第5話:日替わり定食の修正パッチ
学食の入り口に滑り込んだ瞬間、僕は小脇に抱えていたユラをそっと床に下ろした。
「間に合ったー! 残り5食! ギリギリセーフ!」
「……肉。確保」
リアとガレットは息一つ切らしていない。
そして、幼い頃から魔力暴走を抑えるために地獄の物理トレーニングを積んできた僕の肉体もまた、これくらいの距離では呼吸すら乱れなかった。
同じ落ちこぼれでも、物理スペックに関して僕たち三人は、そこらの上位陣を凌駕しているらしい。
「……う、ぐ……。揺らすな……。なぜ……ベルシュタインのオレが……こんな、荷物扱いを……」
一方で、ガレットに米俵のように担がれてきたカイルは、乱れた制服を直しながら青い顔をしてフラついている。
走る体力すら残っておらず運搬された彼だが、ガレットの激しい上下動のせいで、完全に三半規管をやられてしまったようだ。
そして僕が運んできたユラも、「もう、世界が回ってますぅ……」と、スライムのように床へ溶けていた。
眼前にそびえ立つのは、学食という名の巨大なリソースサーバー。
重厚な扉の向こうから、圧倒的な『データ量』が漏れ出している。
……僕たちはゴクリと唾を飲み込んだ。
これより開始するのは、生存のための資源争奪戦。
溢れ出す光と喧騒。
ガレットがその巨大な腕で、ゆっくりと扉を押し開いた。
◆
そこは、選民意識を煮詰めたような空間だった。
高い天井から吊るされたシャンデリア。白いテーブルクロス。優雅に談笑する貴族生徒たち。
対して、学食の最奥――華やかな喧騒から弾き出された薄暗い隅には、古びた長机が並べられただけの一角。そこだけが結界でも張られたかのように誰も寄り付かない、隔離エリア。
どうやらそこが、僕ら『特別調整クラス』に与えられた餌場らしい。
優雅にフォークを動かす貴族生徒たちの視線が、一斉にこちらへ向けられる。
そんな空間に、汗だくで泥汚れのついた一団が乱入したのだ。
「うわ、来たよ……『ゴミ箱』の連中だ」
「……汗臭いな。食事が不味くなる」
「おい、見ろ。あのカイル《《様》》も一緒だぜ。落ちぶれたもんだ」
突き刺さるような視線。
カイルが屈辱に唇を噛み、拳を握りしめる。
だが、リアにはそんな外野の『ノイズ』など知覚すらしていないようだった。
「ラビ! 食券! 早く買わないと売り切れる!」
「……わかってる、急かすな」
僕は券売機の前に立ち、全員分の『日替わりB定食(平民用)』を購入する。
一枚、銅貨3枚。
激安だが、カロリー計算上は最もコストパフォーマンスが良い。
僕がボタンを押した直後、売り切れのランプが点灯した。
本当にギリギリだったらしい。
「……ほら、お前の分だ」
僕はカイルに食券を投げ渡す。
彼はそれを、汚いものでも見るように睨みつけた。
「……いらん。誰がこんな……うっぷ、家畜の餌など……」
「食え。ガス欠に加えて、三半規管までバグってるぞ」
僕は淡々と事実を告げる。
今の彼は、ただでさえ魔力酔いを起こしている上に、ガレットによる乱暴な搬送で平衡感覚までシェイクされている状態だ。
早急に血糖値を上げて脳を再起動させる必要がある。
「ぐっ……」
カイルの腹が、本人の意思を裏切って盛大に鳴った。
彼は顔を青くしたり赤くしたり忙しくさせながら、震える手で食券をひったくる。
「……チッ。勘違いするなよ。今回だけだ」
「はいはい」
僕たちはトレイを手に取り、例の薄暗い『隔離エリア』へと陣取った。
◆
トレイの上に鎮座するのは、肉厚なハンバーグと、湯気を立てるポタージュスープ。
そして、鈍器になりそうなくらい硬い黒パン。
平民用とはいえ、腐っても王立学院の食事だ。見た目は悪くない。
