彷徨う 【6】
夜の闇が珠洲の街を包み込んだ頃。
なゆたは眠りから目が覚めた。
前日の看病疲れで身体がだるくこのまま寝てしまおうかと思ったけれど、肌に感じたやわらかな風が気になって起きることにした。
やっぱり窓があいている。
おかしいな。 ひめさまの眠りを妨げない様に、窓はずっと閉めていたのに。
心地よい風が入ってくる窓から月明かりが室内に差し込んで、綺麗に輝いていた。
その窓辺には病み上がりのひめさまが佇んで、月が部屋の床にひめさまの影を落としていた。
「ひめさま。 起き上がって大丈夫ですか?」
寝入っている皆を起こさない様に小さく声をかけると、ひめさまは頷いてまた外を見た。
「月がとても綺麗」
夜空を見上げて、はかなげに光り輝く月を眺めていた。
昨日までの高熱が嘘のように、月を愛でているひめさまに疲労の色はなかった。
「ひめさま。 もう少し寝られてはいかがですか?」
「いいのよ。 休息は十分とったから。」
「けれど一日高熱を出されていたのですから」
少ししつこかったかなと思いながらも、やはり高熱の後の夜風は良くないし。
雑魚寝している日向たちを踏まない様にそろそろと部屋を横切ってひめさまのいる窓際まで近寄ると、ひめさまはちらっと私をみてため息をついた。
「そんなに心配しないで。 このくらいのことで弱っているわけにはいかないしね」
そういったひめさまの雰囲気が、倒れる前と全く変わっていることに気がついた。
なんていうか、『力』が違う。
倒れる前は「しなければならない」使命に張り詰めた糸のようにぎりぎりと音を立てて気を張っていたけれど、今は少し緩くなって、いらない力を抜いたよう。
それはよい方向に感じるのかもしれないけれど、でも、何か違っていた。
「ねえ、なゆた。 お願いがあるの」
私の手を取り、己が額にその手を付けて祈るように呟いた。
真摯な声に驚いて言葉が見つからない私にひめさまはとんでもないことを願ったのだ。
「もし私が闇の支配者に取り込まれそうになったら、その時は私を殺して」
「……! それは……。 ひめさま、どういうことですか」
「言葉の通りよ。 もし私が闇にくだるようならば、その前に。 光の主人であるときに私を殺して。 そうしないとこの世界が終ってしまうだろうから」
「それは! そんなことがあるわけが……」
「なゆた。 私たちが今置かれている状況を正確に把握してる? 東の森にあの雲が現れて、すでに二日。 どんどんと雲の領域が広くなり、最後にはこの国全体を覆うでしょう。 そこからどうなるか古事記の記載を見ればある程度わかるけれど、混沌の渦に飲み込まれていくことは間違いがないの。 もし混沌の中の唯一の希望といっていい光の護人がこの戦いの中で闇にとりこまれたら、希望がなくなってしまう。 闇に唯一勝てる存在がなくなってしまう。 けれど、光の主人が取り込まれずに死んでしまえば、次の光の主人がこの世に生まれるの。……だから。 だから、私が闇に取り込まれてしまうのならば、私を殺して次の希望を誕生させてほしいの」
「ひめさま……!」
覚悟が違う。
それはわかっていたことなのだけど、あまりにも違いすぎる覚悟。
「むずかしいことはわかっている。 本当に無理なお願いだということも。 だからなゆたがその時まで悩まなくていいように、このことは時が来るまで忘れて」
言葉と共にひめさまの胸元にある袋がぼうと光った。
―――――光の護人の朝陽が力を使ったのだろう。
そこから淡い光が私に伸びて、そして包み込んだかと思うと、そのまま私は意識を失った。
がたん
晃陽の前で意識を失って倒れこんだなゆたに、晃陽は話しかける。
「次に起きた時は、今言ったことはすべて忘れているでしょう。 けれど、私が闇にのまれそうになったその時に、すべてを思い出す。 ……ごめんなさい。 本当に無茶な頼みごとをして。 けれど、お願いするわ? 必ず……必ず私を殺して」
顔にかかった髪をやさしく払い、意識のなくなったなゆたに蒲団代わりの布をかける。
――――私を殺して。
誰もそんなことは願わない。
けれど『光の主人』が闇に下ってしまうことはこの世の終わりを意味する。
それだけが怖い。
無意識にこの世界すべてを愛している。
だからこそ。
だからこそ、自分の命を投げうつことができるのだ。
「……日向。 あなたにもお願いするわ」
――――私を殺して。
背中越しに感じる視線の主に、晃陽は願った。
「承知した」
久々の更新なのに、話が短くてごめんなさい。