晃陽 【 回想 】
この話は、『旅立ち』の前の晃陽のお話です。
『………い……いっ……いや……』
昼餉の後の、けだるい睡眠にたゆたっているときに、その『声』は聞えた。
そしてその『声』とともに、ぞわりと背中をなぞりあげる感覚に襲われた。
吐きそう
とっさに寝台の横に置いてある水盆に手を伸ばそうとしたらまた、先ほどの『声』が重圧を増して襲ってきた。
『いやぁぁぁぁっ!!』
どくんっ!
強烈な胸の痛みとともに、脂汗が一気に噴き出した。ざわざわざわと、肌が立ってくる。
これはいったい……?
しばらくすると、不快感が薄れてきたので、落ち着いて考えることができるようになった。
それでもまだ、肌が泡立つのをとめれないけれど。
今のは……『心音』……『心音』だわ!
驚愕が、晃陽を襲った。
晃陽にとって『心音』で会話できるのは、唯一、冬柊の二の姫、月城を置いてほかないからで。 その二の姫、月城は、幼いころにこの世を去ってしまっている。 必然的に、『心音』での会話は、月城が亡くなって以降誰とも行えたことがない。
あの当時は当たり前にできた『心音』は、晃陽の双子の妹である月城が実は闇の主人で、闇の護人に愛された彼女とだからこそできたことだと思っていた。
その『心音』が今、恐怖と共に晃陽に届いた。
ぎゅっ
晃陽は、いつも肌身離さず身につけている、金襴に晃陽の御印である『花紋・重ね荻』の刺繍をした小さな巾着をにぎりしめた。
その袋に大切にしまわれた珠から晃陽を心配するやさしい波動を感じて、少しだけ安心した彼女は、いつものように思考する。
なぜ、今になって『心音』がわたしに届くのか?
なぜ、凄まじい怒りと悲しみと恐怖の波動が同時に届くのか?
なぜ、闇の主人であった月城以外の人間と『心音』を交わすことができるのか?
次代の闇の主人が産まれたということか?
けれど、さきほどの『心音』は、産まれたばかりの赤子の『声』ではない。れっきとした大人の『声』だった。
とすると……?
その時、視界に入ってきたのが、寝入るまでは青かった空。
今は、東の方向にどす黒い雲が渦を巻き、だんだんと緩やかに成長しているように見えた。
……これは! やはり闇の支配者が覚醒したのでは?
頭を冴えさそうとして、お茶を所望しようと第一女官のなゆたに声をかけた。
「なゆた?」
いつもなら、晃陽が午睡をしていると戸の外に控えているなゆたの気配がない。
また断りもなしに城外にでたのかしら?
晃陽は、金襴の巾着から珠を取り出して、やさしく声をかけた。
「……朝陽、おきて? お願いがあるの。 なゆたが今いる場所を教えて?」
透明な珠がかすかに光ると同時に、うっすらと城外にいるなゆたの居場所を映し出した。
その映像はすぐにきえてしまったが、どこになゆたがいるのか、晃陽にはすぐに分かった。
「ありがとう、朝陽。 今着替えるから、その場所の近くにわたしを運んで!」
そうして、なゆたのいる茶屋まで一瞬で移動した晃陽は、先ほどの動転から落ち着くためにお茶を所望した。
けれど朝陽が術者の気を城に感じたので、すぐまた城に戻らなければいけなかった。
城に戻ると同時に、母の来訪を告げる使者がやってきた。
やはり、ただ事ではない。 これは、闇の主人どころか、闇の支配者が誕生したのだろう。
早急に、父王は『力』のないわたしを冬柊でただ一人の色を纏うという理由だけで、民衆の平安を護るために担ぎ出すだろう。
ひとつだけ、たったひとつだけ良かったことは、闇の支配者となった闇の主人が、大事な妹、月城ではなかったことだけ。
月城と、古事記の闇と光の支配者のように戦うのだけは、耐えられない。 彼女がどういう理由でも、先に亡くなっていてくれたことを、今だけ感謝しよう。
決心は早かった。
だってそれは幼いころからずっと考えてきたことだから。
月城が亡くなって、闇の主人がいなくなった冬柊にまた新たに主人が産まれるだろうことは分かっていた。 ……それがいつになるかはさだかではなかったけれど。
ただ。
いくら決心したといっても、一人では辛かった。一人で、見知らぬ誰かと共に旅をして、闇の支配者に立ち向かうなんて、辛かった。
だから……巻き込んだ。
なゆたと日向。
女官という女官をこっそり審査して、自分に合って、共に戦える人を探すのは途方もない話だった。 まず見つからないだろうと思っていた。
ところが母の第一女官であるあそうぎが申し出てくれたのだ。
自分の娘をそばに仕えさせてもらえないだろうかと。
あそうぎの娘は、田舎暮らしで、女子にあるまじきことに男子と一緒に育ったらしい。
それならばと面接をしたら、
希望通りの娘!
ちょっとそそっかしくて危なげなこともあるけれど、今までの貴族出身のうわさ好きな女官とちがって、素直で活発、そして好奇心に満ちている。もちろん女官としての礼儀もわきまえていた。
手に入れた、そう思った。
そして、なゆたと共に幼児期を過ごした飫肥日向が、近衛に配属されていると聞いた時は、神はわたしを見放してはいなかったと、心底感じたものだ。
この二人がお互いどう思っているかなんて、ちょっと見ただけですぐ分ったけれど、それがこの旅にはいい方向に働くのではないか。
古事記の記述通りならば、世界を混沌の闇に埋もれさすことができる者とこれから戦わなければならない。
そんな先が見えない戦いに2人を巻き込んでしまった。
でも。
闇の支配者と闘えるのは光の支配者のみ。
その光の支配者の覚醒前である、光の主人と光の護人は……わたしと朝陽なのだから。
ずっとずっと、月城が父王に殺されてから隠し通している事実。
ただ、このことは闇の支配者と対峙するまで黙っておこう。