第107話 風が語りかけます
今日は激動の一日だった。
まず春乃さん達と再会して風の神殿で起きた事を聞き、風の女神の祝福を授かった。
まさか神殿を襲撃したのがユピテルの軍だったとは。フランチェリス王女の言葉を信じるならば、亜人排斥派だという王子が関わっている可能性が高い。
避難する事ができたのはグラウピスとキュクロプスを合わせて数十人程度。それ以外の者達がどうなったのかが気になる。
水の女神との会見を申し込んだが、こちらについての返事もまだ無い。
これらについては夢に女神が現れたら直接聞いた方が早いかもしれない。
今はキュクロプス達がお風呂に入っているが、彼女達が上がったら今夜は早めに眠ってしまおう。女神達に会えば何か分かるはずだ。
ちなみにお風呂は大好評。キュクロプス達にも明るい笑顔が戻っていた。
若い母と幼い子供達ばかりの一団。皆疲れた表情をしていたので、命の洗濯になったのならばなによりである。
「トウヤさん、トウヤさん。寝るなら二階の部屋を使いませんか?」
「あの魔性の絨毯か……」
「あれってどっちかというと部屋全体がベッドのような……」
これはクレナの意見。彼女の感覚では、あれはもはや絨毯ではないらしい。だったら何だと尋ねてみると、「未知のもの」としか言いようがないそうだ。
「ベッドという事なら、キングサイズどころじゃないな」
それ以上に大きいベッドって、なんと呼べばいいのだろうか。大王サイズ? あるいはその辺を通り越して王国サイズだろうか。いや、それは行き過ぎか?
それはともかく、そういう事ならばあの部屋全体で「ベッドルーム」という事にしておこう。文字通りである。
「というか、あの和室はそんなに広くならないな」
「当然ですよ。お姉さま達の祝福で、私の祝福を抑え込んでいるんですから」
「ああ、そういう事か」
魔族化を抑えているから、闇のギフトである和室も成長しないという事か。
あの部屋は読書をするのにも使っているので、あまり広いと落ち着かない。そういう意味では、あのままの方がありがたい。
「お世話になりまーっす♪」
当然のようにリン達も加わって皆で寝る事になる。と言っても広い寝室なので結構距離は離れているのだが。
ちなみに俺の左右は復活した春乃さんとクレナにがっちり固められ、両腕もホールドされている。お互い対抗心があるようで放してくれそうにない。
特に抵抗する理由も無いので、俺はそのまま両腕を包み込む感触を味わいながら眠りに就き、女神の夢――ラクティの神域へと意識を飛ばすのだった。
ところが、今夜の女神の夢はいつもと様子が違っていた。
動けないのはいつもの事だが、こちらでも両腕をホールドされていたのだ。
片方はラクティ、こちらも春乃さん達に対抗しているのかもしれない。どちらかというとコアラのような状態になっているのはご愛嬌である。
そしてもう片方は初めて見る少女だった。若草色の髪を長いツインテールに結い、見覚えのあるエメラルドの瞳でこちらをじっと見つめている。
他の候補は考えられない。彼女が風の女神なのだろう。
背丈は春乃さんと同じぐらいだろうか。しかし雰囲気は正反対で、野原を駆け回っている姿が似合いそうだ。健康美という言葉がよく似合う。
「……それぐらいにしておけ」
「はぁい、お姉さま」
威厳のある声が響くと、風の女神は俺の腕を放して身をひるがえした。
するとツインテールが翼のように広がり、ふわっと身体を浮かび上がらせて声の主である光の女神の隣に降り立つ。
って、ちょっと待て。
「風はね、色々なものを運んでくれるの。草原を走る風は草の匂いを、南から吹く風は温もりを、そして神域ではあたしの甘く澄んだ声も運ぶのよ」
心を読まれたのか、風の女神は先回りで説明をしてくれた。
「風の祝福を授かったから……」
思わずつぶやき、自分も声が出ている事に気付く。
「そして大いなる海は、貴方の内にもある」
続けて水の女神も姿を現した。
「この前は気付かなかったみたいだけど、今日は気付くかしら?」
「気付くって何に……!?」
そこまで言ったところで後頭部に圧迫感を感じた。
圧迫感? この夢の世界で?