「わーい! いただきまーす!」
リアが満面の笑みでフォークを突き立てようとし――。
「……待て」
僕は鋭く声をかけ、彼女の手首を掴んだ。
「え? なになに? あげないよ? これあたしの!」
「違う。……よく見ろ」
僕は自分のスープ皿を指差す。
湯気の中に、微細な魔力の揺らぎが混じっている。
常人には見えないレベルの、悪意ある記述。
(……【拒絶】の術式か)
対象の味覚神経に干渉し、激痛と嘔吐感を誘発する下等なコマンド。殺傷能力はないが、確実に食事というリソース摂取を妨害する嫌がらせだ。
視線を巡らせれば、遠くの席でニヤニヤとこちらを盗み見ている集団がいた。
「……っ、あいつら……!」
カイルも微弱な魔力を感じ取ったらしい。
ギリと歯ぎしりをする。
「……オレたちに無様な姿を晒させて、笑いものにする気だ」
食べれば悶絶して嘲笑の的。
食べなければ「逃げた」と嘲笑の的。
どちらに転んでも、彼らの娯楽になるというわけか。
「ひどいですぅ……せっかくのご飯なのに……」
ユラが涙目でスプーンを置く。
ガレットも悲しげにハンバーグを見つめていた。
……まったく。
どいつもこいつも非効率なことをしやがって。
食糧という貴重な資源にバグを仕込むとは、人間としての品位を疑うぞ。
(……ああもう、鬱陶しいな)
僕は苛立ちと共にため息をつき、自分のスプーンを手に取った。
くだらない遊びに付き合っている暇はない。
「なっ、おいラビ!? やめろ、それは……!」
カイルの制止を無視し、スープをすくった。
食べる直前。
指先から極小の魔力を送信し、スープに展開された魔法術式へ物理侵入を施す。
(……ん? おいおい、なんだよこれ。無駄のないループ処理に美しい条件分岐。完璧なロジックじゃないか!)
一瞬、思考が止まる。
記述自体は洗練されている。教科書通りの、実に綺麗なコードだ。
だが、だからこそ腹が立つ。
(……これほどの技術をこんな下らない嫌がらせに使うとはな。呆れてコードも泣いてるぞ)
僕は脳内で悪態をつきながら、術式の一部を強引に書き換える。口元へ運びながら、体内の魔力を指先から僅かに『出力』した。
(—―[例外処理]、実行)
スプーンの先から、僕の魔力がノイズとなって術式へ侵入する。
味覚を破壊する悪意あるコードを捕捉――検索、置換。
【痛覚信号】のアドレスを、【塩分濃度】のパラメータへと書き換えろ。
パリンッ……。
小さな氷が弾けるような音が僕の口内だけで響いた。
「…………」
遠くの席で、腰巾着たちが目を見開いて身を乗り出すのが見える。
のたうち回る姿を期待しているのだろう。
だが、残念ながらその思惑は見事にハズレだよ。
「……うん。美味いな。ちょっと塩気が強いのも、良い」
そう言って、僕は平然と二口目を口にする。
エネルギー効率を考えれば、味の濃さはプラスでしかない。
「な……!? なぜ平気なんだ!? 激痛が走るはずじゃ……!」
「ば、馬鹿な……術式が発動していないのか!?」
犯人たちの狼狽する声が聞こえる。
僕は彼らの間抜けな声を食前の『余興』として聞き流し、全員分の皿にも手を加える。
塩分濃度だけでない。
少し甘めに調整しておいてやるか。
「……悪かったな、リア。もう、食べてもいいぞ」
「えっ、いいの!? やったー!」
リアは疑いもせずにハンバーグへ齧り付いた。
ガレットも無言で合掌し、猛然と食べ始める。
ユラも恐る恐るスープを口に運び――パァッと花が咲いたような笑顔を浮かべる。
「お、美味しいですぅ……!」
幸せそうな咀嚼音が響くが。カイルだけは呆然と、僕と自分の皿を交互に見つめていた。
「お前……今、何をした……? 術式を解除したのか……?」
