第9話:荒ぶるドラゴンと子馬の荷車①
――翌朝。
僕を叩き起こしたのは、小鳥のさえずりでも優雅な鐘の音でもなく、壁に埋め込まれた魔導時計が発する「ギギギ……」という断末魔のような異音だった。
「……寒いな」
ベッドから足を下ろすと、床から刺すような冷気が伝わってくる。
昨夜、僕が少しだけ回路を弄ったおかげで照明は点いているが、暖房機能までは手が回らなかった。
ロビーへ降りると、そこは既に絶望が漂っている。
「お湯が出ない……。死ぬ。私、顔も洗えないまま学校行くの? そんなの、ゴミを通り越してただの不潔な人だよ……」
リアが洗面所の前で魂が抜けたように項垂れている。
その横では、カイルが真っ赤な顔で魔導ボイラーの操作盤を殴りつけていた。
「クソッ、このポンコツが! 魔力を流しても、術式が詰まってて逆流しやがる……! おいガレット、お前もなんとか言え!」
「……物理的に殴っても解決しない。魔力の通り道が、腐っている」
ガレットが冷静に指摘するが、カイルの苛立ちは収まらない。
柱の陰では、ユラが寒さで真っ青な顔をして、ガタガタと震えながら縮こまっている。
「う、うぅ……さ、寒いですぅ……。わ、私、冷え性なので……このままだと凍って動けなくなっちゃいます……」
僕たちはお湯すら出ないボロ寮で、惨めな朝を迎えていた。
(……昨日は配管の詰まりを通しただけだからな。肝心の「加熱処理」の記述が死んでるのか)
僕は三人の背後から、静かにボイラーの心臓部へ手を伸ばした。
視界に浮かぶのは、迷路のように絡まった術式の残骸。
経年劣化で肥大化した、ノイズだらけのコード。
(……壊すんじゃない。欠落した変数を補填すれば……)
僕は指先で、ぐちゃぐちゃに絡まった記述を優しく撫でるように『修正』した。
――カチッ。
それは、術式を粉砕する時の『パリン』という硬い音ではなく、古い歯車が噛み合ったような軽やかな音だった。
途端に、沈黙していたボイラーが「ゴウン!」と力強い鼓動を始める。
「……えっ?」
リアが蛇口をひねると、そこから勢いよく湯気が立ち上る。
「お、お湯だ! あったかい……! それに見て、昨日の泥が引いて、透き通ってるよ……!」
彼女は凍えた指先を湯に浸し、その温もりに救われたようにパァッと顔を輝かせて振り返った。
「回路の条件分岐が死んでたから、配線を『直結』させて無理やり起動させたんだよ」
正規の認証プロセスを無視した、禁じ手の荒療治。
腐った安全装置が『NO(否認)』を叫び続けていたので、その信号線を切断。代わりに、強制的に『YES(稼働)』の信号だけを熱源へ送り続けるよう固定したのだ。
結果として、蛇口からは生命の水が溢れ出ている。
「……チッ。お前に朝から借りができるのが一番気に食わねえ」
カイルは悪態をついて顔を背けたが、その手はちゃっかりとタオルを湯に浸し、丁寧に絞っていた。
ガレットは無言で僕を見て、一度だけ深く肯定するように頷いた。
そして、いつの間にかリアの背後に佇んでいたユラも、寒さで赤くなった手をこすり合わせながら、ほっとしたように息を吐く。
「あ、あのぉ……。お湯、本当に助かりましたぁ……。これで生き返れますぅ……」
彼女の存在感は幽霊のように希薄だが、かじかんだ指先には確かな生身の血が通っている。
僕はその震える背中を見て、ふと、昨日の掃除で生まれた連帯感が一晩経っても消えていないことを実感した。
冷え切った廃屋で一つの小さな熱源を分け合う。
その光景は、ここがただの『ゴミ溜め』ではなく、僕たちが泥臭く生きていくための『拠点』として稼働し始めた証のようにも思えた。
「……さあ、顔洗ったら行こう。フェリス教官のことだ。遅れたら何されるかわからない」
僕が現実的な脅威の名を口に出すと、三人は「うっ」と顔を引きつらせて我先にと洗面台へ群がり、ユラも「ひぃっ、わ、私、隅っこの方お借りしますぅ!」と慌ててその列に加わった。




