞬間、歓声を上げるセーラさんと巡礼団の面々。
ひとしきり歓声を聞き終えた後、唇を離した俺は目を開けて春乃さんの顔を見る。
彼女の方もゆっくりと目を開き、互いの吐息がくすぐったく感じられる様な距離で見詰め合う形となった。
頬を染め瞳を潤ませた春乃さんの顔を見詰めながら俺は思う。もっともっと、彼女に認められるぐらいに強くなろうと。
「冬夜君……」
今度は春乃さんの方から唇を重ねてきた。
再び湧き上がる歓声。しかし、ついばむ様なキスが二度三度と回数を重なるにつれてその声は小さくなり、やがて風一つない水面の様に静かになっていった。