「いいや? いちいち消去するのは面倒だったからな。パラメータをいじって『スパイス』に変えただけだ」
「……は?」
カイルは理解不能といった顔をするが、やがて諦めたように肩の力を抜く。
空腹の限界だったのだろう。
彼はフォークを手に取り、悔し紛れにハンバーグを突き刺した。
「……ふん。……安っぽい味だ」
そう悪態をつきながらも、彼は一口、また一口と口に運ぶ。
その横顔からは、先ほどまでの悲壮感は消えていた。
◆
「……ふう。ごちそうさまでした」
僕は空になった皿を置いた。
一つたりとも残さない完璧なエネルギー回収。
横を見れば、リアは満足げに腹をさすり、ガレットも静かに合掌している。ユラは甘く調整したスープが気に入ったのか、うっとりと頬を緩ませて「ほうっ」と息を吐いていた。
そしてカイルも……どうにか顔色を取り戻した様子だ。
周囲の空気は入室時とは打って変わっていた。
嘲笑は消え、代わりに漂うのは『不気味なもの』を見るような沈黙。
彼らの仕込んだ嫌がらせを無視して、平然と食事を終えた僕たちは、貴族様たちの目には理解不能な『オブジェクト』として映っていることだろう。
「……さて、そろそろ行くか。食事は美味いが、ここは少し、香水の匂いが鼻につきすぎる」
僕たちは席を立つ。
背中に突き刺さる視線をあえて無視し、悠々と出口へ向かった。
とりあえずこれで午前のミッションはクリアと言っていいだろう。
だが、問題はここからだ。
「……教官の言っていた『旧校舎』とやらが、雨風を凌げるレベルであることを祈ろう」
裏の森という立地といい、『旧』というネーミングといい、嫌な予感しかしない。長年メンテナンスされていない遺物ほど、厄介なバグが潜んでいる場所はないのだから……。
腹を満たした僕らは、学食内に漂う静寂と困惑を置き去りにして、満足げな顔で学食を後にする。
背後から飛んでくる罵倒すら、遠い世界の出来事のように聞こえた。
これから向かう寮が、スープ以上の『ワケアリ』物件であるとも知らずに僕たちは……意気揚々と地獄への一歩を踏み出した。
◇
‐[フェリス・レポート]#03:『魔法』と『処理』の違い‐
Q:ラビ君、スープの味を直したよね? あれって「魔法」を使ったんじゃないの?
A:ノンノン。勘違いしちゃいけないよ。彼は「魔法」を使ったんじゃない。そこにある魔法を「編集」しただけさ。
今回のケースを整理しようか。
1. 貴族の生徒がやったこと(魔法)
これは正統派の【魔法】だ。「味覚を狂わせる」というプログラム(術式)を正しく組み上げ、スープに付与した。言うなれば、スープというファイルに「ウイルス」を添付したようなものだね。
2. ラビ君がやったこと(処理)
彼は魔法なんて使ってない(使えないからね)。
スプーンを介してスープの術式へ侵入し、内部の数値をいじったんだ。具体的には「激痛」という命令文を「塩分」のアドレスに書き換えた。
ウイルスを削除するよりも、無害なファイルにリネームする方が早い……いかにも彼らしい「工事」さ。
【重要ポイント】
彼が内心で唱えている『強制終了』とか『例外処理』といった言葉。あれは呪文じゃない。
魔法が使えない彼が、現象を理解するために脳内でつけている「ただのラベル(タグ)」だよ。
【結論】
普通の魔法使いが、コードを書いてソフトを作る「プログラマー」だとしたら。
ラビ君は、完成したソフトの内部データを勝手に書き換えて挙動を変える「改造者」。
だから彼は、自分では「炎」も「塩」も生み出せない。
ただ、そこにある他人の魔法を「最適化らせて」、別の結果に変えることだけができるんだよ。




