第7話:ゴミ溜めの環境構築②
そこからの数時間は、まさに泥沼の戦いだった。
魔術学院の生徒だというのに、やっていることはドブ攫いと変わらない。
「うわあああ! 蜘蛛! 蜘蛛がデカいぃぃ!」
「騒ぐなカイル! 火を使おうとするな、燃えるだろ! お前の火力だと全焼するぞ!」
カイルが蜘蛛の巣に引っかかってパニックになり、危うく寮をキャンプファイヤーにしかけ、
「掃除、完了」
「……ガレット、それはタンスを『片付けた』んじゃない、『物理破壊』したって言うんだ」
ガレットが腐った家具を運び出そうとして握りつぶす。
そんな中での救いはユラだった。
「あ、あの……わたし。床下、潜ってきますぅ……」
彼女は影の薄さを利用して狭い配管の裏や天井裏に入り込み、埃まみれになりながら害虫を駆除してくれた。
派手な破壊音も、魔法の光もない。
だが、数十分後に彼女が煤だらけになって這い出してきた時、床下の不快な気配は完全に消え去っていた。
「……助かった。実体のないオバケなんぞより、物理的に建物を食い荒らす『害虫』の方がよっぽど実害があるからな」
「えへへ……。お役に立てて、よかったぁ……」
誰にも気づかれない裏面処理のファインプレー。
システムの安定稼働を支えているのは、いつだってこういう地味で献身的な『縁の下』なのだ。
そして最後は――リア。
彼女は窓の前で、真っ黒になった雑巾を握りしめて困り顔をしていた。
「……んー、落ちないなぁ。やっぱり雑巾じゃ無理かなぁ……」
他のメンバーが魔法(あるいは物理)で豪快に作業する中、彼女だけは頑なに魔法を使わず、手作業で窓を拭いている。
「……ちょっとだけなら、平気かな? うん、ちょっとだけ……!」
彼女は意を決したように深呼吸すると、窓ガラスに指先を添えた。
微弱な振動で、汚れだけを弾き飛ばそうとしたのだろう。
だが――。
キィィィィィィィン……パリンッ!!
彼女が魔力を流した瞬間、甲高い共鳴音と共に、窓ガラスが一枚残らず粉々に砕け散った。
「あ……」
リアの動きが凍りつく。
足元に散らばる無数の破片。
夕日に照らされてキラキラと光るそれは、彼女にとってただの失敗ではないのだろう。
「……ちが、う……。あたし、そんなつもりじゃ……」
さっきまでの明るい笑顔が、嘘のように消え失せる。
血の気が引いた顔で、彼女はガタガタと震えだした。
瞳の奥に、暗く濁った色が広がる。
「ごめんなさい……ごめんなさい……。また、壊しちゃった……。やっぱりあたし、ただの『化け物』なんだ……」
うわ言のように繰り返される謝罪。
それは窓ガラスに向けられたものではなく、もっと過去――彼女が背負う『消せない罪』に向けられているようだった。
「リア」
僕はため息をつくことなく歩み寄り、彼女の小さく震える頭にポンと手を置いた。
「ひゃうっ!? ご、ごめんなさい! 殴らないで……!」
「落ち着け。誰が殴るか」
怯える彼女の頭を僕はぐしゃぐしゃと乱暴に、けれど努めて平坦に撫でた。
「ただの『共振破壊』だ。ガラスの固有振動数と偶然合っちまっただけで、お前が悪いんじゃない」
「……え……?」
予想外の言葉に、リアはきょとんと目を丸くする。
「化け物? ……馬鹿馬鹿しい。リア、お前はちょっと出力調整が狂ってるだけの『共鳴器』だ。……それも、『最高級』のな」
慰めではない。
純粋な機能評価として告げると、彼女の瞳から少しずつ怯えの色が引いていく。僕はガラスの破片を拾い上げ、光にかざしながら続けた。
「次は指先じゃなく、掌全体で波長をずらしてみろ」
僕は実演するように、何もない空中で手をゆっくりと動かしてみせる。叱責ではなく、ただの業務連絡。それが今の彼女には一番の薬になると分かっていたからだ。
「……ラ、ラビ……」
リアが潤んだ瞳で僕を見上げる。
その目から怯えの色が消え、代わりに縋るような信頼の光が灯るのを見て――僕はふいっと視線を逸らした。
「気にするなよ。どうせ全交換する予定の不良品だった。 ……ちまちま外すより、物理削除した方が早くていい。 ほら、怪我がないなら次だ。まだ作業は山積みだぞ」
僕が破壊活動を『業務効率化』として淡々と処理すると、リアは一瞬、言葉の意味が理解できないようにきょとんとした。
だが、そこに一切の非難がないどころか、成果として認められたことに気づくと――張り詰めていた糸が切れたように、その瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「……う、うん……! 次は、がんばる……!」
再び雑巾を手に取った彼女の背中からは、先程までの危うい影は消えている。
自分の力を呪いではなく『機能』として扱ってくれる場所。
その安堵が、彼女を現実に引き戻したのだろう。
ただ僕はこの時、リアという少女の笑顔の裏に潜む闇の深さを、はっきりと垣間見た気がした。




