道楽貴族とゲロ哲学
酒合戦の神話
酒合戦の始まりを紐解けば神々の時代にまでさかのぼる。
創世神の元で世界を作り上げた神々が
「俺の胃袋は島々を飲み干す」
だの
「我が内側は世界なり」
だの口々に自慢ばかりするものだからあきれ果てた酒精神が
「ならば神々、我が杯の酒を干すは易かろう。」
と酒を飲ませたのが始まりである。
一つ干し、二つ干しとするうちに酔いが回り神々は倒れ臥してしまう。
それを見た酒精神は
「なさけなし、神々。君達の力が蘇るときまでは眠るが良い。」
と眠りに付かせてしまう。
強い神々はいるもので幾つも杯を干す。
そういう神々も酒には勝てず、中身を吐き出してしまう。
そこから吐き出された酒は海になり、神々の中に封じられた世界はこの世界に吐き出されて色々な物が生まれた。
数多の種類に生き物だとか様々な秘宝だとか・・・・・・・・・・
なかでも神々の力を世界に撒き散らされたのが一番凄いのだろう。
作り上げたばかりの世界で殺風景だったものが神々が吐き出した物で芳醇になるのだった。
吐いた神々は力を失って慎ましき神神となったそうな。
飲んでも飲んでも潰れず吐かずな神々もあった。
その神々は大きな事を言うから、酒精神が
「ならばこの世界を豊かにするか?」
とか
「世界の終わるその時まで見捨てずに居るか?」
等と煽るのであった。
煽られた神々は酒の酔いも手伝って、口々に守護の誓いを立てるのであった。
神々の誓いは絶対、違う者は神でなくなるから素面に戻った時顔が白くなってしまうのであった。
こうして、酒精神は神々に世界を芳醇にする手伝いをさせるのであった。
世界はゲロで出来ている・・・・・・・・・
古の大祭司にして哲学者はそういった。
ゲロも糞も一緒だ。
共に口から入って出て行くものである。
そして土に還って世界を豊かにするのである。
人というものは世界を喰らって世界に変化を齎すものだと言う神学者が居た。
何かを食らって、動き回って世界を変える。喰らった搾りかすは糞になって大地を豊かにするのだ。
そして死んだら誰かの腹の中に入るのだ。
それが大きな獣だったり小さな虫けらだったり・・・・・・・
生き物に食われないからといっても結局は喰われてしまうのだ。
そう、世界という大きな揺り籠にして我等が母上に。
君達は何を食うのだろう? 私は誰に食われるのだろう?
喰らって吐き戻したものも君達と言う消化器官を通過したことで世界に受け入れやすい形になっている。
見てみるが良い、酔いどれ達が吐き戻したものをチュンチュン鳥が啄ばんで、腹の中でこなして糞にする。
見てみるが良い、船の上から若者たちが吐き散らしたものが撒き餌になって魚達の餌となり何時かわれらの腹に入るのだ。
世界はゲロで出来ている。誰かが喰らって出した物。すなわちゲロであり糞である。
ゲロが始まりであり糞が終わりである。
そして、誰かの食い物となってゲロとなったり糞となったり・・・・・・・・・・
これを尾篭と思う方も居るかもしれない。
食べ物ではなく行いや思想と考えてみれば宜しかろう。
とある古の王の思想が今も形を変え影響を与えながら存在している。そうして生まれ出でた思想や事象も誰かに影響を与えている。
これも古の王の思想を学んで(喰らって)新しい思想を起こす(吐き出す・ひりだす)。実体のある、なしという違いはあるだろうが世界を喰らって吐き出して変化を与えるという点においては同じなのである。
身近なもので思い浮かべてみよう。例えば職人の製品、これは職人の思いが吐き出されて積み重なったものと考えられないか?先人たちが技術や願いを吐き出し受け継ぎ(喰らって)現代の職人が形にしている。そうして生み出された物を使い、またある者は職人の製品を参考(喰らって)に新しいものを作り出す(吐き出す・ひりだす)。
だからなんだと言われたら、君達は喰らって生きて吐き出して世界に変化を与えていきなさいということだ。
そして、君たちが歩んだ道は誰かのゲロの積み重ねなんだと心していかなくてはいけない。
「・・・・・・・・・・・・・御主人様、中々下品な例えの講義でしたね。」
「孤児姉、たとえは下品でも奥深いものではないか・・・・・・・・・」
「そうなのでしょうか?」
「まぁ、哲学も神学も教えというのはその時にならないとキチンと収まらないからな。お前にはその時ではなかったと言うだけか。」
「そういう時は何時来るのでしょうか?」
「今までに来たのかもしれないし、今来なければずっとこないのかもしれないし。機と縁と言う物が合わないとダメだなんて言っていた者が居たな。まぁ、次に行くか・・・・・・・・・・」
私と孤児姉は孤児達の面倒も補佐見習の帰還騒動も一応の収まりを見たので休みを取って色々と巡っているのである。
今聞いた講演は遠く西方平原国にて受け入れられなかった隠者のゲロ哲学論である。
話している内容は悪くないのだが、例えが悪かった・・・・・・・・・・
これが森の土とか師匠と弟子の積み重ねを題材にするならば受け入れられていたのに残念である。
寧ろ子供達のほうがそういうネタを好むから食いつくかな?
一度杯でも酌み交わして孤児院に呼ぶとしてみるか・・・・・・・・・
「御主人様このお方を呼んだら王宮の教師陣が五月蝿いかと・・・・・・・・」
「机上の空論ばかりで実論が出来ていないものに遠慮する必要はない。そもそも孤児院の管理は私に委ねられているのだし・・・・・・・・・・・こんな素晴らしい哲学論を朽果てさせるのはあまりにも惜しい。こういった素晴らしいものを保護するのも貴族の役割だ。」
「・・・・・・・・・・・御主人様、次はどこに行かれるのですか?」
「観劇をしようと思ったのだが、見ようと思ったものが延期になってしまったのだよ。」
「どのような内容で?」
「(人気小説なのだがこのネタをしたら作者がファンに殺されてしまいかねないので削除)【ゲロの(節制神削除)】とか(流石に作者の良心が咎めてしまう程度の名作ファンタジーなので削除)である【ゲロ(節制神削除)】だな。両方とも異世界の作品なのだが人気があるらしいぞ。」
「御主人様、それは延期されて正解かと・・・・・・・・・・」
この世界の者も作者も自制しないから危なくて仕方がない。(by節制神)
劇が見に行けないとは残念なのだが、節制神は色々自重しろと五月蝿い。
丸を三つ書いて召喚陣としたら止めてくるし・・・・・・・・・
あのネズミが夢の国から金をせびりに来てしまうじゃないか!!自重しろ自重!!(by節制神)
まるにトサカを三つ書いただけでも・・・・・・・・・・
うわぁぁぁあぁ!!どこぞの不老不死の家族が襲ってくるじゃないか!(by節制神)
あれもダメこれもダメって・・・・・・・何ならば良いのだろうか?
酒が切れたのでこれまで、後半ネタが危険になったので知りきれトンボですけど切ります。はい、切ります。
私は命が惜しいです。