黒珠 【肆】
沈んだ空気を纏っていても、何も進まない。
いくら願っても加月はもういない。
朝陽さんが張り巡らした結界を解除してもらうとともに、結界内に籠っていた波動が波になって辺りに流れ出てしまう。
術者がそれを嗅ぎつけて集まって来ないようにと、私たちは結界を解除してもらうとすぐにそこから立ちさり、予定していた宿場町よりもさらに一つ向こうにある帥まで足を速めて向かうことになった。
気が沈んでいるのに、足なんて早く動かないよ
ひめさまの容貌の描かれた手配書が、ひめさまを闇の支配者だと断定しているその書がなければまだ少しはよかったのに。それがあるがために闇の匂いが少しでも残る場所から少しでも早く離れなければいけなくなった。
頭では理解していても、身体がついていかない。
闇に触れたために消耗しきった身体は、途中で崩れてしまいそうだった。
「なゆた。大丈夫か?」
よほど辛そうに見えたのかな。
日向が横で支えるように歩いてくれる。
ひめさまもなんども一緒に馬に乗るように言ってくれたけれど、乗りなれない馬に乗って身体を揺らすことを思ったらまた吐気が出てきそうになって、辞退させてもらった。
……少しくらい日向に甘えても、いいよね。
少しでも早く、少しでも前に。
そのことばかりを考えて、前に前に進んでいって。
加月を失ったことを、考えないようにして。
けれども。
夜も更けて、人も獣も寝静まった頃になっても、私たちは帥までたどり着けなくて、結局は無防備なままで野営をすることになった。
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日向が火を起こして、焚火を作ってくれた。
それを取り囲むように私たちは各々座っている。
火の主人のこうさんがいても、護人の火焔さんがいても、二人の力を借りて火を起こしているわけではなくて。
だって下手に力を行使すると、もしかしたらその波動を感じる術者が追っ手の中にいるかもしれないから、そんな危険を冒すことはしたくはなかった。
けれど今、道中では珠となっていた二人の護人も、今は自分たちの主人の後ろに立っていて、慈愛に満ちた目を自分たちの主人に向けているのが炎越しにでもわかるほどで。
それなのにひめさまは後ろにいる朝陽さんじゃなくて、なぜかこうさんの後ろにいる火焔さんに話しかけた。
「ずっと考えていたんだけれど」
備えていた携帯食で粗末な食事を終えた後、誰一人口を開くことなくただじっとそこに座っていたその中で、ひめさまの声はとても響いて、みんなが意識の底にしまっているふりをしたあのことを引きずり出そうとしていた。
「加月が闇だとしても、闇の支配者ではないわけでしょう?」
焚火のはぜる音が、ぱちんと夜の闇に消えていく。
ひめさまの言葉を否定するかのように。
『いや。現時点では加月は闇の支配者そのものと言って過言ではない』
ああ、やっぱり……
あの黒い珠に引きづり込まれた時から、そうなんだろうと思っていたけれど、それを護人の口から聞くというのは衝撃だった。
日向もこうさんも、まるでわかっていたことのように静かにその言葉を受け止めている。
けれどひめさまはそのことよりもその前のことのほうに重きを置いているようで、「そうじゃなくて」と言葉を濁している。
「言葉を紡ぐのはとてもむつかしいのだけれど、私が聞きたいことはそうではなくて、あの黒い珠に取りこまれる前の、黒い珠を作りだすことができた加月のことを問いたいのよ。どうして加月は闇の珠を作ることができるのかということ、ね」
「それは加月が闇だからだと」
「そうね、そう聞いたわ。でもそれっておかしいのよ。何度考えてもおかしいの」
「なにがですか?」
「じゃあ加月っていったい何者なの?主人ではないわよ。だって護人がいないんだから」
たしかに。
闇の主人であれば、髪の色と瞳の色はたぶん黒なんだろうから、それは私たち冬柊の人間と同じ色になる。だから、見た目では闇の主人かどうかなんてわからない。
けれど主人ならば護人が必ず寄り添う。こうさんと火焔さんや、ひめさまと朝陽さんのように。
もし加月に寄り添う護人がいるなら、こうさんがひめさまを見抜いたように加月を連れてくるときに見抜いたはず。それがなかったっていうことは、護人がいないということで。
じゃあなぜ加月は『闇』なんだろう。
加月は術者でもない。
術者が操るのは『闇』や『光』、『火』『土』『木』の『精』であって、それそのものではないけれど、でも加月の作った闇の珠は精の集まりじゃなくて『闇』そのもの。
でもそれは、護人によって作られ、主人に与えられるものだから、主人でない加月が闇を作れることなんてないはずなのに。
『加月は、支配者であったものの意識を具現化したものだろう』
「……なんですって?」
『いえ。確かに加月は支配者の意識だわ。……あの顔、あなたの小さかったころにそっくりよ?晃陽』
「わたしの……ちいさいころ……?」
ひめさまの後ろで悲しそうにひめさまを見つめている朝陽さんは、その白い手をひめさまの肩に乗せて何かを思い出させようとしているように、確認をしているように頷いた。
ひめさまはといえば、朝陽さんが落とした言葉を拾うことができなかったように、何度かその言葉を呟いて、そして……そして。
「……つきしろ?」
答えを見つけてしまった。