「炎は熱を生み出すが、お前は今までそれを感じ取る事ができなかったんだ」
大きく、よく通る声。内容から察するに炎の女神だろう。彼女が後ろから抱きついてきていた。圧迫感の正体は、押し付けられている彼女の胸か。
そして俺はしがみつくラクティから伝わる温もりにも気付いた。
そうだ、前に水の女神が現れた時も彼女はこうやってしがみついていた。だが、いつもの事なので感覚がある事に気付かずスルーしてしまっていた。
あれから水の女神が現れたのは翌日にフリップを投げてきた時だけ。しかもその後すぐに消えてしまった。あれも当たっていれば何か感じていたのだろうか。
そして今夜再び水の女神が現れた事で、こうして感じる事ができた。
内にある海――夢の中での身体に血が通ったという事だろうか。理屈はよく分からないが、俺は夢の世界での「触覚」を手に入れたようだ。
そうか、女神達の声が聞こえているのは風の祝福による「聴覚」を手に入れたからか。
そして光の祝福により「視覚」を手に入れていたと考えれば、今まで見る事しかできなかったのも筋が通る。
「理解したみたいだな。フフッ、優秀な教え子だ」
光の女神が微笑む。しかしその声は威厳に溢れていた。この声で叱られるとラクティが身をすくませてしまうのも分かる気がする。
「でも、ひとつ分からない事が……」
「何故身体が動かない、か?」
もう喋らなくてもいいんじゃないだろうか。
そんな事を考えていると、大地の女神も姿を現して光の女神の隣に立った。
光、炎、風、水、大地、闇。これで女神六姉妹勢揃いだ。今日は皆気品あるドレス姿なので神々しさを感じる。若干約一名を除いて。
いや、ラクティの場合は、なんというか学芸会で頑張っている妹を見ているような気分になるんだ。雪菜が幼稚園の頃を思い出す。あの頃はまだ元気だった。
「身体が動かないのは、貴方の立つ大地がまだ曖昧だからです。次は私のところまでたどり着いてください」
大地の総本山で改めて祝福の儀式を受けなければいけないという事か。
身体が動かせないので炎の女神にされるがままだが、ここは耐えるしかなさそうだ。
いや、嬉しいんだけどね。心を読まれるのがまずい。
光の女神はだんだんと機嫌が悪くなり、水の女神の視線が段々と氷になっていく。そして風の女神は面白がってニヤニヤしていた。
せっかくの女神の威厳が台無しだ。そう思うと、光と水の女神は慌ててコホンと居住まいを正した。しかし、風の女神は変わらなかった。
なお、一番ダメージが大きいのは大地の女神にずっと優しい目で見つめられる事だったりする。なんというか、普通に怒られるよりいたたまれなくなるのだ。
炎の女神は、多分からかっているだけだろう。俺がラクティを妹扱いしているように、彼女は俺を弟扱いしている気がする。
それ自体は嬉しいのだが、炎の女神は放してくれないのでこのまま話を進めよう。
風の神殿がどうなったか気になるところだが、残念ながら倒された後の事は分からないらしい。できるだけ信徒達を逃したというのが不幸中の幸いか。
仕方がない。その件は明日春乃さんに伝えるとして、今は水の女神と話をしよう。
「謁見を申し込んだ件、聞いていただけましたか?」
「聞きました……が、他人行儀は止めなさい。私達の弟よ」
「お……弟?」
本当に弟扱いなのか。神域に入る事ができたからそういう扱いなのかもしれない。
「そうだぞ! お姉ちゃんと呼びなさい!」
風の女神がそう言うが、微妙なところだ。光、炎、水、大地の女神はともかく。
姉妹の順番としては三番目らしいが、こればかりはイメージの問題である。もちろんラクティは妹で確定だ。
「私もお姉ちゃんですよ!?」
「いや、それはちょっと無理あるよ……」
風の女神でさえもツっこんだ。
水の女神がコホンと咳払いして話を続ける。
「それはともかく、私はこのまま地上へ引き返す事をおすすめします」
「……理由を聞いても?」
そう尋ねると水の女神はしばらく無言だったが、やがてゆっくりと口を開いた。
「貴方は教えなければ自分で調べそうね。分かった、教えるわ」
もしかして話すのを躊躇していたのだろうか。表情が変わらない人だ。
思い返せばフリップを投げてきた時しか表情が変わったのを見た事が無い。
「今、私のところに魔王軍が来ているのよ」
「ちょっ!?」
平然とした顔でとんでもない事を言ってきた。
「驚く事はないわ。彼等の目的は交渉、私達と交易したいという話だから」
「こ、交易……?」
予想外の言葉が出てきたな。いや、ここも亜人の国だし有り得るのかもしれない。
仕方ない、ここは思い切って聞いてみよう。
「……魔王軍と交易するから邪魔するなって事か?」
すると水の女神は、静かな声でこう答えた。
「私が、末妹を見捨てて逃げた者達とよしみを結ぶとでも……?」
その目はまるで憤怒の炎が燃え盛る炉のようだった。水の女神なのに。
炎の女神が抱きつく形でガードしてくれているが、それでもなお威圧感を感じる。ラクティは既に俺達の背に隠れてしまっていた。
水の女神の側にいた風の女神も、ひらりと身を翻してこちらに避難してきた。平然としているのは光と大地の女神だけだ。
「まぁまぁ、お姉さま。落ち着いてくださいな」
これは話を変えなければと考えていると、大地の女神がおっとり声で鎮めてしまった。矛を収めた水の女神は、コホンと小さく咳払いをする。
「弟、弟、あれ物静かだとかクールだとか勘違いしちゃダメだからね。あの妹、おとなしい顔して怒ると激流だから」
そっと耳打ちしてきたささやき。だが甘いぞ、風の女神。
「俺だって雪菜に同じ事されたら同じぐらい怒るよ」
「しまった! こいつも同類だ!」
そうだよ、俺はお兄ちゃんなんだよ。
のけぞる風の女神に、炎の女神も呆れ気味だ。
「ていうか、怒ってるのは私だって同じだぞ。お前だって魔族が来たら追い返すだろ?」
「そりゃまぁ、そうだけどさぁ……ああ、あたし聖王家も許さないからね」
「当然だ、それでいい」
そう言って頷いているのは光の女神。おい、ヤバいぞ聖王家。怒らせているぞ。
仲が良いんだよなこの女神姉妹、信徒は光の女神信徒が中心に色々とやっているけど。
ところで、ひとつ気になる事がある。
魔王軍が交渉に来たというが、ここは海の底だ。一体どうやってここまで来たのか。
「魔族って海の中でも動き回れるのか? 無いよな、それは」
考えられるとすれば、そういうギルマンやバシノムみたいに水中活動に適した魔族がいるという事だろうか。
「トウヤさん、クレナさんが使う『水のヴェール』ですよ。魔族も精霊魔法が使えます」
「あっ、確かに……。いや、でも、それだと時間が掛かり過ぎないか?」
「それは……た~っくさんのMPがあれば?」
ラクティも自信なさげだが、強い魔族ならば不可能ではないという事は分かった。移動速度を上げる術もあればなんとかなりそうだ。
「そうなるとかなりの大物……。一体誰が? まさか『炎の魔神』じゃ?」
あいつは性格が悪いと思うぞ。会った事無いけど。
「……それを聞いてどうするつもり?」
対する水の女神はやはり表情を変えず、抑揚の少ない静かな口調だった。
「危ないと思ったら助けに行く。風の女神はどうしようもなかったけど、今なら手が届く位置にいるんだ。やってやるさ」
「そう…………姉さん、後ろでどや顔止めて。むかつくから」
反応が薄い……と思いきや、後ろの炎の女神に文句を言ってきた。どんな顔しているんだ。いや、俺の意見に賛同してくれているのは雰囲気で伝わってきているけど。
「ああ、あたしの事は気にしなくてもいいよ。元々アテナを離れたせいもあって力尽きかけてたから。ハルノちゃんに後を託せたしね~」
そして風の女神は軽かった。それは明日、春乃さん達に伝えておこう。
水の女神は賑やかになった俺たちを見て、小さくため息をつきつつ教えてくれた。
「今私のところに来ているのは……『魔犬』よ」
『炎の魔神』と同じく五大魔将の一人である『魔犬』か。それほどの大物が出てきているという事は、魔王軍もかなり本腰を入れているのだろう。
一体何を目的に交易しようと言っているのか。それは直接出向いて確かめるとしよう。




